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たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。

萌えるふぉくす子さんだば子本制作プロジェクトの動向はもえじら組ブログで。

宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能! シス管系女子って何!? - 「シス管系女子」特設サイト

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顔の見えない「ユーザ」のための不毛な努力はもうしないよ - Apr 24, 2009

統合を批判する拡張開発の人たちは、 「自分のやりたいことに何が必要なのかを考えない人は、 そもそも拡張を使うな」とどうしても厳しい目線に立ってしまう。

これはちょっと違う。使い手は使い手自身のエゴに則って好きにすればいいと思う。

僕がしてるのは、「自分が何をしたいかもちゃんとは認識できてない、『とりあえず何でもいいから便利なプラグイン教えて』と言ってしまうような人」の、行動や思想を批判する事でも、そういう人達の行動を改めさせるべく啓蒙活動する事でもなく、「そういう人達のために自分が努力する事を、やめる」「そういう人達の視界に入らない場所に自分が逃げる」って事だ。

何故そういう人の行動や思想そのものを批判や否定しないのかというと、自分自身も別の場面では「そういう人」だと自覚しているからだ。そういう人、をターゲットにアホだのマヌケだの言う自分の姿を想像すると、「こいつ自分がそうなのを棚に上げて他人の事ばっかり言ってやがるな」とあまりに滑稽すぎて恥ずかしいので、同じ事を他人から言われたくないから、そういう事をしないようにしようと思っている。

「机の上にごちゃごちゃ物を置いているやつは総じて能力のないプログラマーだ」 - Apr 24, 2009

サイボウズラボで尖った事を色々やってる人達がごめんなさいと言うからジョークとして成立するけど、がごめんなさいと言っても「うん、ほんとそうだよね。反省しなさい。君は無能なんだから。」って感じで、何も冗談にならない。

タイトルは上記2エントリの発端である新人プログラマーがプロのプログラマーとして独り立ちするための7つの条件 - ハックルベリーに会いに行くからの引用です。

目フィルタ - Apr 24, 2009

http://d.hatena.ne.jp/ekken/20090423/1240491249からのリファラがあったんだけど見る勇気がないので結局見ずじまいのままだ。

1月に体か心か分からんけど拒絶反応を示してると書いたけど、あれ以来、URIに「jintrick」「scinfaxi」が含まれてるリファラについては内容を見ないようにしてる。「自分が叩かれてるのを見てマゾい快感を得る」のが目的でもない限り、自分にとって精神衛生上良い影響を及ぼす話が書かれている気がまるでしないから。

この直前、http://ekken.tumblr.com/にクリップされてる内容を見て、その選び方から「あ、この人の書く話は見たら精神衛生上良くなさそうだ」となんとなく思った。なので、冒頭のリファラを見た時にもそういう直感が働いた。

世の中から消え去れとか、発言する事をやめろとか、そういう事を求める権利は自分には無いと思うし、それ以前にそもそも、それをわざわざプッシュしたりしない限りは、彼らが僕の悪口を言う権利の方が優先されるべきだとも思ってる。野﨑氏がよく引用してて記憶に残ってる、誰の言葉だったかは忘れたけど、「私はあなたの主張の内容には反対だが、あなたがそれを言う権利は私の命に代えても守る」だっけか。そんな意味合いの言葉。それに結構愚直に感銘を受けてる所があるし。

でも、自分に対する悪口を見て幸せな気分になれるかどうか、何かを学べるかどうかっていうと、それはまた別の話なんだよね。なので、折り合いの付け所として、自分から積極的に読みに行かない限りは目に入らない物であるならば、自分の側で、見ないように・避けるようにする努力をしよう、と。URIがぱっと見える状況ならまずそこで避けるし、ロケーションバーに表示されたURIがそうであるなら内容を読まずにタブを閉じる、そんな程度の事なんだけれども。

Greasemonkeyスクリプトでも使えばもっと確実だろうとは思うんだけど……Firefox 3にアップグレードした前後でGreasemonkey入れてると固まる現象が起こってしまって、それ以来使ってない。userContent.cssでも書くかなあ。

@-moz-document
  url-prefix(http://d.hatena.ne.jp/ekken/),
  url-prefix(http://b.hatena.ne.jp/ekken/),
  url-prefix(http://ekken.tumblr.com/),
  domain(jintrick.net),
  url-prefix(http://d.hatena.ne.jp/scinfaxi/) {
  *, * * { display: none !important; }
}

こんな感じか。本当はURIの部分一致ができれば楽なんだけど、@-moz-documentでできるのは「前方一致」か「ドメイン指定」だけみたいなんで……

参照元ページからそれらのサイトへのリンクの方を消す、という形であれば、CSS3の属性セレクタで[href*="ekken"] { display: none !important; }という風に書けて、もっと楽に且つ完全に近い事をできるけど、それをしないのは、リンク文字列が抜けて文章の前後が繋がらなくなるのが嫌だからです。それが嫌じゃない人は、こっちの方法をとるのもありだろうと思う。

ここで名前(?)を挙げた人達は、こういう事を「馬鹿だなあ阿呆だなあ」と見下すことはあるとしても、わざわざやめさせようとまではしないだろう、と僕は思っているので、誰も(騒動をエンターテインメントとして楽しむつもりでウォッチしてる人以外は)不利益を被らず丸く収まる落とし所としては、まあ悪くはないんじゃなかろうか。

頭の出来が悪い - Apr 24, 2009

XUL/Migemoの件で行き詰まってるのは、一言で言えば、僕が頭が悪いからに他ならないんですよね。数学的素養もない、発想力もない。できる事といったら、他の人(XUL/Migemoの場合ならplus7さん)が作ってくれた原石をカットしたり磨いたりという、アレンジ作業でしかない。元になる原石を自分で作れない。自分でゼロからやったら、何の価値も可能性もないただの石コロしか作れない。才能がない人間が努力で補える範囲でできる事、を見事なまでに一歩たりとも踏み外していない。技術力的には、典型的な雑兵日本人なわけです。

こんな風にブザマな様子を晒してしまうほどに人間性に難があっても、まあキラリと輝く才能があるなら、と思うけど、才能も無いんじゃあねぇ……

mixiステーションのあしあとプッシュ配信がキモかった - Apr 23, 2009

プライバシーとかセキュリティとか云々の話で思い出したけど、こないだmixi station(音楽再生履歴のscrobberとしての利用が主)をアップデートした(か、今の環境に新規インストールしたんだったか?)ら、「誰某さんがあなたのページを見ました」みたいなポップアップが表示されて驚いた。

これはキモイ、と思って速攻でOFFにした。

他の人のデスクトップには今でも「Piroさんがあなたのページを見ました」という風なポップアップが出続けてるんだろうなあと思うと、ちょっと複雑な気分になる。まあ、自分の行動が知られる方はべつに僕はそれほど気にはしてないんだけど……その逆の、他人の行動を(それも自分に関するものを)プッシュ配信で知らされるってのが、僕にはたまらなく気持ち悪かった。

いや、性格的にはむしろ、そういうのがすごく気になる方だから、ある意味ではぴったりなのかもしれないんだけどさ。見たくないものを無理矢理見させられるっていうかなんていうか……見なければ幸せでいられたのに、なんて余計な事をしてくれやがるんだ、という風に僕には感じられた。

リスクがどうとかの話ではなくて、これは完全に感情の話ね。

自閉 - Apr 21, 2009

自分のことを「はいはいアスペアスペ」って書いてたら「お前みてーのはぜんぜんアスペじゃねえよ」的なツッコミを受けたことがあったと思うけど、自閉傾向はやっぱあるんじゃないかと思うんですよ。

先日、従妹(胃腸炎でダウンした時に助けてもらった)へのお礼を兼ねてお食事に誘いまして、そこで昔話が色々と出たんですけれども。祖母の葬式の夜、僕ではないんですが親族の一人(当時はまだ子供)がプレステのバイオハザードをプレイしてて、「こんな時なのにこんなゲームをやってられるなんて、どういう神経してるんだ?!」と、ものすごく衝撃を受けた、という話を従妹がしたんですけれども。

僕はそれを全然覚えてなかったんですよね。

まあ単に物忘れが激しいって事なのかもしれないですけど、少なくとも「忘れちゃっても全然問題ないような事」と考えてたって事は間違いないんじゃないの?と。「それのどこが問題なのかちっとも分かってなかった」からこそ、10年経っても思い出せるほどの強烈な印象が残らなかったんじゃないの?と。

ていうか当時の事で今でも真っ先に思い出せるのは、「高校の入学式の直前に、なんつう間の悪い……もっと別の日に起こってくれればよかったのに、ああもうっ」という憤りの感情なんですよね。悼む気持ちとか思い出せないから、多分そういう気持ち自体ほとんど無かったんじゃないかって思う。

普段から頻繁に交流があったわけじゃないからしょうがないじゃん、別に変な事じゃないよ、と言ってくれる人もいるんだけど、なんだろうなあ、世の中的には、従妹のように「葬式の準備が行われてる最中に平気でバイオハザードをプレイできる神経、を疑う」ような感性こそが真っ当で、それに違和感を感じていなかった(少なくとも、10年覚えてるほどの強烈な印象を感じていなかった)り「間の悪い……ああもうっ」的な印象が一番強く残ってるようなような感性は異常であり自閉でありアスペであり火に投げ込まれるべきである、って事になってんじゃないのか?って思うのです。

単に心の冷たい人間なだけなんすかね、これって。でも御涙頂戴な物語で泣けたりはするんですよね。結局「リアルな他人の感情」に興味が無くて自分の中だけに閉じた世界に引きこもってるって事なんじゃないのか、やっぱりある種の障害ということなんじゃないのか、とか、考え出すとキリがない……

アクセスのしやすさ、利用のしやすさ、に対する鈍感さ - Apr 21, 2009

はてなプライバシー問題、とでもいうんですかね。このところ騒がれてたアレ。僕はどちらかというと「いくら何でもデフォで公開しすぎだろプライバシーつうもんをもうちっと考えれや常考」派として静観してたわけですが。

これは主観による無根拠な決めつけだけど、なんとなく、「RSSでは前からでてた情報じゃん」「以前から出てた情報をまとめただけじゃん」という理由であれは全く問題ないしあれを問題視する人間の方が頭がどうかしてる、と感じる人の層って、vi(vim)ヘビーユーザの層と重なる部分があるんじゃないかなあ、って気がする。

うまく言葉にできないんだけど、なんというか……例えばインターフェースって、ちょっと見た目をいじるだけでビックリするくらいわかりやすさが変わってくるものなんすよね。モーショントゥイーンなんかはその派手な例だし(という書き方から分かるように、僕は格好いい悪いよりも分かりやすさという観点からこの手の効果を評価している面が強いです)、アフォーダンス特性だとかなんだとか、「こうするともっと人に優しくなりますよ」っていうポイントがいっぱいある。

viって、そういう考えとは対極にある物のような気がする。分かりやすいとか人に優しいとか、そんなんどうでもいいじゃん、機能がありさえすればいいじゃん、という感じ。機能が「ある」か「ない」かが重要で、「使いやすい物がある」のと「使いにくい物がある」のとの間にある差が理解できない、みたいな。

それと同じで、個々のサービスの利用時間とかそういうのが、フォーマットとか表記とか場所とかが「バラバラに散らばって表に出ている」のと、「一箇所にまとまって表に出ている」のとの違いが、vi的なものを抵抗なく受け入れられる人には分かんないんじゃないかなあ、と。

とか何とか偉そうなことを言ってる自分自身、自分が日常的に使ってる環境に「慣れて」いるせいで、他の人に言われて初めて「え、そんなにわかりにくかったの?」と気がつく(気がついても感覚的には理解できなくなっている)、というケースがきっとたくさんあるだろうなあと思うので、言えば言うほど天に唾するがごとく我が身にそのまま降りかかってくるわけですけれども。

ちなみに僕はviのことを全然知らないで、ファイル開いてiでインサートモードに入って編集してESCで抜けて:wqで上書き終了、くらいのことしかできないような知識で物を言ってますんで、この文の内容が全く的外れである可能性は大いにあると思っておりますハイ。(さらに言うとEmacsに至っては使った事すらないので、viと比べてEmacsの方がどうこうという話はしませんよ!)

よく考えてみると、興味がある事だったらアナログに細かく理解できて、関心が無かったら有る無し程度のざっくりした見方しかできないっていう、ごくごくありふれた話なのかもしれん。西洋人に日本人の顔の区別が付かないとか、ゲーム機は全部「ファミコン」呼ばわりとか、そういう。だから「viユーザは人非人」みたいな言い方は、自分自身もまた関心の無い事に対して決めつけ見下す考えの浅い人間だという事を自白してるようなものとも言えるか。

追記。ここでの「使いやすさ」とか「利用のしやすさ」というのは「取っつきやすさ」に近いニュアンスで捉えてもらえると多分いいと思う。特別な前提知識無しで初めて触った時に、説明や指示が無くても、一般的平均的な人の過去の体験から類推して、違和感なくすぐに使えるかどうか。Suica改札の13°の傾きと「タッチしてください」の話なんかも併せて見て欲しいところです。「慣れれば使いやすいよ」(←慣れるまでが問題なんですってば)「Plaggerとか使えば今回のはてなのアレと同じ事が誰でもできるよ」(←だからそれが障壁なんですってば)という風な話は全然ピントがずれてるよってことで。

Tab Mix Plus排斥運動をしたいわけではないんですよ - Apr 21, 2009

Tab Mix Plus は window オブジェクトレイパー - 地獄の猫日記 とか、自分の書いた話がきっかけとなって他の人もTMPの他のアドオンとの互換性に関する話を書いていたりしていて、それらを参照した上で「TMP使うのやめます」と表明している人もいるのですけれども。そこら辺の状況をもって「PiroはTMP批判の世論を作ろうとしているのだ! 扇動しているのだ! 排斥運動をしたがっているのだ! 私怨に狂っているのだ!」とかなんとか言い出すような人が現れたら嫌だなあ、ということで自己保身のために予防線を張っておく。

こんな事言っといてアレですが、僕は今Tab Mix Plusを使ってる人に「今すぐそんな物窓から投げ捨てちまえ!」と言いたい、わけではないんですよ。他のアドオンと組み合わせさえしなければ別に問題はないんだから、使ってて不満を感じてなければ使ってて全然構わないし、使うのをやめる必要もない。

つうかね。グローバルな名前空間がどうこう言い出したら、そもそもFirefox自身のコードだって結構酷いし。将来的に問題が起こりやすい・起こりにくい設計です、ということと、今問題が起こっています・起こっていません、ということはあくまで別の話だし。

単に、いくつもアドオンをとっかえひっかえしながら使うようなスタイルでFirefoxを使うんだったら、「Firefox+TMP」という環境をベースにするのは、お勧めできないし残念な思いをすることが多そうだよ、って話です。むしろ、「アドオンという仕組みが無かったSleipnir 1.x系のようなブラウザを使ってるのと同じようなもんだ」と思えば、別に何も変じゃないわけです。

他のアドオンと衝突しないように心がけたいし、心がけて欲しい - Apr 17, 2009

「次のエントリで書く」なんて予告じみたことを書いてはみたものの、どうも話がまとまらない。もう、思ったことを箇条書きで書くだけにする。

現実的に言って、1つのアドオンであらゆる人のニーズを満たすことは不可能だと思うし、そういう方向での努力はしない方がいいとも思う。何でもかんでも……と際限なく詰め込んでいくと、どこかで破綻すると思う。機能の詰め込みは、ある時点までは効率がいいんだけど、ある時点を超えてしまうと、デメリットの方が大きくなってくる。「Piro拡張化」なんて言われるようになる。

作る側の心理として、どうして機能を増やしたくなるのか。他の人はどうか知らないけど、僕はこんな感じだった。

  • デバッグより、新機能を実装する方が楽しい。モチベーションが高まる。
  • 大は小を兼ねる。大きいことはよいことだ。みたいな。
    • 「こんな小さな物をたくさん作りました」よりも「こんなデカい物をたった一人で作りました」の方がなんかすごそう。
    • より多くの人のニーズを満たせば、より多くの称賛を得られる。誉められて嬉しい。
  • それまでに作った部分を土台や部品として使えるので、新しい別個のアドオンにするのに比べてはるかに楽に「すぐ動く物」ができる。
    • 共有できる部分が多ければ、それだけ「無駄が無い」と言える。同じことをするコードが複数のアドオンにあるのは、無駄なことで、気持ち悪いと感じる。
    • 複数の機能を有機的に連携させて、「100%ぴったり、思い通り」の挙動を実現できる。

そんな感じの理由でどんどん機能を加えていく。ある時点までは、それでうまく回る。応援してくれる人とか感謝してくれる人とか、モチベーションを高めてくれる声も寄せられる。でも、なんかの閾値を超えたところで、あらゆる物事が下り坂に転じる。

  • 目が行き届かない所が出てくる。
    • 自分が使う物は目が届くけど、使ってない機能には目が届かない。
    • 自分の環境では問題ないのに他の環境では問題が起こる、というケースが頻発するようになる。
  • 機能同士が複雑に絡み合っているので、原因の特定がどんどん困難になる。
  • 既にある機能との整合性を常に考えないといけないため、新しい機能を加えにくくなってくる。新しい機能を加えることに物凄くエネルギーを使わないといけなくなる。
  • 作り込めば作り込む程、前提とする環境への依存が強くなる。
    • 前提がちょっと変わるともう全然動かなくなる。Firefox 1.5向けに作り込んでいたから、もはやFirefox 2に対応できない。
  • 最初の頃は「こんなの今まで無かった! これがあると大違い! 素晴らしい!」と称賛されていたのに、だんだんそれがなくなってくる。
    • 「定番だよね」「むしろ当たり前だよね」と言われるようになってくる。
      • 使う側から見たら「あって当たり前」という感覚だから、感動なんてしない。最初の時点で「とりあえず入れとけ」みたいな感じで勧められるから、それが無い時の不便さも、それを導入することで起こる変化にも、気がつかない。
      • 本当だったら使わなくてもいいはずの人まで、「なんかみんな使ってるみたいだし、入れとくか」という感じで使うようになる。
      • アドオンは薬のようなもので、導入するのは薬効と副作用のトレードオフ。どうしても必要な薬効があるから副作用を我慢して使う、というのが本来そうあるべき使い方なのに、薬効をそもそも知らないまま流されて服用して、副作用に苦しむことになる。
        • 「バグが多い」「不具合ばっかり」「他のアドオンと衝突しまくる」などのデメリットばかりがとりあげられるようになってくる。
      • 「定番なんだから責任持って作れよ」「こんな事もできないの? 定番なんだからできて当然なんじゃないの?」みたいな、お客様気分の声が増えてくる。やる気を削がれてくる。

そんなわけで、精神的な負荷と時間的なコストがどんどん大きくなっていって、タブブラウザ拡張は破綻した。Firefox 1.5のサポート完全終了と共に、過去の遺物となった。

  • かといって、Firefox 2デフォルトの状態で我慢できるわけもなくて。
  • でも、タブの複数行表示機能をやめてツリー表示しか使わなくなってしまっていた自分には、今更Tab Mix Plusに乗り換えるというのも考えられなかった。
    • 感情的な理由もあった。後から来て追い抜いていった(と同時に、良い評価もかっさらっていった)相手に自分が依存するのは屈辱だと思った。
    • TMPも「Piro拡張化」の行き着く果てまで来ているように思えた。ここから先は下り坂だと思った。

そういうわけで、過去の自分の失敗を徹底的に反省して、ゼロからやり直すことにした。

  • 全部詰め込むのはやめる。1つ1つのアドオンを可能な限り単機能に保つようにする。
    • 多少効率が悪くても、重複する部分があっても、個別のアドオンに分ける。
    • 重複する部分がデカくなるようだったら、ライブラリにする。
      • ライブラリはファイル単位で上書きできるようにする。ファイルの中を見て必要な箇所を切り貼りして……という風なことはミスの元になるから、やらない。
      • 複数の異なるバージョンの同じライブラリが同時に入っていても、問題なく動くようにする。
      • という考えで作ったライブラリをリポジトリにまとめてある
    • 関係ない機能を含めない。コンセプトが合わない機能は、簡単に実装できそうであったとしても、加えない。
      • これはユーザにもメリットがある。
      • 多機能で「とにかく便利」なんてコンセプトだと、ユーザは入れてみるまで薬効と副作用の比較ができない。入れた後も、どれが薬効でどれが副作用なのか分からない。
      • 単機能なら、薬効と副作用を比較しやすい。「この機能はいらないから、入れない」という判断ができる。「よく分からんけどとりあえず入れてみる」という選択を防ぐ圧力が生じる。
        • 多機能にするよりユーザ数は多分減る。でもそれでいい。薬効が必要なくて副作用しか得られない人にまで、使ってもらいたくない。
  • 主要な機能を、他のアドオン(自分が作る物も含めて)から使いやすいように「API」として公開する。
    • といっても、物自体は変わらない。あくまでただのメソッド。ただ、作る時の心構えを変える。
      • 自分だけが使うものだから……と思っていると、メンバ変数とかをがんがん使った、実装するのが楽な、結合が密な設計にしてしまいがち。
      • 結合が密だと、100%全ての情報の流れを理解している人間でなければメソッドを使えない。
      • 半年くらいして自分でもすっかり忘れた頃にもう一度見て、すぐに理解できるか? 理解できなさそうなら、それは駄目な設計。
      • 結合をなるべく疎にする。密な結合にしないといけない時は、せめて、情報が双方向に流れないようにする。一方通行に処理を追いかけるだけで理解できるようにする。
    • インターフェースを公開して、ドキュメントも作る。
      • 既に公開してしまっている物だから、安易に変更できないというプレッシャーがかかる。APIの互換性を維持する力が働く。
    • 機能同士の連携は、必ず公開APIを経由して行う。
      • APIでできないことはしない。
      • 必要なら新しいAPIを考える。やっつけ仕事ではなく、ちゃんとした設計で。
  • TBEでやってたような、ガチガチの作り込みはしない。
    • 泥臭くてカッコ悪くても、フレキシブルな対応が可能なやり方を取る。
      • XBLでスッキリ書くより、DOMでゴリゴリ書く。
    • なるべく、Firefox自体が持つ構造を壊さない。
      • 要素構造を自分好みにすっかり作り替えてしまえば、自分は楽になる。でも、ユーザが困る。他のアドオン作者も困る。要素構造を変えると他のアドオンと衝突しやすくなる。
    • XBLの使用はできるだけ避ける。
      • 特に、既存のバインディングの「置き換え」は「最後の手段」「禁じ手」と考える。
      • 「まだバインディングが行われていない部分への追加」だったら、使ってもいい。
      • どうしてもXBLじゃなきゃ実現できない、という部分だけに限って使う。それ以外でXBLを使うのは、極論すれば「珍しい技術を使ってる自分」に酔っぱらってる自己満足な行為でしかない、と考える。
    • メソッドを丸ごと置き換える、という事はできる限り避ける。
      • やるのなら、eval()による部分的な書き換えで対処する。
      • やりたいことの大半は、元のメソッドの最初か最後に処理を追加するだけ。メソッドを丸ごと全部別物に置き換えてしまう必要は本来無い。
      • 見通しは悪くなるけど、他のアドオンとの競合は起こりにくくなる。と思う。
      • これによる開発効率・メンテナンス効率の低下は、個々のアドオンを単機能に・シンプルに保つという前提によって相殺する。
  • 他のアドオンでできることはしない。
    • 自分一人で抱え込まない。他の人がやってることをわざわざ自分でやり直そうなんてことはしない。
    • 組み合わせて使うことを積極的に推奨する。自分自身も、他のアドオンと組み合わせて使う。
      • 組み合わせて使って問題が起こりにくい設計にしないといけない、という圧力が自然とかかる。

こういう考えに基づいて作ったのが、マルチプルタブハンドラ情報化タブツリー型タブソース表示タブという4つのアドオンだ。上に書いたことを完全に守れてるとは言えない部分もあるけど、昔に比べれば遙かにマシになってると思う。

作る側としても、使う側としても、僕は今の方がずっと楽だ。

「多機能に」「1つだけで様々なニーズに応えられるように」という方向に頑張ると、縛りがどんどんきつくなってくる。1つのアドオンだけでできることを増やしていこうとすると、妙な話だけど、他のアドオンに頼れなくなっていく。作り込むほどに、そのアドオンを入れた結果が素のFirefoxとかけ離れてしまうから、他のアドオンとの互換性がどんどん失われていく。だから、1つのアドオンだけでしなきゃいけない事がイモヅル式にどんどん増えてくる。

ユーザの視点から見ると、「多機能なアドオン1つだけの世界で完結した使い勝手を享受する」か、「いろんなアドオンを組み合わせて使う」かの、どっちかを選ばないといけないということでもある。両立はできない。

ここで改めて念を押すけれども、僕は、Tab Mix Plusと上記のタブ系アドオンの組み合わせは推奨していない。一応TMPで動くようにはした、けれども、継続的に追っかけ続けるモチベーションが無い。何故なら、僕はTMPユーザではなく、TMPと組み合わせて壊れるようであっても僕自身は全く困らないから。TMPユーザでない他のアドオンの作者の中には、同じように感じてる人もいるんじゃないかと思う。自分が使ってもいないのに対応を迫られるなんて、厄介な奴だ、目障りな奴だ、みたいな。閑話休題。

「多機能なアドオンで、部分的には、痒い所に手が届くような感覚がある。でも、足りない部分もある。それを補うための他のアドオンと組み合わせて使うことは、残念ながらできない。」「単機能のアドオンをたくさん入れていて、それぞれはそれなりに便利。でも、いまいち連携が取れてなくて、痒い所に手が届かない。」そのどっちかを選ばないといけない。

一人あるいは少数の作者の頑張りだけに期待しなきゃいけない、期待して待ってなきゃいけない。多機能長大路線を歩むという事は、ユーザにそれを強いるという事だと思う。僕はそれが嫌になった。

多分、多機能な物を「作る」だけなら、誰にでもできるんだと思う。時間さえかければ。当時の僕にもうなる程の時間があった(大学生で、レベルもそんなに高くなかったから楽に単位を取れて、その分自由に時間を使えた)から、できてたんだと思う。でも、より大きな問題は「作った」の後にあると思う。メンテナンスし続けられるのか? 他のアドオンと協調させられるのか? 多機能長大路線ではそれは難しいと、僕は思った。

「君って面食い?」 - Apr 13, 2009

と、面と向かって聞かれると答えに窮する。はっきり「ハイ、面食いです。かわいくないのは絶対嫌です、お断りです。」って言えるかどうか、という話。

僕は「面食い」を、顔の造形を指してだけ言うんじゃなくて、「雰囲気イケメンも含むイケメン」と同様の広い意味合いで、「服装とかも含めてかわいい人が好み」という感じのニュアンスで捉えてるんだけど。その上で考えると、自分自身が身なりに気を遣えてない、気を遣ったとしてもトンチンカンなことにしかなってないくせに、他人には高いレベルを要求するんですか、って話になるわけです。見合う物持ってんの? 持ってないでしょ? じゃああんた選り好みする資格無いよ。と、自分で思う。(※だから前彼女はブサイクでした、という話ではないですよ?共通の友人各位

にもかかわらず「ハイ、面食いです。かわいくないのはお断りです。」って言い放ったら、もう、お前何様だよって話になるわけじゃないすか。人によっては「顔で差別するとはけしからん!!!」と憤慨するかもしれない。憤慨しなくても「ふーん、顔しか見てないんだね。哀れな人だね。」って思われることうけあい。

かといって「いや、性格がよければ全然気にしないよ!」とかそれっぽいことを言ったって、嘘っぽいっていうかぶっちゃけ嘘だし。「かわいくないよりはかわいい方が……」とか「まぁ好きになったらその人がタイプになる感じかな……」とかの煮え切らない答えというのも、無難な落とし所に逃げてる感アリアリだし。「そうだね、まずは『面食い』の定義によるかな。そもそも……」とかマジに語り出したら空気読めてなさ過ぎだし。もうね、どう答えろと。

……はっ、もしかして、そういう負の視線をものともせず自分の意志を強く貫ける人間かどうかってことを試されたのか?(考えすぎ)

とかなんとかそんな風にぐるぐる考えてしまうから、いつも、そういう事は考えないようにしてる。評価しない。判断しない。判断しても口にしない。口に出すのは、それで傷付く人がいなさそうな時だけ(評価対象が無生物であるとか、はいはいノロケノロケとはなから相手にされないような場合であるとか)。

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