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満たされぬ思いが果たされた時に感動する - Oct 10, 2005

分かった。自分がしたいのにできないことを、自分に代わってしてくれる人を見た時に、僕は感動するんだ。

電車男もう一つの最終回スペシャルで僕はどこに感動したのか。最後の、阪神タイガース応援男がギター男の応援演説をするところに感動した。では、僕は何故それに感動したのだろうか。

最初に考えたのは、応援という行為そのものに感動したという仮説。3.3.7ビョーシ!!という、応援団員を主役に据えた漫画は好きだった(途中から読んでないけど……)し、Swing Girlsでも、一度は見捨てたメンバー達が帰ってくるところで感動した。逆シャアでは、アクシズ落としを阻止するために敵味方力を合わせるところで感動した。

だが、この仮説には穴がある。感動できない応援もあるからだ。例えばスラムダンクで赤木晴子は流川楓を応援しまくっていたが、僕はその姿を見て感動はしない(それどころかむしろイラつく)。だから、応援そのものが感動と結びつくのではないということが分かる。

次に考えたのは、その応援が身を挺してのものだからという仮説。電光掲示板の前で叫ぶことも、若者ウケしないジャズという活動に戻ることも、世間からの冷たい視線に晒されるリスクがある。アクシズ落としの阻止なんて、命すらかけた行動だ。それでもなお手を貸すということは、身を挺しての行いと言うことができる。その自己犠牲の美しさに感動するのではないだろうか。

だが、それは少々考えすぎであるようにも思う。そもそもちゃらちゃらした遊びから音楽活動に転向したところで、それで死ぬほどの非難を浴びるわけではない(時代にもよるかも知れんけど)。

そこでさらに考えたのが、その行動が珍しいからであるという仮説。人は自分の身を挺して他人に力を貸すことはあまりない。つまり自己犠牲は珍しいものだ。珍しいものを見たから、僕は感動したのではないか?

しかしそれも違うようだ。珍しいだけで感動するのなら、「スパゲッティを鼻から食べる若い娘さん」なんてものを見た日には珍しさのあまり卒倒するだろう。よって、単純な珍しさで語れるものではないことが分かる。やって欲しい珍しい行為と、やって欲しくない珍しい行為というものがあるのだ。主人公桜木花道に感情移入している読者は、憧れの人にはライバルである流川楓を応援して欲しくはないし、それよりも、自分の代理人である桜木花道を応援して欲しいのだ。

つまりこの仮説はこういう仮説になる。「他の誰もしてくれないけれども自分は望んでいる、という行為をしてくれる人」に、人は感動するのではないだろうか。

だが、これだけではまだ不完全だ。他の誰もしてくれないけれども自分は望んでいること、を一番してくれそうなのは、他ならぬ自分自身だ。じゃあ自分ですればいいじゃないかってことになる。

だが、そうもいかないことだってある。画面内で繰り広げられるドラマに僕という人間は介入することはできず、ことの成り行きを見守ることしかできない。僕がして欲しいことを、僕はすることができない。

また、現実世界での出来事に目を向ければ、自分でしたのでは満たされない要望というものもある。その代表が、恋愛というものだろう。これは、自分の手ではなく誰か他人の手によってそれをして貰わなくてはならない。自分自身が、自分ではない他人の立場から、自分を愛するということは、絶対にできない。それを自分に代わってしてくれる他人が現れたときに、感情が満たされ、感動が生まれるのではないか。

我々喪男が持っていがちな病、「自分を好きと言ってくれる人を好きになる病」も、これで説明がつくのではないか。自分を一番好きなのは自分自身だ。しかし世間的には、自分で自分のことを好きな奴、自己愛が強い奴は、他人との付き合いができない者として蔑まれる。そこで自分のことを自分に代わって好きと言ってくれる人が現れたときに、「自分では決してできない、他人の立場から自分のことを認めること」という欲望が満たされ、満足して感動するのではないか。

そう考えれば、映画などでの感動にも説明がつく。

視聴者はギター男に感情移入して、彼が報われることを願いながらも、先の展開は絶望的であった。そこに、「ギター男には報われて欲しい」という視聴者の要望に応えてくれる助け船がやってきて、思いが果たされる。あるいは、視聴者が感情移入しているアムロがたった一人でアクシズを止めようとしているのに、敵も味方も自分たちの戦闘に必死で誰も助けてはくれそうにない。そんな状況で、味方のみならず、本来なら助ける側には絶対に回ってくれそうにない敵方までが、手助けしてくれるという奇跡が起こる。

……なんだ、結局、これらの感動はすべて自己愛の代行に行き着いてしまうのか。

また一歩、絶望に近づいた!

分類:モテ・非モテ・恋愛・自己承認, , , 時刻:03:47 | Comments/Trackbacks (0) | Edit

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