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フィリピンで格差の現実の一端を見て、日本の将来を憂えた話 - May 04, 2015

フィリピンに遊びに行って、色々大変だったけど楽しかったという話を書いたけど、これは、そのエントリから敢えて落とした話題。

治安が悪い、と聞いて

フィリピンでは、単独行動中はずっと不安があった。言葉が通じないから(英語はちょっとは喋れるけど、ちょっと込み入った話になるともうお手上げなんで)というのがあったのは間違いないんだけど、それだけでなく、事前に「治安が悪い」と聞いていたからというのもやっぱり大きな理由になっていたと思う。

「治安が悪い」という一言にはいろんな意味が含まれているんだろうけど、

  • 窃盗
  • 強盗
  • 詐欺
  • 暴力
  • ボッタクリ

このあたりの被害に遭うリスクがあるというのが、まあ自分に想像できる範囲の話で。

  • 気付かないうちに財布を抜き取られる事が無いように、鞄を背負ったり肩がけしたりするのは避けて、体の前に保持しておく。お金やパスポートのようにクリティカルな物は、ズボンの内側みたいに手を突っ込んでこられにくい所に入れておく。
  • そもそも多額の現金を持ち歩かない。(ネットで事前決済できる物は先に済ませておく)
  • 人前で荷物を手放さない。
  • 支払いで余計なトラブルにならないように、物を買う時やサービスを受ける時は事前に「ハウマッチ?」と値段をちゃんと確認する。
  • 夜間の一人歩きは避ける。特に、暗がりに入り込むようなことは。
  • 公共交通機関を使わずに、リゾートの送迎を依頼する。 (これはコストがかかるけど、安心を金で買うということで。)

自分に思いつく範囲で取れる対策というとこんな所だったんだけど、とにかく単独行動中は四六時中ビクビクしていたと思う。

リスクを避けるための対策のかなりの部分が、「お金じゃらじゃら持ってて無警戒な旅行者っぽさ丸出しでいること」からなるべく遠ざかるということ、であるように思われて、逆に考えると、小汚い格好で荷物も持たず手ブラで財布の中にはせいぜい数百ペソ程度(日本円にして1000~2000円程度だから万一のことがあってもそれほど痛くない)持って出歩いている限りにおいては、多分そこまでビクビクしないでも済むんだろうなあとも思った。そのくらい気軽な状態の方が、現地を楽しめるのだろうなあ、と。

しかし、そもそも論として、何故治安が悪いのか。理由はいくつもあって複雑な話なんだろうとは思うんだけど、理由の1つには、貧富の差が大きく、そしてその差が固定化されているという事があるんだなあ、というのを、現地で見たいくつかの場面から思った。

1000ペソ紙幣が使えない!

1つは、1000ペソ紙幣がまるで使えなかったこと。空港で1万円を現地で最もポピュラーな通貨のフィリピンペソに両替したら3350ペソになったんだけど、その時受け取った1000ペソ紙幣を現地で使うのにはかなり面倒があった。観光客向けのペンションで1泊2000ペソくらいの所でも、1000ペソを両替してもらえないかと頼んだらだいぶ苦労して1000ペソ分の小額紙幣をかき集めてもらう羽目になってしまったし、バイクタクシーで200ペソって言われて1000ペソ出したらその人の持ち合わせが450ペソしかなかった、なんて事もあった。

なんで使えないかっていうと、店に持ち合わせがないんですよね。日本でいえば、1冊10円の同人誌を50冊しか置いてないサークルのスペースで「お釣り出ますか?」って1万円札出されるみたいな感じ。分かりにくい例えだけど。1000ペソ紙幣って、日本の感覚でいうと2万円札とか3万円札とかそういう感じなのかも。「まあ1万円までだったら出されても対応できるかな」って思って釣り銭を用意してたら、それを上回る額の紙幣を出されてお手上げ、みたいな。

っていうか、100ペソとか50ペソとかですら場面によっては使えなかった。最終日に泊まったホテルから徒歩数分の所にあった地元のパン屋でパンを2個買おうと思って50ペソ紙幣出したら、パンが1個1ペソで合計2ペソだからお釣りが48ペソだけど、48ペソがレジに無いっていう。これはまあ、朝だったからっていうのもあるんだろうけど。

ショッピングモール内の警戒の厳重さ

2つ目は、ショッピングモールのシステム。最終日に泊まったホテルから徒歩3分の距離にあったガイサノモールというモールには、フードコート的なエリア、アパレル関係の普通の店舗、携帯電話のショップ、スーパーマーケット、百貨店的なデパートが同居してたんだけど、そこの警備が厳重に感じた。まずモール自体の入り口に警備員が立ってて、至近距離で品定めされてから入店するっていう時点で結構ギョッとしたんだけど、話はそれで終わらない。

というのも、百貨店で買い物して出ていく分には大丈夫なんだけど、スーパーで買い物してから百貨店に入ろうと思うと警備員に止められるんですよね。「その買い物袋をデポジットしてからじゃないと入店できない」と。どういう事かというと、スーパーがあるフロアの一角に荷物預かり所のコーナーがあって、スーパーで買った物をそこで預けて引き替え札だけ持ってるという状態にしてからじゃないと、デパートのあるフロアに上がれないそうで。

それで初めて気付いたんだけど、百貨店エリアとそれ以外のエリアとの境界の警備がすげー厳重なんですよね。フロア内でモール側から百貨店に入る場面にも警備員が2人いるし、スーパーから百貨店エリアに直接上がれるエスカレーターにも警備員が2人(僕はここで止められた)。百貨店エリアから逆にスーパーに下りるエスカレーターに至っては、警備員2名がいるだけでなく、エスカレーターが止められてる。これって要するに、百貨店エリア内での窃盗を警戒してるんですよね。袋を持って入られたら、その中に商品をコッソリ入れて持って出られるかもしれない、っていう。

格差が固定されているという事

そんなショッピングモールでの出来事があった翌朝、パンが2個2ペソで、お釣りが店に無かった、という場面に遭遇してやっと気がついたんですよね。あーこれが格差の固定化ってやつなんだ、って。

以前Twitterあたりで、こんな話を見かけた記憶がある。

  • 東南アジアでは物価が安くてお金がかからない。数十円もあれば、そこらの屋台で腹一杯食べられる。
  • しかし、日本並みのサービス(良い物食べたいとか、安定したネット環境手に入れたいとか)を受けようと思ったら、日本並みの出費はやはり必要となる。
  • 言い換えると、それほど高い質の物やサービスを求めていない人に対して、リーズナブルな選択肢として安い価格帯の商品がたくさんあるというのが、東南アジアの実態である。
  • 日本は総じて、何を買うにも値段が高く、過剰品質で、「そこまで高い質を要求してないからもっと安くして欲しい」という人のニーズに応える商品が無い。数十円で腹一杯になれる屋台みたいな、そういう層向けの価格帯の商品がもっと多ければ、ワーキングプアと言われるような収入の人でも食うに困らず生きていけるのに。

僕が見かけたパン屋の商品は、まさにそういう商品なんだろう。羽虫がブンブン飛び回ってて商品の上も余裕で歩き回ってて、お世辞にも衛生的とは言えない感じだったし。僕は「まあ大丈夫やろ」って思ってそのパンを食べたけど、あの虫がヤバイ病原体持ってたら危なかったわけで。それが怖かったら、もうちょっと歩いた先にあるガイサノモールまで行って数百ペソ払えば、羽虫の飛んでない店で物を食べられる。僕の主観では、モールの一角で食べた中華ファストフードのチャーハンはなんともビミョーな……というかはっきり言ってマズくて、そのパン屋のパンの方がよっぽど好みだったんだけども。

僕自身、賞味期限1日2日過ぎたからって捨てるのはやり過ぎやろって思う方だし、身の丈に合わない高い水準に無理して合わせるよりは、身の丈に合った選択肢があったらそれを選びたい、ランチ1食1000円の水準の町で毎日外食するのはちょっと抵抗が……みたいに思う方なので、先の話を見た時は「なるほどなあ」と思ったんだけど。

しかし、1個1ペソでパンを売って店に入る利益はたかが知れていて、ということは給料も推して知るべしで。そんな収入レベルだと、あのマズいチャーハンであってもそう易々とは手が届かない訳ですよね。750ペソの出国税も、1泊1000ペソのホテルも、3万円強=1万ペソ以上する飛行機のチケットも、贅沢どころの騒ぎじゃない。

「普通に自分にできる範囲のことを頑張って商売して生活していてもまるで手が届かない世界」がすぐ隣にある状況なんだなあ……というのが、僕がこのパン屋とショッピングモールを見て思った事だった。

この「階層間での断絶」、この「抜け出せなさ」が格差の固定化という事なんだな、と、この時ようやく僕は実感を持ったんですよね。

そう考えると、「安っ! うまっ!」と単純に喜べるものでもないんだなあって思ってしまって。

いや、まあ、だからって僕がフィリピンをどうこうしたいわけじゃないんですけどね。結局はよその家のことだし。少なくとも自分の分かる範囲ではフェアな買い物をしてると思ってるし。だから、これからもフィリピン行ったら2000ペソくらいのランクのホテルに泊まって現地の屋台で串焼きや果物を数十ペソで買って食べるんだろうと思います。

それよりも僕が気になってしまうのは、日本国内の事の方です。

格差が固定化されてることの閉塞感と「ワンチャンあんで」感

上記の通りフィリピンでは収入や生活のレベルに大きな格差があるわけで、そうなると、警察に捕まるとかのリスクが多少あったとしても、そこらを歩いてる観光客の荷物をひったくるとか殴り倒して財布奪っても全然割に合っちゃう(と思える)んだろうなあ、という想像が付く。むしろ、そうでもしないと所属階層を移れない、そういうチャンスでもないと状況を変えられないくらいなのかも。……という風に考えるにつけ、格差の拡大・固定化は治安の悪化に繋がるのだろうなあ、という事を実感を持って理解できる。

そんな状況で自分で自分の身を守るには、コストを払って自分で対策するしかない。それがあのモールの警備員達であり、リゾート地や高級住宅街の高い塀と重々しい柵なんですね。そしてそれでまた断絶が深まる。僕がモールで感じた、お金持ってない人、顧客になり得ない人に対する警戒感、信用されてない感。僕自身も持ってしまった、周囲を信用できないという感覚。あれはギスギスして嫌なものだなあとすごく思った。

日本の治安がいいって言われるのは、まだまだ(一部の富裕層を除いて)格差が小さいか、閉塞感がそこまで強烈でないからっていうのもあるんでしょうね。そんな事するよりバイトした方が安全確実にお金になる、って。でも格差がもっと大きくなって固定化が進んだら、誰かを殴り倒して収奪することのリスクとリターンのバランスが変わって、収奪した方が割がいいという事になって。そうして治安というものは悪化していくんだなあ。と思った。

というか現状でも既に、失う物が無いから犯罪を犯すことへの抵抗が薄いという「無敵の人」の危険性は無視できないレベルになってるし度々語られていて、現実的な脅威という印象がある。(統計的に裏付けを取ったわけではないので、あくまで印象。)

こういう状況が進んで一番割を食うのって、自費で警備員を雇うこともできない、公共交通機関を使わないと移動もかなわない、中途半端な収入レベルの人なんですよね。「自衛」にばかりコストをかけちゃうと生活できなくなるっていう。そういう事気にしなくてもガンガン金払って身のまわりの防御を固められる富裕層の人の言う、格差の拡大と固定化を容認する発言は、結局は安全圏から言ってるだけのポジショントークってやつなんだなあという事がよく分かる。

学校教育が「落ちこぼれを出さないこと」「平均レベルの底上げ」に終始している事について、できない人のせいでできる人の成長にブレーキがかかるのは良くない、できる人はもっとできるようにするべき、というエリート教育推進の考え方。以前は素直に「持って生まれた能力を発揮させられるのはいい事だろう」と思ってたけど、それが巡り巡ってこういう経済格差の固定化に繋がるんだったら、そりゃ警戒したくもなるよね。

今回のフィリピン旅行、遊ぶ所ではちゃんと遊んで楽しめて十分満足できた旅だったけど、そういう社会問題を身をもって実感するいい機会になったという意味でも意義深かったなあ、と思ったのでした。たった数日の滞在で何を偉そうに分かった風な事を語ってるのか、って話ではあるんだけれども。

分類:出来事・雑感, , 時刻:03:26 | Comments/Trackbacks (0) | Edit

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