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やりたいことと、やってみたいことと、やれること、やり続けられること - Jan 22, 2008

ほぼ日刊イトイ新聞の、フリーランスの人4名「ザ・グレート・フリー」による対談記事の中で、「やりたいこと」と「やってみたいこと」の違いの話を見て考えさせられた。

深く深く考えてみると、「やりたい」と思っていることのうちの多く、例えば現実に今自分がやってないことなんかは、どれもこれも全部「やってみたい」の域を出ていないんじゃないかと思う。特に恋愛関係、異性関係のこと。「彼女が欲しい」「交際がしたい」「デートがしたい」「手を繋ぎたい」「キスしたい」「セックスしたい」「子供をつくりたい」「結婚したい」云々。僕は本当に「それをやりたい」のか? 「やってみたい」だけなのと違うか? 「やってみたい」という興味本位の動機で他人の人生にまで関わるようなことをするなんて、迷惑も甚だしいのと違うか? 対談で出てきているような話だって、出資金を誰かに借りるんだったらそれもやっぱり他人に関わることになる。人を雇うのなら、その人の人生設計に多少なりとも関わってくる。途中で投げ出せば、自分を「信じて」金を払ってくれた人に損害を与えることになる(会社が新入社員に払うお金のほとんどは働きへの対価ではなく教育費用だと言うくらいだし)。

でも、なんでも結局興味本位だっていうのはある意味当たり前のことなんじゃないの? とも思う。だって、リンク先の対談で言われてる「やりたいこと」というのは、もっと言えば「やり続けたいこと」ということでしょう。「やってみ」ないで「やり続けたい」かどうかなんて判断できっこない。やったこともないことについて「自分は一生をそれに捧げられる」なんて言える人を、僕は信用できない。僕は保守的な人間だから、その人が過去に何をやってきたかを通じてしかその人を信用することができない。

思い起こしてみれば、今自分が仕事にしているプログラミングだって、発端は「やってみたいこと」でしかなかった。パソコンも持ってなかった頃に学校の図書室でプログラミングの本を読んで「やってみたい」と思って、実際にやってみて、ある程度までのことはできるようになって、でも世の中にはもっとすごいことをしている人がたくさん沢山いて、僕にできることなんてたかが知れてると思い知った。それから何年かのブランクがあって、僕の中ではプログラミングはむしろ「できれば、やりたくないこと」になっていた気がする。けれども、やらざるを得ない状況になって、他にやってる人もいなかったからそのままやり続けて、今に至っている。

1000人スピーカプロジェクトの時の話で、「『上手くなってから見せるよ』と言ってる間は上達しないんじゃないの」みたいなことを書いた。それと同じで、「本当にやりたいことが見つかってから、それをするよ」なんて言ってたら何もできないんじゃないの? 何もやりたくならないんじゃないの? 何もし続けられないんじゃないの? という風に思う。

さて、自分の「やってみたかったこと」は、「やってみた」今、「やり続けたいこと」になっているんだろうか?

分類:出来事・雑感, , 時刻:04:49 | Comments/Trackbacks (0) | Edit

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