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イキガミ1巻を読んで思ったこと、もう一つ。
勉強や運動や恋愛は、いくつになってやっても構わない。誰にも罰せられない。大人になってからでもゆっくり出来る。
でも、イジメに対する報復は、大人になってから実行することは出来ない。傷害事件になってしまって、逮捕されてしまう。実行するリスクが極めて大きい。子供のうちなら罰せられない。「子供のケンカ」で済ませてもらえる。
子供のうちに、他人に対して陰湿なイジメをしたり、彼女を孕ませたり、盗みをはたらいたりして、大人になったら「更生」して真面目に社会復帰する。その人生は美談として語られ、多くの人の羨望の的となる。これが一番賢い、自由に好き勝手できる生き方だと思う。これこそ勝ち組だと思う。
子供のうちから勉強や趣味ばかりに打ち込んで、異性とのマトモな付き合い方も分からず、辛く苦しいイジメにひたすら耐え、それで大人になったら、今度は「女心も分からない恋愛経験もないオタク」と蔑まれ、過去に自分をいじめた連中に報復しても即逮捕され、その後の再起の道を断たれて。その人生は目を背けるべき社会の暗部として葬り去られ、誰に顧みられることもない。これこそ負け組だと思う。
人生における勝ち組と負け組。やってることの内容は大して変わらないのに、実行した順番だけで、どれをいつ実行できるかというチャンスが訪れるタイミングの違いだけで、全てが決まる。
後からやり直せない。最初においしいところを持っていった人間が最後までおいしいところを食べ続け、最初においしいところにありつけなかった人間は最後までありつけないまま終わる。人生とは実に不公平なものだなと思う。
そういう意味においては、短気だった僕は攻撃を受けて比較的すぐ、まだ刑事責任を問われないような歳の間に、刃傷沙汰(相手に怪我はありませんでしたがね)で恨み辛みの一部分だけとはいえ報復を果たすことが出来て、まだマシな方だったのかもしれないなと思う。
どうせキレるなら、いまキレろ。闘うつもりなら、いま闘え。
作中で初めてイキガミを受け取った彼の言葉。彼は時間が経過して復讐が無意味になってしまってから復讐することの空しさを言いたくてそう言ったけれども、もっと現実的な意味合いでも、その言葉は真理なのではないかと、僕は思った。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2006-10-12_order.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
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