Aug 28, 2006

嫌いなタイプの人の別の側面

「嫌いなタイプの人だ」というか「この人とは話が合わなそうだ」と第一印象で思ったblogを敢えてフィードリーダーに突っ込んでウォッチしてみている、ということを前に書いた気がするけど。それは今も続いていて、最近、また一つ新たにそういうblogをウォッチ対象に加えた。

そうして定期的にあるいは不定期にその人の書く文章を見ていると、人とは実に多面的なものであるなあということを実感する。そして自分が「こいつ嫌い」と思った理由の中に、実は自分よりも深い観察眼や自分よりも深い洞察力や自分よりも深い愛情といったものへの嫉妬があったのだということを悟る。

実際の所はそんなことないのかもしれない。自分自身が無理矢理相手の中に自分より優れている所を探し出しているだけなのかもしれない。

僕にとって、嫌うということは、見下すということとほとんど等しい。世間一般の優劣に適わないとしても、自分の中の価値観で「より良い」と考える在り方にそぐわないものを、嫌っており、「より悪い」と見て、つまり見下している。

だから自分の中の価値観で「より良い」と考える在り方であると認めてしまった瞬間、僕はその相手を「嫌い」と考える合理的な理由がなくなる。感情的には相変わらず「嫌い」であったとしても。

僕はもしかしたら、そのような相反した感情に囚われずに済むようにと、将来的に自分がより惨めな思いに囚われずに済むようにと、第一印象で「あ、こいつ嫌い」と断じてそれ以後の情報の交流を断とうとしていたのかもしれない。

エントリを編集します。

wikieditish message: Ready to edit this entry.











拡張機能