たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
最近、人生そのものが近視眼的になってきてる気がする。
例えば、もえじら組で初めて本を出すぞと思って動き始めた時。例えば、大学で新しくサークルを作るべく、予定を立てたり会則を作ったりと色々やってたとき。僕は確かに遠くを見ていた。遠く遠く、前を見て歩いていた。気がする。CSSの勉強をしてたときも。拡張機能作ってたときも。ワクワクしてた気がする。
今はどうだろう。遠くを見る気力がない。足元だけ見て、右に行こうか左に行こうかその都度決めるのが精一杯。ワクワクなんて全然しない。しようという気力がない。
柔道で重体の生徒、介護費60年分求め県など提訴へというニュース、背景事情を読むと何とも言えない口惜しさが湧いてくる。
人の体というのは、特に脳という臓器は、本当に簡単に壊れてしまうものなのだなあ、と、色々な情報を見るにつけ思う。物理的な衝撃で壊れるのは言わずもがな、呼吸が5分以上止まると脳細胞は破壊されていくとかの衝撃以外の原因でも壊れてしまうし、強い精神的ショックによっても機能が失われてしまうことがあるというし。こんなに脆弱なものを体の一番上に抱えてふらふらバランス取りながら移動しているんだ……と一度意識し始めると、外を出歩くことどころか、家の中を移動することすら怖くなってくる。
唐突にHドライブとIドライブが死んだ。同一のHDDの2つのパーティションなので、つまり物理的に1台のHDDが死んだ模様。Windows上から見えないし、BIOSからも見えてない。
ということをIRCで話題に出したら、「Hと愛がなくなったらあとは自慰(G)しかないね」とかなんとか言われた。誰がうまいこと言えと!
んでもし故障の前兆だったら困ると思ってさっき本体引っ張り出してちょっといじってみてたら、BIOSから見えるようになった。どうも接触不良かなにかだったようだ。
でももし万が一ということもあるし、早いとこDVD-RとかDVD+Rとか書き込める光学ドライブ買ってきてバックアップの体制を整えないとなあと思った。
「嫌いなタイプの人だ」というか「この人とは話が合わなそうだ」と第一印象で思ったblogを敢えてフィードリーダーに突っ込んでウォッチしてみている、ということを前に書いた気がするけど。それは今も続いていて、最近、また一つ新たにそういうblogをウォッチ対象に加えた。
そうして定期的にあるいは不定期にその人の書く文章を見ていると、人とは実に多面的なものであるなあということを実感する。そして自分が「こいつ嫌い」と思った理由の中に、実は自分よりも深い観察眼や自分よりも深い洞察力や自分よりも深い愛情といったものへの嫉妬があったのだということを悟る。
実際の所はそんなことないのかもしれない。自分自身が無理矢理相手の中に自分より優れている所を探し出しているだけなのかもしれない。
僕にとって、嫌うということは、見下すということとほとんど等しい。世間一般の優劣に適わないとしても、自分の中の価値観で「より良い」と考える在り方にそぐわないものを、嫌っており、「より悪い」と見て、つまり見下している。
だから自分の中の価値観で「より良い」と考える在り方であると認めてしまった瞬間、僕はその相手を「嫌い」と考える合理的な理由がなくなる。感情的には相変わらず「嫌い」であったとしても。
僕はもしかしたら、そのような相反した感情に囚われずに済むようにと、将来的に自分がより惨めな思いに囚われずに済むようにと、第一印象で「あ、こいつ嫌い」と断じてそれ以後の情報の交流を断とうとしていたのかもしれない。
思ったことを文章化するという行為は、その思いを素直に感じることを阻害する効果があるのかも知れない。
8歳男児に瞼を二重にする整形手術を受けさせた母親の話が話題になっているようですね。
僕自身は親の判断で子供の頃に歯列矯正を受けて今の歯並びになったという経緯があり、自然に任せていたらおそらく顎が前に出ている受け口状態になっていたことが予想され、そうなっていたら今よりずっとイヤだったかもなあと素で思うわけで、これも一種の整形と考えると、この母親のしたことを「親のエゴだ」の一言で断じてしまうことがなかなかできないわけですが。
ていうか、これもまた人類の一つの文化なんじゃないんでしょうか?
誕生日が7月21日でその前後1ヶ月が更新期間、ということで超ギリギリになってしまったけど免許を更新してきた。はじめての更新です。更新ヴァージンです(この言い方好きね自分)。いやね、夏コミとかで色々一杯一杯だったから、ついね……
写真を撮るときに意識して目を大きく見開くようにしたら、悪人面度が若干下がった気がする。半目だと瞼の陰になって眼球に光が入らないけど、目を大きく開くと瞳にハイライトが入って、幾分生き生きした感じにならなくもないようだ。「目が死んでる」というのはそういうことなのかなーと、ふと思った。
初回なので2時間の講習付き。飲酒運転の厳罰化の契機になったとかいう事故のドキュメンタリー映像を見た。この手の映像はお涙ちょうだいというか安っぽいというか安直というか真面目に見る方がメディアリテラシー的に問題有りなんだろうけど、頭の悪い僕は真に受けて真剣に見てしまいました。大事な人が急にいなくなってしまったらと思うと、心臓のあたりに穴が空いたような痛みを感じます。
対向車線の駐車車両と、その向こうから迫ってくる対向車両に気を取られて、前方の電柱工事のハシゴに気がつかなかった、という死亡事故事例は他人事とは思えなかった……ああー自分も絶対こういうのやりそうだ。
本籍が両親の実家で、現住所が変わったので、身分証明から僕が大阪にいたという痕跡が完全に消えてしまいました。切ないです。
こっちに来てる両親と一緒に常磐線で金町から西日暮里まで行って山手線に乗り換えようとしたら(お察しの通り、葛飾・柴又帝釈天からの移動ですね)、改札で止められた。