たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
こういうの見てると、アニメの適正価格っていくらなんだろうなーと思う。
自分が買った物の購入価格でいうと、鴉は1話30分で5000円から6000円だった。ゼーガペインは3話でだいたい同じくらい。マクロスFも同じくらい。AIRは2話で同じくらい。定価ではなく実売価格での話です。
これらはどれもそれなりに思い入れがあったケースで、それでも3話で6000円くらい→1話2000円くらいというのが出せる額の平均というかためらわず出せるラインで、AIRのように2話でこの値段だったらよっぽどの思い入れがないと出せない。鴉はタツノコ40周年記念という言葉に乗っかったというのもあった。そうじゃない物にこの金額は辛い。
この間見たブラスレイターはShowTimeのオンデマンド視聴で、1話あたり100円ちょっとだった。ゼーガペインの場合は、それで見てDVD買いたくなるほど嵌ったけど、ブラスレイターは今の所そこまでの思い入れはない。オンデマンド視聴は画質は相応に悪い(DVDより劣る)けど、作品への興味と出せる額のバランスでは、悪くない落とし所だったと思う。
でもShowTimeだとPhantomは1話あたり200円ちょっと。自分には割高感があって、無料で見れた1話以降は見ていない。HD画質だったらまだ納得するけど、この画質で200円と言われるとためらってしまう。
薄く広く回収するモデルじゃあ多分うまく行かないんだろうね。だから、金を出してくれるごく一部の酔狂な人達だけで費用をまかなうために、DVDやブルーレイの単価がこれだけ高くなるんだろう。確かそんな話を前にどこかで読んだ。
でも僕の感覚では、この金額(1話2000円以上)となると、相当吟味してからでないと出せない。オンデマンド視聴で1話100円で見て、それからやっとという感じだ。厚かましいことを言えば、できることならその100円分をDVD・ブルーレイの代金から割り引いて欲しいくらいだ。自分の感覚では本購入前のお試し視聴という感じなので。好きな作品でもそう思うくらいに、僕にとってはこの金額は重い。
で、今のアニメ業界的には僕のようなケチはお客様じゃあないわけだ。気前よく6000円でも7000円でもポンと払ってくれる金払いのいいヘビーユーザのために、今のアニメはあると。
話は変わるけど、最終的にブルーレイ全巻買ったマクロスFと僕との出会いは、どっかのまとめスレで晒されてた12話の「星間飛行」だった。あれがなかったら見る気しなかっただろう。全部無料で見せろとは言えないけど、ハイライトシーンくらいは無料で見せて客寄せに使っていいんじゃないのかなーと思う。思うけど、それを決めるのは僕らケチな客ではなく売り手(作り手とは言わないでおく)なので、それ以上のことは望めない。
追記。「地上波見ればいいじゃん」と言う人もいるようだけど、放送時間に合わせて見る事ができない人(→僕。放送時間中にいつもテレビの前にいられるわけではない。)、録画設備を持っていない人(→僕。前のPCではマシンパワー不足過ぎて、録画した物を後で見てみたら音も映像も切れまくってまともに見れる物ではなかった。)、そもそも受像設備がない人(→僕。アナログ地上波用チューナーカードがWindows Vista非対応だったから今自宅ではテレビを見られる環境が無い。)というのもおりましてですね、「地上波見ればいいじゃん」は僕の場合解決にならないのです。
Twitter / Nishio Taizo: 当たり前のことをもっともらしく語って悦に入ってる人って何なの?バカなの?
inumashさん宅で「帰る場所」云々の話がでてた時に僕が何とも言えない感覚になったのは、こういうことだ。HTMLもCSSも今や「当たり前」になった。Webで何かするなら常識と言っていいものに、すっかりなった。偉そうに語れる余地はもうどこにもない。語っても「何なの?バカなの?死ぬなの?」と言われるのがオチだ。
世のため人のためには、そうなることがよいことだと思っていたはずなのに、いざそうなってしまったら自分の居場所がなくなってしまった。
「常識」になる事があり得ない芸術・文化方面の事が、活動のホーム、心の拠り所、アイデンティティのベースになっている人は幸せだと思う。
Latest topics > republic1963さん送別会 - outsider reflex(コメント欄)
「彼女がいた」時と「彼女がいない」今とで自分の考えとか感覚の違いを強く自覚する点として、女性に対する自分の視線の違いがあると思う。今は、魅力的な(と自分が思う)女の人と会話可能な距離にいるだけで、非常にどぎまぎするし、まともに目を合わせられない。失礼な話とは思うけど、その人と自分が付き合っている状態、というか突き合っている状態を想像してしまう。「非モテの心の中の『女性に対する分類用フォルダ』は『家族』と『恋人(候補も含む)』の2個しかない」と加野瀬さんあたりが言ってたと思うけど、まさにそれ。
その人に彼氏がいるとか既婚者だとかそういう事を事前に知っていたら、多分もっと平静でいられると思う。また、彼女がいた時だったら、相手がフリーだと知っていてもやはり平静でいられたと思う。どうも僕は無意識レベルで、自分に彼女がいるなら浮気心を持っちゃいけないとか、相手に彼氏または旦那がいるなら手を出しちゃいけないとか、そういう風に考えているようだ。
彼女がいた時は、魅力的な女の人を前にしていてもそれなりに落ち着いていられたので、「ああ、非モテが治った!」と安心してた。でも実はそうじゃなかった。単に内面化された倫理で自分を縛っていただけで、そのくびきがなくなった途端、世の女性全部を再び「恋人候補かどうか」という視線で見るようになってしまった。元に戻ってしまった。
一般的な意味で「かわいい」「綺麗」「素敵」とかその辺くらいまでだったら見られる方もそこまで嫌ではないだろうと思う。以前lovalottaさんにも、かわいいと思ったんなら素直にそう言えば女の子は嬉しいのだ、という風なことを言われた。
でも今僕が彼氏持ちや既婚者でない魅力的な女の人のことを「かわいい」と言ったら、そこには「できることなら恋人になって欲しい」「セックスしたい」「辛い時に慰めてくれるママになってほしい」とかなんとか、そういう意識が絶対に入ってくる。そんな下心剥き出しの言葉をかけて喜ばれるとは思えないし、そんな下心剥き出しのギラギラした目で見て喜ばれるとは思えない。そんなの(下心があるなんて)言わなきゃいいじゃんと言われるかもだけど、僕は女の人は本気でエスパーだと思ってるから、こっちの下心なんて完全に見抜かれてると思ってるから、思うことは言うことに等しく、思うことすらNGだと考えてる。
彼女がいた時に「今の彼女と別れたら非モテに逆戻りだ」と自分で言ってたけど、まさに予言通りだった。というか、彼女がいた時もずっと中身は非モテのままだった。治ってなんかいなかった。
感謝されても喜べないとか書いたけど、マルチプルタブハンドラのAMOでのレビューでAPIのことを誉められたのは、最近あった事の中では特に嬉しいと感じた出来事だ。
マルチプルタブハンドラは「複数のタブをまとめて操作する」機能を提供するアドオンだけれども、公開して多分すぐくらいから「こんな機能も付けてくれ」「あんな機能も付けてくれ」「このアドオンと連携してくれ」とかそんな感じの要望が出たと思う。そうなる事は最初から結構想像できていて、だから、タブの選択状態の制御や選択状態によるタブの取得といった事をできるAPIを開発初期から公開していた。他のアドオン作者の人がこれを見て、マルチプルタブハンドラ用のコードを組み込んでくれたら嬉しいなあ、という風に思っていた。
しかし実際には、MozillaZine Forum(本家の方)で宣伝するわけでもなく、AMOに同じだけの情報を載せられるでもなく、せいぜい分割ブラウザやツリー型タブなどの自作アドオンで細々と使う程度だった。このまま誰にも知られずに終わってしまうんだろうなあ、と思っていた。
なので、Paolo Amadini氏のこのコメントは非常に嬉しかった。
For developers, MTH provides a programming interface that makes it really easy to add new functions that work on multiple tabs; I used this interface in MAF, to provide an easy way to save multiple pages in a single file. (開発者向けに、MTHは複数のタブのために働く新しい機能を非常に簡単に追加できるようにするプログラミングインターフェースを備えている。複数のページを1つのファイルに簡単に保存できる手段を提供するために、私はMAFでこのインターフェースを使った。)
そこに目を付けて貰えた事が嬉しかっただけでなく、MAFという(僕にとっては)ずっと技術的に凄い事をやっているアドオンにマルチプルタブハンドラのためのコードを含めてもらえたということが、嬉しかった。今まで他のアドオンとの連携といえば、ずっとマイナーで世界の隅っこで細々開発してるだけの立場である自分の方から頑張って他のアドオンのコードをなんとか読み解いて連携のためのハックを考える、という事しかやってこなかったので、向こうの方で解決してもらえたということが嬉しかった。
inumashさん宅で話していた時に、「好きな絵師はいないのか?」という話になった。
絵描きの人のプロフィールを見るとよく「好きなイラストレーター」という項目がある気がするけど、僕にはそういうのがあまりない気がする。強いて名前を挙げるとしたら、カトキハジメ氏(GUNDAM FIX)、天野こずえ氏(ARIA)、西E田氏(ANAフィギュアコレクション等)、あたりになるだろうか。あとコミックLOの表紙画集も買ったからたかみち氏も名前を挙げていいかもだけど……それ以上はもう、パッとは名前が出てこない。
ていうか正直、僕の目から見たら、世の中には上手な絵師が多すぎる。一定の水準を超えてしまってそこから先は全部「上手」以上の事を認識できない。
で、その場でjunkMAさんが検索してくれて天野こずえのイラストを見たパンチさん(だったと思う)は、率直な感想として、そんな言うほど上手じゃないじゃん的な事を言っていたと思う。
まあ確かに技巧的にはそうかもとは思う。例えば白亜右月とか村田蓮爾とか、凝ってて圧倒的で上手な絵の人は沢山いるし(この2人の名前を出した事に他意はなく、単に自分が「絵が上手だと認識してるけど前述の場面で名前が出てこなかった例」として思いついただけ)。
上手い絵・自分好みの絵を探していてそこにたどり着いたと言うよりは、例えばカトキハジメであれば昔本で見た1/35ガンダムVer.kaのガレージキットとか1/144 HG ガンダムの説明書のイラストとか、天野こずえであれば当時の新連載だった浪漫倶楽部とか、絵そのもの以外のそれを取り巻く状況、文脈のような物まで含めて、前述の人達の名前が頭に残っているのだと思う。実物のHGガンダムのクラシックなシルエットと説明書のイラストとのあまりのギャップにショックを受けたとか、ウェポンコンテナが主張するデンドロビウムの圧倒的な火力にワクワクしたとか、「カトリセンコウ」というあんまりにあんまりなキャラ名だとか、浪漫倶楽部部長の切ない恋だとか、そういう物とセットで記憶に残っている。そういう文脈無しに1枚だけ抜群に上手い絵を見ても印象に残っていないという気がする。
というあたりが、僕の審美眼の無さと、その時その時の独りよがりな感情に流される薄っぺらさ・短絡さの現れなんですかね。
wrong, rogue and booklog - 風俗説教型ビジネスモデル
海外に永住したり、長く住んで生活を営んでいたりする海外脱出組の日本人が、日本語で書籍やブログを書くケースが最近は多い。もちろん日本に住民票がないから税金も納めてないし、参政権さえろくすっぽ行使していないばかりか、持っていない場合もある。僕の身内にもそんなのが居る。
そのような書籍やブログでありがちなのは、自分が住んでいる国はこれこれこういう良いところがあるのだが、それに対して日本はそれが全くダメだと偉そうに指摘するパターンである。
ただの外国かぶれじゃないのかと思った。
という時に自分が取るべき行動で悩む。
「他人にゴチャゴチャ心配されたくない」という人であるケースを考えたら、その場合は何もしないのがベストだけど……辛いという事をわざわざ表明しているのならそれは救いを欲しているというサインだろう、と僕は妄想する。本当にその手の心配馴れ合いコメント的な反応が嫌いでたまらない人だったらそもそもそういう事を表に出さないように学習しているだろう、と僕は偏見で決めつける。
でも上記の「心配」は結局は相手のためではなく、自分自身のための物でしかない。本当に相手のためを思っているのであれば、自分がどれだけ他人から滑稽に思われようとも、相手のためになるようにだけ考えて行動しないといけないだろうし、強制されるまでもなく自然とそういう行動を取るものだろう。その場合の懸念は、鬱の人に「頑張れ」と言うような、タブーを犯していないかどうかだけであろう。
コメントで伝えるべきか、直接の連絡手段を使うべきか。1対1の通信手段で手間のかかるものである方が真心がこもっているという偏見があるから、できれば 会って話す>電話>メール>コメント という風な順位のうちなるべく高い手段を選びたい。でも過剰に真心を込めすぎるとそれはそれでストレスを与えそうだとも僕は勝手に思う。ただのネットの知り合いに、twitterで「風邪ひき中」と書いただけで自宅まで押しかけられて炊事洗濯全部やられたら、それはホラーだ。それに、家族なり恋人なり、その人にとって僕より近い存在である人よりも「出過ぎた真似」をすると、相手にとってもその家族なり恋人なりにとっても迷惑でしかないだろう、と僕は妄想する。
そういうわけで、1人にはメッセージを送り、1人にはコメントし、1人には何もせずスルーした。どうするのが僕の立場では「正解」だったのだろう。誰か教えて欲しい。
自分の場合はどうか。自分の場合はとにかく「そう思ってるのはお前だけじゃないんだよ」「その辛さは嘘じゃないよ、自分にも分かるよ」と言って貰いたい。自分が「辛さ」と思っている感情が本当に「辛さ」と呼んでいい物であると保証されたい。「そんなの辛さのうちに入らない」「そんなのただの『辛いフリ』でしかない」と言われないための裏付けが欲しい。
個人的な意見を「一般人」として他者を責める行為について - suVeneのアレからLatest topics > 行為をバカな事だと言ったのか、人を馬鹿な人だと言ったのか、それがわかりにくいのが問題だ - outsider reflexへ、期間をあけて2度にわたってトラックバックがあった。1度目のトラックバックは2月22日、トラックバック元エントリが書かれた日。2度目のトラックバックは4月24日。
トラックバック元サイトには4月24日付けで新しく、「何故」と問うことが無意味になる場合 - suVeneのアレというエントリが書かれていた。4月27日23時17分現在、このエントリからはこのサイトへのリンクは行われておらず、また、名指しされている箇所もないため、このエントリが自分のエントリを参照して書かれたものであるという確証はどこにもない。しかし僕は、その前後にちょうど僕が別のエントリで醜態を晒していた事と、新しく書かれたエントリの内容を勝手に結び付けて、前述の重複したトラックバックはこの新しいエントリから僕がコメント欄で醜態を晒しているエントリへのトラックバックを意図して送られた物だったのではないか、と、証拠もなく妄想した。
ここで僕に取れた選択肢はいくつかあったと思う。
僕には1か2か3の選択肢しか思い浮かばず、1の選択肢は「管理者のくせに管理してない」感を醸し出すのが嫌だったので取り得なかった。そして、相手が僕か、あるいは、僕のエントリをウォッチしていた人達に何かを伝えたいと思っているにも関わらず、単純なミスでそれが伝わらなかったのならもったいないと勝手に気を利かせて、3の選択肢を取った。
でもその行動の根拠になっているのは、あくまで、僕の勝手な妄想であり、推測による思い込みであり、客観的な根拠は全く無い。偏見だけれども、こういう行為をこそモヒカンの人は慎むのではないだろうかと僕は思っている。そして、これまた偏見だけれども、4あるいは4-1の選択を取るのが正しいモヒカンという物なのではないかとも思っている。モヒカンの人の言う所の、表出した物だけから確実に機械的に客観的に読み取れる情報だけから考えるとは、そういう事なのではないかと思っている。
真のモヒカン的には、このエントリは、「ほのめかしばかりで卑怯な皮肉エントリ」なのだろうか。それとも、「誰に対して何を言いたいのか全く意味不明な、自意識過剰の人間による独り言の妄言エントリ」なのだろうか。
話は変わるけれども、相手が書いたテキストに込められた嫌味を華麗にスルーして、書かれた内容の客観的側面だけを淡々と追及し続けられる精神力、というものに僕は憧れすら抱く。安い煽りに乗らない賢さなのか、ただ鈍感なだけなのか、いずれにしても、そのようにできれば自分もきっと気分が楽になれるのだろうにな、と思う。
ライブの打ち上げの場でたまたま同席した人相手に色々と愚痴っていた(このところ、会う人会う人にこの話をしてる気がする)時に、言われたりして自分で気がついたんだけど。
よく、「自分から動かなきゃ出会いなんて無い、もっと外出ろ! 外!」という言説を目にする。別の場所では「趣味のオフ会にナンパ目的で参加して来る奴ウゼエ!」という言説も目にする。自分はその両方を見て「一体どっちなんだよ!!」とイライラしていたのだけれども、話をしていた人達の語り口からなんとなく、「普通」のケースでは「趣味を楽しみながら恋愛」という平行処理をできるのが当たり前らしい、僕はどうもそうではないようだ、と思った。
そう。ほんとにねえ、そういう「頭の切り替え」ってんですか? 世渡りっていうんですか? そういうのが壊滅的にできない。「趣味の活動をしながらいい人探せばいいじゃん」と言われても、「趣味を楽しむ時は趣味を楽しむ」っていう風に一直線にやらないとできない。
というか、その逆を考えてみると、「いい人を探す」事に関心を向けた途端、全ての物事を「いい人を見つける」という言わば繁殖行動に結び付けて考えるようになってしまい、趣味の事を楽しむという事ができなくなる。全ての物事が自分にとっては「セックスさせてくれるママ」探しになってしまう。そしてどうも世の中的には、趣味の分野においてその趣味に一直線である人と、趣味の分野において恋人探しに躍起になってる人とでは、後者の方が圧倒的にキモイ人扱いされているように見える。だから、どっちがマシか(どっちの方が自分自身が非難に晒されて嫌な思いをしないで済むか)と考えて、前者(趣味の時は完全に趣味の事しか考えないようにする、繁殖行動への関心には頭を持って行かないようにする)にならざるを得ない。そういう事なのではないかと思う。
ほんと思うけど、仮に僕が他の誰かで、Piroを「友達」の一人に抱えていて、Piroがいわゆる彼女募集中状態だと知ったら、その段階でもう、周囲にいる女性全員に「にげてー!!」と大声で呼びかけたい。そのくらい、今の自分の酷さがよく分かる。この状態で求めてるのってどう考えても、「自分を包み込んで癒してくれて、男性としてのアイデンティティも認めてくれる」相手でしかないよね。非モテ議論でよくいう「非モテを自称する男共が欲しがってるのは要するに『セックスさせてくれるママ』だろ」ってまさにこれだよね。
精神的には、多分今最も心が弱っていて心の支えを必要としているのだろうけれども、これにわざわざ誰かを関わらせるというのは、生贄を差し出すようなものだ。いや、生贄とすら言えない。生贄は共同体の利益のための犠牲だけど、僕なんかに犠牲を差し出して利益を得られる共同体は存在しない。良識ある人間だったら絶対に許せないだろう、こんなのに自分の身内を関わらせたくないと思うだろう。
※この日記はだいぶ前からリアル親バレしています。