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顕名・実名の人の言及に対して匿名の人が「失礼」というのは成立するのか?で紹介されていたやりとりを見て思ったこと。
自分自身がかつて2chとかでやったことを振り返ってみても、今2chで見られるやりとりを見てみても、匿名で物を書いて、その内容にケチを付けられた時、必死になって自己弁護するのも、悪かったと言って素直に謝ってみせるのも、どっちも滑稽だなあ馬鹿馬鹿しいなあと思う。
過ちを認めないで必死で自己弁護する姿が滑稽なのはまあ大抵の場合そうだと思う。けど、素直に謝ることまで滑稽と感じるのは何故か。それは、謝る意味が全然どこにも全く感じられないから。謝ることの目的は何だ? 「俺は過ちを素直に反省できる人間なんだぜ」と周囲にアピールしたいのか? でもどうせ名無しじゃん、信用を築く必要なんてどこにもないじゃん。「相手の気持ちを鎮めるため」? あんたが元の間違った書き込みをした人間だとどうやって証明するんだ(ID強制表示の板はともかくとして)。相手がまだそのスレにいるってどうやって確かめるんだ。「自分自身、間違ったことをしておいて平然としているのはポリシーとして許せないから」? そんな自意識を公共の場に持ち込むなよオイ。
2chにせよはてな匿名ダイアリーにせよ、匿名で何か書いたとして、その内容が間違っていたのなら、ツッコミに対しては関知せず、そしらぬフリをして別の「名無しさん」として再び流れに加わるのが、「ツッコまれるようなアホな事を書いたこの名無しは俺とは別の名無しだから関係ないね」という顔をしてスルーするのが、匿名メディアの、自然な在り方・使い方なんじゃないのかなーと、僕は思うのですよ。
まあ、そういう考え方自体もただ僕自身の印象を投影してそう思い込んでるだけなのかもしれませんけどね。
>謝る意味が全然どこにも全く感じられないから
それはPiro氏がやり取りに対して不誠実だからに他ならないでしょう。コミュニケーションツールとしての「謝罪」しか考えていない(し、行ったことがないのだろう)のではないですか?
>そんな自意識を公共の場に持ち込むなよオイ。
>匿名メディアの、自然な在り方・使い方なんじゃないのかなーと、僕は思う
そんな思い込みを公共の場に(ry
自意識も自覚も持たずに何のためそんな場所へ顔を出そうとするのかが理解できません。それこそ「匿名メディアはこうあって欲しい」「こう使いたい」しか見えないわけで。
>そういう考え方自体もただ僕自身の印象を投影してそう思い込んでるだけなのかもしれません
予防線張るのいい加減やめたらどうですか?
>コミュニケーションツールとしての「謝罪」しか考えていない(し、行ったことがないのだろう)のではないですか?
一応、本文中では、コミュニケーション手段ではなく自分の自意識を満足させるための「謝罪」を挙げましたが、他にどういう「謝罪」があるのか自分にはちょっと思いつかなかったんで、教えていただければ幸いです。
>>そんな自意識を公共の場に持ち込むなよオイ。
>そんな思い込みを公共の場に(ry
名前を明らかにした状態で行われた「自意識をひけらかす」という行為は、その名前で活動している人がそういう自意識の持ち主であるということを示すマーカーとして機能するので、例えばあなたが僕のことを「Piroは自意識垂れ流しで見てらんない」と思って「今後はPiroの発言はスルー決定だな」と判断するといった時の、判断材料として役立ちますよね。
でも匿名で自意識をひけらかした場合、そういう機能には期待できなくて、ただ自意識をひけらかすだけで終わりのように僕には思えるのです。
>自意識も自覚も持たずに何のためそんな場所へ顔を出そうとするのかが理解できません。
ここ、意味がよく分からないです。もし宜しければもうちょっと補足していただけるとありがたいです。
>予防線張るのいい加減やめたらどうですか?
まあいつものことですので。
気に入らないなら、「Piroは予防線張ってばっかでムカつくからスルー」みたいな感じで判断するのはアリですよね。
これも、名前を明らかにした状態の一つの(相手の側の)メリットかなと思ってます。
ふと思ったけど。
匿名のまま謝罪したりとかすることを通じて誇示される「自意識」って、個人としての物ではなく、「2ちゃんねらー全体」としての集合的自意識なんかな?
例えば匿名の名無しさんが謝った時、「2ちゃんねらーは正直に謝る(こともある)」という良い評価が「2ちゃんねらー」全体の間に生まれてねら全体の周囲からの評価を底上げする、あるいはねらー自身が「ねらーは紳士淑女だ」という風に自己満足に浸ることができる。
という考え方もアリかもしれない。
>自意識も自覚も持たずに何のためそんな場所へ顔を出そうとするのかが理解できません。
というのは、つまり、例えば2chであれば、ねらーコミュニティの一員としての自覚と誇りを持たずに参加するなよという意味の言葉だったのかなあ。
と思えてきた。
> でも匿名で自意識をひけらかした場合、そういう機能には期待できなくて、ただ自意識をひけらかすだけで終わりのように僕には思えるのです。
それでもいいだろ。
それとも何かね。あらゆる行動は他者何かに寄与しないとダメだというのかね?
> 匿名のまま謝罪したりとかすることを通じて誇示される「自意識」って、個人としての物ではなく、「2ちゃんねらー全体」としての集合的自意識なんかな?
そういう人もいるかも知れないけど、私は違う。
>それとも何かね。あらゆる行動は他者何かに寄与しないとダメだというのかね?
所詮僕は視野の狭い人間ですから、「公共の」とかなんとか言ってる時ってのは大抵、今の自分か過去の自分か将来の自分に対して有益か無益か害かって今年か見てない、と言われればその通りだと思います。
だからこのエントリの内容は詰まるところ「匿名メディアで自意識垂れ流されると僕にとっては迷惑だ」ということを「公共」をスケープゴートにして言っているだけに過ぎないのかもしれません。
自意識を垂れ流されることがそれほど害にならない人や、自意識を垂れ流されることの方がむしろ益になるという人の方が多いのなら、僕はマイノリティということで、ただ黙っていじけるのみですね。
今年か→事しか
ATOK2007がダメなのか辞書がダメなのか……
> 「匿名メディアで自意識垂れ流されると僕にとっては迷惑だ」
これって何で迷惑だと思うんですか?
僕の言質を引き出して何かを僕に悟らせたいのか、別にそこまでのことはお考えでないにしろ僕の回答をご自身の主張の裏付けに利用されることをお望みなのか、それとも単に知的好奇心からくる探求なのか、いわいさんの目的がよく分からないので、回答することの意義を僕には見いだせなくなってきました。
>これって何で迷惑だと思うんですか?
個人的感情、の一言で納得していただけますでしょうか。
自意識を持ち込む云々というより、他人からユニークな自意識をもちえる存在として見られることが出来ない共有ハンドルを選択しているのに、ユニークな自意識を前提とした主張しているのが滑稽なのではないかと。その匿名の謝罪に対してもにょもにょするっていうのは非常に同意です。
ゴースト(中の人)が一意に認識できない時点でその謝罪は「1の母です・・・」的な滑稽さを持ってしまうわけですね。持ち込むことではなく持ち込めないことがポイントなわけです。ノイズがウザいってのはあるかもしれませんが、ぐっとこらえてそういうネタとして楽しんで頂くのがよろしいかと思います。
世の中の9割は無駄だと東京三世社版「腸詰工場の少女」の後書で高橋葉介も言っているので、無駄で迷惑なことが多くても諦めが肝要かと思います。
...匿名と自我の紐付けを切り離すことが匿名の美学、本来ある姿であるという考え方を足場にすれば、さもありなんと思う。...
...そんなのがバレないと思ってるのが浅はか。みんな知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいるだけです。だから顕名なら謝る場面であれば、謝るのが正解。...
...このコメンテーターが本当に元記事の作者かどうかというのが、とても気になりました。...
> それとも単に知的好奇心からくる探求なのか
一番これが近いと思います。自分と違う思考をする人が、どういう理由からその結果を導き出すのかが興味深いのです。
> 個人的感情、の一言で納得していただけますでしょうか。
お答えいただきありがとうございます。なるほど。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2007-02-28_anon.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
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