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喧嘩の売り買い - Jun 17, 2009

Fennecは真のフルブラウザになれるか - Mozilla Fluxあたりを見ていて思った事。

喧嘩は売った方が負けとか、買った方が負けとか、色々考え方はあると思うけれども、性善説的な立場で安全側に倒した考え方として、僕は「喧嘩は買った方が負け」という結論の方を支持したい。

  1. 相手がなんだか気にくわない。この相手に喧嘩を売るべきかどうか?
  2. 相手に喧嘩を売られているように見える。この喧嘩を買うべきかどうか?

1のように考える人というのも世の中にはいると思う。いわゆる喧嘩っ早い人というのがこれなんだろう。でもどっちかというと、2の方が多いんじゃないかなと思う。「相手が喧嘩売ってきてんじゃん。じゃあ正当防衛みたいなもんで、こっちにだってやり返す権利があるでしょ?」と、自分の行動(喧嘩を買う)を正当化しやすいから、そうなるんじゃないかなあと思う。

しかし、1のように考える人が少なくて2のように考える人が多いのであれば、世の中に起こる諍いの数は1の人の人数よりは多くならないはずなのに、実際にはどうももっと沢山の喧嘩が起こっているように見える。なんだか、2の人同士が相手の言葉に過剰反応して「こいつ俺に喧嘩売ってんのか?」とヒートアップして、お互い「あいつの方が先に喧嘩売ってきたんだから、俺は悪くない」って言い合ってるケースが多いんじゃないかという気が、僕にはする。

2の人が喧嘩を始めるケースの多くは実は、売られた喧嘩を2の人が買ってるんじゃなく、2の人が自分から喧嘩を売ってしまってるんじゃないだろうか、ってこと。

2のタイプの人に「喧嘩売ってんのか?」と誤解されやすいような言葉遣いを敢えてしている・誤解を避けるための努力を無駄と考えて放棄しているWebモヒカンを、僕は上記リンク先のコメントに書いた程度以上には擁護できない。という話は本題から外れるので、さておく。

とにかく言いたいのは、自分としては売られた喧嘩を買っただけだと思っていても、傍目から見たら自分から喧嘩を売っているようにしか見えない、「喧嘩を買う」とは客観的には「喧嘩を売る」のと変わりない事なんじゃないの、ってことだ。そして、被害者意識に基づいて自分の行動を正当化しやすい分、自分自身の主観では「喧嘩を自分から売る」よりも「売られた喧嘩を買う」場合の方が、実行してしまう可能性は高いだろうと僕は思う。だから、「喧嘩は買わない」というのが結論になる。というわけ。

僕としてはよりお勧めなのは、3つめの選択肢。「そもそも、それを喧嘩と受け取らない」っていう選択だ。amachangとか「非モテSNS」の江上氏なんかは、善意悪意に関わらずいろんな物を片っ端から糧にして上り詰めているように僕には見える。片っ端から「喧嘩を買って」いたら、彼らはこうはなれなかっただろうなと僕は思う。

「idコール使えばいいじゃん」をどうにも受け入れられていない - May 29, 2009

先日、こう書いた。

今日は、こう書いた。

言ってることが矛盾している? 今日書いた方の「一言ブログ」を書きながら自分でも考えていた。

僕は1対1のコミュニケーションツールではなく、1対多のコミュニケーションツールとして、はてなブックマークに勝手に期待し勝手に失望しているのではないだろうか。

lovalottaさんは「あたしはあんたという人間と会話したいんだ、客観的事実の指摘とやらに興味はないんだ」的な事をことあるごとに言っている。secondlifeさんやotsuneさんやKoshianさんが「idコールがあるからいいじゃん、何が問題なの?」と言うのもひょっとしたら根っこの所はlovalottaさんと同じなんじゃないだろうか? 「 僕 | secondlife otsune Koshian lovalotta 」という風に、ここに壁があるんじゃないだろうか?

むしろ、この壁の向こう側(lovalottaさんらがいる側)というのが「1対1の心のぶつかり合いという物を本当に理解している、人として正常であり完全に望ましいあり方をしている人達のクラスタ」であり、こっち側というのは「1対1のコミュニケーションを実は求めていない、自己愛しか無い自閉アスペヲタのクラスタ」である、ということではないのか? だから彼らは生産的に健康的に生きられていて、僕は元彼女と共依存して破綻して今こうして独りでグズグズな鬱々な時間を過ごしているのではないのか?

はてブがまともな論評や議論の場であるわけがない。プリミティブな感情だけ発露しておけばいい。 - May 28, 2009

健全な論評の場とか批判とかしちゃだめなんでしょ?とか書いてる人がいるけど……それらを見て、「え、はてブがまともな批判や論評や議論の場だとマジで思っちゃってるわけ? あんなのでちゃんとした議論ができるわけないじゃん常考。何期待しちゃってんの?」と思ってしまった。

ここ数日自分のはてブ一言ブログとして運用してみてるけど、タグも含めてタグを除いて100文字しか書けなくて、あるブクマコメントからそのコメントに付けられたメタブクマを辿るという事も容易にはできなくて、こんなんでまともに議論できるわけ無いよという思いを改めて強くしている。

いや、できる人もいるのかも知れないけど。たった100文字の中ですべての事を鋭く指摘して批判できる、凄い文章力のある人もいるだろうけど。でもほとんどの人はそうじゃないんじゃないの? 僕も含めて圧倒的多数の凡人は、まともに批判や議論しようと思ったらもっと言葉を尽くして丁寧に書かないとお話にならないんじゃないの? これでは、印象操作なんだか負け犬の遠吠えなんだか訳わかんないつぶやきを書き捨てるだけになるのが関の山なんじゃないの? 建設的な批判じゃなくて、ただの否定、あるいは誹謗中傷にしかならないんじゃないの? それは「議論」とはほど遠いというか……むしろ、なんだろう。言いたい事だけ言い散らかして……ツッコミから議論が広がっていて後からそれを一望して知見を得るとか、そんな事はとてもとても無理なんじゃ? と思う。

別にはてブが特別酷いわけではない。この点はtwitterも大して変わらない。作った人達も、はてブやtwitterの上で喧喧諤諤の議論をして欲しいだとか、そんな事は思ってなかったんじゃないのかなあ(「して欲しくなかった」と思ってすらいなくて、全く想像すらしてなかったんじゃないか?)。気軽につぶやきを書き捨てるという程度の使い方なら十分事足りる、そういう用途の上で必要最小限の物しか備えなかった、って事なんじゃないのかなあ。

まあ、僕のように主観的で視野の狭い人間が、自分の気にくわない物事に出くわした時に、こんな風にわざわざエントリ書いて屁理屈こねくり回して自分の主観・感情をあたかも客観的事実やら公正な意見であるかのように飾り立てて、他人も(「わあこの人冷静なんだなあ! 色々知ってるんだなあ、色々考えてるんだなあ!」)自分も(「わあ俺って冷静だなあ! 色々考えてて賢明だなあ!」)欺いてるのと比べれば、100文字の中にプリミティブな感情だけぽつりと「ムカツク。嫌い。」と書いてある方が、ずっと正直で健康的だと思う。それが一番言いたかった事なんでしょ、だったら最初からそう言っとけばいいじゃん、なんでそれを偽ってゴチャゴチャ言うわけ? と。悪口書いてスッキリして「批判」とか「議論」とかをした気になってるだけ、なのに比べれば、その方がずっと健全だと思う。

要は用途に応じてツールを使い分けましょうよってことですよ。本当に実のある議論がしたければ、ブログ書いたりトラックバックしたりコメント欄に書いたりすればいい。実のある議論には興味が無くてとにかく発露したい感情がそこにあるのなら、twitterを使えばいい。ツールを使い分けるんじゃなくて何でも今手に持ってる物で済ませてしまおうというのは、僕のようなズボラな人間にみられる悪いクセだと思う。

分かってない人(だけ)が誉めてるんじゃないの? という不安。好かれたいという欲求。 - May 28, 2009

ことあるごとに言ってるけど。もしクリアコードが解散することになったとしたら、僕以外の人は普通に他の所で仕事ができるだろうけど、僕だけは行き場所が無くて野垂れ死ぬんじゃないか、と僕はずっと思ってる。

ブートローダに機能を加えたり、組み込み機器向けに低層の所をCでゴリゴリ書いたり、そんな事ができる人達の中にいて、それじゃあ僕という人間は何ができるのかというと、MozillaのそれもXULより上の層のことしか分からない。第1言語がJavaScriptのくせに、Webアプリを書けない、jQueryもYUIもExt JSも知らなくてクロスブラウザなスクリプトを全然書いたことがない。なんていう著しく偏った人間は、どこからも誰からも必要とされないんじゃねえの? と。

「技術力十分あるじゃないか。他でもやっていけるよ。もっと下の人がいっぱいいるよ。」と、誉めてるのか慰めてるのか、言葉をかけてくれる人はいる。そう言われて悪い気はしない。でも心のどこかで「本当に僕に『技能がある』からじゃなくて、単に外野から見てて『そう見える』から言ってるだけなんじゃないのか? 僕と同じ分野に手を着けて、その後で僕のことを見たら、『ああなんだPiroって全然大したことねえな』って思うんじゃないのか?」と思う部分がある。

料理に例えれば、僕が大変ショボい自炊をしてるのを、料理が全くできない人が見て、「料理ができるなんてすげえ!! お前、料理人で商売できるんじゃね?!」と、何を勘違いしてかそう言ってしまっているような状況であるとか。あるいは、フランス料理の一流シェフが沢山いる中に一人だけ手巻き寿司しか作れないド素人寿司屋が紛れ込んでいて、フランス料理のシェフ達が「(何だコレ? スシっていうの? 俺フランス料理以外わかんないんだよね……でもまあこうやって店持ってるって事は多分スシの世界じゃそこそこの腕前なんだろうな、じゃあ敬意を払っとかないとな……)スゴイネー!! スシサイコー!!」と言ってるような状況であるとか。「僕が評価されてる」ってのは結局そういう事なんじゃないの? という風に思ってるところがある。

本当の意味で適正な評価をできるのは同じ分野で活動してる人だけなんじゃないのか? そういう人が「確かにPiroは技能がある」って言ってくれて初めて、本当に技能があるって言えるんじゃないのか? 同じ分野に身を置いてる人以外からピントの外れた誉め言葉をもらって、それを、同じ分野の人に言われる言葉と同じ重みで受け取って勘違いして喜んでるだけなんじゃないのか? という風に思うところがある。

しかし同時に、僕は、(元)彼女に絵や仕事やカラオケのことを「すごい!」「上手い!」と言われた時には、大変嬉しかった。絵も歌も普通に素人で、ましてやプログラミングなんてこれっぽっちも分からない、門外漢も門外漢な人からの誉め言葉を聞いて、僕は嬉しがっていた。

何故だ? これは先の話と明らかに矛盾しているのではないか? 同じ分野で活動している人からの適正な評価以外は評価としては全くアテにならない、だからどんなに誉められてても不安なんじゃなかったのか?

ひょっとしたら、自分の技能が人より高いかどうかが分からなくて不安なのではなく、「貶される可能性が残っている」「価値が無くなるかもしれない」ことが不安だったんじゃないのか? 「技術力が高い」と言われていても、何もしていなければすぐに他の人に追い抜かれる。貶されるようになる。商品価値が無くなる。それが怖いのではないか?

これは僕の勝手な思い込み、願望の勝手な投影だけれども、多分(元)彼女は、僕の絵を好きで居続けてくれてたんじゃないかと思う。僕の絵柄が流行りの絵柄でなくても、僕より絵の上手い人がどんどん現れていっても、他の凄く上手な絵と僕の絵を見比べた上で僕の絵を「嫌いになる」、ということは無かったんじゃないか、と思う。まあ僕は勝手にそう期待していたし、そう期待してしまいたくなるくらいに僕は舞い上がってた。

母は、僕の絵の技術力は多分認めてくれている。「こういう絵を描いて欲しい」と依頼されたりもする(頼まれ仕事を今まさに絶讃放置中で申し訳ない限りです)。でも、僕の絵が好きかどうかで言うと、多分好きではないと思う。母が好きな絵は、例えばいわさきちひろだ。いわさきちひろの絵と僕の描いた絵を商品として並べたら、いわさきちひろの絵の方を迷わず選ぶと思う。

あと、親は、僕が(共著で)本を出してもあまり派手に喜んではいなかったと思う。報告?した時も、「へぇ、(技術的なことはさっぱり分からんけど、世間的には多分)すごいねえ」くらいの冷静な反応だったと思う。少なくとも僕にはそう見えた。(元)彼女は、「すごいやん!」と、顔文字付きで大げさに反応していた。その反応が僕は非常に嬉しかった。これが欲しかったんだ、と、思っていたと思う。そういう風に大げさに反応されることに僕は飢えていたのではないかと思う。

僕が真に欲していたのは、他と僕とを比べても僕の方に他にはない価値を見出してくれる人、そしてそれを好いてくれる人、好きで居続けてくれる人、さらに言えば、それを(大げさにでも)表現してくれる人、ってことだったのではないのか。そういうシンプルな話なのではないのだろうか。

技術の分野では、それは期待するだけ無駄なことなのだと思う。技術の世界では全ての物事に優劣がはっきり付く。「好きか嫌いか」には全く価値が無く、「より生産性が高いかどうか」だけが唯一の価値基準だ。技術的に劣ってるけどそれが好きなんです、では通らない。そういう世界で、「絶対に見捨てられない安心感」を求めることがそもそも不毛な、そして見当外れな欲求だったんだ、ということに、今頃になってやっと気がついた。

好かれたいんです……

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/28(木) 19:52:51 ID:c8qpWzOe0
    わかってる人から見たら、piro氏の技術力は大したことないの?

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/28(木) 21:10:28 ID:6eFkxD7g0
    >>19
    大したことない。Firefoxのバッドノウハウを猛烈に抱えているから余人が簡単には真似できないとは思うが、
    たとえば昔のメインフレームのメンテ一筋の団塊世代エンジニアの技術力が高いとは言いがたいでしょう。

ですよねー。

Firefox 3.5の新アイコン、第7案はなかなか良いと思う - May 25, 2009

ノベルティやらパートナー企業の作るチラシやらが全部作り直しになるやんけ、という点を除けば、新しいドラフトはイイ感じに仕上がってきてると思う。

正直、初期のドラフトは端的に言って「え、これにリニューアル? ははは、またまたご冗談を」という印象しかなかった。「変えなきゃ、とにかく新しくしなきゃ」という意図が強く働いていなかったのか、何もかもを台無しにぶち壊していたように思う。それに比べたら最新のドラフトは、旧アイコンの解像度を上げた物として正当な進歩を遂げた形に落ち着いてると思った。カトキハジメの言うところの「マッハの戦い」とは、こういうことなんじゃないかと思う。

ここからまた変な方向に行ってしまわないかが心配だ。

中性脂肪が基準値オーバー - May 22, 2009

健康診断の結果が出た。他は正常の範囲内みたいだけど、中性脂肪が高かった。50から149のところ、158mg/dLだそうだ。生活習慣病の改善の必要アリと書かれていたけれども、正直、やる気が起こらない。緊迫感もない。当事者になってみるとこんなもんなのか。

父は糖尿になってからうちの中で誰よりも健康的な生活を送るようになった。鋼の意志というかなんというか。よくそんなにマメにできるなあとずっと思ってた。命がかかってるから必死にならざるを得ない、というのはあるのかもしれないけど。

でも正直なところ、今の自分の素直な感想としては、「あーこのままいくと死ぬんだろうなあ。でも別にいいか……」という感覚が結構ある。

まあ結構前からだらけてはきてたけど、この間の突然の(?)お別れ・恋愛関係終了・さようなら以降、それに拍車がかかってるような気はする。色んな事にガッカリしたというか、ガッカリしたというか、ガッカリしたというか。悲しいわけでもないし怒り狂うわけでもなく、とにかくガッカリ。自分にも元彼女にも全てにガッカリ。その勢いか、生活もどんどんガッカリになってるように思う。というか、付き合ってる間、一人で勝手に期待(誕生日におめでとうと言ってもらえて当然だろとか、電話で下らない話を長々できて当然だろとか)して勝手に裏切られ(あれれ何の言葉もないよっていうか前後1週間普通に音信不通ですよ?とか、電話苦手って言われて1年近く声も聞けずじまいとか)て勝手にガッカリ→期待しないのが一番気が楽だということに自分でやっと気がつくとかそんなんを繰り返して、これはある意味、何にも期待しないようにという訓練を積んでたことになるのかもなと今更思う。その訓練の成果が今大いに発揮されて、「期待しても期待外れで終わるだけだし……」みたいになってるところがあるような気がするんだ。

などと自分で言うのは悲劇のヒロイン(?)ごっこに浸ってるだけか。元からやる気がなかったのを、それのせいにして納得してるだけか。

いやでも「彼女がいる」ということがやっぱりそれなりに動機になり得てたとは思うんですよね。「頑張ってるよみてみてー!!!」とアホみたいなメールを投げまくってもそれを特には拒絶されていなかった(そして時々「すごいねー!」的なメールを返してくれていた)、という。基本的なところが自分はお子様なので、そんな分かりやすい報酬が無いと満足できない、継続の意志を保てない。という事が改めてよく分かった。

話が盛大にズレとる。なんだっけ。そうそう中性脂肪の話ですよ。

とりあえず運動不足をなんとかしたほうがいいよねうん。最近は家と会社の間の往復以外に動いてないようなもんだから……

野菜は、こんな中性脂肪の値をしといて嘘だろ?と思われそうだけど、べつに嫌いではない。調理が面倒だからとれてないというのが大きいと思う。面倒さでいったら肉や魚の方がもっと面倒(使ったあとの包丁は洗剤で洗わないと油が……とかそういうのが)なので、相対的には野菜の方が好きと言ってもいい。外食や弁当買ってくる以外ではぶっちゃけ全然肉食べてないよ。

そう。問題は、外で食べる時に出費をケチると途端に選択肢が「肉」「炭水化物」「肉」「油」そんなもんばっかりになるということだ。金を出さずに野菜だけで腹を充分に膨らませるには自分で弁当を作るしかなく、それが面倒で……というループの中にいる。今冷凍庫の中にあるゆであがったあとのブロッコリー、これは何ヶ月前の物だ?

あー、明日から変えよう、明日から……(明日っていつさ?!という優しくも厳しいお姉ちゃんの声が空耳で聞こえて……こないなあ)

エロ絵と描き手の性別 - May 19, 2009

注意:このエントリにエロい絵は無いよ!

エロ絵と端的に書いたけど、まあモロにエロ絵に限らず、パンチラ、絶対領域、等々の「狭義の萌え」つまり性的なイメージを何かしら喚起させる絵くらいの広さも含めての話なんだけどさ。

僕の中では、「エロ絵描いてる男」っていうとただひたすら「うえぇぇ……」というマイナスのイメージしかなくて、「エロ絵描いてる女」っていうと「いいじゃんいいじゃん……!」というプラスのイメージがある。「男が描いたエロ絵」っていうと「おおエロい……! でもこれ描いてる様子を想像したら……萎える」、「女が描いたエロ絵」っていうと「おおエロい……! そしてこれを描いてる様子を想像したら……もっとエロい……!!!」となる。

そう思うのは僕だけでしょうか。僕だけなんでしょうか。

男のエロ漫画家と女のエロ漫画家の表現の違いというのを分析してる人もいたと思う。その話自体には僕は頷くけれども、しかしそういう話とは全く別の次元で、女が描いてるって事が大きな大きなメリットになってる、ありていに言えば「売れるポイント」になる、という風に思う。むしろ、エロくなくてもそうなんじゃないかって思う。

今既に絵師を抱えてるプロジェクトがあって、その絵師さんが女の人で、よっぽど下手じゃないんだったら、それを男の絵師に替えるということには僕は強く反対する。というか実際反対した。(今の絵師がとてつもなく下手か、新しい絵師がとんでもなく上手いのなら、話は別。そこまでの圧倒的な差がない場合の話ね。)

ある意味ではこれは、描き手自身すらも商品の一部と考えてるって事で、女を品物扱いするとはけしからんと言われそうだけど、女だけじゃなく男も公平に品物として評価した上で、男の作者には商品価値が無くて女の作者には商品価値があると思ってる。作り手ではなく売り手・買い手としての僕は、そう考える。男からも女からも「純粋に画力で評価しろよ!!」って怒られそうだけど、商売としてはほんとにそう思う。

まあ「女の子バンドがチヤホヤされる」(音楽性がどうとかご立派事を言ってるが、要は女子がキャッキャウフフしてる所を商品として消費してるだけだろ? 「けいおん!」キモいと言ってる音楽ファンは自分らの姿を鏡で見せられてキモがってるだけだろ? あぁ? という話)というのと根っこの所は同じ事なんだろうとは思います。

で、自分自身についてもそういう目で見てしまわずにはおれない。自分の絵+自分という描き手、のワンセットの商品価値はいかほどか?ということを考える。で、価値を感じられないから(それどころかキモいと思う=マイナスに感じるから)、いい気分になかなかなれない。どんなによく扱っても、「エロい絵を描いている」という点はそれ単体でプラスになるとは思えず、「こんな真面目な僕だけど実は時々エロい絵描いちゃってます☆」といった文脈でのちょっとしたスパイス、という以上の価値は生じ得ないと思っている。スイカやあんこに塩を加えるようなもの。それだけ舐めても全然甘くない、むしろそれだけ取り出したらとても舐められたもんじゃない、そういうものだと思っている。

描き手の性別、というか、市場における描き手の商品としての価値と単純に話をまとめてもいいのかもなあ。「さわやかイケメン描き手」と「根暗ブス描き手」だったら前者の方が、作品+作者という全体での商品価値が高まりそうだと思う。ジャンプの表紙の漫画家大集合的な回で和月伸宏が顔を晒して不評を買って以降ジャンプの表紙に漫画家が出ることがなくなった、という話(裏は取ってない。僕はあくまで噂だと思ってる。)がそれなりに「ありそうな話だ」と思えるのも、やはり同じ事なのかなと思う。

セクハラ野郎、性差別乙、等々の非難はあっても仕方ないと思うし、そう思ってるのはお前だけだ勝手に全人類を代表して語ってんじゃねえよと言われても全くその通りだと思うけれども、僕という人間がそういう考えを持ってるという事実から目を背けることは、今更できない。

修学旅行の中止という話からの連想 - May 18, 2009

痛いニュース(ノ∀`):「絶対うそやー」「いややっ」 修学旅行当日 駅で中止を告げられ生徒ら呆然

→かわいそうだけど中止になった物はもう中止のままなんだろうなあ。運が悪かった、と諦めるしかないよなあ。誰も補填なんかしてくれないし、補填する義務も誰にもないし。

→「なんで自分(ら)だけこんな目にあわんならんねん!!」という感情を抱いたとしても、飲み込まないといけないよなあ。「なんであいつら(パンデミックが起こる前に修学旅行を終えた人達)はええねん!!」と嫉妬したとしても、飲み込まないといけないよなあ。

→「自分(ら)もあいつらと同じくらいの楽しい・幸せな体験をする権利があるはずや!」なんて、思い上がりもいいとこだよなあ。そんな「権利」なんてどこにも誰にもない。彼らを楽しませなくてはならない・幸せにしなくてはならないという「義務」を負っている人はどこにもいない。

→そうなんだよ。僕だって幸せになる権利なんか無いんだよなあ。誰も僕を幸せにする義務なんかないんだよなあ。

→学生時代の時間がたくさんあった時に恋愛したかったのに恋愛できなかった(素質も能力も無かった)、元彼女と付き合っていた間も恋人らしいイベントはほとんど無かった。若い頃に恋愛を謳歌していた人達が妬ましい。でもそれはとんだ思い違いなんだよなあ。

→権利はなくても機会はあったはずなんだよなあ。その機会を自らドブに捨てたのは他ならない自分自身なんだよなあ。絵だのHTMLだのCSSだのMozillaだのばかりに時間を割いて、モテ活動に一切時間を割かなかった、自分のせいなんだよなあ。

→これで強毒化した新型インフルエンザにやられて死んだら、満たされることなく死ぬって事なんだよなあ。でもそれも運なんだよなあ。

→むなしい……

アニメに払える金額 - May 12, 2009

こういうの見てると、アニメの適正価格っていくらなんだろうなーと思う。

自分が買った物の購入価格でいうと、は1話30分で5000円から6000円だった。ゼーガペインは3話でだいたい同じくらい。マクロスFも同じくらい。AIRは2話で同じくらい。定価ではなく実売価格での話です。

これらはどれもそれなりに思い入れがあったケースで、それでも3話で6000円くらい→1話2000円くらいというのが出せる額の平均というかためらわず出せるラインで、AIRのように2話でこの値段だったらよっぽどの思い入れがないと出せない。鴉はタツノコ40周年記念という言葉に乗っかったというのもあった。そうじゃない物にこの金額は辛い。

この間見たブラスレイターはShowTimeのオンデマンド視聴で、1話あたり100円ちょっとだった。ゼーガペインの場合は、それで見てDVD買いたくなるほど嵌ったけど、ブラスレイターは今の所そこまでの思い入れはない。オンデマンド視聴は画質は相応に悪い(DVDより劣る)けど、作品への興味と出せる額のバランスでは、悪くない落とし所だったと思う。

でもShowTimeだとPhantomは1話あたり200円ちょっと。自分には割高感があって、無料で見れた1話以降は見ていない。HD画質だったらまだ納得するけど、この画質で200円と言われるとためらってしまう。

薄く広く回収するモデルじゃあ多分うまく行かないんだろうね。だから、金を出してくれるごく一部の酔狂な人達だけで費用をまかなうために、DVDやブルーレイの単価がこれだけ高くなるんだろう。確かそんな話を前にどこかで読んだ。

でも僕の感覚では、この金額(1話2000円以上)となると、相当吟味してからでないと出せない。オンデマンド視聴で1話100円で見て、それからやっとという感じだ。厚かましいことを言えば、できることならその100円分をDVD・ブルーレイの代金から割り引いて欲しいくらいだ。自分の感覚では本購入前のお試し視聴という感じなので。好きな作品でもそう思うくらいに、僕にとってはこの金額は重い。

で、今のアニメ業界的には僕のようなケチはお客様じゃあないわけだ。気前よく6000円でも7000円でもポンと払ってくれる金払いのいいヘビーユーザのために、今のアニメはあると。

話は変わるけど、最終的にブルーレイ全巻買ったマクロスFと僕との出会いは、どっかのまとめスレで晒されてた12話の「星間飛行」だった。あれがなかったら見る気しなかっただろう。全部無料で見せろとは言えないけど、ハイライトシーンくらいは無料で見せて客寄せに使っていいんじゃないのかなーと思う。思うけど、それを決めるのは僕らケチな客ではなく売り手(作り手とは言わないでおく)なので、それ以上のことは望めない。

追記。「地上波見ればいいじゃん」と言う人もいるようだけど、放送時間に合わせて見る事ができない人(→僕。放送時間中にいつもテレビの前にいられるわけではない。)、録画設備を持っていない人(→僕。前のPCではマシンパワー不足過ぎて、録画した物を後で見てみたら音も映像も切れまくってまともに見れる物ではなかった。)、そもそも受像設備がない人(→僕。アナログ地上波用チューナーカードがWindows Vista非対応だったから今自宅ではテレビを見られる環境が無い。)というのもおりましてですね、「地上波見ればいいじゃん」は僕の場合解決にならないのです。

好きだったことが「当たり前のこと」になってしまった - May 10, 2009

Twitter / Nishio Taizo: 当たり前のことをもっともらしく語って悦に入ってる人って何なの?バカなの?

inumashさん宅で「帰る場所」云々の話がでてた時に僕が何とも言えない感覚になったのは、こういうことだ。HTMLもCSSも今や「当たり前」になった。Webで何かするなら常識と言っていいものに、すっかりなった。偉そうに語れる余地はもうどこにもない。語っても「何なの?バカなの?死ぬなの?」と言われるのがオチだ。

世のため人のためには、そうなることがよいことだと思っていたはずなのに、いざそうなってしまったら自分の居場所がなくなってしまった。

「常識」になる事があり得ない芸術・文化方面の事が、活動のホーム、心の拠り所、アイデンティティのベースになっている人は幸せだと思う。

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