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の動向はもえじら組ブログで。
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高級生食パンの乃が美と、量産型高級食パン専門店のひとつの真打ち登場を4日ほどかけて食べ比べて、自分にははっきりした優劣は感じられなかったので、今後は(も)単純に店に行きやすい方で買って食べることになるだろう、という思いを新たにした。というのが結論で、以下は余談です。
「高級食パンがブームだ」という話はテレビで時々目にしてはいたものの、別世界の出来事だな、と思っていたら、近くにそういう店ができちゃったんですよね。それで興味本位で買ってみたら、確かにおいしいっすねと感じまして。
そもそも、脂肪と糖が多く含まれてればそれを美味と感じるバグが人間にはあって、「高級」食パンゆうても結局はバターたっぷり牛乳たっぷりブチ込んでそのバグを衝いてるだけに過ぎない、というのはブームになり始めた頃に度々聞き及んでましたし。
そういうシンプルな仕組みだから模倣も容易なのか、それで高級食パンのプロデューサーなる怪しげな人があちこちでヘンテコな名前の量産型高級食パン屋をプロデュースしている、という話も聞いてましたし。
その量産型高級食パン専門店のうちの一店が近くにできて、なんだかなあと思いはしつつも、これはこれで流行り物のエンタメかなと思って、たまに無性にパンを食べたい気分になったら買ってくる感じで、それなりに楽しんでおりました。
そんな折、
みたいな言説を立て続けに目にしたんですよね(いやはっきりそう言ってはいない物を勝手に僕が曲解しただけかもしれないんですけど。そういう文脈であるように僕は感じたのです)。
確かにドギツイ色と珍妙な店名はどうかと思うけど、出店された地域の側を貶されたり、食って満足してる人間の舌を馬鹿にされたりというのは、いい気分がしません。
もちろん、美味い不味いは主観なので、量産型を不味いと思う人がいても、自分にとって美味いと感じられるなら何も問題は無いはずです。
けれども、僕はすっかり呪いをかけられた気分になってしまいました。
「本物」を食べた事もないのに、量産型だけ食べて美味いと言っている、「本物」は格段に美味いかもしれないのに、それより格段に劣るかもしれない物を、安くない金額で買っているなんて、ああなんと哀れな事だろう、と。
そんな呪いの言葉が頭をチラつくせいで、僕はそれまで平気で食べられていた量産型を買いにくい気分に、すっかりなってしまったのです。
直接自分個人に向けられたわけでもない揶揄のせいで、ジレンマを感じてしまうなんて、馬鹿馬鹿しい話です。
買いたいと思って買うにせよ、買いたくないと思って買わないにせよ、自分のしたい行動をしたいように取れればそれでいいのに、それができないなんて。
この呪いを解くには、「本物」と持ち上げられてる物と量産型とを実際に食べ比べるしかない。
どうせ、そんな何万円とするような買い物でもあるまいし。
食べきれなくても、冷凍すれば保たせられるし。
無理せず買える程度のお金が手元にあって、買いに行ける距離に店舗があるのだから、とっとと白黒付けてしまった方がスッキリできます。
気をつけたいのは、食べ比べるにあたって「どちらが真に美味かを客観的に評価する」「すべての量産型の味を評価する」ことは目的にしないということです。前述の通りの個人的な屈託を解消するために、「本物」とされる物と、「量産型」とされる物の中でも自分が買う可能性がある物の味の差を体感して知り、自分の意志で判断を下せる状態になることだけを目的にします。
仮に量産型が本物より著しく不味いと感じられたとしても、「それでも近いから買おう」なり「値段に見合わないから買わないでおこう」なりの判断を下せるようになるなら、それは目的が果たされたうちに入ります。
逆に、自分が買いに行く可能性が無い量産型の物をいくら食べた所で、当初の目的の達成にはつながりません。
網羅的に調達するとか、厳密に条件を揃えるとか、二重盲検法だとかいった、データの客観性を高めるための努力をするつもりは最初からありませんでした。
テレビでやってた「1日あたりの余計な摂取カロリーを減らせば無理せず痩せられる」っていうやつの計算式を覚えてられなかったので自動的に計算するようにしてみた。(JavaScriptが有効なら表示されるはず。数値は半角英数字で入力してください。)
僕の今の数値を入れると結果は355.0114285714285と出ました……
最近、奥さんのおばあさんの米寿のお祝いで、奥さんの実家にお邪魔しまして。泊まりがけだったのとその時はめちゃめちゃ暑かったのとで、着て行った服を洗濯していただきました(翌日がお祝いの本番で、その時用には別の服を持って行っていたのです)。
その事を特に思い出すこともないまま帰ってきてしばらく経ったある日のこと、出勤するのに着た服からなんか妙に甘い香りがするんですよね。なんだこれって思って。
それで理由をずっと考えてたんですが、トイレでウンコしてるときに気がつきまして。ああこれこないだ奥さんの実家に着ていったやつだ……と。普段自分ちで使ってる洗剤と違う洗剤で洗ったから、違う香りがついてたんですね。
テレビ見てると「一日中香りが続く!」と宣伝してる洗剤があったりしますが、実際丸1日同じ甘い香りが続くと(別に常時プンプン漂ってるわけではないんですが、風向きとかでふわっと漂ってくる)、なんか……べつにここまで香らなくてもいいかな……って気がしました。彼女とか奥さんとかに近寄ったときにふわっと漂ってくるのは多分ドキがムネムネしてキュンと来るアレなのですが、31歳おっさんの自分から漂ってきてもうれしくないです……
それはそれとして。
米寿のお祝いによせてメッセージカードを孫一同から送ろうという話になったそうで、ついでだからと自分もそこに混ぜて頂きました。しかし、以前に1回しか会ったことがなくて一体何を書けばいいものやら……と本番前日夜にうんうん唸っていて、「おめでとうございます」みたいな無難なメッセージから先にペンが進まずにおり、さりとて例文集を調べたら負けかなみたいな思いもあってまた一層うんうん唸っていたのですが、ふと思いついた事があって、それを書き始めてみたら自分で結構いい事言ってんじゃねって気分になってきたので、その路線で最後まで書き切ってみたんです。で、何を書いたのかという話なんですけども。
ほとんど話した事も無い直系姻族のおばあさんだけれども、当たり前だけどその人がいなかったら僕が結婚したこの奥さんは生まれていなかったし、もちろん僕が奥さんに出会うことも無かったんですよね。結婚自体してなかったかもしれない、漫画連載なんて事もできてなかったかもしれない(今できているのは奥さんのサポートがあってこそだと結構思ってる)。家の近くを散歩して何気ない風景を見て「面白いねえ」なんてなごやかに話すこともなかっただろうし、ダイビングだってやってみもしなかっただろうし、イルカと泳ぐことも、珊瑚礁の中を泳ぐこともなかっただろう。おばあさんがいなかったら、自分の今の幸せのかなりの部分が丸ごと全部無かったんだ。
そう思うと、奥さんのルーツにあたる人が88歳で今も生きていて「ありがとう」「おめでとう」を言えるというのはすごい事なんだなあと思えてきて、そういう事をメッセージカードに書いたのでした。
それで実際お会いした時に直接「ありがとう」と言えば良かったんだけど、お祝いの席では結構緊張してしまってそこまで気が回らなくて言えなかったので、次にお会いしたときに覚えていたら言っとこうと思います。
あとそういう感じでなんだか最近自分の親とか祖父とかにも今更なんだけど感謝だったり尊敬だったりという思いを感じるようになってきていて、最近になってやっと人間らしくなってきたのかなあ今までは文字通り薄情者だったのだなあということを思ったりもしています。自分が幸せだなあと心の底から思えるようになってないと周囲、特に親への感謝なんてできないものなのかなあ、とか。かつては「なんで幸せになれないんだ」という感じの妬み嫉みだったりムカツキだったりが強くあって、それから現実を受容して無心の境地を経て、やっと感謝の気持ちに辿り着いたのかなあとか。というふうな書き方をしているとなんだか宗教体験っぽくてアレですね。
それと、親の介護がとか自分や奥さんが大怪我して介護が必要になってとか、そういう重大な問題に見舞われた時にも自分がそんな殊勝な気持ちを保っていられるのかどうかというのは未知の領域なので、どうにか殊勝な気持ちを保っていられるといいなあと思っていますという所で話を結んでおこうと思います。
Nexus 7をポメラのように使ったらテキストの生産が妙に捗るようになったので、一部始終をメモしておこうと思います。
Nexus 7は昨年買ったんだけど、PerfectViewerで最強の自炊漫画ビューワーとして使ったり、Firefox for Android入れてデスクトップ環境とタブを共有して布団の中でダラダラとWebブラウズしたり、QuickPicで結婚式の時の写真を親族に見せたりと、基本的には情報を閲覧するだけの端末として使ってた。
というのも、当初は、これで出先(実家とか)でもノートPC代わりに使えないか?と思ってIRCクライアントとかSSHクライアントとかも試してみてたんだけど、文字入力がやりにくすぎて(フリック入力では速度が出ず、ローマ字入力でもキーピッチが小さすぎ&キー同士の区切りが感触で分からない&タイプした感覚が無い)、これは人差し指でポチポチ入力できる範囲以上のことはやるもんじゃない……と、早々に挫折してしまったわけです。
でもリビングでケータイ大喜利とか見てる時に、懲りずに「ちょっと次の号のシス管系女子の作業でも進めとこうかな……」と思ってみたりして(プロットを作ってコマ割り・セリフ割り・ページ割りを考える所まではテキストベースでやってます)、そうするとやっぱりストレスフルすぎたので、カッとなってMicrosoftのWedge Mobile Keyboard(U6R-00022)を買ってきた。(あとから同じハードウェアのパッケージ違いの法人向けモデルでちょっと安いやつ(U7R-00022)があるということを知って涙目になったけど、もう後の祭りだった……)
まともに使えるようになるまでにやった事あれこれ。
で、以下のように運用してる。
このエントリのようにURIをたくさん集めてきてコピペするような使い方は正直きついけど、頭の中にある内容をひたすら入力してテキストファイルにするだけだったら、普段のデスクトップ環境でやってる時よりむしろ捗ってるくらいで、自分でびっくりしてる。ポメラのレビューで「テキスト入力以外のことができないから、集中して作業できる」みたいな話を見たことがある気がするけど、それと同じ理由かもしれない。Nexus 7がそうなのかAndroidがそうなのかは知らない(僕はNexus 7がAndroidの初常用体験なので)けど、タスクスイッチがいちいちめんどくさくて他のことに気が取られないせいで、結果的にポメラと同じような事になってるのかも……と思ってる。
しかもポメラと違って、テキスト入力してない時も漫画ビューワーやら何やらとして使えるわけで、無駄にならない。これは嬉しい。布団の中で横になってダラダラ見る時とか、キーボードはむしろいらないし。
ハードウェアキーボードの選択肢は、Nexus 7用という観点ではminisuitのやつも捨て難かったんだけど、小さかったし、英語配列なのが致命的に無理だと思って避けてしまった。Wedge Mobile Keyboardは日本語配列でキーピッチも大きく、タイピングしてる感じも悪くない(僕はMicrosoftのハードウェアには絶大な信頼を置いてます。デスクトップの方のマウスもMicrosoft製)。ポメラのような折り畳みはできないけど、実際長文を入力してるとファンクションキーとカーソルキーの操作以外は全く違和感がないので、大変満足してる。あとはminisuitのやつみたいにNexus 7本体をキーボードの端に引っかけて固定できたりなんかすれば、もう何も言うことは無いんだけどね……(なので、そういうマウントを自作してみようかなぁと思ってる。)
家事とか料理とか普通にしてますよって言ったら「意外だ」って言われた、という事が過去にあった。
「料理してる」という言葉の響きがなんか大仰だけど、実際僕の方がやってる事って、スパゲッティを茹でるか、ご飯の上に鰹節載せてレタスと水菜を刻んで載せてアボカドとネギトロ載せてマヨネーズと醤油かけて「アボカドネギトロ丼や-!!」って言い張って出すか、Cook Doするか、そんな感じですよ。特に料理が趣味というわけでも無い人間が、朝出勤して夜帰ってきた後に残った気力でできる事なんて、たかが知れてますよ。
なんとなくだけど、自分以外の人がいると、カップラーメン出して「晩ご飯これで」とか、スーパーで見切り品の弁当買ってきて「はい」とか、そういうのは、何か、こう……ちょっと、ないよね、って思っちゃって。結果的に取れる栄養の内容は大差なくても、スパゲッティ茹でて出来合いのソースかけて出す方を選んでしまう。
そこにどれだけの意味があるんだろう。見栄なんだろうか。薄いプラスチックのペコペコの容器で出す、っていう事に一番抵抗があるのかも。家でまでそういう器で食事を取るって、なんか、みじめな思いをさせてしまう気がして。そういうのが動機のかなりの部分を占めている気はする。栄養バランスをちゃんと考えていたら、こんなもんじゃ全然駄目なんだろうし。体裁だけ整えようとしてるんじゃんって言われたら、返す言葉も無いですね。
という風な事を、中村うさぎ×伏見憲明 トークライブの記事の私にしてもパートナーがいるとか、一緒に暮らしてる人がいるってことは、ちょっと重荷なのよ。だけど、その重荷がずっしりと重くて、背負って歩けないというほどではなく、ちょうどいい重しみたいな感じ。
あたりの件を読んで自分を省みて思ったのでした。
一部の方や会社では報告済みですが、結婚しました。お相手は一般人の女性です……というと芸能人っぽくてウケるかなと思いましたが寒いだけでした。ともかく、誰と結婚したのかという情報は諸事情により今の所完全公開にはしたくないというのが両名の意向ですので、両名をご存じの皆様方におかれましては、ブコメやらTweetやらで二人の名前を併記して「おめでとう」とウッカリ発言してしまわれることのないように、何卒ヨロシクお願い致します。
時間外受け付けに書類を提出して、ちゃんと受理されるかどうかドキドキハラハラだった(指輪に「婚姻届の提出日」ということで日付を入れてしまった以上、手続きやり直しなんて事になったら、後で指輪を見返した時に「この日付なんなの」ってなってしまう……)のですが、昼間に住民票を取りに行ったらちゃんと受理されてました。よかったです。
で、結婚にあたって姓を妻側にしたのですが、特に社会人になって以降は「下田」と呼ばれる機会よりも「ぴろたん」と呼ばれる機会の方が圧倒的に多かったため、いまいち実感が湧きません。早速免許の訂正の手続きに行ってみたら、窓口で新しい苗字で呼ばれて一瞬「あー誰か呼ばれてるな」って思ってしまいました。慣れるまで時間がかかりそうです。
ところで、姓を妻側にするというと婿入りなのかとかなんとか色々思われるようなのですが、単に姓が妻側になっただけで、それ以上のことは何も無いです。といっても知らない人にはよくわからないと思うので、姓を妻側に変更するとはどういう事なのか?を簡単に解説してみたいと思います。ポイントは以下の3点です。
まず戸籍というのは、代表者にあたる筆頭者および他のメンバーからなる家族を1つのユニットとした単位で存在しています。大抵の場合は、両親+その子供というセットになっています。
さて、ここで下田家の長男と上田家の長女が結婚するとします。この時、新しいユニットが誕生することになって、それ用の戸籍が新たに作られます。新しく作成された戸籍には、各人のメタ情報として元の戸籍への参照が付与されます。また、古い戸籍にあるその人の情報には「除籍(この人の情報はこの戸籍ではもう管理されていない)」というタグが付き、新しい戸籍への参照が付与されます。
このようにして戸籍と戸籍が相互リンクされるため、例えば下田カズユキさんやヒロシ君が死んだ時には、遺産を相続できる人がどれだけいるんだ?という事を辿っていって調べられるわけです。
この時決めないといけないのが、新戸籍の「筆頭者」と「本籍地」の2点です。
筆頭者とは、文字通り、その戸籍の最初に名前が書かれてる人の事です。新戸籍に記載される人達の姓は、筆頭者の姓になります。つまり、夫の姓を名乗りたければ夫が筆頭者になるし、妻の姓を名乗りたければ妻が筆頭者になります。はい、僕の場合はそういうわけなので、戸籍上は妻が筆頭者になっています。
新しく作る戸籍で誰の名前を最初に書くのかを決めなくてはならなくて、その時選んだ方の人の姓が、新戸籍に属してる人全員の姓になる。制度上は、ただそれだけ。「夫の姓になったんだから妻は夫の一族の一員になったのだ」とか、「妻の姓になったんだから夫は実家を捨てて妻の家に尽くさねばならないのだ」とか、言うのは勝手ですが、それは制度とは何も関係のない話だということです。
他方、婿養子の場合は、戸籍同士の関係がちょっと違います。
まずヒロシ君と上田アキオさんの養子縁組手続きをして、ヒロシ君が上田家の養子になります。この時、元の下田家の戸籍からはヒロシ君は除籍されます。
次に、ヒロシ君とヒロコさんで結婚して(※養子と実子は結婚できます)新しい戸籍を作ります。
この時、ヒロシ君は既に上田姓になっていますし、ヒロコさんも当然上田姓なので、どっちが筆頭者になっても新戸籍の姓は上田になります。よって、ヒロシ君はどっちみち、もう下田姓を名乗ることはできません。
ヒロシ君とアキオさんの間には養子・養父としての法的な親子関係もあります。なので、ヒロシ君にとってアキオさんは「義理の父」ではなく「養父」ということになります。「実子の配偶者」ではなく「養子」として、遺産の相続等、実子と同等の権利があるわけです。
これがいわゆる婿養子です。なお、実際には養子縁組と婚姻の手続きはどっちを先にやってもいいそうです。ここでは説明が簡単な方ということで、養子縁組後に婚姻する場合を説明しました。
婿入りというのは、これら制度上のやり取りとは関係のない慣習的な言葉です。かつての制度やしきたりを現在の制度に照らし合わせると、上記の「婿養子」に近いものを指していたっぽいです。ということで、僕が婿入りという言葉を使う時は、婿養子と同じ物を指していると思って下さい。(もっと言うと、「婿養子」も慣習的な言葉で、制度上はただの「妻の実家の養子になっている」という状態です)
ちなみに、法律の用語における入籍とは、上記の養子縁組手続きにおいて夫が妻の実家の戸籍に入る、あるいは妻が夫の実家の戸籍に入る事を言うそうです。なので、僕のケースは入籍にはあたらないわけです。「結婚」のもってまわった言い回しとして「入籍」を使うという風潮があります(この用法は俗語として一般的なので、最近は辞書にも載ってるみたいです……)が、そういうわけなので、僕は入籍という表現は意地でも使わないでおきます。
最後に、ここまであえて触れずにいましたが、本籍地についても説明します。
昔は戸籍と住民票が一体だったとかで、戸籍は住所ベースの管理になっていますが、戸籍と住民票が別々になっている現在では、本籍地とは単に「戸籍を管理する自治体がどこなのかを示す」という事以上の意味は無いそうです。居住地と無関係に決められるので、夫側実家と同じ本籍地にしてもいいし、妻側実家と同じにしてもいいし、千代田区1の1で皇居を本籍地にしてもいい(戸籍を取り寄せる時は千代田区の区役所に行く)し、スカイツリーでも屋久島でもなんでもオッケーです。
よく「本籍地はどっちかの実家と同じにしておいた方がいい」という話がありますが、これは、単に「管理する自治体が1箇所にまとまっていれば、手続きや戸籍の取り寄せがちょっとだけ楽になる」「本籍地が変わらない方の人は、本籍地が関係している登録を更新しなくて良い」というだけのことです。
仮に東京都E区の住所で新戸籍を作ったとすると、ヒロシ君が死んだ時は、東京都E区と鳥取県A市のそれぞれから戸籍を取り寄せることになりますし、ヒロコさんが死んだ場合、東京都E区と埼玉県C市の2箇所の自治体から戸籍を取り寄せることになります。これがニュートラルな状態です。
埼玉県の上田家の本籍地と同じ本籍地で新戸籍を作った場合、ヒロコさんが現在属している戸籍と、過去に属していた戸籍は、2つとも埼玉県C市の役所が管理しています。なので、ヒロコさんが死んだ時であれば埼玉県C市の役所からだけ戸籍を取り寄せればOKです。でも、ヒロシ君が死んだ時は、埼玉県C市と鳥取県A市の両方から戸籍を取り寄せないといけません。二人のうち片方だけは楽になりますが、もう片方はニュートラルな状態と何ら変わりません。
また、運転免許のように本籍地の情報がある登録情報は、本籍地が変わったら更新する必要があります。上記のように「上田家の本籍地と同じ本籍地に新戸籍を作った」場合、ヒロコさんは名前も本籍地も変わらないので免許は更新しないでオッケーです。それに対して、ヒロシ君の方は名前も本籍地も変わるので(どっちか一方だけ変わった場合もですが)免許を更新しないといけません。
僕の場合、夫側実家の本籍地で妻側の姓ってなんか違和感あるなーと思ったのと、妻側実家の本籍地で妻側の姓だとちょっと婿入りっぽ過ぎるかなーと思ったのと、いろんな意味でちゃんと独立したいなあ一人前になりたいなあという思いとで、心機一転するつもりで本籍地は敢えて既存のどちらでもない場所にしました。
どちらの実家も苗字については特に拘りは無い(家を継ぐとかそういうのは無い)ということだったので、姓については当人同士の意志でわりとすんなり決まりました。
というか、僕の元の苗字「下田」がぶっちゃけダサイというかショボいというか、敢えてこの苗字になろうという気が湧くようなものでもなく、僕自身苗字を変えられる物ならもっと格好いい苗字だったらよかったのに!と思っていたくらいだったし、妻さんにも「『下田』になるのはちょっと……」と言われてしまったしで、満場一致で妻側の姓という感じでした。
姓が変わることで色々大変なのかなーと思っていたのですが、実際なってみると、引っ越しとそれに伴う住所変更の時と気分はそんなに変わらないなあ……という感じです。事前にしなきゃいけない事なんて、元の戸籍を取り寄せて婚姻届の枠の中を埋めておくという事だけだったし。むしろ引っ越しより楽なくらいじゃないの?
元々、住所変更すら完璧にはこなしてなかった(郵便物の転送期限が過ぎて実家に連絡が行ってそれでやっと情報を更新したとかそんなのもあった)人間なので、結婚だからって気張って完璧に手続きを済ませられるわけがないのであります。なので、気がついた物からボチボチ名前を変えていこうと思っています。
……という風に思えるのは、戸籍上の名前イコール自分のアイデンティティ、という考え方をしていないからなのかもしれませんね。
僕は16で漫研に入った時にペンネームを決めて(先輩に決めてもらって)以降、13年間ずっと「Piro」の名義で色々な活動をしてきました。物心ついてから、という考え方をすれば「Piro」であった期間の方が長いくらいです。どっちかがシンボリックリンクでどっちかが本当の名前だ、というのではなく、どっちも等しくハードリンクという感覚だと思います。
よく「インターネットは仮想現実。ハンドルという仮名で、嘘の人格を装って交流する場所。そんなものにハマってないで、もっと現実を見ろ。」みたいな言い方をされるけれども、僕にとってはネットも現実の一部です。「現実」と、そこから切り離れた「非現実」があるのではなくて、ネットというインフラの上に「現実」が延長されている、そういう感じなので、僕はオフラインでもPiroという名前を使いますし、オンラインでも下田洋志という名前を使ってきました。名前毎に異なるペルソナを使い分ける、という事をしていない(つもり)のですよね。むしろ、ペルソナは名前よりも場(家だとか客先だとか)の方に結び付いている気がします。
名前が一つしか無かったら、名前が変わる事への抵抗はもっと強かったかもしれません。姓が変わった後でも変わらない、自分を自分でアイデンティファイする永続的な名前を持っていたから、それほど強い抵抗を感じずに済んだ、というのはやっぱりあるんじゃないかなと思います。それが良い事(制度に縛られない自由な感覚が養われたということ)なのか悪い事(伝統を蔑ろにすること、制度に順応「できていない」ということ、在る物に合わせるのを怠っているということ)なのかは分かりませんが。
以上、結婚のご報告でした。
キックボクシングのジムでやってるボクササイズとヨガのクラスに通い始めました。キックボクシングのクラスにも行ってみましたが、眼鏡を外すとまるで見えなくてお話にならないという事を痛感したので、キックボクシングをやるのはコンタクトレンズを付けられるようになってからかなーと思っています。
動機は主に健康面です。通い始めたのは健康診断の結果が出る前からではありましたが、健康診断の結果を見ると年々中性脂肪の値が高くなっていっていて、そういう風に数値で示されるまでもなく、ちゃんと継続して運動をしなければそのうち死んでしまう……と恐怖を覚えていた所に、ボクササイズをやろうと誘われたのが決定打になりました。
運動はキツい事はキツいのですが、毎日やるわけではないのでわりと楽といえば楽です。月謝を支払う立場なので「お金払った分行かなきゃ損だ」という思いもあって、その思いが辛さを上回る事ができるレベルといった所です。
むしろ「こんなんで効果なんてあるんかいな」と不安を覚えてすらいるのですが、僕より前から通っていた人から「2年くらいやってて、始める前に比べて10kg痩せた。1ヶ月1kgくらいのペースで落ちた。」という話を聞いて、無駄にはならないんだと思えて、ちゃんと続けようと改めて思いました(しかし今から2年後というと31歳なので、色々と遅きに失した感は否めません)。
そういえば今まで何度か「お金のかからない健康増進法」を何個か試してみていましたが、どれも長続きしませんでした。お金を払ってでもという事と、誘ってくれた人と同時に通っている(自分がサボっててもその人は通っている、という焦りを感じずにはいられない)という事、あと上記の話から、今回は長く続くといいなあ、長く続けたいなあと思っています。
今日行ったクラスはほとんどの参加者の方が女性で、男性は僕の他にもう1人しかおられなかったのですが、終わってシャワー浴びて汗を流した後に更衣室で2人きりになってしまって、これはむしろ話しかけない方が危険だ……と思ったので自分から名乗って挨拶をしたのですが、そのおかげで会話ができて上記のような話も聞けて決意を新たにできたので、慣れない事(自分から話しかける)をして良かったと思っています。
オチはないです。
おじやだか雑炊だかを作った後に連続で同じ物をというのも気が引けたので、趣向を変えてリゾットにしてみる事にした。簡単に作れるリゾットの素というのが世の中にはあるらしいと聞いていたんだけれども、行ったスーパーにはそういうのがなかったので、クックパッドのレシピを見ながらやってみる事にした。
1つ目の物を基本として、2つ目の方に出てきていたタマネギを加えた事と、もう少し野菜を入れるかと思ってニンジンを加えた事と、使ったバターが無塩バターだった事、あとパセリがなかった事が違い。
チーズは、前に何か作った時に買ったチーズがずっと残ってたのでそれを使った。このリゾット(風の何か)だったらそう手もかからないので、使い切れそうな気がしてきた。
家計簿の目的は「お金の出入りを記録して、自分が知りたい情報をちゃんと把握できるようにしておく事」ですが、そのためには「全てのお金の出入りをもれなく記録する事」、もっと言うと「ちゃんと記録し続ける事」が大前提になります。どんなに素晴らしい情報を引き出せる家計簿のフォーマットであったとしても、毎回の記入が煩わしいと記入が億劫になって、ちゃんと記録し続けるという事ができなくなってしまう。ちゃんと記録し続ける事を重視するなら、自分が使い続ける上で苦にならない記入フォーマットになってないといけないと思うのです。
かといって、知りたかった情報を引き出せないようでも困ります。僕の場合は「食費」「光熱費」くらいは抜き出して集計できておいて欲しい。でも入力はなるべく簡単にしたい、そうでないと長続きしない。
という事で、だいぶ前にそういうわがままなニーズを満たすための自分用家計簿スプレッドシートをODF形式で作ってみたのですが、この度Googleドキュメントに移行する事にしましたので、Googleドキュメント版のSpreadsheetのテンプレも公開しておきます。
どうすれば記入が長続きするだろうか? いっぱいレシートを溜め込んでしまった時でも続けて大量に記入しやすいだろうか? という事を考えて自分はこのスタイルに落ち着きました。分類がドロップダウンメニューではなく自由入力になってるのは、「交際費且つ食費」とかそういうケースに対応したかったのと、キーボードからの連続入力で省入力候補とかのIMEによる入力支援がある状況ならこっちの方が便利なんじゃなかろうか?と思ったのが理由です。
ポイントはG列から右の部分で、「分類」の所にざっくり入力した内容をG列から右の所でIFやら何やらの関数を使って集計して、その上で月ごとの食費等を出すようにしています。「食費」と書いても「食事」と書いても大丈夫なように、分類は文字列の部分一致でマッチするようにしてあって、G列から右の部分をコピペで増やしたり7行目のマッチング対象文字列を書き換えたりすれば、他の分類にも対応できるようになってます。
イブが終わって世間のクリスマス気分がすっかり終わった間のある今日になって、半分はヤケで、クリスマスらしい料理という物を作ってみようと思い立ったのです。
これならできるんじゃないか……?と思った物を適当に3つほどピックアップした。
結論から言うと、まともにできたのはミートローフだけだった。これは電子レンジとクッキングシートとボウルと包丁とまな板と皿があればそれでできて、時間も手間もかからないし失敗もない。素晴らしい。日常的に作って全然アリだと思った。
フードプロセッサーもジューサーもミキサーもないのにポタージュスープ的な物を作ろうというのは間違いだった。レシピをよく見ないまま作り始めて途中でそれに気がついて、おたまの底とかスプーンとかを使って何とか材料を細かく潰そうと頑張ってみたんだけど、どうも粒が残る。調理器具を手に入れたらもう一度やってみたい。
あとお菓子。ホームベーカリーとか無いし素材をあらかじめ暖めておくのも忘れてたしオーブン機能のあるレンジもなくてオーブントースターしかないしで、これも散々だった。菓子作りは計量が命だというのをどこかで聞いた記憶はあったのでそこだけはちゃんとやったけど、無塩バターじゃなく普通の塩入りバターを使ってしまったし、どうにも生地がベタベタしたままだし、手持ちの道具はオーブントースターだけだし、ハケも持ってないし(Jetpackを作った時に使った物はさすがに使えない)、で、なんかよく分からない物ができあがった。思ってたほどは酷くはなかったけど、その後で普通に買ってきたケーキを食べたらそっちが死ぬほどうまかったので、プロの人はすごいなあと思った。
どれも作るの初めてだったし3種同時進行というのも初めてだったし、世の中そううまくはいかないものだなあということを実感したのでした。364日フライングで練習したということで、この経験を活かせる時が来る事を願う。