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説明すること、理解を求めること、自分が相手を理解すること、目を逸らさず自分の非に向き合うということ - Feb 26, 2018

sp.13b【ゲスト: pupupopo88】楽しいよちよちRubyistがコミュニティに貢献する理由 | しがないラジオの中でKPTの導入の話があった。KPTとは、今取り組んでいることに対して何かのタイミング(定期的に、が基本)でKeep(よかったこと、今後も続けること)・Problem(よくなかったこと、改善が必要なこと)・Try(改善案、Problemを取り除くための次の取り組み)の3つの観点で振り返りを行う手法のことだけど、これを使って会社の中で物事を改善していくにあたって「問題・対・私達」という姿勢が大事という事が話されていた。それで思い至った話なんだけど。

そもそもなんで敢えて「問題・対・私達、という姿勢で取り組まないといけない」なんて事を言わないといけないのか。言い換えれば、なぜ敢えてそういう風に言っていかないと、我々は、すぐに「えっ困ってる? それ君個人の問題だよね、俺ら関係ないよね?」と考えてしまうのか。

我々って誰だ。KPTでの改善が必要なくらいに、問題が解決されないままになってしまっている集団に属している人々、だ。なぜ問題が解決されないままになってるのか。誰もが自分で責任を引き受ける事から逃げ続けているからだ。自分で責任を引き受けるとはどういうことだ、「それ君個人の責任だよね」と言うことと何が違うのか。まったく違う。「それは君個人の責任じゃないね。そういう事が発生してしまう状況を放置してきた我々(その一員である自分)の責任だね。だから私もこの問題の解決に取り組まないといけないね」、こういう姿勢が要るってことだ。

「問題・対・私達」という考え方で問題に取り組むためには、今まで個人に責任を押しつけて自分は無関係だと無視を決め込んでいた自分を改めないといけない。そういう駄目だった自分がいたという事実に向き合わないといけない。

 

しかしなぜこうも、我々は問題を個人の責任に帰結しようとしてしまうのだろう。僕は、「そういう教育を受けてきたから」「大人がそうしているのを幼い時分から見てきて、そうするのが当たり前と学んできたから」なのではないかと思っている。

こういう話題になったときに僕が決まって思い出すのは、幼い頃の「言い訳するな、他人のせいにするな」と「怒ら」れ「反省を強いられた」体験だ。いや、事実としてそうだったとは限らなくて、主観的にはそう感じられたという事なんだけど。いちいちハッキリ詳細に覚えているわけではないけど、自分の思う正義とか道理とかがあって、それに反した事を頭ごなしに押しつけられて、弁解の余地も与えられなかった、そんな体験の記憶がある。ちゃんと自分が悪かったと納得していたら、こういう記憶の残り方はしなかったのではないだろうか。納得できないままただ反省の言葉を述べることを強いられた、という終わり方だったからこそ、そう記憶しているのではないだろうか。

僕が度々紹介している本で、反省させると犯罪者になります(著:岡本茂樹)という本がある。というか、「反省」というフレーズが関わるような場面での僕の考えや発言のかなりの部分はこの本の影響を受けている。刑務所で犯罪者の更生に関わっていたという人の書いた本なんだけど、「形式的な反省を重視して、本人の納得を軽視する」事は何の解決にも改善にもならない、なぜなら本人が納得しないまま反省のポーズを取ることだけを求めると、処世術としてポーズを取ることだけを覚えるからだ、というような事が書かれている。

そこから考えを発展・一般化させると、こういう事が言えるのではないだろうか。
形式的な反省を強いることは、問題の本質と向き合わずにただその場をやり過ごす(反省のポーズを示す)という処世術や、それを良しとする姿勢を養う。
問題の本質と向き合わずやり過ごす最も簡単な方法は、問題の発生をその問題に直面した個人の責任に帰結させること。
問題が解決されることそのものよりも、「責任を認めた個人がいて、その人が反省して以後改めると言った」ということの方にばかり注目する、そうして「やり過ごす」事が重なっていく。
その結果として、様々な問題が解決されないまま放置され続け、深刻化していくのではないか。
仕事の現場以外での社会の問題、例えば生活保護受給者の自己責任論も、ワープア派遣労働者の自己責任論も、この延長線上にあるのではないか。

 

べつに、何でもかんでも組織や社会のせいにして個人の責任をうやむやにせよと言いたいわけではない。問題の本質を深掘りしていくと、組織やシステムのせいである場合も、個人のせいである場合も、どちらもありうると思ってる。大事なのは、「個人のせいにすればいい」あるいは「システムのせいにすればいい」のどちらか片方に決めつけてしまうという思考停止、をしないこと、ちゃんと問題の本質を理解すること、だと思う。

人には防衛機制という物がある。本当に自分に責任がある事でも、まずは責任転嫁して「自分のせいじゃない」と考える傾向がある。そのため、認知を歪めて世界を自分に都合のいいように解釈してしまう。そしてこれは、問題を起こした人本人だけでなく、その人に関わる周囲の人にも同じ事が言える。その問題が引き起こされた原因はもしかしたら、自分(周囲の人)が属しているシステムの方にあって、その人本人はたまたまその皺寄せが表出するときに居合わせただけなのかもしれない(し、そうでないかもしれない)。問題の本質に近付くためには、双方の対話を通じて慎重に認知の歪みの存在を炙り出して、それを取り除いていかないといけない。どちらか片方でもその姿勢が欠けていれば、途端に本質から遠ざかってしまう。

本質に辿り着いていないままの状態でする議論も対策も、すべて無意味だと僕は思う。本質と離れた状態のままで議論しても、本質が分かっていない分、必ずその結論には歪みが生まれる。プログラミングで言えば、ロクな調査もしないでworkaroundを重ねるのと同じだ(こういうのをカーゴ・カルト・プログラミングと呼ぶという事を僕は最近知った)。問題の真の解決を図るためには、物事や世界を良くしていくためには、問題の本質と徹底的に向き合う事から逃げてはいけない、と僕は思う。

偏見、決めつけ、思い込み、認知の歪み、自分はそういった物に影響され間違った事を度々してしまう残念で平凡な人であるという事を、歳を重ねるごとに思い知らされる感じがある。「できた人」「有能な人」では決してないから、「そういう駄目さをカバーしてちゃんと問題の本質に近付くために」いろいろ工夫して仕組みを作っていかないといけない、そんな気がしている。


僕が常々「正確な説明」とか「分かりやすい説明」とかを心がけているのは、そういう思いが根底にあるからなのではないかと思う。本質の理解を避けて表面的な丸暗記だけに留めてしまうと、応用が利かず、教わったたった一つのやり方を、本来適用するべきでない場面にまで適用してしまい、事態を悪化させてしまう危険がある。そう思っているから、僕はシス管系女子ではできる限り「おまじない」的な思考停止を促すような説明を避けているつもりだ。

別の事例で、僕が公開しているコードに寄せられたプルリクエスト に対して、たった1行だけの変更を入れるか入れないかでコメントのやり取りを2~3往復要したというのもあった。Closeする事だけに着目すれば「まずマージして、その後勝手に直す」という対応を取る所だろうけれども、相手が「これは不備ではなく意図的なものだ」という説明をしていたので、これは双方の意図に食い違いがあるのではないかと思い、改めて自分の意図を丁寧に説明して、相手の誤解が解けた事をもって初めてマージするという事をした。余計な手間をかける事に何の意味があるのかと思う人もいるだろうけれども、自分の方がむしろ間違っている可能性もあると考えると、その可能性を排除しないまま自分のやり方を押し通す事が最良とは思えなかった。

こういうのは、難易度が高い事というよりはとても面倒な事で、色々な事に忙殺されているとなおざりにされがちなのだろう。教育の現場なんてその最たる例で、一人一人の児童に寄り添って丁寧にやってたら成り立たないのだろう、だから前述の僕の嫌な記憶は「学校」とセットになっているんだと思う。

状況が許す限り、僕は問題の本質の理解を蔑ろにしたくないし、それと表裏一体で、本質の理解を蔑ろにしなくても済むように、本質にきちんと向き合える状況を維持していきたいものです。

分類:出来事・雑感, , 時刻:03:40 | Comments/Trackbacks (0) | Edit

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