たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
(1つ前の翻訳記事の末尾には当初、自分の個人的な考えを長々と書いていたのですが、翻訳記事でそういうことをやるのはマナー違反という指摘を頂きました。自分でも確かに、思い入れのあまり熱くなって書きすぎと感じていたので、別記事に分けるついでに増補改訂することにしました。)
原文に寄せられていたHacker Newsでの反応や、僕の翻訳に寄せられていた反応を見ていると、XULを捨てる判断を間違いと断じる物や、そのような判断をしたMozillaに対する恨み節、あるいは「バカな判断をしやがって、そんなだから俺らパワーユーザーから見捨てられたんだ」みたいな捨て台詞じみた物が結構見られました。
それらを見て僕は正直、「これだけ丁寧に書いてあってまだそんな風に思えるってどういうことなの……」と驚くやら呆れるやらしたのですが、自分自身もかつてはそっち側にいた自覚があったので、「なんでそう思うのか」も分からなくはありません。
今でも「見境のない拡張機能の仕組み」を支持し続けている人というのは、アドオン開発者にしてもユーザーにしても、ある意味で楽天的というか、性善説を信じているというか、そういう感じなのかなあと思っています。
「従来路線でいっても生きていけただろう、少なくとも玄人向けとしてなら生き残れただろう」という意見については、以前の記事で「それでは結局現実に生き残れない」とバッサリ切りましたし、1つ前の記事のコメント欄にも書いてみました。しかし、それとは別に「諸々の進歩を継続しつつ、アドオン開発者やユーザーに自己責任での自由を残すのでは駄目なのか?」という主張もあります。自分もFirefox Quantum以前はそのような立場でした。
この場合の世界観は以下のように要約できるかと思います。
しかし、自分の体験と先の記事の内容を踏まえて、今僕が思うのは、「甘い……まったく甘すぎる……」ということです。
僕自身、日々壊れていくXULアドオン時代のTSTを維持するのには、ものすごい苦労を要していました。当時はそれが当たり前だと思って麻痺していただけで、実際には狂気の沙汰だったと感じています。TSTをWebExtensions化して以後の感覚では、XULアドオンを書くのなら、実作業時間で1時間あたりN万円くらいのお金を貰って仕事としてやらないと、とてもじゃないけどやってられないです。それくらいに、XULアドオンは維持にコストがかかると言わざるを得ません。「少額ながら寄附を……」とかいうレベルでは収まらない、もはやビジネスの話です。
僕自身はライフステージはそれほど変わらないままですが、結婚や子育てなどライフステージの変化の影響で、毎日アドオンのメンテナンスに時間を割くことはできなくなってしまう人も、当然いたでしょう。メンテナンスに膨大なコストを要するアドオンを継続し続けなくてはならないのでは、作者の人生をそれだけに縛り付けることにもなりかねません。
あるいは、作者個人が自分の使う範囲だけで細々メンテナンスし続ける程度なら可能かもしれませんが、それを「第三者が使いやすい」状態でリリースまでするモチベーションはどんどん下がっていく一方でしょう。
なぜなら、ものすごく嫌な言い方をしてしまうと、今XULアドオンを一般向けにリリースしても、パッチも提供してくれない・問題の再現条件の特定もしてくれないクレクレ君達からの、「お願いですぅ~直してくださいぃ~ボクにはとてもメンテできましぇ~ん」みたいな声が増えるばっかりで、いいことがないからです。
それは言いすぎだろう、パワーユーザー向けならそんなことないのでは、と思う人もいるかもしれませんが、こういう修羅の世界では「敬意を払ってくれるユーザー」や「お金を出してくれるスポンサー」だけいても、結局は搾取構造にしかならない、と僕は考えています。。
一般的には「OSSにできるコントリビュートはプルリクエストだけではないです。障害報告も立派なコントリビュートです。必要な環境、再現手順、期待される結果、実際の結果を明記した良い障害報告をしましょう」ということを僕も言っていますが、「見境のない拡張機能」の世界では、それですら作者側の負担が大きすぎると言わざるを得ません。プルリクエストやコードを実際に提供し合うような、「同じ技術レベルで共に並び戦ってくれる戦友」同士で助け合う以外には成り立たない、そのレベルで戦列に加われない人に関わられて期待されても困る、というのが正直な所です。
技術的な事実をいうと、今でもFirefoxでは「見境のない拡張機能の仕組み」と同等のことをやる余地は残っています。AutoConfigの仕組みを使って、(Firefoxのインストール先)/defaults/pref/autoconfig.js
に
pref("general.config.obscure_value", 0);
pref("general.config.filename", "autoconfig.cfg");
pref("general.config.vendor", "autoconfig");
pref("general.config.sandbox_enabled", false);
という内容のファイルを置き、(Firefoxのインストール先)/autoconfig.cfg
にゴリゴリ書いていけば、Firefoxのchrome領域上で任意の特権スクリプトを動かすことができます。実際、僕も仕事の上でどーーーーーーしても必要に迫られた場合はそうしていますし、Firefox内部で任意のスクリプトを特権付きで動作させるアドオンだった「userChrome.js」のエコシステムを継続している人達も、この方法を使っているようです。
こういう使い方をすると、前の記事で散々書かれているような「バージョンアップですぐ動かなくなる」「代替策がない」というドン詰まり状況が頻繁に発生します。ググって見つけたブログ記事やQiitaの記事のコピペで使うだけではとても維持できず、「自分で原因を調べて、自分でコードを直す」ということがどうしたって必要になってきます。誰かが直してくれるのをボケッと待ってるだけでは、今のFirefoxのリリースサイクルにはまず追従できないでしょう。
なお、この方法を使っている人達は百も承知だとは思いますが、この方法もいつまで使い続けられるかは分かりません。それでも、「Firefoxのソース自体に手を入れて、Firefoxそのものを独自ビルドする」のは依然として可能です。あるいは、そこまでやるならChromiumに乗り換える(Chromiumを改造して独自ビルドする)方がいいかもしれません。もはや完全に根性試しの世界ですが、腕力さえあれば乗り切れるのがOSSのいい所です。腹を括って「この方向でも生きていけるんだ」ということを示し続けていく人は、いてもいいとは思います。僕にはとても真似できませんが……
FirefoxはFirefox 57で「見境のない拡張機能」をバッサリ切りましたが、Firefox ESRのスピード(1年ごとのメジャーアップデート)でゆっくり物事が推移しているThunderbirdは、もう少しソフトランディングな方向で進んでいます。会社のブログに書いたThunderbirdアドオンのTb78対応の話では「使うな」とサラッと流していますが、アドオン作者向けのThunderbird 78向け移行ガイドによると、Thunderbird 78では「公式のWebExtensions APIには含まれていないけれども、こういうAPIが欲しい」という機能があるときに、アドオン作者がそれを自力で実装する、Experimental APIという仕組みが利用できるようです(これはFirefoxでも提案はされていたのですが、なんやかやで結局実際には使える状態にならなかったと記憶しています)。
ただ、そのような本来の意図とは裏腹に、Experimental APIは結局「見境のない拡張機能」と同じことをするための互換レイヤー作りのために使われてしまっているようです。少なくとも、CardBookという巨大アドオンのThunderbird 78対応ブランチでは、ほとんどのソースはXULオーバーレイ前提になっていて、Experimental APIでXULオーバーレイ相当のことをしている様子が伺えました。
まあ、そうしたくなる気持ちは、分からなくもないんですよ。移行ガイドは(ちょろっとしか見てないですが)「こうやってちょっとずつ移行していきましょう」みたいなソフトな書き方をしてるし。一般的に、ハードランディングよりソフトランディングの方がいいとされてますし。前の記事にあった通り、Firefox自体もちょっとずつ段階的に改良されていったわけですし。
でもねえ、XULアドオンのWebExtensionsへの移行だけは、TSTのWebExtensions化で僕がやったように、「腹を括ってゼロから作り直す」以外の選択はないと思うんですよ。XULアドオンとWebExtensionsアドオンではパラダイムが違いすぎて、「ちょっとずつ置き換え」なんてできないんですよ。
「ちょっとずつ置き換えるためにとりあえずExperimental APIで全部持ち越した」の先にあるのは、「ちょっとずつ移行しようと思ってたけど、どうやって移行したらいいか見当もつかない」という混乱、そして何もできずに手をこまねいての停滞、最終的には時間切れ(Experimental APIの廃止)での完全死だけ。そうなる前に、いかに早く頭を切り替えて腹を括ってゼロから作り直そうと思い切れるか、それが生死を分けると僕は思ってます。
XULアドオンのWebExtensions化では、「WebExtensionsらしいやり方でゼロから作り直して」「APIが足りない部分は、WebExtensionsらしい作法に則ったAPIを提案する」「要望が通らなかったら諦める、無理はしない」というのが最も「正しい」やり方です。自分は一応今のところはそういう方針でやっているつもりですが、改めて考えてみると、僕がこの方針を取れているのは、僕の本心が、多くの「見境のない拡張機能の仕組みに今でもこだわり続けている人達」とは別の所にあったからなのかもしれません。
元記事に寄せられたPale Moonのメンテナーの人のコメントでは、徹底的なカスタマイズを必要としている人のために頑張っているのだ、ということが語られています。それ以外の怨念の籠もったコメントや捨て台詞じみたコメントも、通底しているのは「自分のやりたいようにカスタマイズできることが一番大事、それ以外は二の次」という価値観のように僕には思えました。
対する僕は、「Mozillaの掲げるOpen Webの実現が一番大事、そのために必要な物としてGeckoというレンダリングエンジン実装が継続することが必要、自分のやりたいようにカスタマイズできることは二の次」と考えているようです。いま自分がインターネットを使いたいように使えるのはOpen Webがあってこそで、その邪魔になるなら自分の細かい要望は(なるべく実現できるに越したことはないけど、どうしても衝突するなら)脇に置いても構わない、というか、自分の要望を無理に押し通した結果Open Webが失われては元も子もない、という考え方なのだと思います。
これはべつに、Mozilla信者だからMozillaの言うことに何でも従ってる、というわけではありません。Mozillaに入れ込むようになるより以前、W3C信者として調子こいてた頃に僕が入れ込んでいた、アクセシビリティとかユニバーサルとかの話が先にあって、Mozillaの掲げるOpen Webはそれに連なる物だと捉えている、ということです。(そもそもで言えば、僕はWeb標準を素晴らしいと思っていて、そのWeb標準の技術に基づいたXULとCSSて実用的なデスクトップアプリケーションを作れる実例が示されていたから、ということでMozillaに入れ込むようになったのでした。)だから、もしMozillaが「Open Webなんかどうでもいい、Web技術の標準化とかどうでもいい」なんて言いだしたら、僕はその時の方が深く失望すると思います。
この日記の話題が、ここ数年ジェンダーとか差別とか多様性とかそういう話ばっかに偏ってた感じはありましたし、「シス管系女子」でみんとちゃんやその周辺の人物達の様子を描くときにもそれがずっと裏テーマとしてはあったんですが、それらも大きな括りでは近いところにあるんですよね。
そう考えると、僕がやってることはあれもこれもどっかで繋がってるんだなと。しがないラジオのときに自分のやってきたことを線で繋いだ図にしたけど、単にバラバラにそれらがあったわけじゃなく、1つの価値観の多様な表現形だったということなのかなと。
W3C信者活動をやめてすっかり軸足がよそに移ってしまったと思ってたけど、判断の根底にはまだまだW3C信者だった頃の何かが残ってたんだなあ、と改めて思い知らされて、感慨深い思いをしたここ数日だったのでした。
昨年10月のFirefox 57リリース直前の時期に、アドオンのWebExtensionsへの移行を主導してきたAndy McKay氏がそれまでの歩みを述懐して書かれたブログ記事の勝手訳です。
私はMozillaに在籍してきたこの7年の間に色々な事をやってきました(訳註:Mozilla Add-onsに始まり、Firefox OS用のマーケットプレイスとその支払いの仕組みに関わった後、Mozilla Add-onsとWebExtensionsに戻ってきた、とのこと)。 ほんの2年前、私はアドオンコミュニティをWebExtensionsに移行させるという、Mozillaに参加して以来で私にとって最大のプロジェクトを任されました。 あと3週間ほどのうちに、Firefox QuantumはすべてのFirefoxユーザーの元に届けられ、WebExtensionsはFirefox 57においてアドオンを実行するための唯一の方法となります(訳註:その後、2017年11月14日にリリースされた)。
これは、物事を変えると決めて一緒に取り組んできたMozillaの人々の素晴らしいチームによる、2年間の努力の成果です。 私はその最初の数週間、何でこんな事になってしまったんだ?という、とんでもない恐怖の感情に駆られた事をはっきりと覚えています。 多くの人がこのプロジェクトにおいて私を助け支えてくれましたが、特に私が思うに、Kev Needham(訳註:Mozillaでプロジェクトマネージャを務めている人)が我々を導いてくれなかったら、私達は救いようのない状態に陥っていたでしょう。 私がその最初の数週間のパニックと恐怖に陥った時に、Kevと何度か対話した結果もう少しマシな状態に戻る事ができたというのは、その好例です。
最初の数週間は私達のエンジニアリングチームにはKumar McMillan、Stuart Colville、Matthew MacPherson、そしてKris Maglioneがおり、外を出歩いて更なるエンジニアを見つける事が、その月の私の主な目標でした。 その後すぐにChristopher Grebs、Mathieu Pillard、Mark Striemer、そしてLuca Grecoが加わってくれました。 私達が働き始めた最初の週には、2016年のベルリンにMatthew Wein、Andrew Swan、そしてBob Silverbergもいました。 後にShane CaraveoとAndrew Williamsonが参加してくれたのも、私達にとってはとても幸運な事でした。 様々な分野の知見と技術力を備えた彼らエンジニアの能力は誇張するまでもなく、彼らが成し遂げられた事は驚くべき事です。 私は彼らがなした事のすべてをこの記事に列挙したかったのですが、それをすると記事がとんでもなく長くなってしまうでしょう。 私達がやった事やWebExtensionsのアドオンを書く事に関する多数のブログ記事をぜひ読んで下さい。
私にとっては、個人としてこのプロジェクトを受け入れないという選択は取り難かったのですが、この決定に反対する人達も大勢いました。 彼らは様々な異なる方法で定期的にその事を私達に知らしめようとしました。 私がMozillaに在籍するようになってから、これほどまでに激しい反対に遭った事はありませんでした。 Mozillaの他の人達が取り組まなくてはならなかった色々な事に対し、私は本当に感謝しています。
それらの懸念の声の周りを進む事は非常に大変で、時には私は舵をうまく取れず、その体験自体も助けになりませんでした(訳註:苦労したわりに得られる物が無かったという事か?)。 学習曲線がそうであるように、最初からはうまくいかない物です。
その一方で、この決定に同意してくれた他の人達による手助けは素晴らしい物でした。 ちょうど先週トロントで、複数の人々が私達の方にやってきて、私達がやり遂げた変革に対して感謝を述べてくれました。 助けてくれた皆さん、本当に、本当にありがとうございます。
私は今も、これが私達がFirefoxに対してできる最善の事の一つだったと強く確信しており、成し遂げた事を私は誇りに思っています。 それは大きな変革であり、リスクと不確実性を伴う物でした。 控えめな表現をすると、これが今後どう進んでいくかについて、やや神経質になっている部分はあります。
でも、私達はもうここまで来ました。3週間後にはFirefox Quantumがリリースされ、そこにはもうレガシーなアドオンは存在し得ません。
以上、Andy McKay氏のブログ記事の訳でした。
WebExtensionsへの完全移行に伴うレガシーアドオンの廃止については、アドオン作者や一般ユーザーから強い反発がありましたが、Mozillaの外からだけでなくMozillaの中からもそういった反発があったというのが興味深いです。
氏はその後、今年の3月にGitHubに移籍されています。そのGitHubが今度はMicrosoftに買収されて、間接的にMS資本の元におられる状態になっているという事で、不思議な運命を感じますね。
1つ前に訳したroc氏のブログ記事では、「Geckoを捨てWebKitに移行するべきだ」という破壊的な提案が述べられていましたが、そちらは実現する事はありませんでした。それと、このレガシーアドオンの大量死と大混乱をもたらしたWebExtensionsへの移行という大転換との間には、「最後までやり遂げて実現させたか、させなかったか」というだけの違いしか無いのかも知れません。
ただ、XULの中にはXPCOMと密に結合した部分も多々あり、XULの一切合切をWebKitの上に移植するのは現実的ではなかったのでしょう。仮に本当に互換性を保つ形でやるとしたら、相当に分厚い互換レイヤがWebKitの上に乗っかる事になり、そのオーバーヘッドは無視できないレベルだったのではなないでしょうか。あるいは、オーバーヘッドをなくすためにGecko上のXPCOMやXULとの互換性を犠牲にしていたら、結局それに合わせるための作業がXULアプリやアドオン側にも発生するわけで、それだったら最初からWebKitに親和性が高い形で作った方がなんぼかマシという事になっていたでしょう。いずれにしろ、roc氏の予想にあったような「WebKitの高性能さとXULの資産のいいとこ取り」は絵に描いた餅に過ぎなかったのだと僕は思っています。
Andy氏には、2016年のAll Handsにお声がけを頂き、現地でお会いした際には、グループディスカッションの場では英語のやり取りが速すぎてついていけなかったので、その後一人になられた時を見計らって捕まえて、「アドオン同士の連携を取れる事が大事なんだ」という事をつたない英語で一生懸命伝えた(同じような事をLuca氏にも言った)のを覚えています。
自分はこの記事が書かれる1ヵ月弱前にツリー型タブのWebExtensions版をリリースしましたが、「もうグダグダXULにしがみついててもしょうがない、やるしか無い」と腹を括って重い腰を上げ、他のアドオンとの連携を意識したAPIも備えた物をリリースするに至った背景には、その時Andy氏やLuca氏等と直接話して感じた「ああ、この人達は本気で物事を良くしようとしてるんだな」という心意気……みたいな? そういうのを感じて、こちらも相応の物で応えねばなるまいと思ったから、というのも心のどこかにあったのだと思っています。
1つ前の翻訳記事にも書きましたが、WebExtensionsによってFirefoxとアドオンが明確に切り離された事は、FirefoxおよびGeckoの抜本的改革を進める上でプラスに働いているという事を最近とみに実感します。 実際、Firefox 59からFirefox 60にかけての間でも、タブバー周りの実装からXBLが取り除かれるなどのかなり大きな変化がありました。 今までであれば(WebExtensions版より前のツリー型タブなどの)アドオンの互換性が損なわれたという事で大騒ぎになっていた(僕がグダグダ噛み付いていた)かもしれません。 そういった一切がWebExtensions APIの向こう側に隠蔽された事によって、アドオン作者は安心してアドオンの開発に集中できるようになっているという現実を見るに、レガシーアドオンの廃止とWebExtensionsへの移行はやはり必要だったという事を改めて感じる次第です。
(2018年6月8日追記。大袈裟だ、WebExtensions移行を正当化したいだけのこじつけだ、と思う人もいるかもしれませんが、最近実際にあったFirefox 61での後退バグとその原因の例を見るに、XULアドオンの仕組みのデメリットは色々あったという事は否定できないと思っています。)
というか、最近久しぶりに仕事でレガシーアドオンを触る事があって、「もうこんなの作りたくない……WebExtensionsで書かせてくれ……」と思ってしまいました。最初あれだけ渋ってたのに、今じゃすっかり骨抜きですよ……
Robert O'Callahan氏(Mozilla内では愛称の「roc」でもっぱら通っていたようです)が1月に公開されたブログ記事をえっちらおっちら勝手に訳してみました。多分誤訳してる所があると思うので、間違いを見つけた人は指摘して頂けると幸いです。
roc氏はFirefox以前から長くMozillaに関わっておられていた重鎮中の重鎮の一人で、現在もFirefoxの日本語入力関係のコードを手がけておられる中野さん曰く、「何かGeckoで分からん事があったらとりあえずrocに聞けば答えが返ってくる」みたいな、Mozillaの低レイヤ周りの生き字引とも言えるような方です。roc氏は2016年にMozillaを退職されたのですが、最近になって、回顧録的に上記リンク先のブログ記事を公開されました。10年くらい前の、WebKitが登場してきてめちゃくちゃ持て囃されてFirefox(Gecko)から一気に人気をかっさらい始めた時期の、ライバルのキラキラした様子を横目で見ながら、クソコードの山だったGeckoにそれでも関わり続けないといけなかったやるせなさから来る、ヤケクソな感じが吐露されていて興味深いです。
「ブラウザ戦争」と題されていますが、これはIE6の牙城を崩すべくFirefoxやChromeやOperaが競っていた頃の、第二次ブラウザ戦争と言われたり言われなかったりする物の事です。MosaicとNetscapeとIEが争ってた頃の方は第一次ブラウザ戦争で、そっちはそっちでまためちゃくちゃ面白いので、「マイクロソフトへの挑戦 ~ネットスケープはいかに してマイクロソフトに挑んだのか~」や「Webの創成」あたりを読むといいと思います(どっちも絶版ですが)。
2007年から2008年はMozillaにとって興味深い時期でした。 市場において、Firefoxは健闘しており、IEの牙城を着実に崩しつつありました。 その一方で、技術面においてはそううまくいっていませんでした。 WebKitが性能面と機能開発の迅速さで私達を追い越していたのです。 Geckoが設計上のミスと技術的負債に悩まされている一方、WebKitはOSS開発者達の心を掴んでいました。 私達はGoogleがWebKitベースのブラウザを開発中だという事も、それがWebKitの市場シェアの少なさという問題を解決するだろうという事も知っていました。 私は強い懸念に囚われ、しばらくの間、MozillaはGeckoを捨ててWebKitに全面移行する事に挑戦するべきだという意見を持っていました。 私がこういう事を大声で言うとプロジェクトに深刻なダメージがあるだろうと思い、私はこの事をごく少数の人にだけ話していました。 公的には、私は不公平な攻撃からGeckoを擁護していましたが、私自身の全体的な判断と矛盾しないように気を配っていました。
私だけがGeckoについて悲観的だった訳ではありません。 Mozilla内部では、「Mozilla 2.0」というお題目を掲げ、自動リファクタリングツールによる分析のような、私達の技術的負債を減らすための近道になる方法を求めて、かなりの時間を費やしていました。 Mozilla外部においては、ライバル達はエンジン開発の面で私達を早急に追い越す事を目指していました。
蓋を開けてみると、私達はほとんどすべての事について間違っていました。 私達は銀の弾丸を見付ける事はできませんでしたが、ただただ大変な頑張りによって、Geckoはライバル達を驚かせる程度には地位を保っていました。 また、時間の経過と共にWebKitの弱みも明らかになってきました。その場凌ぎの省略によって性能は底上げされ、いくつかの互換性テストの上で優位に立ってはいたものの、それらは同時にWebKitにとって技術的負債にもなっていました。 GoogleはWebKitプロジェクトを加速させましたが、AppleとGoogleの軋轢は問題をも生み、最終的にはBlinkというフォークが生まれる結果となりました。 Firefox 57への市場の反応は、FirefoxOSに対する誤った投資という大きな迷走の後においても、Geckoが今日においてもまだ競争力を持ち続けている事を示しています。
ここでの1つの教訓は、内部にいる人は古いコードベースに基づく見通しから、過度に悲観的になり得るという事です。 献身的で有能なスタッフの長年に渡る働きは奇跡を生む事があり、その一方で、あなたのライバル達は彼ら自身で問題を生み抱え込んでしまう事もあります。
もう1つの教訓として、2007年から2008年にかけて私はIE(そしてFlash、WPFも)を倒す事に過度に集中しており、全てのオープンソースのブラウザがたった1つのエンジンの実装を共有する事になったとしても、それはWebにとってそれほど大きな問題ではないと思っていました。 でも今では私はすっかり意見を変えました。 エンジンにおいてより多くのコードを共有する事は、不具合の共通化までをも招くため、真に独立した実装を持ち続ける事は非常に重要なのだと。
私は、Brendan(訳註:Brendan Eich。Netscape時代からの古参でJavaScriptの開発者だが、同性婚反対の運動への寄付がきっかけとなって2014年にMozillaを追われた)や他の人達が、私の意見を取り入れなかった事によって、Mozillaを誤った道へと導くという過ちを私に犯させずに済ませてくれた事に、非常に感謝しています。 もしそうなっていれば、それは誰にとっても大きな災いだったでしょう。
鬱憤ばらしと、記録を後世に残す事を意図して、私は2007年から2008年にかけて、私の考えを説明する4つのブログ記事を書き、それらのMD5ハッシュだけを公開していました。 Firefox 57のリリースの成功の余波がある今は、それらのブログ記事を無害な状態で機密解除するのにちょうどいい時と言えるでしょう。 くれぐれも、私は既に意見を変えているという事を心に留め置いておいて下さい。
Mozilla勉強会@東京 7thでの発表資料やサンプル実装を公開しました。
発表時は準備不足のため時間の配分に失敗し、満足な説明を行えませんでした。すみません。発表時に喋ろうと思っていた内容のメモも併せて公開していますので、そちらもご覧頂ければと思います。
僕はJetpackに対していろんな意味で期待していたはずなのに、自分がJetpackでバリバリ開発する姿はいまいち想像できないでいる。Jetpackの話が出始めた頃よりも、JetpackがrebootされてSDKとなってからの方がむしろ、「あれ、なんか僕ってJetpack使ってなさそうなんじゃね?」感が強くなっていっている気がする。Jetpackは僕を幸せにしてくれるのか? くれないのか? それが分からない。
Firefox Developers Conferenceでの発表について「Jetpackからよりディープな世界へのステップアップや、あるいはその逆に、これまでの手法でアドオンを開発していた人達がJetpackにステップアップするには? という風な話題」というオーダーをもらって、ようやっと重い腰を上げてJetpack SDK(とPython)をインストールしてみた。で、とりあえずJetpackの流儀というのを理解しなきゃと思って実際にアドオンを書いてみようとしていきなり挫折して、ドキュメントを読んでみようとしたけどどこから読めばいいのかすら分からなくて頭クラクラで、ヤケクソでJetpack SDKそのもののコードを読んでみたりして、という事をやりながらモヤモヤと考えてた。何故僕はこんなにも、Jetpackに乗り切れていないのか。
Jetpack SDKのドキュメントをちょっと読んで雰囲気を眺めただけでも、僕の今までの知識はまるで役に立たないということはよく分かった。
アドオンを構成するコードは、大雑把に言うと
の2つのレイヤに分けることができる。
これまでのアドオン開発においては、2の部分の開発コストが非常に大きかった。W3CのDOMであるとかCSSであるとかのWeb標準の知識がベースにあるとはいっても、XULやXPCOMというMozilla specificな技術を覚えなければならないし、覚えた上で、さらに工夫しないといけない。はっきり言って、アドオンのコードのほとんどは2のための物で、1のためのコードなんてのはほんの一部分だけだったりする。2の部分をどうやって解決するかというのが問題の大部分を占めていて、ほとんどの人はおそらくその段階で挫折してしまって、本題である1の部分に取りかかる事すらできないのだと思う。
僕は、そこ(2のレイヤ)に膨大な時間を注ぎ込んできた。そこに時間を取られるせいでFirefox本体の開発に貢献とかそんなとこまで頭が回らないよ、というくらいの勢いで。その結果蓄積された大量のバッドノウハウこそが、今の僕の武器であり価値なんだと思う。
でも、そういうバッドノウハウはすぐに陳腐化する。また、せっかく覚えたXULやXPCOMの知識も無駄になる時がある。特に、Gecko 2.0からはすべてのインターフェースが凍結されなくなるということは、これからはnsIPrefBranch::getBoolPref()
のような頻出のインターフェースすら安心して使えなくなるという事で、かかるコストと得られる物が全然釣り合わないんじゃないのか。
という事を考えると、「だからこそJetpackなんだよ」という話は理解できる。Jetpack SDKは、2の部分をアドオン開発者の代わりにカバーするライブラリ集でもある。Gecko 2.0以降のインターフェースの不安定さをJetpack SDKが吸収して隠蔽してくれるから、開発者は2の部分のためにかける労力が要らなくなって、全力を1の部分の開発に注げるようになる。という寸法だ。1と2の両方に(特に2の部分に異常に多くの)力を注がなくてはいけないロートルの開発者と、1のことだけ考えて開発していればいい新しい開発者、どっちの方が生産性が高くてクリエイティブな結果を沢山生み出せるか。あるいは、どっちの方が労力が少なく済んで、長くメンテナンスし続けられるか。そういう話だ。
しかし、ホントにそんなにうまくいくのかな?
今でも、過去にFUELという「アドオン開発者向けの、Firefox組み込みのライブラリ」が作られて、それが「XULやXPCOMといった小難しい物を隠蔽すること」を目指していたはずなのに、仕様が十分に錬られてないわ利用者(アドオン開発者)にとっての使いやすさという視点が欠けてるわ実装もあまりにやっつけ仕事でヘビーな利用には全然耐えられないわ(普通に使うとメモリリークしまくる)で、あっという間に「ああ、そんな物もあったっけ……でも使ってる人いるの?」な位置に落ちぶれてしまった。搭載当初は何も特別な準備をしなくても使えるように作られてたのに、Firefox 4からは「コイツの初期化に時間かかるから、初期状態で使えるようにわざわざしておく必要ないよね」と「一級市民のAPI」の地位を追われてしまった。という事実がある。あの頃「FUELで状況はよくなるはずだよ!」という風な事を言って、紹介を書いたりして安易に勧めていた人達は、自分も含めて戦犯として裁かれなきゃいかんね。
そういう前例を見ると、Jetpackも、今は威勢のいいことを言っていても、これから先Firefoxの仕様が変わった時に、「JetpackのライブラリのAPIを維持してFirefoxの仕様変更を頑張って吸収する」方向ではなく「JetpackのライブラリのAPIを変えてFirefoxの仕様変更に合わせる」方向に流れてしまうんじゃないのか、「XULやXPCOMといったコロコロ変わる厄介なAPIの上に、Jetpackというこれまたコロコロ変わる新しい厄介なAPIが加わっただけ」になってしまうんじゃないだろうか、と僕は思ってしまうんだ。それじゃあただの第2のFUELだ。
そこで頑張って自分で貢献するんだよ、って言われても、そもそも前述の2の所の開発で悩まされる事から解放されるためのJetpackのはずなのに……って思うわけですよ。
また、Jetpack SDKの提供するAPIをキモく感じてしまった、というのもある。APIで提供される機能がどうこう以前に、API越しでしかFirefoxに触れないっていうことがストレスになった。
例えばタブのコンテンツ領域になってるフレームの生に近いAPIには、今までだったらgBrowser.mTabContainer.childNodes[n].linkedBrowser.docShell
でアクセスできた。べつにフツーにフツーのアドオンを作るだけだったらそんなとこ触る必要ないけど、いざというときにはそういう低レベルのAPIから裏口を叩けば何とかなるという、なんていうんだろ、安心感? みたいな? そういうのがあった。
しかしJetpackではこれが隠蔽される。APIで用意された範囲の機能にしかアクセスできない。ということは、やりたいことができそうに無かった時、今までよりもずっと手前の時点で諦めなきゃいけないんじゃないかって気がして、今すぐそれをやりたいかどうか以前に、もう、それができなくなるってだけで息苦しくて窮屈で「うああああ嫌だ嫌だ嫌だ」となってしまう。
まだJetpackがrebootされるよりも前の頃、生のXUL要素に触れるraw
というプロパティがあった事について、僕はそれを激しく非難した。そんなのがあったら将来的なAPIの互換性を保てなくなってしまうじゃないか、と。その認識は今でも変わっていない。しかし自分がいざ当事者になってみて初めて、その窮屈さ不自由さを身に染みて実感した。(僕がChromeの拡張機能に手を出そうとしなかったのは、これを本能的に避けていたからなのかもしれない。)
そもそも自分がMozillaに肩入れしてるのは何でだったのか。よく考えてみるまでもなく何度も言ってるけど、プロダクトそのものがW3CのWeb標準の技術に基づいているから、そしてそれらの技術にちゃんと対応してたから、というのが一番最初にあった理由なんだよね。
「W3CのDOM? XML? CSS3? そんなの全然Webで使えないじゃん、IEで使えない物に意味なんてないよ。」
「W3Cの仕様なんて、現実見てない頭でっかちの奴らが決めたものだろ? 名前がやたら長ったらしい(例:document.getElementById(id)
はIEのDOM0だとdocument.all.id
に相当)し、キモすぎる。」
「デファクトスタンダード(事実上の標準仕様)こそがすべてだよ。デジュールスタンダード(標準はこれです、という形で作られた標準仕様)なんかに意味はないよ。」
そんなWeb標準冬の時代に、CSS2のポジショニングにも疑似要素にも疑似クラスにもかなりのレベルで対応してて、W3Cの仕様書にある通りの書き方でちゃんとレンダリングしてくれるGeckoは、実に素晴らしいものだと本気で思ったし、ブラウザのUI自体すらもW3Cの仕様通りのWeb標準技術をベースにして作られてると知った時にはもう、泣いて喜ぶ勢いでしたよ。
「ああ、世間であんなに冷遇されてるWeb標準が、ここにはちゃんと息づいてる!!」それが僕のMozillaとの関わりの始まりだった。僕にとってMozillaは、Web標準の象徴だった。W3C信者だった僕にとっては、魅上照ばりに「あなたが神か」てなもんでした。
でも気がついたら、RDFを使う部分はどんどん減らされて、MNGサポートもドロップして代わりにAPNGなんてMozilla独自の画像形式になってしまって、SOAPサポートもドロップして(だったよね?確か。)……そんな感じで「世間ではまだ広く使われてないけどWeb標準の技術に対応してる、だからまだマイナーなWeb標準の技術でも実際に動くアプリケーションを僕でも作って実証できる、Web標準はちゃんと役に立つんだって事を証明できる」と思ってた余地がどんどん減っていって。その一方で、「次のスタンダードはWebKitだ!」と「標準」のお株を奪われて、新しいWeb標準への準拠度で後れを取って、性能面でも引き離されちゃって。
さらにはユーザの側からも開発者の側からも「XULなんてクソ重い無駄なもんなくしちまえ」みたいな声が出てきて。Jetpackって、XPCOMが廃止されてもXULが廃止されても拡張機能向けのAPIの互換性を保てるようにっていうことで出てきたんだったと記憶してるんですけど、ということは、Jetpackが最高にうまくいったらXULもなくなっちゃうって事ですか? CSS3で外観を変えたり、XPathでUI要素をゴソッと収集したり、そういうのがなくなっちゃうって事ですか? みたいな。
切ないね……
だいたいさあ、安定したAPIになる保証もないのにオレオレAPIをどんどん重ねてくっていうのが気にくわんのですよ!! document.allとかlayersとか混沌として色々分断されてた世の中が、せっかくWeb標準のおかげで見通し良くなってまとまってきたと思ったのに! prototype.jsとかDojoとかMochikitとかjQueryとかYUIとかExtJSとかオレオレな実装が乱立してきてさあ!! なんなの!! もう!!! Web標準だけあればいいじゃん!!!! そんでもってUI用の言語として開発されたXULでいいじゃん!!!! なんでHTMLで無理矢理UI作ろうとするんだよ!!!!! XMLっていう仕組みがあるんだから、それに則った上で用途に適した道具を選ぼうよ!!!!! そういう事を考えもしないで、見慣れてるからってだけでdivだのspanだのでオレオレUI作ってさあ!!!!!!!! なんなんだよそれ!!!!!!!!!
はあ……
そんな感じで考えれば考えるほどダウンな気持ちになってきたんだけど、さらに調査を進めていく中で、Jetpackの今のAPIの基礎になる部分はCommonJSの仕様に則る形で開発されているという事を知って、「おおっ!?」と思った。
僕がJetpackの前のAPIでとても「うへぇ」ってなってたのは、ライブラリの読み込み方の部分だった。Greasemonkey等で広く使われてたDocComment風の記法じゃない、jetpack.future.XXX
とかのアクセス方法、あれがすごい気持ち悪かった。なんでここでまた無駄にオレオレルールを増やすかなあ!? と思って色々萎えた記憶がある。
でも今のJetpackでは、ライブラリを呼ぶ時はrequre('ライブラリ名')
、ライブラリを作る時はexports.プロパティ名
に値や関数をセットするというルールになっていた。これは、サーバサイドでJavaScriptを実行するnode.js等の環境でAPIを共通化しようということで議論が進められている、CommonJSのルールだ(そうだ)。これは、Webの開発者にとって親しみやすい物にしよう、独自拡張オレオレルールでなんでもやるんじゃなくて足並み合わせる所はきちんと合わせていこうという意図の顕れだと、僕には思えた。MNGとAPNGの件では見損なったけど、この件では見直した。
あと、Mozillaの中の構造とか全然知らない人にペアプログラミング形式で「ちょっとしたアドオンを作ってみましょうか」とJetpackベースでのやり方を指南(?)しようとして、ああやっぱりこのアプローチは間違ってないんだなということを実感した。
初学者とかWebデベロッパーとか、Mozillaヲタじゃなくてもアドオンを作りやすくなってると思う。Pythonをインストールしなきゃならんとかコマンドラインでやらなきゃならんとかの点は、これからどうにでもなることだ。今まで取りこぼされていた人達をすくい上げる基礎になる物が、今のJetpackには確かに揃いつつあるのだと思う。今までの「動的に適用されるパッチ」でしかなかったアドオンの路線のままでは絶対になし得なかったことが、Jetpackでなら確かに可能になるのだと思う。
しかしまあ、改めて考えると、僕がやっていた事も先人から見れば十分「なんだあの窮屈な世界は」てなもんなんだろうね。C++の生の実装に触ることなくその上に幾層にも積み上げられた物の上で僕はずっと遊んできたわけだけれども、その世界での制限には目を向けることもなく、全てを所与の物として受け入れてありがたがっていた。そんな僕が、GreasemonkeyやGoogle Chromeの拡張機能やJetpackに対して「なんだあの窮屈な世界は」なんて言うのはまったく笑い話でしかないのだろう。
下の層に目を向ければ、ハードウェア寄りのレイヤではそれこそ鬼のような非互換の嵐で、それを吸収するためのOSのレイヤがあって。上の層に目を向ければ、プラットフォームどころかデバイスの違いすら吸収するWebがあって。その中間層であるところのブラウザを作る段階で、プラットフォーム間の互換性がどうだのバージョン間の互換性がああだの言ってるのは、ちゃんちゃらおかしい。
そういう中途半端な所に(Web製作の世界から)逃げ延びて住み着いていた僕が、上の層から僕の居場所をなくそうと迫ってくるJetpackに恐怖を抱いて、拒絶反応を示していた。版図を広げようとしている若手の前で竹槍を振り回してた。ああ、実に老害だ……
それに、Web標準Web標準とわめいてみても、WebKitが中心になってしまった今のWebじゃあGeckoの方がはるかにオレオレ実装なはぐれ者だしおまけに10年以上前のコードを引きずってる骨董品だし、XULもXBLもXMLという仕組みの上に成り立っているとはいってもそれ自体はみんなの合意が得られた標準仕様じゃないわけだし。「神!私は仰せの通りに!」と崇めてるうちに、僕はWeb標準とMozillaのオレオレの見境が付かなくなってたのか……
とりとめがないままにモヤモヤした物を吐き出してきたわけだけれども、それと平行してJetpackの内側を覗いてみたりして、光明も見えたりして、自分の勘違いも見えてきて、いくらかスッキリした気はする。
あと、最近は人生っていいものかもしれないなあと思うようになってきたので、老害と言われようともそれでも往生際悪く地味に追いすがっていこうと思ってます。オメガギーク!
今のFirefox用アドオンの開発にかかる手間を省いて、インストールやアンインストールの際にFirefoxを再起動しなくても済むようにする、Firefox 4向けの新しいアドオンの仕組みであるところのJetpack。 最初はGreasemonkeyとuserChrome.jsの合いの子みたいな感じでスタートしてたみたいですが、いつの間にかRebootedになって、SDKを使って開発するという形の物に変わってしまっていました。Rebootedになってからの情報はGomitaさんが色々と記事を書いて下さっています。
Rebooted前に僕もちょっとだけJetpack用にテキストリンクやクリップボード監視を書き直してみたりしたんですが、Rebootedになってからは全くフォローできていませんでした。
で、この度改めてちょっと本腰入れてJetpack作ってみようと思ったんです。
はい、できました。
うん。どこから見てもJetpack。
SDKベースになっても作るのは簡単でした。Jetpack素晴らしいですね。
そういうわけでリアルJetpackです。制作期間は大体1.5週間くらいでしょうか。夏コミの時にふぉくす子コスで手伝ってもらったhknさんがはやぶさで有名な秋の『』さんに会場で偶然遭遇したそうで、背負い物イイナー!ということで面白そうだから冬までには作ってみようと思っていたのですが、去る10月10日に開催された痛Gふぇすた2010にふぉくす子の参加要請があったため、それに合わせて突貫作業で作ってみました。
芯にペットボトルを使い、先端部分とノズル周りと背負うためのベルトさえ作れば簡単にできるんじゃね? と思ってやってみたんですが、リアル工作なんてものすげー久しぶりだったので少々苦労しました。ちゃんとした設計図を作らないまま現物合わせで切ったり貼ったりしたのであちこち微妙に歪んでいますが、遠目に見たら分からないので気にしないことにします。
制作は先端部分から取りかかりました。芯にしたのはペプシコーラのペットボトルで、口をノズル側にした(今回はやらないけど、いつかチャンスがあったらペットボトルロケット的なギミックを仕込んだバージョンを作る事を想定して、そのようにしています)ので先端側にはペットボトルの尻が来たわけですが、5角形というか星形というかそういう変な形をした尻だったので、先端の断面の形に切った厚紙5枚を組み合わせてガムテープでぐるぐる巻にして大まかな形を作った後、普通の紙粘土で覆って表面を丸っこくしました。
乾燥させて紙ヤスリで表面をなめらかにして色を塗ればそれで十分かなーと思ってたんですが、この紙粘土が乾燥してもメチャメチャ脆くて、塗装中も段ボールに先っぽをぶつけただけでボロッと崩れるとか、掃除機で表面の削りカスを吸い取ろうとしたら芯への食いつきが悪いせいで端の方からベリッとはがれるとか、こいつのせいで手間がだいぶ増した気がします。とにかくこんなに脆いんじゃそのまま使うとヤバイと思ったので、塗装した後で透明ニスを何回も重ね塗りして補強しておきました。ニスを塗る工程は当初は想定してませんでしたが、小さい頃に紙粘土工作をした後に必ずニスを塗らされたのはこういう事だったのだなあと、今更になって当時やった事の意味をを思い知らされました。
あと、形を出した後で思い出しましたが、確かハンズにこういう形の発泡スチロールの塊が売られていた気がしますので、最初からそれを使えばよかったなあと後悔しました。紙粘土は表面だけに使ったといっても、大きさが大きさだったので結局ここだけで500グラム以上になってたみたいですし。軽く作る工夫は大事です。
胴体は元のデザインにあるスリットを開けておいたボール紙をペットボトルに巻き付けただけです。
ノズル部分は、戦闘機のベクタードスラストノズルみたいなデザインだと思い込んでいたためにその前提でプランを考えていたのですが、胴体のスリットを開口するために元のデザインを確認したら、全然違ってました。でも先すぼまりな形を継ぎ目無しに作るのはボール紙じゃキツいわと思ったので、元デザイン無視でやはりベクタードスラストっぽいデザインを意識した物にしてみました(配色もそれを意識してます)。 あと、先端を紙粘土にしたことによってすごいトップヘビーになってしまったので、バランスを取るために、外からは見えませんがペットボトルの口の周りに紙粘土を重りとして巻いてあります。これで結局、全体で1kg以上はある感じの重たい装備になってしまいました。
胴体のボール紙の継ぎ目とか先端と胴体の間の所とかをごまかすために細切りのボール紙を巻いて、隙間をホットボンドで埋め、形としては完成しました。
着色は、スプレーで先端とノズルに色を付けた後、先端とノズルをマスキングして胴体のシルバーをスプレーで塗るつもりだったのですが、前述した通り紙粘土部分がメチャメチャ脆くて、これじゃマスキングテープで確実に表面がボロボロはがれるわと思ったので、先に先端(とノズル)だけニスでコーティングすることにしました。2時間以上乾燥→重ね塗り、で2~3重に塗ったので、結構頑丈になったと思います。あと、塗装は缶スプレーだけでいいかなと思ってましたが、実際やってみると赤色は結構下地のアラが目立ってしまいましたので、先にサーフェイサーで灰色一色にしてから赤や茶色を塗りました。胴体は、銀色の隠蔽力の高さに期待して特にそういう事はせず、ボール紙に銀色のスプレーを吹いてニスを塗っただけです。ニスが乾いた後で、ノズルがテカテカ光ってるのは変かなーと思ったので、最後に胴体をマスキングしてノズルの部分だけつや消しクリアーを吹いてあります。
左右の胴体の連結やベルトの固定方法については、当初は何も考えていなかったのですが、いい材料はないかと思ってホームセンターの商品を眺めていたら簡単に曲げられそうな穴あきの金属の板があったので、それを曲げて形を作って左右の部品をネジ留めしてからタッピングビスで胴体に固定することにしました。
ベルトは100円ショップで買った物を適当に切って使ってます。しかし実際に背負ってみるとベルトが肩に食い込んで痛かったので、そのうちクッション材(カバンの肩紐にあるようなやつ)を付けたいとは思っています。
表面がガタガタであまり見れたものではありませんが、大きな写真をFlickrに置いてあります。ふぉくす子が背負っている様子の写真はもえじらブログの方にあります。
Mozilla Japan ブログ - Mobile Firefox 開発合宿を開催します
Fennecに力を注いでいるクリアコードとしては参加しないわけにはいきませんねという話なんですが、もっと低層の部分で四苦八苦してるらしい現状で、JavaScriptしか書けない僕に出番はあるのでしょうか。
アドオンのテキストリンクは他のアドオンに比べて異常に更新頻度が高いように思えますがなぜでしょうか?
いちんちに5回も6回も更新してた頃があったって信じられるかい?
OperaのオフィシャルサイトでOperaの過去のバージョンの歴史が公開されているということを、Opera の歴史 - A blog? with Σαιτωを見て知った。
フォクすけのFirefoxの歴史ポスターもアップデートの必要アリかしらん?
Mozillaにまつわるグッズを見かけた人に「あれ、これってMozillaじゃね?」と反応されてそこから話が広がった経験というと、もえじら組のスペースを訪れた外国人旅行客に「ワオ! Firefox?!」みたいな反応をされた事くらいしかないです。
いやもえじら組はMozillaともFirefoxとも一切関係ありませんけどね! 関係ないったらないんですからね!