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萌えるふぉくす子さんだば子本制作プロジェクトの動向はもえじら組ブログで。

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「同調圧力は忌むべきものだ」と思考停止していたことに気付いた話 - Jun 19, 2020

このところ狂ったような長文を立て続けに書いていて、いいかげん出涸らし感が出てきた気がするけど、このツイートからたらたら書き連ねたことの増補改訂版として残しておく。

欧米社会にもあるらしい同調圧力

Gitのデフォルトブランチ名「master」が奴隷制を想起させるさせないの議論を発端に、差別される側にとって「言葉狩り」に一体どういう意義があると考えられるのかを改めて考えたんだけど、釈然としないモヤモヤ、露悪的な言い方をしてしまうと「差別主義者って言われるのが怖くてビビって過剰反応してるだけなんじゃないの?」「現実にある差別構造の撤廃に切り込む方が大事だろうに、言葉遊びをしてるだけの人がなんで『これぞ先進的な人権感覚、皆も追従せよ』みたいなツラしてるわけ?」みたいな違和感はずっと残ったままだった。

なぜそんなにモヤモヤしてしまうのかというと、これって普段から日本でも見慣れてる、同調圧力に基づく自主規制の光景と変わらないと思うからだ。ナイフでの殺傷事件が起これば文脈を問わずナイフ描写がマスメディアから一斉に「自粛」で姿を消す。問題がありそうかなさそうかを個別に熟考する暇も無く。それとよく似てると思った。

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Chromiumのコミットメッセージの「よりinclusiveにする」とはどういう意味か、GitHubがしている事の何がキナ臭いのか - Jun 16, 2020

1つ前のエントリにちょいちょい追記してるんだけど、見通しが悪くなってしまったので別エントリにした。

blacklistをblocklistにするとか、master/slaveを別の語に言い換えるとかの変更は、一体誰のためのもので、どういう意義があるのか? という問いに対して、1つ前のエントリを書き始めた時点でまだ自分は完全に腑に落ちる理解ができていなかったように思う。

その後、観測した反応や他の人による同じ件への言及を見ていて少しずつ、表題の話が腑に落ちるようになった。と同時に、改めて、先の言い換えを推進する流れの妥当性の怪しさを感じた。

自分がどう理解しどう腑に落ちたのか、今どのような疑問を持っているのか、を記録のためにまとめる。

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ポジショントークに騙されないようにしたいし、狭い視野でポジショントークじみた極論を言うよりも、メリットとデメリット両方を把握した上でソフトランディングを図っていきたい - Jun 06, 2020

ツイッターでつぶやいてた話

匿名と実名、どちらか一方を称揚する発言に対する評価の話

ネットは実名であるべきなのか匿名であるべきか、という話は何年かに一回くらい目にする議論な気がする。

自分は、「Piro」というハンドル(ペンネーム)で、匿名でWebを使い始めて、「OSSのライセンス文には本名を書かないといけないらしい」という誤解があって途中から実名も公表するようになったので、実名のメリットもデメリットも、匿名のメリットもデメリットも、全部一通り我が事として体験してきたと思う。

その上で思うのは、「匿名の連中は無責任だから全員実名を強制するべきだ」「いや匿名の方がいい、実名を使いたがるやつは売名目的だから出ていけ」みたいな、「自分がどうするか」ではなくて「みんなどうするべきか」でどっちかに寄せたがる発言をする人や、そういう言説は、あんまり信用しちゃいけないな、ということ。

  • 確かに実名の公表には、「子供もいないし子育てもしたこともない人が教育論を語っている」「社会に出たこともない人が仕事論を語っている」ようなまやかしを防ぐ効果がある。それに「馬鹿な事をしないように慎もう」と思わせる一定の力もある。
    • けれど、馬鹿な事をやらかす人は実名でもやる。Webが一般的になる前のパソコン通信時代やネットニュース時代に一番ヤバい事をしていたキチは、実名だったという。実名公表は、最後の一線として究極的には機能しない。
  • 確かに匿名の言論には、「既に知名度のある人が、社会的地位を濫用して道理の通らぬ事を押し通す」事を阻む効果がある。「その人の社会的地位から切り離された、純粋な言論だけでやり取りされるフェアな世界」がもたらされるように見える。
    • けれど、それは同時に「過去何度も同じやらかしをしてきた人が、素知らぬ顔でまた同じやらかしをする」「過去何度も他人を騙してきた人が、次の獲物を狙う」「その時その時でコロコロと言う事が変わり、理屈に一貫性がなく、確たる裏打ちがあってそう言っている訳ではない、という事実を包み隠す」ことをも容易にする。「フェアな世界」に見えていた物は、詰まるところ、相手を口八丁で言いくるめる技に長けた人が有利なだけの世界に過ぎない。

まずかつての自分のように、こういうそれぞれのデメリットを分かっていなかった(言葉で知っていても実感はしていなかった)時点で、わかりやすいメリットだけ並べて「だからみんなそうするべきだ」って言ってる人は、視野が狭く考えの浅いアホなので、信用するに値しない。

また、匿名のデメリットも実名のデメリットも分かった上で、デメリットを伏せてメリットだけ並べて「だからみんなそうするべきだ」と言ってる人は、自分の持つ武器(社会的地位なり、相手を言いくるめる術なり)が最大の効力を発揮し、自分の持つ不利(社会的地位の無さなり、理屈のガバガバさなり)を最大限ごまかすのに、たまたまそっちの方が都合がいいからそう言ってるだけの事が多い(そういう発言を「ポジショントーク」と呼ぶ)。自分の都合のいいように世論を動かして自分が利益を得たいだけで、煽られた他人が実際に被る不利益の事なんか知ったこっちゃないのに、それを隠してる不誠実な人なので、これも信用してはいけない。

善意のアホが悪意のポジショントーカーに乗せられてる事もあるし、アホが無自覚にポジショントーカーになってしまってる事もある。結局ポジショントークをする人にロクな人はいない。「ポジショントークをしない事」イコール「信用に足る」という事では必ずしもない(信用する十分条件ではない)けれども、ポジショントークをしてる人の事は真っ先に「あ、この人は信用しちゃ駄目だ、信用しない人リストに突っ込んじゃっていいや」とバッサリ切ってしまっても、大抵は不都合がない(信用する必要条件ではある)。今の自分の感覚をなるべく正確に言い表すと、こんな感じになると思う。

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性役割が逆転された世界、の描き方に現れる視点の違い - May 08, 2020

ほんとに「女が強い時代」って、こういうこと? 「女が支配する社会」を描いたディストピア作品3選 - wezzy|ウェジー という記事が話題になっているのを観測した。自分の観測範囲では批判的な感想が多かったように感じるけれど、それは「この記事を批判的に見た人が、記事を紹介し、同様の批判的意見を紹介している様子」を観測したせいかもしれない。

男女の性役割逆転というのは昔から度々描かれているようで、家畜人ヤプーはその代表的な一作と言えるようだ(僕は江川達也氏による漫画版だけ見た)。僕は先の記事に挙げられている3作品はいずれも未見だけれども、近年の観測範囲でも、立て続けに2作品ほど男女の性役割逆転を描いた作品を見かけた。ただ、先の記事の3作品や「家畜人ヤプー」と、僕の観測した2作品とでは、描き方にどうも差があるように感じられた。

 

僕の観測した1作目は「貞操逆転世界」(原作:天原、漫画:万太郎)で、主人公が「性」に関する事だけ男女の性役割の逆転した世界に迷い込んでしまうという内容。先の記事で紹介されている「軽い男じゃないのよ」とプロットは似ていて、「街中に無意味に男の水着の広告が溢れている」のような描写も共通しているようだけど、設定としては以下の点が大きく異なる。

  • 主人公は男性ではなく女性。
  • 主人公は社会人ではなく学生(高校生)。
  • 体力・体格差などの肉体的な性差は逆転していない(性的な消費・被消費の関係以外は現実世界を踏襲している)。

これらの事から、本作は「今まで優位な立場だった人が、劣位の立場に戸惑う」という内容ではなく、「今まで消費される性の立場だった人が、消費する性の立場に戸惑う」という内容になっている。

敢えて「優位・劣位」と書かなかったのは、本作では「高校生」という、性差が経済的な差や権力差にあまり結び付いていない年代の視点であるために、必ずしも「性役割が逆転したら女性が優位になっている」とは限らないからだ。

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「もっと考えろよ」「想像力なさすぎだろ」みたいな言い方を僕はしたくないなっていう話 - May 06, 2020

IQが20違うと会話が成立しない、みたいな話は昔からよく聞くけど、そもそも「自分自身が一般よりIQが高い天才です、一般人と会話が通じなくて困ってます」って当事者になってることがあんまり無いと思うので、実際そうなのか?ってのはよく分からない人の方が多いんじゃないかと思うんですよね。僕もそのクチで。

ツイッターみてたら、そういう場面において、一般よりもIQが高く「ギフテッド」と呼ばれる人の側が当事者として実際どう感じているのか、をご自身の体験から詳しく説明されている記事が流れてきて、読んでみたら、前々から「きっとこういうことなんだろうなあ」と考えてた事とわりと合致する話が書かれてたんですよ。

というのも、これって「自分がアニオタで、アニメにまったく興味がない人に話が通じない」みたいな場面にすごく似てるなって思ったんですよね。

  • 自分はその作品にも、作品が生まれた背景にも、今のオタク業界にも色々詳しくて、業界用語もめっちゃたくさん知ってる。オタク仲間同士なら呼吸をするように自然に会話が成立する。
  • でも、そういう前提を共有してない人と話すとなるとものすごく大変。好きな作品の好きなキャラの事を語ろうとしても、作品の説明に時間がかかるし、キャラの説明に時間がかかるし、「◯◯という作品の××というキャラのように……」みたいに言うとその「◯◯」や「××」自体も詳しく説明しないと分かってもらえないし……

こういうの、すごく身に覚えがあるんですよね。「オタク知識」の話でなくても、社会人だったら自分の業務分野・専門分野の知識とか、自分は滅茶苦茶詳しくてお客さんは全然詳しくないので説明に苦労するってのはすごくありふれた話だと思うんです。自分も今まさに、テクニカルサポートの業務でお客さんに説明する場面でそういう事はよくあるし、Linuxのシェルコマンドの解説漫画を描く上で大変な事もまさにそういう事だし。

で、「自分側が知識がありすぎて、知識が無い側の人に話が通じなかった」体験をそういう風に想起できる一方で、「自分側の知識レベルや頭の回転速度が低過ぎて、有能な相手がする話の内容がまるで理解できなかった」体験もまた、自分には想起できるんですよね。学校で先生の言う話が分からなくて授業についていけないとか、仕事の上で先輩の話しに全然ついていけないとか。むしろこっちの方が多いくらい。

なので、自分としては「IQが20も違うと会話が成立しない」という話の両方の当事者の感覚を想像しながら、先の記事を読んだんです。

それで思ったのが、「この記事を書かれた方(ギフテッドの人)には、もしかして、自分の話を相手に理解してもらえなかった経験はあっても、相手の話が自分には理解できなかった経験が無かったりするんだろうか?」という事で。

そもそも記事自体が「IQが高い側の弁明」という体裁だから敢えてそう書いたのかもしれないんですが、「やばい、相手の言ってることがまるで自分には理解できない。どんなに説明されてもチンプンカンプンだ」という感覚が、あまりその記事からは感じられないような気がして。

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安眠を手に入れるために工作と裁縫した - Jan 05, 2020

うちは大きなベッドを1つ使うのではなくシングルサイズのベッドを2つ並べて使っているのですが、引っ越しを機にベッドを買い換えたら困った事になり、工作と裁縫で解決しました。という話です。

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僕がある問題について自分がどう考えるかとその背景を書いているのは、フルブレーキングの副産物に過ぎない、という話 - Dec 08, 2019

blogとの付き合い方について あるいはなぜ自分がblogを書き続けているかについて - podhmo's diaryという記事の中で、僕の事が以下のように評されてました。

Piro_orさんはある問題について自分はこう考えるということの表明とその背景説明がとても上手な印象です。

これを書かれた方ご自身は「自分の思った事を書く」という事が今あまりできていないそうで、それで「できている人」として例に挙げて下さっていて、尊敬しているとまでおっしゃって頂いていてなんというか恐縮です。確かに、自分でもそういう事をよくしているような気がしてます。

ただ、自分がそうしている事の動機がどこにあるのかという事を改めて考えてみると、必ずしも目指すに値する対象とは言えないんじゃないだろうかという気がしています。

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誤用の心理的安全性 - Jul 10, 2019

いやね、「みんな仲良くぬるま湯状態」は心理的安全性とは違うとはみなさん言いますけど、それじゃあ「口の悪いベテランが欠点をあげつらって罵倒しまくってて、それに新人がビビってる状態」は心理的安全性があるのかないのか、って話なんですよ。

 

最近「心理的安全性」という言葉をよく目にします。

最近あった7payのトラブルは、パスワード再発行の仕様がザルで、誕生日とメールアドレスさえ分かれば第三者がアカウントを乗っ取り放題だったせいで、最低でも900人に計5500万円以上の被害が出た上に個人情報も漏洩した恐れがある、という事件でした。以前から一般ユーザーによって危険性が指摘されていたという話も、開発に関わった人が良識を持っていれば絶対に指摘していただろうという話も聞かれて、そういった技術的・倫理的に正しい指摘がきちんとエスカレーションされていさえすれば防げたかもしれない事件だった、なのに誰も止められなかった。何か言えば上司に「余計な事を言って仕事を増やすな」とか「スケジュールを遅延させる気か」と詰られると思うと、皆我が身かわいさに「正しい指摘」を引っ込めざるを得なかった、のではないだろうか。正しい事を正しいと言えなかったがために起こった事故なのだろう。……というような話がまことしやかに囁かれています。

そういう事を防ぐために、正しい事を正しい・間違っている事を間違っているときちんと指摘してよい、指摘しても懲罰的人事などの理不尽な形で不利益を被る事は無いという意識が、メンバー全員で共有されている状態。挑戦に失敗しても致命的なダメージを被らないで済むというセーフティーネットがあるために、意欲的に挑戦してより良い成果を生み出せる状態。みんなで一丸となって、やるべき事をつつがなく遂行できる状態。そういうのを、心理的安全性が高い状態と言うそうです。

詳しい話は心理的安全性ガイドライン(あるいは権威勾配に関する一考察)とかそのあたりの記事を参照してください。

 

その「心理的安全性」なんですが、急激に流行りだしてバズワードと化したせいか、本来の意味とは異なる意味で使われてしまっている場面があるそうです。具体的には、「批判されると萎縮してしまって何もできなくなる。だから、相手の事を批判してはいけない。みんな仲良く、和気藹々。それが心理的安全性が高い状態である」というような使われ方。

先の説明から続けて読めば、これがどうして「間違った理解」なのかは明白ですよね。「本来の心理的安全性」は筋の通った正しい指摘を引き出す物のはずなのに、「誤用の心理的安全性」では、そういう正論ベースの指摘は「和を乱す物」として否定され得る。明らかな穴があっても、「彼がせっかく頑張って考えたプランなんだから、それでやろうよ」と、穴に目を瞑ってナアナアで済ませる。そうして幾つもの誤りを見過ごして破滅に突き進む。我々はこれを言い表す的確な言葉を既に知っています。「事なかれ主義」です。その単純な言い換え語として「心理的安全性」を使うというのは、確かにいただけません。

 

でもその一方で、この誤用をしたくなる気持ちを僕は否定もしきれないんですよね。何故なら世の中には、「論理的に正しいかどうかがすべて」を信条に、人の神経を逆撫でしたりこき下ろしたりする人がいるからです。ただの観測範囲の問題かも知れないんですけど、「(IT)エンジニア」にはそういう人が目立つような印象が、僕にはあります。

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「お疲れ様」が失礼とかそういう話 - May 12, 2019

自分は「ご苦労様」というフレーズが「目上の人に使うのは失礼な言葉だ」「代わりに『お疲れ様』なら言ってもいい」と言われるようになった過程を見てきた世代の人間なので、「お疲れ様」が今「目上の人に使うのは失礼な言葉だ」と言われるようになっているという話を見かけて、まあ驚きましたね最初は。

「ご苦労様」が咎められていた頃にも「そもそも、目上の人に『ご苦労様』と言う例は昔からあった」とか色々反論は目にしましたが、結局みんな馬鹿馬鹿しいとは思いつつも、それで失礼だと言われたら怖いとビビって「ご苦労様」を目上の人には使わなくなったと思うので、「お疲れ様」もそのうちみんなビビって使わなくなるのかもしれません。

 

捏造マナーを広めてマッチポンプで仕事を作り出す失礼クリエイター(自称「ビジネスマナー講師」)に踊らされるのは癪だなあと思いつつ、しかし、お疲れ様もご苦労様も目上の人に言うのは失礼だというのは案外当を得ているのではないか?という気がする部分もあります。

というのも、「お疲れ様」が目の敵にされるようになった時にも「それは目上の者が目下の者の労をねぎらう時の言葉だからだ」と説明されていて、今回の「お疲れ様」でも同様の言われ方をしているようなので、そもそも「労をねぎらう」というのが「上から目線」の行為という事なのではないだろうか、だとしたら、目下の側からねぎらいの言葉が発される事自体が失礼扱いされるのは致し方ないのでは、と思ったのですね。

現代で「お疲れ様です」が発されるのってどういう場面なんでしょうか。「労をねぎらう」と一言で言ってしまっているケースでも、分析してみると実は色々なコンテキストがあるんじゃないでしょうか。

  • その人が自分のために労を割いてくれたので。
  • その人が自分のしたミスの尻拭いをしてくれたので。
  • 自分が関わる事ではないが、その人が何か仕事をこなしたので。
  • 見るからに疲れている様子なので。
  • すれ違いざまの挨拶として。メールの書き出しとして。

相手が労を割いてくれたという事だと、「ありがとうございます」という表現がより適切な気がします。

相手が尻拭いをしてくれたという事だと、「ご迷惑をおかけして済みません」の方が適切に思えます。

自分の関係ない所でその人がした事に対して、何も言わないのは失礼だから何か言いたいという時は、「素晴らしいお仕事です」とか「敬服致します」とか言える気がします。

見るからに疲れている様子なら、「お疲れのご様子なので今日はどうぞお帰り下さい」とかなんとか。

すれ違いざまの挨拶だと、その日の初回の遭遇だったら「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」が適切な気がします。2回目以降の遭遇では、どうなんでしょう。自分は「会釈」「黙礼」でいいと思いますが。ちなみに、最近読んでる「総務部総務課 山口六平太」では、典型的な日本型大企業の中で平社員が社長に遭遇したという場面では平社員が黙礼するだけという描写が多い印象があります。

 

こうして改めて「お疲れ様」「ご苦労様」の言い換えを考えてみると、他の言葉がより適切な場合もあるし、そもそも適切な・しっくりくる他の表現が無い場面もある、という気がしてきました。

「ご苦労様」って、かなり広い場面で使えるユニバーサルな言葉という気が僕はするのですよね。「それさえ言っておけばまあ大丈夫」というカテゴリの言葉というか。語彙力が無いと、それだけで全部済ませたくなっちゃうというか。だとすると、個別のコンテキストに応じた適切な言葉の使い分けを面倒臭がって、万能のフレーズ1つであらゆる場面を済ませてしまう怠惰さは、言われた相手の側にするといい気がしない、というのは一理ある気がします。少なくとも自分は、「自分のためにわざわざありがとうございます」「自分の不始末でご迷惑をおかけしてすみませんでした」等が適切な場面で「お疲れ様です」と言われたら、「なに他人事みたいに言うてんねん」とイラってなりそうです。「お疲れ様」が失礼となるケースがもし現実にあるとしたら、そういうケースが該当していそうな気がします。

そうでなく、しっくりくる表現が他に無いから「お疲れ様」が使われているというケース、挨拶やメールの書き出しのような場面が問題だとするなら、そもそも「ねぎらいのフレーズ」を無関係の場面に流用したのが間違いだった、ということはないでしょうか。言った側は「流用したフレーズを以て挨拶しただけ」のつもりが、相手はそれを流用ではなく本来の意味の使われ方すなわち「目上の者が目下の者に対して言う言葉」と捉えたために、失礼と感じられた、という事だったりしないでしょうか。

だとしたら、もういっそのこと、既存の言葉を流用しないでその場面に適した言葉を新しく作った方が建設的ではないでしょうか。例えばこんな感じで。

  • 平社員が社長とエレベーターで乗り合わせた。黙っているのも変なので、挨拶する。「社長、きゆゎぶです!」
  • 部下が上司にメールを書こうとしている。相手がいつ読むか分からないので「おはようございます」と言うのも変だ。なので、こう書き出す。「めでぺづです、結城です」。

「ランダム 文字列」で検索したら任意の文字数のひらがなの文字列を自動生成できるページが見つかったので、これで作った文字列を造語として流行らせてみると面白いのではないかという気がしています。社内で流行らせた結果、うっかり社外の人にまで使ってしまうとどうなるか分かりませんが……もしかしたら案外世間で流行るかもしれないですよね。「拝承」みたいに。

責任を果たさなかった仕事について懺悔します - May 09, 2019

僕がとある人にあまり良い印象を持っていない事の理由の1つに、商業媒体で連載の無告知中断を2回もしていて、2つ目は中断から数年経過しているのに自己紹介ではそれを現在進行形の連載としてアピールしており、自分のような第三者視点では「最初のは苦労して連載しても紙媒体でバズらなくて旨味が少ないと思って切ったのかな、次のもマンガ家という肩書きが手に入った後は放置ということなのかな」と見えているから(いや、その人にはその人の事情があって、自分は知らないだけでちゃんと双方で話の付いてる事なんだろうとは思うのですけれど)……というのがあるんですが、そういう風に他人の事をどうこう咎められる資格が自分にあるのかというと、自分の方こそ酷い不義理をやらかしているのですよね。

 

そういう仕事関係の不義理の中でも自分の中で最大の物は、フォクすけブログで1回か2回やったきりでぶん投げっぱなしにしてしまったブラウザの歴史に関する「連載」だと思ってます。

今から12~13年前。Mozilla Japanに半常駐でマーケティング関係のお手伝いをしていた頃、フォクすけというファンシーなキャラクターを掲げて「見た目ゆるく、でも中身は実用性高く」という意気込みでコンテンツを充実させていこうと思っていた僕は、フォクすけのブラウザ歴史年表を作るために色々調べて知識が増えた事に驕って、「Firefoxの他に無い価値の1つはその歴史にあると言えるはず。Webブラウザとインターネットの歴史をMozillaを軸に語ると面白いのでは?」みたいに考え、そのネタでドキュメンタリー風に連載をやってみますよ!と大言壮語をぶちかましたのでした。単発の技術解説記事や日経LinuxでのOpenOffice.orgの連載などで文字書きの経験はしていたので、まあできるでしょ、と思いまして。

で、いざ書き始めてみたのですが、ところがこれが全然書けないんですよ。当然です、取材もせずに数冊本を読んだ程度のカウチポテトで、生の体験をしていない僕ごときが、自分以外の視点で歴史を魅力的な読み物として書ける訳が無いんですよね。「誰々がこの時、こう言った」みたいなヒキの強いフレーズ、出てくる訳が無いんです。だってその場に居合わせてない、知らないんだもの。ロクな取材もしてないんだもの。

はっきりと〆切を設定した訳でもなく、また、依頼された訳でなく自分で言いだした事で、自分の気が向いたら書ける時に書きますくらいの表明の仕方だけに留めるという卑怯な逃げを打っていた事もあって、「なかなか筆が乗らないンすよね……」とグズグズしているうちに<ruby>一月<rt>ひとつき</rt></ruby><ruby>二月<rt>ふたつき</rt></ruby>と日は過ぎていって、気が付けばもう何の宣言もなくずうっと放ったらかしという訳です。

趣味の同人活動ならまだいいですよ、ぶん投げた所で自分の信用が損なわれるだけだから。でも仮にも仕事として始めた物でそれをやっちゃう訳ですよ。読者に対する裏切りであるだけでなく、「半常駐でマーケティングのお手伝いをする」という仕事の直接のお客さんであるところのMozilla Japanさんに対する裏切りでもあった訳ですよ。酷い、全く酷い。

 

仕事のやらかしでは他にも、シス管系女子の連載で原稿を落とした事が、この8年間で1回だけありました。設定された〆切をぶっちぎるのが常態化、校了ギリギリまでかけてやっと納品、という綱渡りを繰り返しているうちに、どうしても間に合わせられなかった事が1回。初期から連載を追ってこられた方がどれだけいるか分かりませんが、「あれ、今月載ってないの?」と思われた時があったと思います。それです、その時です。

実を言うと、この綱渡りは今も続いてるんですよね。ギリギリの納品は常態化したままで、だから毎回編集さんにはご迷惑をおかけしてます。申し訳ない事をしています。

 

やると言って引き受けた仕事で、約束を守らないって最悪じゃないですか。「原稿落としちゃいました、ヘラヘラ。これで自分も並み居る先輩作家大先生達に並んじゃいましたね、ヘラヘラ」なんて自慢してる場合じゃないです。酷い事ですよ。信用されるもクソもない、尊敬になんてまるで値しない。それで「なんで自分は人望が無いんだろう、人に誘われないんだろう、声かけてもらえないんだろう」と嘆くなんて、どういう神経してるんですかって話です。

最近こんな話を見かけました。

そう、まさしく「公的にはしないことになってるけど、みんなやってるのが当たり前」という認識でいるから、不義理をしてしまえるのですよね。「自分は特別だから許される」なんて思ってはさすがにいなかったと思っていますが、だからこそ「みんなやってるんだから、自分もやっていいでしょ」と思っていたわけです。「当たり前じゃない」と人から叱られるまで、それが自分には分かっていませんでした。

 

これを読んだ人は、約束は守るから約束なんだ、という事だけとりあえず覚えて帰って下さい。今年37歳になるおじさんから後進へできるアドバイスは、以上です。

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