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これで泣かないのならというエントリで紹介されている山下達郎のPV映像について「これで泣けるかどうかが真性非モテかどうかの境目なんじゃないの」と書かれていたので、見てみた。
ボロ泣きしましたが何か?
このPV映像の受け取り方には2種類あると思う。一つは、この女性を「過去に現実にいた人物」とする考え方。もう一つは、「男の妄想が生み出した架空の人物」とする考え方。まりねこ氏は前者の受け取り方をされたようだけれども、僕はナチュラルに後者の受け取り方をした。
そして後者の受け取り方をした場合、このPV映像の意味は前者の受け取り方の場合とはおそらく逆転する。
――こういう歪んだ受け取り方をするっていうことが、もう、真性非モテということなのかもしれない。
追記。元エントリに寄せられた益田氏のコメントを見て、なるほどメタ的に見ればそういう捉え方もあるか、と思いました。しかしさらにもう一段メタの見方を進めて、「山下達郎やPVに出演している人をはじめとしたモテ界の人々が、このような人生の末路を敢えて描くことで、真性でそのような末路を歩んでいる・歩もうとしている・歩みかねない人の人生そのものを戯画化している」、そのことに悔し涙を流す、という捉え方も有りなんじゃないかなと思いました。というか、どうも僕の見方というのは元々こちらのスタンスに近かったようで、この事を改めて認識すると、さらに悔し涙がこみ上げてくる思いです。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2006-05-06_humie.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
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