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O君はバーバリーでカバンを選んでいたんだけれども、二つのカバンをとっかえひっかえしながらどっちがいいかで悩んでる彼を見て、僕はこらえきれなくなって涙があふれて泣き出してしまった。
似たような所にいたとばかり思っていて、僕と相変わらず友達でいてくれてる彼は、しかし、ここ数年でもう、僕の手の届かない遠い世界に行ってしまった。僕には分からないようなハイレベルの所で物を選んでいる。僕なんて、彼が選んでいる物のどっちを買ったところでどうせ使いこなせないし着こなせない。僕はかつて、脱ヲタした別の友人を見て、「彼にもできるんだ、僕にもできるんじゃないか?」と思った。でも昨日は、商品を手に取って選ぶ友人の姿を生で見て、「ああ、僕は彼には永遠に追いつけない。大きく引き離されてしまった」と思った。
それで恐怖と悲しさと焦りと情けなさと悔しさと諦めと羨望と嫉妬と絶望が心の中で急激に膨れあがって、ついに涙となって溢れてしまった。いい年こいたオサーンが人前で涙目で鼻すすり上げてんの。キモイね。キモイにもほどがあるね。
何より大きな、そして絶対追いつくことのできない差は、それで僕のことを慰めてくれる彼の懐の広さだろう。そんな人間にどうすればなれるのだろう。これが分からない限りきっと僕はずっと、怯えて生きていくことになるんだろうな。
脱ヲタしたいと願う人の性格にも色々あると思うけど、僕みたいに激しい劣等感と歪んだ優越感と空虚な自尊心ばかりの人間が人を頼って脱ヲタを望むとしたら、こういう負の感情をいかにコントロールしきるかが大きなポイントになるんじゃないかという気がする。
いつも興味深く拝見しています。
人を頼る「脱オタ」に限らず、そもそも「非モテ」であることの辛さの根源は「激しい劣等感と歪んだ優越感と空虚な自尊心」なんではないでしょうか。無論私もそうです。ですから、ここを克服できればもはや言い得ぬ辛さを味わうことはないはずで、「脱オタ」をする動機の半分はなくなっています。
つまり何が言いたいかというと、順序的には逆であって、「激しい劣等感と歪んだ優越感と空虚な自尊心」を克服するためにこそ「脱オタ」をするのではなかったのだろうか?ということです。
しかしいずれにしましても、万難を排して「脱オタ」のために行動する、と決めておられる Piro さんは、既にここから這い上がれる状況におられるように、傍目からは思います。後は時間の問題ではないでしょうか。「差別主義者予備軍」の記事で書かれていたことは、些か悲観的過ぎるように、私には思えました。
何だか偉そうなことばかり書いて申し訳ありません。
>つまり何が言いたいかというと、順序的には逆であって、「激しい劣等感と歪んだ優越感と空虚な自尊心」を克服するためにこそ「脱オタ」をするのではなかったのだろうか?ということです。
動機的にはそういうところもあるんですよね。ただ、
http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2006/01/post_c239.html
では、服装面の脱ヲタだけでは結局それらを克服できないという可能性も示唆されていて。
>しかしいずれにしましても、万難を排して「脱オタ」のために行動する、と決めておられる Piro さんは、既にここから這い上がれる状況におられるように、傍目からは思います。
問題を解決しようという動機を抱くことは、十分条件ではないにしても、必要条件ではあると思いますね。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2006-01-23_delta.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
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