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「かわいい」という評価を表明するのは悪い事とは限らない、と思えるようになったことについて - Mar 31, 2015

女の人の容姿を評価するのをためらうという過去のエントリがにわかに参照されだしたようで、これ7年前に書いたやつなんだけど、改めて読み返してみた。そしたら、当時に比べて今は、女の人の容姿を「かわいい」と評価することにそこまでの抵抗を感じなくなっているなあ、と改めて思った。

当時どうして自分が他者の、特に女の人の美醜を評価することについて抵抗があると感じていたのかについては、要約すると「自分にそんなことを言える権利など無い」みたいな見解だったようだ。では、今はどうか。自分に自信を持てるようになったから他者の美醜を軽々しく言えるようになった、のだろうか。

異常に自信がなかったから言えなかったのが、人並みの自信を持つようになったから言えるようになった、というのは確かにあると思う。でも、だからといって、誰彼構わず「うわ、ブサイクだな」とか言い放つほどに横柄になったとは思ってない。そういうのは表明しないで飲み込む程度には弁えてるつもり。

それだけでなく、自信以外の部分で考え方が変わった部分があるからではないだろうか、と自分では思ってる。具体的には、「かわいい」という事はもっとカジュアルに賞賛されてよいと今では考えていて、それは、差別性のないフレーズとして使って支障がないという認識と、Facebookの「いいね」と同程度にカジュアルに使って良いという認識、そして、言わない方が失礼と言えることすらあるという、3つの理由があると思っている。

まず、「カワイイは作れる」というフレーズを知ったという事。それまで僕は、例えば橋本環奈のように素材が非常に良い物だけをカワイイと言い、そうでないものはカワイクナイと言うのだ、カワイイか否かは先天的なものでまずふるいにかけられるのだ、と思っていた。なので、「誰某はカワイイ」と言うのは、「誰某は白人で、だから良い」みたいに言っているのと同じように、生まれ持った性質を褒めているという事で、その性質を持たずに生まれた人にとっては本人の努力で乗り越えられないような差を殊更肯定する、差別性を持った表現だと思っていた。でも「作れる」となると話は違う。可愛くなりたい・可愛くしたいと思った人が努力できて、努力した分だけ確実に「可愛く」なり得る。そうした成果や経過を褒めることに差別性はないと言える。(そんなマガイモノをカワイイというのはおかしい、と思う向きもあるかも知れないが、マガイモノの極致の二次元美少女をカワイイと褒めそやしている人間にそんなことを言う資格はないだろう。)

それと、今はもう放送が終わってしまったけれども、NHKでやってた「東京カワイイTV」という番組。この番組では原宿的な文化圏を中心としつつも様々な価値観の「カワイイ」を紹介していて、世の中には様々なベクトルの「カワイイ」があり得るのだという事を僕は知った。番組パーソナリティの沢村一樹さんが最終回で「理解する必要はない、理解できなくてもいい。とにかく、否定しないことが大事」といった趣旨の言葉を述べていたと記憶しているけれども、そうして大局的に捉えれば、ガングロも「カワイイ」、ロリィタも「カワイイ」、コスプレも「カワイイ」、ギャルも「カワイイ」、なんでもカワイイ。あるベクトルでカワイクナイからといって、別のベクトルでまでカワイクナイということは意味しない。ある物をカワイイと評したからといって、他がカワイクナイという事は意味しない。そう思うようになった。

あと、コスプレイヤーの人達の考え方を知ったのもある。僕は以前は、「自分大好きだから、カワイイカワイイと言ってもらいたくて、それを引き立てるための衣装を着て大衆に媚びて耳目を集めているのだ」と思っていた。確かにそういう人もいないではないけれども、それだけではない、「作り込んだ3次元の作品を見せびらかしたい、自分自身はその素材として使っているに過ぎない」というスタンスの人もいると知った。そういう人達はより良い作品作りのためにメイクアップであったり衣装作りであったりを頑張っているわけで、その努力に対する正当な評価としての「カワイイですね」は、言って何ら悪い物ではない。(同じ事が、普段のメイクや服選びにだって言える。)

総じて、今僕が使う「かわいい」は、「かわいさという1つの基準において他より勝っている」という相対評価ではなく、「これにはユニークな価値がある」という絶対評価としての性質が強くなっているのだと、自分では思っている。そんなわけで、実際に口にする機会はそれほど無いけれども、女の人に対して「カワイイ」というフレーズを使うことに今ではそこまでの強い抵抗感は感じなくなっているように思う。

まあ、誰彼構わず言いまくったらセクハラになるとか、そういう別の問題はまたあるわけだけれども。

分類:出来事・雑感, , 時刻:17:26 | Comments/Trackbacks (0) | Edit

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