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試合では勝ったのに、眉毛を剃ってたから負けにされた(念のため書いておくと、ルールにそれは明記されていたそうだし、関係者はこの処分を受け入れているそうだから、それについて他人がどうこう言う筋合ではないのだろうね)という話を見ていて思ったこと。
どうして眉剃りが禁止されなくてはならないのだろうか。
彼らが眉を整えることに悪感情を抱くのは、何故なのだろうか。
親からもらった体に手を加えることが良しとされないから? だとしたら髪も爪も切ってはいけないし、女性の(男もだけど)「無駄毛処理」は言わずもがな。それらを認めるのならこれも認めないと説明が付かない。
眉を整えなくてはならない必然性がないから? 現代において「野暮ったい外観」であることは明らかに不利益につながり、それを避けるためなのだから、必然性はある。
子供のするべき事ではないから? なるほどそれが一番もっともな答えだ。子供は「未熟な大人」であるから、成人するまでは人権は無く、保護者の胸三寸で全てが決まる。合理的な理由で納得させる必要など無い。保護者が気に入らないからダメ、ただそれだけで充分正当な理由になる。そういう理屈なのだろう。
ルールに意味はない。ルールを守らせる事にこそ意味がある。ルールは意味がなければないほど良い、なぜなら、無意味なルールであっても守らせることができるというのは、絶大な影響力を持っていることの証拠だから。
大人が子供に対してどうでもいいルールを押しつけてくるのは、社会が構成員にどうでもいいルールを押しつけてくるのは、彼らが相手に対する自分達の優位性を確かなものにしたいからに、他ならない。
反抗を許すということは、権力の崩壊を意味する。相手の人権を認めるということは、絶対的な支配力の喪失を意味する。
議論の余地も、対話の余地も、そこには無いんだよね。「こんなくだらないルールを律義に守ってるこいつらはどうしようもなく愚かだねプギャー」こう言いたいということが、本質なのだから。
エントリそのものがどうだというわけではないんですが、フィードリーダーで見たらかなりキチガイじみた絵面でビビりました。
どんな絵面になっていたのか気になる所です。
Piro さんっていろんなところに出没されてるんですね。
いやぁ、それにしても私たち大人って本当に子供たちに沢山悪い見本を見せてますねぇ。まったくまったく。
あ、忘れてましたですよ「大人」っていうのは「大きい人」であって、子供より優れた人という意味でないって事を。
えっ?わが家ですか?わが家では正直に「大人っていう人種は世の中に存在しないんだよ」って娘に教えてますよ。やっぱり事実は後の世代に正しく伝えないといけませんからねぇ(毒笑
P.S
下の欄の認証入力で、今の日本の首相の名字を「おおやま」にしたいんですけどだめでしょうかねぇ。「暴れん坊将軍」でもいいんですけど。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2006-08-04_mayu.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
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