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いつだったか、僕の撮った写真を友人に見せようとして「素人が撮った写真やん(笑)(だから見たくない)」と言われたことがあった。
あれ以来、「綺麗な構図」とか「面白い形」とかそういう物を意識して写真を撮ることが減ったし、そういう写真を人に見せることもなくなった。自分の「これを綺麗だと思った」とか「これを面白いと思った」というセンスを「くだらない」と一蹴されるのが怖くて、人に見せられなくなったのかもしれない。今僕が撮ることができて人にも見せられるのは、「そういう美的な事は何も意識しないでとりあえず撮っただけですよ、だから美的評価はしないでね、ただの記録写真として見てね」というエクスキューズが可能な写真だけなんじゃないかと思う。
あの時褒められてたらどうなってただろう。もっといいカメラを買って、ばしばし撮りまくるようになってたんだろうか。
小さい頃、描いた絵を人に見せて、その時もしも「ヘッタクソやな」とか「ガキの描いた絵やん(笑)(だから見たくない)」とか言われていたら、それ以来絵を描かなくなっていたかもしれない。作った拡張機能を「役に立たない」「素人の作った物やん(笑)(だから使いたくない)」とか言われていたら、あれほど開発にのめり込むことも、卒業製作の題材に選ぶことも、あるいは、就職に結びついて今の仕事についていることも、なかったかもしれない。
ある程度自信を持って、プライドを持てている状態で、他人に「ハッ(嘲笑)」みたいにされたら、発奮して「見返してやる!!!」という風にやる気を刺激されて却って伸びるのかもしれない。でも十分な自信が無いうちに、恐る恐る手を出してみた段階の時にそうされたら、「やっぱりダメなんだ」と思ってしぼんでしまう。少なくとも僕はそういうタイプの人間らしい。
他の人がどうかは知らない。でも僕は僕のような人の可能性の目を摘んでしまうことが怖いので、なるべくいつでも「褒める方針」でいたいと思う。
読み終わって涙が出できたよ。。。
叩かれて伸びる人
誉められて伸びる人
何もしなくても伸びる人
どれなのか見極める才能も大事だな
身近にほめてくれる人がいると、自分の未時価な部分(まだ評価がでていない部分)の伸びしろがふえる率が高くなるので、その人にとってはとっても大事な事なんですよね。そしてほめる人にとってもエネルギーになってかえってくる事がある。
なんか最近そういう人たちに助けてもらっている気がするのでコメントしてみました。
・学校の先生ならそれで問題ないんですけどね……
・趣味でもスポーツでも、技術や知識の習得が必要なものについては自然と「初心者と上級者に優しくて中級者に厳しい」というふうになってるような。
・山本五十六提督の「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」という有名な言葉を思い出した。
・けど(Piroさんもそのケがありますけど)、最初にあんまり褒めると勘違いしてのぼせ上がっちゃう人もかなりの頻度でいるので、ahooさんのコメントのようにどちらにしろその「人」をよく観ないと。
・何でも「はじめ(やり始め)」が一番面白いですから、それ故に馬銜を外しがちで、それで鬱陶しかったり迷惑だったりするのは周りや既にそれ/そのことをやってる人々になるわけで……
・最初に叩かれて潰える可能性ならその程度の可能性って気も。
・森薫『エマ 10』エンターブレイン, 2008年の収録の短編「規律」も頭に浮かんだり。
褒めることで起こりえる弊害なんて凡そ小さなものですよね。
omit(forsake?)される才能とこころを思えば。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2008-06-04_shirouto.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
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