宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
寝高の広場というブログにおいて、2007年度から色々変わるようだという話が書かれていた。
とかなんとか。
実際自分の身の回りを見ても、現役合格できなくて浪人した人とか結構いるし、自分自身数学と物理は赤点以外取ったことなかったし、「成績の低下が著しい」と言われると、ぐうの音も出ないわけですが。
しかしまあ、卒業してから何年も経ってるし、実際に今の空気を吸ってるわけじゃあないから、何か言う権利が自分にあるのかっていうと疑問だけど、とりあえず思ったのは、「今の校長ってずいぶん無能なんだね。教員も。」ということ。
いや、昔が良かったかどうかは知らないんだけど。自分自身がナントカ委員とかの仕事をやる中で、それなりに自主性を育まれてきたんじゃないかなあとは思っていて。それは結局錯覚だったのかもしれない、いつも本当は教員がケツ持ちしてくれててその掌の上で踊ってるだけだったのかもしれないけれども、物事に自主的に取り組むという事のトレーニングには、なっていたような気がする。
それが無ければ僕は、もしかしたらMozillaの拡張機能を作ろうと思うことも、大学で新しいサークルの立ち上げに参画しようとすることも、無かったのかもしれない。
そう。所詮は大阪府立の公立校なんだし、生徒の自治なんてのは幻想でしかない。たかだか16〜18のガキ共に、自分のみならず他人をも律する力が、ある訳もないのだから、本当の自治を認める必要は必ずしも無いと思う。でも、そのトレーニングくらいはさせておいていいだろう。幻想くらいは与えておいていいだろう。僕自身は、その幻想にうまいぐあいに踊らされていたように思う。それが僕の礎になっていると思う。
そういう風に掌の上で生徒達を踊らせながら、しかしコントロールするべきところはきっちりコントロールしきって、学業を疎かにさせない。授業を聞かない生徒がいるのは自分の授業がつまらないからだ、ということを自覚して、生徒が勝手にのめり込むような授業の組み立てを意識する。そういう有能な教員が、もう、いないってことなのかな。僕が現役生だった頃もそういう人は決して多くはなかったけれども、状況が一段と悪化してるんだったら、もう、この学校はダメなのかもわからんね。成績も低下して、前述のような幻想を与えることすら放棄してしまって、もう、いいとこ無いんじゃね?
そういう意味で、数学の廣江先生は印象に残ってます(超ローカルな話題キタコレ)。他の人はどう思ってたか知らないけれども、僕は割と好きでしたよ。
無能ですね。
「教員も。」の部分は消したほうが良いかと思います。
足枷はめられた状態の方々にとって、これは酷ですよ。
「教員も。」というのは、主に「授業を聞かない生徒がいるのは自分の授業がつまらないからだ、ということを自覚して、生徒が勝手にのめり込むような授業の組み立てを意識する。」のあたりにかかっています。決して、「校長の傀儡に成り下がりおってからに!」という意味でだけ書いたわけではないつもりでした(そういう意図が若干あったことは否定できませんが)。
まあ確かに、それだけのことをやるには気力体力共に必要でしょうから、酷い職場環境におかれた教員の方々にそんな「いい仕事」を求めるのは、酷といえば酷かもですね。
このフレーズは中学校教員の父がよく言っていることで、自分も同意なので書かせてもらいました。まあ父の教科は主要n科目ではないので、割とお気楽な立場にいるからこそこんな綺麗事をぬかしていられるのかもしれませんけどね……
寝屋高に限らず、高校生は学校の中だけが社会全体なような意識でいると思います。そういう意識の中で実際、校長先生にたてつくのはなかなか難しいと思います(停学や退学という処分権限は学校当局にあるわけですし)。
そういう高校生には学校は閉鎖社会ではなく広く社会の中で活動している組織であり、必要であれば学校の外からの援助もありうるということを知っておいてほしいと思います。
校長先生が無能かどうかは判断が難しいところですが、今回の決定については安易だなぁ、と感じます。塾なんかでは面白い授業があったりするわけで、高校出学習指導要領があるとはいえ、それが面白さに対する足かせになるとは思えません。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2007-03-02_neyakou.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
writeback message: Ready to post a comment.