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マイクロアグレッションの啓発ポスターを見て途方に暮れるであろう、今より若かった頃の僕へ - Nov 26, 2023

Xに書いた事のまとめ・増補版。

「マイクロアグレッション」に関する香川県の啓発ポスターについての、労ったり褒めたりしてもダメとかどうしたらいいんだよ どうせ触れなかったら「配慮が足りない!」とか言うくせに というコメントを見かけた。

マイクロアグレッションとは、発話者当人に差別の自覚はなく、ともすれば言われた側にも「差別された」といった明確な被害意識はなかったりすらするけれど、言われた側はなんとなく釈然とせずモヤる、という類の「日常の中にある、社会的・歴史的に見て差別性がうっすらある言い方や接し方」のことだ。という理解の仕方を僕はしている。

これまでも度々書いてると思うけど、僕はこの種の「誉め言葉と思って言ったのに、マイクロアグレッションだと言われる」類の指摘に「どないせえちゅうねん」と途方に暮れる側の一人だった。
正直に言えば、「こっちはこれだけ気をつけてるつもりなのに、これ以上を要求されるなんて、なんてめんどくさい!」という感覚はあったと思う。
先のコメントをした人が僕と同じ戸惑いを感じているのかどうかは分からないけど、僕は、「よかれと思って言った言葉で泣かれ、その相手との縁を絶対切られたくなかったので本気で反省する」というクソダサ経験をするまで、心の底では「よかれと思って言うたのに、何が悪いねん」という自己正当化の思いを捨てきれていなかったな、と今から当時を省みて思う。

反発心がなくならない間は、僕は、理屈では分かったつもりでも本心では腑に落ちてなかったのだと思う。
当時の僕に、人を泣かせずにその事を理解させ得ただろうか? なんとなく、無理そうな気がする。そのくらい、パラダイムの大きな転換を要する事だったように思う。

 

当時の自分にそれでも言ってみるとしたら、
「自分の価値観で誉め言葉と思える言葉でも、相手の価値観に照らし合わせると誉めどころか侮辱になることもあるから、おべっかのつもりで軽々しく言うな。相手をなめるな」
という言い方はどうだろうか?

「じゃあ何も言えないじゃんか」と思うなら、そうなんだよね。今の「あなた」はまだ、自己判断で紡いだ言葉を乱暴に相手に投げていい状態じゃない。まだそれだけの関係性を築けていない。恐る恐る無難な言葉から繰り出して、「ここは相手と価値観が近いか? 離れているか?」の知識を増やして、確信を持てる状態になってから言うようにするしかない。
今までがたまたま、価値観の近い人同士の間でしかコミュニケーションしてなかったから、乱暴な決めつけをしても外れることがなくて問題にならなかっただけ。バックグラウンドの異なる人とのコミュニケーションの仕方をこれから学ぶしかない。

「なんでわざわざこっちが合わせなきゃいけないんだ。相手がこっちの価値観に合わせて飲み込めよ」と思うのが傲慢な事だと知って、改めるしかない。

「誰相手でもこれさえ言っとけば差別と非難されない、相手の背景を把握する労力を割かずに済む、相手のことをこちらの一方的な思い込みで決めつけていても問題無くいける、絶対の正解と言える褒め言葉のパターン」が欲しいんだろうけど、それを欲しがる「24歳の僕」よ、そういう銀の弾丸は無いんよ。
少なくとも、「僕」にはそれを本能的に見つけられる才能は無い。
無いものは無いのだから、才能のある他人を羨んでも、才能を持たずに生まれた自分を呪っても、仕方が無い。才能が無いなりに、サバイブする方法を身に着けるしかないんよ。

サバイブする方法って何やねんっていうと、今の所の僕の理解では「相手の言葉に耳を傾けて、相手のバックグラウンドに合わせて考え続けるのを、やめないこと」なんよ。
相手の言うことに耳を塞いで「どうせこう言っとけばええやろ、この手合いはそれで満足するやろ」と決めつけてるうちは、「こっちはこれだけ気をつけてるつもりなのに」って言ってても駄目なんよ。一人一人違うバックグラウンドを持ってるんだから、ちゃんと話を聞いてからじゃないと適切な対応は取れないんよ。
そんなん大変やんと思うかも知れないけど、「24歳の僕」よ、そうだよ大変なことなんよ。
「思考停止してても通用する万能の回答が欲しい、ラクをしたい」っていうのは、そもそも出発点が間違ってるんよ。それって「相手に敬意を払わずに済む方法」を求めてるって事に他ならないもの。

対人で「相手に敬意を払わなくて済む時」があるとしたら、多分、自分がスゲー金持ちであるとか、業界のドンであるとか……相手が喜んで自分に対して尻尾振ってくれる、相手に対する自分の優位性が揺るぎない時だけなんよ。
「24歳の僕」よ、少なくともその先20年の間は、僕はそんな大成功者にはなれないから、おおむね対等な力関係の人同士の営みの中で生きる事になるから、残念だけど、圧倒的強者にのみ許されるムーブを身に着ける方向で考えるのはやめた方がいい。

 

でもねえ、大変に見えるかもしれないけど、41歳の僕にとっては「ちゃんと相手の話を聞くようにする」というのが結局は一番ラクっぽいと感じてるよ。
真っ暗闇の中で、有るんだか無いんだか分からない正解を探り当てようとして、当てずっぽうでああでもないこうでもないと闇雲に試すのは、不安だし疲弊するんよ。
ある時は通用して、またある時は通用しない、そんな運ゲーやってらんないんよ。
それに比べたら、懐中電灯ででも豆電球でもいいから、足下を照らしてちょっとずつ確実に歩を進める方が、自分の側に不安がなくていいって感じてる。相手の言い分を聞くって、そういうこと。

「勝ち確パターンでばったばったと『敵』をなぎ倒して無双しないといけない、勝ち確パターンを外れたら途端に『敵』に群がられて身動き取れなくなって死ぬ」と思ってるかも知れんけど、「24歳の僕」よ、そんなことはないから。
「『何も言わなくてもこちら(相手)の気持ちを完璧に察せる』ホスピタリティを求めてくる、そこからちょっとでも外れたら死ぬまで激しく攻撃してくるクレーマー」は、1対1で接する場面について言えば、多分そんなに多くない。「きっとみんなそんな鬼ばっかや」と、実際に社会に漕ぎ出してみる前から身構えるのは、まあまあ杞憂だから。
むしろ、そうやってガチガチにガードを固めて心閉ざして決めつけてる方が、相手から見たら感じ悪いから。それが「なんやこいつ、こっちのこと無意味に決めつけてきよって……」って却って無駄な軋轢を生む。
「僕」も、そうでしょ。相手が友好的だとしても、「どうせこう言っとけば満足やろ?」みたいに決めつけられたらムッとくるでしょ。相手側から見ても、多分同じなんよ。
「相手を『敵』と思って最初から心を閉ざすな、相手もまた傷付く心を持ってる一人の人間なんだから、対等に接しよう」程度の丁寧さでも心がけておくと、案外なんとかなる感覚があるよ。
もしそれでうまくいかなかったら、またその時に対応を考えよう。

 

24歳当時の僕は、41にもなって僕がまだ「絶対失敗しないコミュニケーションの取り方」が身についてなくて、今後も身につく可能性が低い事に、先の見えなさに絶望するだろうけど。
その代わり「失敗から早くリカバリーできる可能性を高める方法」はそこそこ身につけられるから(参考資料:「それ差別ですよ」といわれたときに謝る方法 - feminism matters(Internet Archive))、めげずに頑張っておくれ。それでとりあえず20年くらいは生きてられるから。

分類:出来事・雑感, , 時刻:06:49 | Comments/Trackbacks (0) | Edit

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