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コミケに行く人が自費出版ビジネスに引っかけられた、それが悲しい - Jan 31, 2009

出版日記|夢とウツツの狭間にまに

共同出版とか自費出版とかの話のリンク元を辿った中に、文芸社(自費出版ビジネスで悪評が多い会社の一つ)で自費出版した人のブログがあった。断片的に語られた情報によると、以下のような感じだったそうだ。

  • 出版は2008年6月で、ごく最近の出来事。
  • 賞に応募して、落選したが、後日「自費出版してみないか?」という連絡が来た。
  • 「プロデビュー、ではない」「契約書店の店頭に一定期間だけ置かれる」「お金がかなりかかる」「この出版で著者自身が儲かる見込みは無い(が、次のステップに繋げられるかもしれない)」という説明は、担当者からあった。
  • 部数は不明(著者の元に40部、最低でも配本先27店舗に2部ずつ回ったようなので、100部以上と思われる)部数は合計で1000部、ページ数103ページ、費用は120万円ほど。

これまでに色々な所で「自費出版はここがインチキ」と指摘されているポイントのいくつかについては、担当者は事実を一応は話していたようだ。ただ、「今回の出版では儲からない。が、次のチャンスに繋がる可能性はある。そのための投資として出そう。」という風に口説いたのは、いただけない。作家としての「次」に……ましてや、「プロ」になんてまず繋がらないのに。

悲しいのは、この人がコミケに何度か一般参加していたらしいということだ。コミケ会場にも小説を置いているサークルはたくさんあるし、「同人誌で」「まずはコミケなり文学フリマなりに出展側で参加する」という所から始めてみることもできたはずなのに……何故、そちらには目を向けなかったんだろう? 何故、飛びついてしまったんだろう? 何故、一足飛びに結果を手に入れようとしてしまったんだろう? とても、やるせない。

前のエントリのコメント欄に、「マンガの場合は同人誌という選択肢があることが比較的知られているから、割が合わない自費出版ビジネスには引っかかりにくいんじゃないだろうか。そういう選択肢の存在(とその実態)を知ることができない人達が、引っかけられてしまうんじゃないだろうか。」という風な事を書いたけど。同人誌という選択肢があり、同人誌即売会の会場の空気とはどういう物か、そこで一体何ができるのかを知っていたはずの人が、引っかかってしまった。コミックマーケットは彼に、作り手として参加する価値を伝えられなかったのか。

参考リンク:

他人事のように書いたけど……自分だって騙されるかもしれない、ひょっとしたら現在進行形で騙されてるかもしれない。モデリング講座の例もある。たまたま僕が今、声優養成学校とかゲーム制作専門学校とか自費出版とかの暴露話・裏話・告発話に関心があって、それらについてだけは情報を集めているから、こう言えているだけで……それ意外の情報弱者な分野については、分からない。

追記。

「インチキじゃないごく普通のビジネスじゃん」と言ってる人がいた。同じ事を、一時期話題になった株式会社ウェディングなどのデート商法(「将来彼女ができた時のために」とおだてて、美人女性の販売員に接客させて「やがて訪れるかもしれないその時」のイメージを疑似体験させ、判断力を鈍らせて「今必要でない」高額アクセサリを売りつけるやり方)に対しても言うんだろうか。

確かに、この程度では詐欺にはあたらないだろう。「あなたが勝手に勘違いしただけでしょ? 可能性は低いけど、って最初に言ったし、あなたもそれで納得したんでしょ? 本当は『こいつは見る目が無いからこう言ってるけど、俺はこれを足がかりにして大成功して勝ち組になれるって信じてる! 周囲の奴ら全部見返してやる! でも今は謙遜しておこう』って思ってたのかもしれない、本当は『織り込んで』なんていないのに見栄で『織り込み済みですから』って言っただけかも知れないけど、こうして契約書が残ってるんだから『織り込んだ』って世間は見なすんですよ?」って、厳しい人には言われるだろう。

極端な話、本人が気付かないままで満足したままなら問題ない、とも言える。ホメオパシー、新興宗教……こういうのはいくらでも世の中にある。消え去らないということは、やっぱり、「それでも」っていうニーズが常にあるってことだ。ニーズがあるならそれに応える、それは確かにある意味で「普通の商売」だ。「そのニーズに応えていいのかどうか?」っていうことを、抜きにさえすれば。

最初のリンク先の人は、今、少なからず後悔しているようだ。それが全てを物語ってる。

サンクコストの呪縛 - Jan 29, 2009

サンクコスト(Sunk Cost)とは、一度投資したが、もう二度と返ってこない費用のこと。 このサンクコストに縛られ合理的な判断を見失うことが個人や企業の活動ではよく見られる。貢ぎ続けた彼女への投資は明らかなサンクコスト。

ギクッ。

これ、一つ前のエントリの話にも通じるかもだなあ。

サンクコストという言葉の解説ではどれも「負債」とか「赤字」とか「損失」というニュアンスで書かれてるように僕には思えたけど、「いやいや損はしてないんですよ!」とそれを合理化して正当化して受け入れるためのキーワードが、「これは夢を買ったんだ」とか「勉強代だった」とか「これはあくまで道楽だ」とかそんな感じの言葉なんだろう。

金銭以外の、時間とかやる気とか機会とかのコストについてもこれを当てはめて考えると、自分の人生がいかにサンクコストまみれかという風な思いに囚われてしまう……

自費出版や同人活動でひょっとしたら一番大事かもしれない事 - Jan 29, 2009

何年も前の詐欺まがいの共同出版ビジネスの話のエントリが参照されてたので見てみたら、Webで小説を公開してる人が自費出版か共同出版で自作を書籍化しようとしていて、そのコメント欄で「やめとけって!」と説得するための材料の一つとして紹介されていた。話の流れを見てみると「うーん……」という感じだったので、ついついそこのコメント欄に突撃してしまった。

以下、コメントに書いた事の焼き直し。

自費出版とか同人とかやる時に、「売る物」を作る以上は、やっぱり、「馬鹿売れしてウハウハ!」っていう状況は誰しも考えると思うんですよ。そこまでいかなくても、「完売するはず」とか「在庫は残っても、一応かかった費用くらいは回収できるはず」とか、そのくらいは考えるでしょう。「ン十万円をこれからドブに捨てるんだ!」と思って手を出すドMな人は、多分そうそういない。どんなに謙遜してても、まだ実際に手を出したことがなかったり、あるいはまだ痛い目を見てなければ、どこかフワフワと浮ついた気分があるんじゃないでしょうか。

僕も、過去に複数人でやってたサークルでCG集を作って、とらのあなの委託販売で「これこれこのくらいの数を納品して欲しい」と発注を受けた時、そういう風に考えてしまって舞い上がって、受けたんですよ。今まで作ったことのない数、頑張って手作業で作りました。これが全部捌けたら……!と、ワクワクしてました。

結果、惨敗でした。ちっとも売れないのね。納品した分がほとんどそっくりそのまま帰ってきました。他に売るルートも無しで、途方に暮れてしまって。今でもその段ボールは実家の僕の部屋にあったはず。少なくない時間と手間とお金をかけて、200000立方センチメートルほどの体積の、何の役にも立たない重たい箱を製造しただけだった。あの時の絶望感を、僕は忘れられない。

もえじら組の活動を始めるにあたっては、根本的な所で認識が変わっていたと思う。それは、「もし万が一全部売れたらどうしよう!」じゃなくて、「1冊も売れなくて全部が不良在庫になった時、どうやって対処・処分するか」という発想。「ポジティブな」「皮算用」じゃなくて、「ネガティブな」「計画」への転換。

「作り手としてのプライドをズタズタに引き裂かれて、半泣きになりながら、しかし売るアテもないから在庫を古紙回収に出す」というような、最悪のケースを想定すること……というよりも、その最悪の事態を出発点として、いかにそれを避けるか? そのような事態に陥らないようにするか? という事を考える。

そう考えるからこそ、「1冊も売れなくて、1円も回収できなくても、我慢のできる金額」に出費を抑えようとする。「1冊も売れなくて、全部を持ち帰っても、途方に暮れなくて済む数」に限って印刷しようとする。

今の自分にとって大事なのは、短期的にお金を稼ぐことでも、爆発的に読者を増やすことでもないんですよね。それよりは、なるべく長く楽しく緩くやっていきたい。継続したい。継続が、他のことよりずっと重要。

上記のような考えに基づくと、共同出版ビジネスみたいなのは僕には全然まったく魅力的に思えないのです。短期でドカッと一生物の買い物のような額の金をかけて、ドカッと一瞬の満足(本になった! 一般流通に乗った!)を得て、後には何もプラスの物が残らなくてマイナス(不良在庫や借金)しか残らない。この手の物は作者の側にとってはいわゆる「夢を買うようなもの」で、その時の一瞬の満足をずっと反芻し続けて生きていける人ならそのうち元を取れるかもしれないですけど、飽きっぽい僕は、元を取る前に満足感の方がきっと先に無くなってしまいます。

でも、逆に言うと、本人がそれでも構わないというのならボッタクリの共同出版でもなんでもやっちゃって別にいいと僕は思うんですよ。数十万から百万といった額のお金を、たった数個の糞重たい(本って重いんですよ!)段ボール箱に変える、契約次第ではそれすらも手元に残らない事もある、得られるのはただ「本を出した」という1つの事実だけ、その「本」の中身を読んでくれる人はどこにもいなかった、家族持ちなんだったら家族の信頼を失ってしまう、そういう事に対してその出費が妥当だと本当に思えるのなら、どうぞお好きにおやりなさいな、と。

関連リンク:

余談。リンク先で挙げられてる例で、100部くらいで150万とか「はぁ?!」な値段設定になってるのは、共同出版ビジネスでボッタクリだからというのも多分にあるんだけど、自費出版の同人誌にする場合でもそれなりにかかるようです。マンガ同人誌なら多くてもページ数は2桁止まりがほとんどなのに対して、小説だと3桁は当たり前、下手したら数十倍にもなる。で、ページ数が増えれば増えるほどイニシャルコスト(オフセット製版の費用)も紙代もどんどん上がる。小説は大変ですね……

追記。

今まで自分もだいぶ誤解してた(というかちゃんと把握してなかった)んだけど、メディア・文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(2)「契約」締結の重要チェックポイント とかを見ると、僕の想像より事態はずっと酷い物のようだ。同人誌や普通の自費出版だったら、それなりに金はかかるけど、できた本は自分の物になる。権利が手元に残る。でもリンク先で述べられているような悪質事例では、権利を相手の会社に取られてしまう。金を出したのに、物も権利も取られてしまう。怖い話です。

いわゆる「印税」、本の売り上げの何パーセントかを渡しますよというだけでは、百万単位の金なんて回収できっこないですよ。まともな出版社のまともな企画本であるところのオライリーのFirefox 3 Hacks(技術書の出版部数は数千部程度が平均らしい、というところから大体の部数を想像してください)の印税ですら、まあ共著で印税が頭割りだからなんだけど、会社の給料には届いてません。それなのに、詐欺まがいの共同出版でボッタクられて多額の費用を出資したりなんかしてたら、これはもう、「売れないから回収できない」んじゃなくて、「売れても絶対に回収できない」ですよ。まったく酷い。

そこまで織り込み済みで、それでも「本を出した」という事実が欲しいんだ!という人に対しては、やっぱり「どうぞお好きに」と言う他ないんだけど。そこを勘違いさせられたまま、うまく乗せられて金をだまし取られるっていうことなんだったら、赤の他人でもやっぱり説得して止めさせたくなるというものです。詐欺師は嫌いですから。

ヤフオクの評価がマイナスになった - Jan 27, 2009

しまった。「落札後何時間(何日)以内に連絡がない場合は購入の意志無しと見なす」旨の記述を見落としていて、マイナス評価が付いてしまった。いつの時点でかアカウント作りなおして、ヤフオクにはまだほとんど使ってなかったから、「新規」から「-1」に……基本的にほとんどのオークションは評価がマイナスだと入札できないから、事実上のアカウント凍結だ。出品者の人にも「詫びとかはいらないから、もう二度とオークションに参加するな」ときついお叱りを受けた。

ノークレームノーリターン、とか、開封済みキズ有り、とかの条件が付いてる物は今までにもあったけど、何時間(何日)以内に落札者側から改めて連絡が必要、というパターンは初めてで、前提として「落札したんだから当然購入の意志有りに決まってるだろう、みんなそう考えてるもんだろう」という風に思い込んでいたから……というのでは言い訳にもなりませんね。こういう事がないように、良い子じゃなくて良い大人の皆さんは毎回ちゃんと全部読んどきましょう。という反面教師のエピソードなのでした。

自分の借金が原因で禁治産者になった、とか、ブラックリスト入りした、とか、破産した(クレジットカードが作れないetc.)、というのも多分こういう感覚なんだろうなあ。僕の場合ヤフオクがなきゃ生きていけないってわけじゃないからまだ「人生の中で選択肢が一つ減った、できることの可能性が一つ消えた」だけで済んでるけど、アクセスできなくなったそれが生きていくのに必須の物だったら……と思うとgkbrだ。今回のようなことですら「いやあこれこれこういう事情があったんだよ、僕はそんなに言われるほど悪くないんだよ?」と自己弁護に走ってしまっているのに、ライフラインを絶たれたらそれはもう比較にならないくらいみっともない取り乱しっぷりになってしまうんじゃないだろうか? その自分のストレス耐性の無さが、怖い。

追記。一つ前に取引完了してた別のオークションでの+1評価のおかげで、アカウント凍結状態からは復帰できたぽ。でも「二度とオークションに参加するな」って言われたのが結構腹にずっしり来てるので、当面は使う気になれない……

追記。メールで直接やりとりのヴァーリトードって言われるとなんかもっと殺伐とした世界を想像してしまうよ! しかし思い返してみれば昔(作り直す前の旧アカウントの頃)はヤフオクもメールでやりとりだったんですよね。今のアカウントになって久しぶりに使って、「取引ナビ」とかYahoo!ペイメントでの簡単決済とか色々便利&安全(っぽく)になってたから驚いた。少額ならYahoo!プレミアムじゃなくても入札できるそうだし、参加の障壁がめちゃめちゃ低くなってるんだろう。そんな時代に、たかが1つのアカウントの命運でやきもきするというのが、むしろナンセンスなのだろうか。

女性を殺した後に細切れにしてトイレから流して捨てたというあの事件 - Jan 14, 2009

痛いニュース(ノ∀`):【神隠し殺人公判】彼女いた経験ゼロの被告「女性を性の快楽で性奴隷にと…」「勃起せず、強姦は未遂に」「臓器刻み、脳なども水洗トイレに」

産経新聞の公判記事も見た。

「風俗に行けばいいのに」とか色々言ってる人がいるようだけど、裁判での発言によると、経験自体はデリヘル等ですでに何度もあったようだ。

「被告人が過去に作った同人誌」というのが気になる……内容がではなく、この事が今後世間にどういう影響を与えるのかという事に。同人誌だけでなく、「アニメ」「AV」などのフレーズもそう。これらもまた「こういう物の存在を許すとこういう猟奇的な犯罪が増えるのだ」という風な言い方で表現規制を行うための材料に使われるのだろう、と思うと、気が重い。

それ以外は、公判記事は読んでて終始「うげぇ……」という気分だった。食欲なくなるし、気力萎えるし、あまりにお花畑な考え方にウンザリするし、(数少ない)身近な女性の身にこういう事が起こったらと思うととても嫌な気持ちだ。

さくらのレンタルサーバのファイルマネージャって地味に便利だ - Jan 12, 2009

誹謗か中傷か知らんけど主題と主題と無関係且つ不愉快なコメントが付いていたので削除しよう、と思ったんだけど出先からだとちょっと面倒(今使ってるバージョンのblosxomのwritebackプラグインだと、個別のコメントを消そうと思ったらファイルを直接いじるしかないんで、いつもはFTPでファイルを落としてきて編集して再アップロードしてる……)だなあ、と思った所でそういえばさくらのレンタルサーバにはWeb上で利用できるファイルマネージャという物があったんだということに気がついたので、ログインして当該ファイルの所まで辿ってみたら、なんとそのままオンラインでファイルの内容まで編集できた。エンコーディングや改行コードも選べるようだ。

こういう時に痒い所に手が届いてしまうから、さくらのレンタルサーバから離れられない。(嘘です。単に他に乗り換える動機がないだけ。)

拒絶反応とか - Jan 10, 2009

体か心が拒絶してるのか、それとも単にやる気の問題なのか、分からないんだけど、前のエントリに付いてるらしい反応を見られない。アクセスが拒否されてるという話ではなく(実際アクセスした訳じゃないから確認してないんだけど、多分それはないはず)、リンクをクリックしたらすぐに見れる事が分かっているのに、クリックしようという気になれない。

これまでだったら、きっとまた叩かれてるんだろうなと分かっていながら敢えて突撃して勝手に気分を害して勝手に熱くなって……というのがいつものパターンなんだけど。「クリックしちゃ駄目だ! その先を見たらまた泥沼だぞ!」と警告する心の声を振り切って、好奇心とかそういうのに負けてクリックするのが常なんだけど。今回はなんか違う。

誘惑に負けてリンク先を見てしまう、というのは、「見たら後悔するぞ」っていうのと「でも見なかったらもっと後悔するぞ」っていうのとがせめぎ合って、後者の方が勝ったという状態だ。でも今回は「見たら後悔するぞ」の方が勝ってるみたい。

なんか、「嫌なら見なきゃいいのに」って言う人の気持ちが、今は凄くよく分かる。「嫌だけど覗いてみたくなっちまうんだよコンチクショウ!! それが人間の性ってもんだろうが!!!」みたいに今まで思ってたけど、全然そうならない……心の底から「いやもうホント勘弁してください、もう見たくないんですってば……」ってウンザリしてる。ひょっとしたら、恐れおののいてすらいるのかもしれない。

僕から去っていった人達、の中には、今の僕と同じような気持ちになってた人もいたんかなあ。気がついたら足が遠のいてフェードアウトしてた、っていうんじゃなくて、ある時点を境に「あ、もうあかん」と何かがぷっつり切れてしまう、という感じで。

ああ、いや、でも……よく考えたら、今回が初めてじゃないのかも。思い返してみたら、英語で書かれた質問や報告の未読メールが数千件を超えてしまったことを意識した時にも、これと同じ気分になっていた気がしてきた。見なかった事にしよう、固めて深く沈めて目を逸らそう、っていう感じに。

なんでなんだろ。ストレス耐性が今まで以上に低下してるのか、それとも、今回の件から受けるストレスがとんでもなく大きかったのか。

コミュン、マークアップ、作品 - Jan 09, 2009

続 CSS コミュン批判 - 黎明日記

いやだから、それが「社会にとってどう役に立つの?」って言ってるんですよ。

なんか話がズレてますね。社会に役立つかどうかと、作品たり得るかどうかは別の話ではないのですか。誰も読む人がいないような駄作の小説だって作品だし、誰も見ないようなヘタクソな絵だって作品ですよ。オリンピックの一瞬一瞬だって作品だし、エクストリーム・アイロンがけもスポーツだし作品だし、世の中の全ては誰か(作者自身でもそうでなくても)が「作品」と呼んだ時点で、きっともう作品なのです。

で、その作品を作品として批評したり批判したりするためには、まずそれが「作品」であると認める事から始めないといけない。コンテキストを共有しないとどうにもならない。コンテキストを共有しないで批判するとなると、結局、「そんな物は作品とは呼べない」とか「そんな物は役に立たない」とか「ほーら、必殺技『ブラウザの実装が悪い』が出たよ」とか、メタな所で批判するしかなくなってしまう。そうじゃなくて、このマーク付けの仕方が美しくないとか、クラス名の付け方が美しくないとか、そもそもinvalidだしありえねーとか、これこれこういう風に問題を回避するのが腕の見せ所だろとか、そういう風に、同じ土俵で批判しないと作品としての批判にならない。

コミュンな人間が、作品として批判され得る物を世に出していなかった、訳ではなくて、他の人達が、コミュンな人間のアウトプットを作品として批判しようとしてこなかった、っていう事なんじゃないんですかね。

コミュンな人間が「安全圏から見下して物を言っているだけ」だったというのなら、マジョリティもまた、コミュンな人間のアウトプットの根底にあるベクトルの異なる考え方を「その考え方は常識的に考えて下らなくてあり得ない」と別のベクトルに当てはめて劣った物として位置づけて安全圏から見下していたわけで、それってお互い様なんじゃないんですかね。

まあ、マイノリティはマジョリティから「作品」として評価してもらえるように、マジョリティに対して説明したり迎合したりしていく必要がある(生き残っていくためにはそうするのが合理的である)、とは思います。それに繋がるようにと思って、自分は自分にできる範囲で活動してきたつもりです。そういう事に全く関心がなかった人もそりゃあいたでしょうし、自分の観測範囲に入るラウドマイノリティのせいかもしれませんが、絵やら小説やら映画やらの世界の人達に比べれば、傍迷惑なだけに終わってしまっていた人の割合が多かったような印象もあります。ただ、それもこれも全てひっくるめた全体を指して彼らは作品を出さないなどと言われた事に、自分はカチンと来ました。

そういう点では、野﨑氏は「作品として扱う事」を否定すらしていたわけで、僕の立場からは敵と言えるのかもしれませんね。

あと、当時リアルタイムでそれを作品と意識して強く意識していたかどうかと言われると疑問ではあるのですけれども、それについて真面目に考えたり物を書いたりするといった行動、その時の思い入れ、等々を振り返ってみる限りは、自分が他の「作品」に対して持っている・持っていた物に非常に近く、少なくとも自分には明確な区別を付けられません。ただ、作品を生み出すということにはそういうあり方もあるのではないかと、自分は思っています。なので、当時リアルタイムで「これは作品だ」と明確に意識していなかったとしても、それを悪い事だとは考えていません。また、「作品」として評価した場合において、自分のそれが高評価に値したのかどうかも、別の問題だと思います。

で、それはそれとして、現実的な面で大して役に立ってねーじゃんとか、馬鹿げた喜劇だとか反面教師だとかっていう話については、まったくもってその通りです。それは僕も過去に何度も述べてきた記憶があります。なので、その点には反論は無いです。

私の予測では、反撃として、必殺技「ブラウザの実装が悪い」が、展開されるはずです。いつものパターンという奴です。

ご期待に添って「ブラウザの実装が悪い」と書いておきます。仕様に照らし合わせて妥当であるとか整形式であるとかの最低条件を満たしていたら後はベストエフォート、どこで切るかは個々人のやる気と思いやり次第、というのが自分のポリシーですから。この辺については、ウェブブラウザなんかに気を遣わなくてもいい理由を先日見て、「こんなの全部対応してられっかよ……」という思いをより一層強くした次第です。

そして。CMSが当たり前の今こそ「エクストリーム・マークアップ」を提唱し、極限の(精神)状態における鮮やかなマークアップとCSS書き書きを芸術性の観点から評価するべき時なのではないだろうか。え、僕? あー僕はほら、もうGecko依存のアドオンの世界にドップリになっちゃってますんで……始まる前から引退表明。

インドカレー - Jan 08, 2009

会社の近くに新しくできたインドカレー屋に3日連続で行っている。そこのカレーが死ぬほど美味い!!! みんなも是非食べに行ってくれ!!! ていうか連れて行ってやるぜ!!! とかなんとか言うような話ではないんだけど。昼の値段ではカレーとナンのテイクアウトで690円、ライスの場合は普通の白いご飯。もう少し高いランチセットだと、サラダと飲み物が付いて、ご飯大盛りまたはナンおかわり無料。

カレーは好きな方だから、梅田の2ビルにいた時は3ビル地下にあった手頃な値段のインドカレー屋にしょっちゅう行っていた。でも、こっちに来てから、会社から徒歩ですぐ行けるような所にカレー屋を見つけられなかったので、あんまり行く機会がなかった(通勤途中には2件ほどあるのは確認済みだけど、どっちも入った事はない)。その反動なのかもしれない。

まあ、近所に店が全く無かったわけではなかったようなんだけどもね。僕は気がつかなかったけど、JR水道橋駅の方にはあったそうで。でも、そこに食べに行った人達の感想としては、水っぽくてコクが無くてまずかったとかなんとか。

で、須藤さん曰く、僕が3日連続で行ったその新しくできた店のカレーは、そんなにおいしくない方なんだそうで……前述の「まずかった」カレーと比べてどうなんでしょうかと聞いてみたら「うーん……」と考え込んでしまう、そんな感じみたいだ。新規開拓とか評判の店巡りとかをよくしてるらしい須藤さんの舌の方が、そういう事を一切しない僕の舌よりは確かだと思うので、多分、その評価が正しいんだろうとは思う。

そういう事があったので、僕の中では今後その店に関しては「世間的には不味いらしいけど何故か自分はよく行ってしまう店」とか「僕はこうしてうまいうまいと思って食べているけれども、ちゃんと味の分かる人から見たら哀れな物を食べてる風にしか見えないんだなあ」とかいう風に後ろ向きに認識することを避けられない気がする。そう思うとちょっと切ない。「彼女の黒コゲ手料理を『愛情が入ってるから十分おいしいのさ!!』と言って喜んで食べる」というよくあるノロケみたいなほどには、特別な感情をその店に抱いてるわけでもないし……

ちなみに、カレー屋ができる前にそこに入ってた飲み屋?の昼の定食を一度だけ食べた事があったけど、いやあ、あれはその……まずかった。僕が言うんだから相当なんだろうね。二度行こうという気にはなれなかった。まあ味だけじゃなくて、お昼のど真ん中に行っても僕以外誰も客がいなかったというあの気まずい空気にまた飛び込むのはためらわれる、という理由もあったんだけど。

追記。店の名前はソウルフード インディアだった。ストリートビューだとさすがに前の店のままだ。

「CSSコミュンはただの批評家連中であり作品を全く生み出さないで安全圏から批判だけする屑共である」 - Jan 08, 2009

今日のニュース2 - 黎明日記

私は元々コミュン近傍のくせにコミュンには批判的だ。なぜなら彼らは作品を出さないから。彼らは基本的に批判しかしない。きちんと自分の作品を創造し、それと向かい合う OSS 世界の方が、ずっと心地がいい。あるいは、彼らにしばしば批判される同人業界の方が、彼らよりも、ずっと筋が通っていると思う。彼らは作品を創造しないから、作品について批判されない。しかし他人の作品を批判することは可能なのである。一方的に他人をタコ殴りにできる位置にいるのである。これは大変な不公平であって、不正義だ。そういう不正義が許せない私は、人を批判する彼らを批判する。

……は? HTMLとCSSを分離したり、validなHTMLにしたり、という行動そのもの、そしてその結果作られたWebページが、CSSコミュン的には「作品」だと思っていたんですが。だからこそ、自分の作ったページがinvalidになっていたら恥じるのだと思っていたんですが。

まあ、そんな程度で「作品」なんてちゃんちゃらおかしい、という考えはもちろんアリだと思いますけどね。

追記。「屑共」とは、元文書には確かに書かれてなかったですね。このエントリのタイトルはあくまで「自分にはこう見えた」ということで、リンク先にこの通りのテキストが書かれていたというわけではありませんので、ご注意ください。

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