たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
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実をいうと、正月からちょっと気分がいい。コミケをどうにか乗り切れたというのも大きいと思うけど、初詣が良かったのかもなと思ってる。
多分、うぶんつたんの時に「キメェんだよテメーみたいなのは出てけよ」って風に拒絶された感覚が、凄く強く残ってるんですよね。もえじら組として活動してる間も、その感覚はずっとあって。コミケ会場の売店でバイトしてた人が「きんもーっ」と書いていたとか、そういうのもあったし。ヲタ属性を持つ者に対する、強い拒絶の意志、絶対にこっちに近寄るんじゃねえっていう空気、隙あらば叩き潰してやりたいという風な悪意、そういう物にどこかで怯えて生きている感じがしてた。
ヲタがらみの事だけじゃあない。スイーツ(笑)とか、はてな村キメェとか、2chの連中は軽蔑の対象にしかならんとか、非モテうぜえとか、リア充は死ねばいいのにとか、派遣ワープア乙とか、マスゴミ死亡でメシウマ状態とか、ゲーム脳とか、ネット中毒とか、全日制の連中は気にくわねえとか、夜学の連中は近寄んなとか、嫌韓とか、嫌儲とか、カスラックとか、Winnyとか。どっちを見回しても拒絶・拒否・罵倒・足の引っ張り合い・一方的な搾取しか無い、いかにして今イイ思いをしてる奴を引きずり下ろすかが重要らしい、いかにして他の人間全てを出し抜いて自分だけがいい思いをするかが重要らしい、という風な感覚があった。
でも鷲宮神社に初詣に行った時には、拒絶や排他の意志をそれほど感じなかった。殺伐としたものをそれほど感じなかった。
ヲタ陣営はヲタ陣営で裸の女子絵をオナネタに盛り上がってるんだから普通の人間は近寄んな!とか、普通の人は普通の人でヲタ的な物を完全排除して目ェ瞑って幸せにやってるんだからキモいヲタ連中は踏み込んでくるんじゃねえ!とか、そういう感じではなく、なんというか、お互い欲望剥き出してオールオアナッシングで拒絶し合うんでなくて、程々の所でお互いに歩み寄れる所で歩み寄って一緒に上手く回していきましょうみたいな、Win-Winの関係を築こうという風な流れがあったような気がした。「ヲタ文化の最も濃い所(コンプティーク)から出てきたらき☆すた」と、「ヲタ文化と全く無縁な所にあった地元」とが、ここでは反目しあっていないように見える、という事に僕は面食らった。
痛いニュース(ノ∀`):鷲宮神社の初詣、「らき☆すた」効果で参拝客が12万人増の42万人に…県警「まるで巡礼者のよう」
普通のちっちゃな女の子二人を連れた普通のお母さんが、子供と一緒にねんぷちおみくじのポスターを見てて、お小遣いを子供に渡して、子供が喜んだ様子でブースに駆けていって、おみくじ引いて帰ってきて、お母さんの所でカプセルを開けている。という様子を見て、僕は何とも言えない感じを覚えた。
もちろん、もえじら組の制作物のような内容があらゆる人に支持されるとまでは思っていない。でも、少しでもヲタくささがあったら問答無用で拒絶されるというわけでもないようだ、とは思えた。
個々人レベルで、「普通の人」で「理解を示してくれる人」がいなかったわけではないんですよ。でも、僕には「たまたま特殊な趣味に理解を示してくれるとんでもなく度量の広い人であるに過ぎず、その種の人を除く圧倒的大多数の人にはやはり問答無用で拒絶されるに違いない」という風にしか考えられなかった。
僕が今までに行った事のある場所は、コミケ会場やアニメイトやなんかのように「ほぼ100%がヲタであり、一般人はほとんどいない場所」か、渋谷や新宿のように「ほぼ100%が一般人で、ヲタは拒絶されている場所」か、そのどっちかしかなかった。鷲宮神社のように、大勢の参拝者で行列ができていて、そこに並んでる人達はどう見ても普通の人達の方が多くて、でもそこかしこにヲタ絵な絵馬があったりらき☆すたのイラストがあったりグッスマのブースができてたりして、「普通」と「ヲタ」が完全に別れてるのではなくどうも共存できているらしい、そんな風に感じる場所には行った事がなかった。(もしかしたら、そういう場所は僕の行った事のある場所の中にもあったのかもしれないけれども、僕の側が今までそのように感じる事ができていなかっただけなのかもしれない。)
ある種の人達とそれ以外の人達、マイノリティとマジョリティ、そういう関係にある人達は決して相容れないし相容れるつもりもお互いにないし互いに拒絶しあって生きるものなのだ、とすっかり荒んで諦めきっていた所に、ちょっとした希望を見いだせた。そんな気がしたんです。
大げさですかね。
追記。
アニメ聖地の成立とその展開に関する研究 ~アニメ作品「らき☆すた」による埼玉県鷲宮町の旅客誘致に関する一考察~ (山村高淑)という真面目な論文(リンク先にてPDF形式で全文が公開されている)があった。経緯やそれぞれの思惑が色々と紹介されていて、普通に読み物として面白い。商工会の若手2人が中心になってフットワークの軽い動きで柔軟に対処したとか、新しい特定のコンテンツに完全に頼り切って短期で搾り取れるだけ絞り尽くすのではなくブームが去った後の事も視野に入れて施策を進めるとか、誰か一人だけがおいしい所を全てかっさらうのではなく関係各所がそれぞれ細く長くWin-Winの関係を維持できるように配慮するとか。
作品自体の性質も、プラスに影響したのかもなと思う。元々の内容自体が「オタクコンテンツの消費者の様子」を描いたものだから、「聖地巡礼」などのイベントをメタな視点でも楽しめるんじゃないだろうか。他の作品で「聖地巡礼」なんて焼き印の入ったまんじゅうがあったらちょっと……と思うけど、らき☆すただったら「あーこういうのってあるよねー」と苦笑いでそれすら楽しめる、いわゆるB級っぽさとして受容できてしまう、という風に。
6話まで見た。
原作1巻までしか読んでない状態なのでひょっとしたら外してるかもだけど、原作のエピソードをきっかけにさらに自然な形で発展させているような印象を受けた。これが本当にアニメオリジナルなんだったら、本当に、見事な「アニメ化」だと思う。あれだけハマってたAIR(Adobeのアレじゃないよ)のBS-iアニメ化の時にもぐうの音も出ない見事な「アニメ化」を見せてくれた京都アニメーションだけの事はある、ということだろうか。
そのアニメなんだけど、なかなか面白い。時間取ってガッツリ見るほどとはあんまり思わないけど、無限ループで環境ビデオとして流してたいような感じ。(ってこれ誉めてんのか?)
しかし、面白いんだけど、それだけに、見てて辛い。無邪気に楽しめない事が辛い。これを面白いと思える事が辛い。これ「ならば」面白く思えてしまう、ことが辛い。
素直に「面白い」と思う中で時々、かわいらしい美少女・女子高生として描かれているこなたやかがみの言動が、あくまで我ら醜いヲタの醜い姿の投影にすぎないと気付いてしまう。すると、彼女らの姿は微笑ましく見えるのに、方や、その投影元である自分の姿はとても格好悪くだらしなく他人様に見せられたもんじゃない、という事を意識してしまう。「ただしイケメンに限る」という言葉があるけれど、それと同じだ。「ただし美少女に限る」。彼女らがする姿なら、許せるし笑えるし微笑ましい。自分がする姿は、とても許せないし笑えないし痛々しい。
「げんしけん」の男性陣(除・コーサカ)なんかがそうなんだけど、やっぱ、見てて耐えられないんですよ。うっわぁ痛々しい……って。自虐的な笑いになってしまう。なのに、こなたやかがみだったら、同じ事をしててもそうはならない。その事が、とても辛い。なんで自分はこなたやかがみじゃないの? どうして自分は、この痛々しい姿を第三者から見て微笑ましいと思えるような人物像じゃないの? どうして自分はクッチーだったり久我山だったり斑目だったりの方なの? って。ぶっちゃけそんな風に思ってしまう。
そんな風に思ってしまうから、この作品自体も、「自分達のヲタ言動を美少女に投影する事で微笑ましいゆるゆる日常ギャグに見せて、本質的なキモさだとか痛々しさだとかをごまかして、目をそらさせる、そのために書かれて(描かれて)いる」、歪んだ自己弁護のように見えてしまって、素直に楽しめなくなってしまう。穿った見方に囚われてしまって、素直に楽しめなくなってしまう。
まあそれでも、ヲタである事をやめられはしないし、やめたいと心底思う事も多分無いし、この作品そのものを面白いと感じるのは変わらないんですけど。
他人の目を気にしすぎ? その通りですね。
新幹線の自由席で窓側に座っていたら、スーツ姿の綺麗なお姉さんが隣に座った。
その後、地下鉄で座席に座っていたら、隣に若い女の人が座った。
些細なことだけれども、「ああ、拒絶されてないんだ、避けられてないんだ」というただそれだけで、よく分からない安心感を感じる自分がいる。女の人に避けられるという事への恐怖がものすごく強い。冷静に考えてみたら、べつにそれは格好いいとか男性として価値を認められてるとかではなく、単に、危険そうな人とは判断されてないという事しか意味しない訳なんだけれども。
まあでもなんつうか、その時僕が持ってたバッグの中身が弟にもらったプライズの初音ミクでちょっと下から見ればパンツ丸見えだぜイーヤッハァ!なブツだということを知っていたら、この人達はきっと別の席を選んだんじゃないかなあと思うわけですよ。
まさに、知らぬが仏。
どうでもいいけど、リンク先にある奴でうちにはすでにfigmaとねんどろいどがあって、これでミクは3体目だ。ミクかわいいよミク。
去る5月31日、Mozilla.org誕生から10周年という記念すべき年のMozilla Partyをすっぽかして何をしてたかというと、大阪は心斎橋のクラブTRIANGLEで開催されていたニコニコキャラバンなるイベント(Mixiのニコ動コミュ発祥?のようで、Webには情報がない。日本全国の主要都市でキャラバン形式でイベントを行うもので、これはその大阪での開催分)に潜入しておりました。Mozilla Partyの方の日取りが決まるよりだいぶ前に、どういうわけか彼女に誘われていたので、先約優先ってことで……
ランキングとか全然見てなくてニコニコ動画内の流行に詳しくないんでついていけるか心配だったけど、途中からは知ってる曲が増えてきて助かった。
以下、憶えてる範囲でピックアップしてみた。知らなかった奴やこのイベント用にリミックスされた物については「これか?」と思った奴を適当に選んだので、間違ってる可能性もある。
実は誘った当人がダブルブッキングにより途中で抜けないといけなかったので、「合唱祭ブロウクン」の途中で退出した。ショボーン。このために大阪まで行ったのに……
コスプレしてると入場料が安くなるということもあってか、コスプレでの参加者が結構いた。ボーカロイドはミク・リン・MEIKO・KAITO(青/赤)がそれぞれ複数人いたし、SOS団、東方のキャラ、真紅・水銀燈など薔薇乙女、ドナルド(マクドナルド)、越前リョーマ、あと特にキャラではないと思われるメイドや制服とかも。彼女も一応直前に調達した衣装でコスプレ参加してたけど、キャラじゃない物はちょっと場違い感があったような気もする……
こういうイベントに参加したのは初めてだったわけだけれども、なかなか楽しいものでしたよ。
と答えたら、想定外の回答だったということでいたく驚かれてしまった。
文脈上、罵倒語として使われてるなら気分を害することもあるでしょうが、僕くらいになると、そうでもなければホントに「それが何か?」という感じですよ。やめようと思ってやめられる物でもないし、なろうと思ったってなり方なんか分からないし……
まあ一番大きな理由は、周囲の人達がそれを理由に僕を迫害するということが今の所起こっていないから、なんでしょうけどね。その属性自体にポジティブともネガティブともなんのイメージを持たず、ナチュラルに認識していられるのは。
なりたくてなるようなものだとか、頑張ってなるようなものだとか、そういう風に見る心理の方が僕にはむしろよく分かりません……
たまごまごごはんで紹介されていたのでCandy☆Boyを見た(ニコ動だけどアカウント持ってなくても見れる)。いやーこれはよい百合ですね。恋人繋ぎしてたのに他の女が来た瞬間に手をふりほどかれるとか、切ないです。こんないい百合見せられちゃもえじら組は黙っちゃいられねえな……!
……そういえばすっかり告知が遅れてしまいましたが一応冬コミ当選しました。12月31日月曜 東1ホールK60bです。
アッコにおまかせで初音ミクがとりあげられたけど酷い内容だったという話のトラックバック一覧から辿った先にあった、映像中でキモヲタの代表という感じで映されていた人の発言のまとめを見て思ったこと。(ちなみに「事件」のあらましはGIGAZINEのまとめがほどよくまとまっていて読みやすい。)
でぶこんだのMozilla 24だのにプレゼンテーターとして参加していながらもえじら組の活動を性懲りもなく続けていたりする僕なんかは、こういう話を見ると戦々恐々とせずにはおれません。いつ僕のせいでFirefoxユーザ全体がキモヲタ扱いされてもおかしくない状況。とかいいつつもえじら組を捨てる気はさらさらなかったりするんですけどね! ロリフォックスという前例もあるしね! いつかふぉくす子テーマを配布することが夢です!(そのまま夢で終わらせるべき)
しかしこのtaskという人のグダグダぶりもまた他人事とは思えないなと思った。というか同じ状況に置かれたら十中八九同じことをする自信がある。多分僕とこの人は似たようなタイプの人間なんじゃないかなあと思う。どうしてそういう風にしてしまうのか我が事のように心情を推測できてしまう。この人は明日の僕かもしれないのだ。
「スタッフが置いていった台本」について「アップしろアップしろ」と散々言われてもグズグズと出し渋ったのは、テレビで自分のキモいヲタっぷりを晒してしまったという「大失態」にビビってしまって、これ以上「罪」を重ねることを恐れたからだろう。その「罪」が誰に対しての物で、その「罪」の重さと「出さないことの罪」の重さとを正しく比較することもできなくなっていたんだろう。
「僕が『抗議』をしないことによって迷惑を被る人」は存在しないでしょ。
そうではなく「僕がいたことによって被害を被った人」が存在するのは認識してるけど。
こういう論理の破綻した言い訳を延々続けるのも、つまりは「自分自身はこれ以上何のアクションも起こしたくない」という風に心底ブルってビビってしまってるからこそだろう。あらゆる現実を「自分が動かなくても良い方向」に向けてねじ曲げて解釈している。動かなければこれ以上罪を重ねることはない。自分一人が叩かれ続けることが罪の償いである。そういう、自己満足の考え。
そうして亀のようにひたすら耐える。そのうち脳内麻薬が出てきて神経が麻痺してきてハイになってくる。だから
>>207 VIPで・・・・マジメ・・・・・・?
こんな開き直りもしてしまう。
そもそもこんな「大失態」を演じてしまったのも、褒められておだてられて調子に乗ってしまったからだ。僕自身がそうだから分かる。僕らはいつも鬱屈した感情を心に秘めている。自分がやっていることが世間から何ら評価されないことに苛立ちを感じている。ショボい「ナンチャッテ自己表現」しかしていないくせにいっぱしの表現者を気取っていやがる。卑屈なことを言うフリをして内心では「俺様はもっと賞賛されるべきだ」とおこがましくも考えている。不健全な状態。膨れあがる自尊心と欲望で高まる内圧を、「現実は冷たいんだよ」という理屈で無理矢理フタをして押さえ込んでいる状態。そこにかけられる甘いセリフ。高まりきった自尊心がピーと音を立てて一気に吹き出す。
そう。たった一カ所だけ認められた、ほんのそれだけで、ああこの人は俺のすべてを認めてくれるんだ、だなんて勘違いをしてしまう。今まで全然認められていなかった反動がそこに吹き出す。
その結果がああいう醜態に繋がる。
要は、アレだよ。普段無口でロクに会話に乗ってこないくせに、ヲタな話題が少しでもふられると、いや、場の誰かが話題に出しただけでも、途端に元気になって饒舌になって、頼まれてもいないのにベラベラベラベラといつまでも知識自慢を垂れ流す。あれの程度が酷くなっただけで、質としては同じ物だ。
起こるべくして起こった悲劇。避け得なかった悲劇。そんな風に思うよ。
そんな風に歪んだ内圧を高めなくて済む、自尊心を満たしたい時に満たしたいだけ満たせるって事。それが、「非モテ」の文脈で言うところの「モテ」の一側面なのかもしれない。そういう意味において、ある程度の「モテ」を体験できた(ている)お陰で、僕はまだバランスをギリギリ保っていられてるんじゃないかと思う。それらが失われればたちまち僕も「あちら側」に転げ落ちていくことだろう。かつていた場所に戻ってしまうだろう。今ですら、水を向けられれば調子ぶっこいていらんことまで喋る性質は、これっぽっちも直っていないのだから。
フォクすけブログの英語版ができた件を採り上げているニュースで、日本発のキャラクターらしく(?)若干"萌え"の要素を含んでおり
と書かれていて、「えぇぇぇぇぇぇぇ???」と思ってしまった。
もえじら組の立場が無いYO!
森奈津子風に言えば、「こんなんじゃ俺の萌えチンポは勃たねえ!」「こんなんじゃ私の萌えマンコは濡れねえ!」といったところでしょうか。
THE IDOLM@STER ALL STAR LIVE 2007 レポート……実はこの日Zepp Tokyoまで行ってた。といっても、ライブには参加していない。
いやね、弟がこれのためにわざわざ上京してたんですよ。有志が行ってるスタンプラリーへの参加も目的だったようなんですが。一人で車で700kmほどをわざわざ運転してきた。前日にいきなり「明日そっち行くから」という連絡があって、どういうことかと思ったら、彼はすでにプロデューサーになっていた模様です。しかも超やりこんでるし。プロデューサーカード見たらアイドルマスターになってたり、誕生日企画のグッズをいくつか持ってきてたりしやがった。なんてこったい……
まあここんとこずっと半径数km圏内から出ることがなく酷い時には24時間家から1歩も外に出ないことすらあるような閉塞した人生を送ってたので、彼の運転する車に同乗させてもらい、春の陽気の中のドライブを楽しんできたのです。