宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
誰を見ても、真っ先に思うのは「その人のどこが自分にとって気に入らないか」という点だという邪悪な考え方の持ち主で、しかしそのような考え方が社会的に許されざるものだということは知っていて、それ故に「自分はこう考えるべきである、そのようには考えないべきである」という風に理性で自分の考えを常に矯正しつづけていて、しかし疲れやストレスや酒などでタガが外れると途端に抑えが効かなくなってしまう、そして後から「ああ、またやってしまった、また他人を傷つけてしまった」「また自分の評価を落とすような事をしてしまった」と後悔し、「もうしないようにしよう」と反省する、という事を繰り返す人の「性格」とは、邪悪なもののことを言うのか、それとも、理性的なもののことを言うのか。
偽らざるそれこそが「性格」なのか、偽られた後のものも「性格」なのか、偽ろうとする性質そのものこそが「性格」なのか。
おそらく正解は、「邪悪な本質と、偽られた表層、それから、表層を偽ろうとする性質」それら全てをひっくるめた物が「性格」なのだろう。いずれか一つを選択することは、他の要素が彼の「性格」には含まれていないのであると結論づけて自分を納得させるための、切断処理に他ならない。好きな人・身近な人をより好きに・身近に感じるための、あるいは、嫌いな人・思考の蚊帳の外に置いておきたい人をより嫌いになり、彼は自分と全く別種の理解不可能な存在、エイリアンであると感じるための。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2006-11-18_personality.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
writeback message: Ready to post a comment.