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「短期的なKPIに踊らされずに、長期的な目で考える」と「目標を遠くに置くんじゃなく、常に近くに置く」は、反対の事ではなく同じ事を言っているという話。「こうありたいという目標」と「絶対にこれは嫌だという弱点」は同じ物だという話。 - Nov 30, 2018

先日しがないラジオmeetup 2の懇親会で若手の方相手に(偉そうに)話してた話です。

 

しがないラジオパーソナリティのzuckeyさんの発表でも触れられていた、ゲームをAIにプレイさせる機械学習の実験で、ゲームのスコアが上がるような行動に報酬を与えるというモデルではなく、今までにやった事がない行動を取る事に報酬を与えるというモデルにしたところ、その方が結果的に高いスコアが出るようになった、という話があります。

これを人間に当てはめると、「何をすれば一番自分が成長できるか?という事を考えて効率の良い成長に繋がりそうな事だけを繰り返すよりも、成長に繋がるかどうかはさておいて新しい挑戦をとにかく手広くやった方が、結果的により高いレベルの成長に繋がる」みたいな感じでしょうか。自分がしがないラジオにゲストで出させて頂いた時に話した、やりたい事をジャンル問わずやっていたら結果的にユニークな価値が生まれたという話にも、どことなく重なる話であるような気がします。

 

IT関係の勉強会で、どこそこの会社の会議室やイベントスペースを借りて開催する、という話はよく聞きます。懇親会で話していたその若手の方も、自社のスペースを使って勉強会を開催しようとしたらしいのですが、会社サイドから「それは採用に繋がるのか?」などの具体的な数字を示す事を求められて、自社スペースの使用を断念したとのことでした。

話を聞いていて、「分かりやすい数字を上げる事に固執して挑戦の芽を潰す」という事例のようにも思われて、まさに前述の話に反する事をしているように見えるなあ、そういう風に短期の数字に囚われないで、もっと長い目で考えた方が、結果的により良い結果に繋がるんじゃないのかなあ。そんなふうにその場で話しました。

 

ところで話はまったく飛びますが、教育先進国では子供に将来の夢を聞く時に「どんな職業に就きたいか」ではなく「どういう人でありたいか」を訊ねる、という説があるそうです。日本では将来の目標を定める時に「どういう地位に就くか」「どういう地点に到達するか」という事を重視しがちなため、一度その目標到達の過程で頓挫すると挫折したままになりがちなのに対し、他の先進諸国では「どういう行動を取る人でありたいか」という事も大事にしていて、そういう教育をしていると「今回は成果を出せなかったけど、こういう行動をしよう・こう振る舞おうという事はちゃんと達成できてたな」と考える事ができ、挫折から立ち直りやすいのだそうです。

考えてみれば、「名の通った有名企業に入りたい」や「歴史に名を残したい」といった目標というのは突き詰めると他人からの評価に依存する物なので、成功できるかどうかは運次第なのに対し、「誠実に生きる人でいよう」や「途中で投げ出さないようにしよう」のような行動指針を定める事は、あくまで「自分がどうするか」というだけの話なので、やればやっただけ確実に成功が積み重なるというおいしい目標設定だと言えます。

なので、その話を引用しつつ僕はその方に、「『つよいエンジニア』になる」のような仰ぎ見る対象の・遠くの地点を目標に設定するのではなく、「目の前の問題の解決に真摯に取り組む人であり続けよう」のような、常に自分の傍らに置き続ける道連れとなる行動指針を目標に設定して、その目標に反しないようにという事に気をつけて活動を続ければ、何かしらの結果が積み重なって自信に繋がるんじゃないでしょうか、という話もしました。

 

  • 短期的な数値目標に囚われないで、もっと長い目で・中長期的な視点で考えよう。
  • 遠い目標を仰ぎ見るんじゃなくて、もっと身近な所・自分の傍らに目標を置こう。

こうして並べてみると、字面的には矛盾する事を言っているようにも見えます。でも僕の中では、これらは矛盾しておらず、共通する1つの事を言っている、それを別の角度から言い表しているだけに過ぎない、という思いがあります。

何か1つの分かりやすい地点、例えば「売り上げを100万円出す」とか「この業界でトッププレーヤーになる」とかを、「譲れない大事な物」……つまり目標と捉えたとしましょう。そこに向かう適切なルートを考えて、計画を立てて着実に進んでいったとします。ところが、その過程でアクシデントが発生しました。別のルートに切り替えるにはもうだいぶ進みすぎていて、時間的にも予算的にも、またスタート地点まで戻ってやり直すという事はできません。仕方がないので、そのルートを進み続けるしかありません。運良くその難所を突破できればいいですが、できなければもうおしまいです。道半ばで頓挫し、目標は当然未達、徒労感だけが残ってしまいました。これぞザ・挫折ですね。

では、継続的に実施し続けられそうな行動指針、例えば「成果物を自由なライセンスで公開する」とか「技術的に嘘をつかない・ごまかさない・ナアナアにしない」とかを「譲れない大事な物」と考えたとしたらどうでしょうか。大事にしたい物は歩き続ける自分の傍らに常にあるので、どこに進むのも自由です。「あっ、このお客さんは成果物を自由なライセンスで公開させてくれなさそうだな」「あっ、このまま行くと時間が足りなくなってごまかさないといけなくなるな」といった具合に自分の大事にしたい物を大事にできなくなりそうな状況が発生したら、その難関を避けるようにピボットしてしまって構いません。そうしてピボットを繰り返しながら、自分の大事にしたい物を傷付ける事なく、なるべく長く延々と歩き続けられていれば、それ自体がもう「成功」なのです

身近な所に置く・容易に達成し続けられる目標というのは、1回達成したらハイそれで終わりという物ではなく、達成し続ける事に意味があり、可能であれば永遠に達成し続けたい目標という事で、つまりは究極の長期目標と言える……どうでしょう、何ら矛盾してませんよね?

 

僕が折に触れて何度も紹介している、問題の解決に必要だったのは「優れた技術力」ではなく「問題に向き合う事そのもの」だったという話があります。やりたい事を妨げる問題にぶち当たった時に、逃げたりナアナアにしたりしないで、ちゃんと問題と向き合う姿勢を持つということ。原因を明らかにして、解決策を考えて、実行に移す、そういうサイクルを継続的に回し続ける、心折れずにそう在り続けるということ。それってすごく格好いい生き方だよなと僕は思うのです。「問題に向き合う人であり続ける事」は、僕にとっての大事にしたい事、常に傍らに置いておきたい目標の一つです。

易きに流れそうになる度に、僕は先の話を思い出して「いかんいかん!」と心を奮い立たせます。状況が許せば正面から取り組み、そうでないなら他の誰かが解決するための手助けになるような記録だけでも残して、既に取り組んでいる人がいるなら(自分の手柄にするためだけに邪魔したり別プロジェクトを立ち上げたりするのではなく)その人に協力する。何が本当に一番大事なのかを見失わないように気をつける。そういう事をずっと継続し続けた結果として残る、その軌跡こそがすなわち「成長」なのだと僕は思っている訳です。

 

そんな格好いい目標なんて持てないよ! 難しすぎて継続できないよ! って思います? 違うんですよ。そんな格好いい物でもないんです。「本当の本当に大事にしたい事」というのは、「絶対にしたくない事」「意地でも関わりたくない物」のただの裏返しなんです。

自分にとっての「問題から逃げずに立ち向かう」なんてのもその典型で、これは、「非効率的なやり方や、運用で回避するやり方といった、注意力や記憶力を継続的に必要とする状況になると、自分はミスを連発する。自分はそういうことを継続的にやる才能が致命的に欠けている。だから、そういう能力を要求される状況に置かれるのは絶対に嫌だ!」という事でしかありません。悪く言えば、やりたくない事・関われば関わるだけ苦痛に感じる事を避けるように、なりふり構わず徹底的に逃げ続けてるって事なんです。

あるいは、極端な我慢弱さの顕れと言ってもいいでしょう。ほら、ソフトウェアエンジニアの人って、「30分かかる作業を3秒で終わらせるためのプログラムを3時間かけて書く」みたいなとこあるじゃないですか? 30分もかけて手作業してらんねえや、それをしないで済むためだったら3時間なんて全然惜しくないわ、むしろ楽しんでやれるわ、みたいな。

だから、ポジティブな目標が見つからないという人は、逆にネガティブな「したくない事」「我慢ならないくらい嫌いな事」を考えてみるといいです。「したくない事」が「働きたくない」みたいに漠然としてるなら、もっと具体的な話題にブレークダウンしてみるといいでしょう。

  • 偉そうに指図されるのが嫌? それは、自分で主体的に取り組む人でありたい、という「大事にしたい事」に反している事の顕れかもしれません。
  • 口汚く罵倒される・怒鳴られるのが嫌? それは、自分や相手の尊厳を大切にしたい、という「大事にしたい事」に反している事の顕れかもしれません。
  • 毎朝決まった時間に、眠いままで出勤するのが嫌? それは、万全な体調で取り組みたい、という「大事にしたい事」に反している事の顕れかもしれません。
  • お金をちらつかされるのが嫌? それは、金銭に換算しがたい価値を大事にしたい、という事に反している顕れかもしれません。
  • 決まったタスクを繰り返させられるのが嫌? 不合理を強制されるのが嫌? それは、上記の「問題を放置したくない、問題を解決したい」という話にも似ていますね。

なんとなくで我慢してた、騙し騙しでやっていた事を見つめ直して、それをしないで済む・関わらないで済むようにするためなら多少苦労してもいいと思えるくらいに嫌な事、を特定することができれば、その裏側に隠れてる「人生をかけてでも大事にしたい事」もまた見つかるんじゃないでしょうか。

それに、「嫌な・関わりたくない要素」をブレークダウンしていく過程で逆に、「仕事の中で人に感謝されたのは嬉しかったな」「困っている状況を解決できてよかったな」「継続的にそれができるといいのにな」という風に、ポジティブな部分が炙り出されてくる事もありますしね。

 

そういえばパーソナリティのgamiさんも、今「しがないラジオ」をやっていて我慢している事が無い、嫌でやりたくない事をやっていない、といったような事をおっしゃっていました。

どんなに格好いい・人に羨ましがられそうな事でも、自分の「大事にしたい事」に合致しないなら、自分の「避けたいくらい嫌な事」に抵触するなら、結局は長続きしません。 僕もこれまでにいくつも、「そういう姿勢を継続できていたら格好いいよね」と言えるような事の、自分との致命的な「合わなさ」に挫折してきました(人当たり良く接するとか、人の悪口を言わないとか、感謝を忘れないとか、マメに連絡するとか……)。

「建前的には・理屈としてはやるべき事」「憧れていて、やりたい事」と、「実際に自分が継続的にやれる事」は、不幸にも一致しない事があります。よくある話です。そういう時は常に「実際に自分で苦もなくやれる事、楽しくやれる事」の方を「真にやりたい事」と定義し直すといいです。自分の正直な本心に嘘をついて、格好いいお題目で見た目を取り繕おうとすると、判断を誤ります。そういう「見栄」を捨てて自分の本心に徹底的に向き合い、正直になる事が肝要です。

「やりたくない」「関わりたくない」という気持ちを後ろ向きな逃避や後悔だけに終わらせるか、それとも、「やりたい事をやる」という動機に繋げるか。自分のこれからの人生を良くするか悪くするかは、自分の舵取り次第で決められる、という事なのだと僕は思っています。

分類:出来事・雑感, , 時刻:03:45 | Comments/Trackbacks (0) | Edit

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