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ボーイズ・オン・ザ・ランは誰の物語か - Sep 30, 2006

こちらの書評を見て、昨日4巻を読んで感じたものについて説明が付くような気がした。

リンク先の人は、本作において描かれる出来事がどれもこれも「主人公・田西の知りうる範囲」に限定されていることを指摘している。「心の声」を使ってヒロインの心理を読者に示すといったことを、おそらく意図して避けている。ヒロインの内面を描かないというのはよくある話だけれども、本作ではそれが徹底されていて、周囲の人の思っていることも全然描かれていない、と述べている。

でも4巻では、青木・内木の二人と会ったときのシークエンスで捨てキャラのオタクの内面が描かれている。もし作品の内容を「田西の見ている世界」に限定しているのだとしたら、これはその枠からの逸脱である。これはどういう事か。

そのヒントは、作者・花沢健吾氏へのインタビューの中での受け答えにあると僕は思う。

このインタビューでは、「ルサンチマン」において主人公の勤める印刷所(ウオト印刷)での日常は非常にリアルなのに、アンリアル世界の学園生活はリアルさがまるで無い、という点について指摘している。それについて花沢氏は、自分の中に経験がなかったから上辺だけしか描けなかった、と答えている。

この事から僕は、こう考える。「ルサンチマン」では想像で上辺だけをすくって描いていた事も、「ボーイズ・オン・ザ・ラン」では上辺すら描くことを放棄している。その代わり、作者の知っていること・リアルに想像できることだけは、とことんリアルに描いている。作者自身の見た・作者の解釈した世界を描いている。そして、その解釈の仕方はあまりに僕自身と似通っている。

想像上のキャラクター、仮想の人格「田西」の認知する世界、現実感のないニセモノの世界ではなく、現実の人間「花沢健吾」の認知する世界、氏が感じたままの現実世界が、漫画という表現形でまさにそのまま描写されていたから、僕は強く精神を引き込まれて、吐き気まで感じてしまったのではないだろうか。「リング」における貞子のまばたきが記録された呪いのビデオと同じように、異様な臨場感と没入感を僕に与えたのではないだろうか。

そして作者の認識した世界であるからこそ、作者が関心を持たない青木や内木、町の不良といった「モテ系の男」は、どこまでも嫌な奴で暴力的であるはずだというステレオタイプな見方に則って描かれ、それ以上踏み込まれないのではないだろうか。他方、作者にとって関心が大きいちはるやしほといった「女性」は、肝心なところでは優しくしてくれるという理想像で描かれると同時に、どこまでも訳が分からない存在であるという妙にリアルな存在としても描かれるのではないだろうか。

本作は、作者の情念が極めて明確に、プリミティブな形で表現されたものなのではないだろうか。

分類:レビュー・感想 > マンガ, , , , , 時刻:11:09 | Comments/Trackbacks (0) | Edit

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