たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
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呑気なヘテロがホモフォビアを再生産するやその関連エントリにおいて、異性愛者が自身の持つ偏見に基づいて同性愛を描く事の問題が語られている。
僕自身は自分で認識している限りにおいては異性愛者だと思うんだけれども、それはそれとして、百合スキーでもある。ふぉくす子とさんだば子は百合百合でラブラブなカポーだ!と信じて疑わず(ぉぃ)、同人誌なんか作っちゃってるわけなんだけれども。
なぜ、僕は百合好きなんだろう。ということを改めて考えてみた。
結城浩氏のエントリで注目されている、目線(視線)の所に注目してみてみた。
芸が細かいなあ。
どうでもいいけど、歌いながら踊りながら視線を意識的にカメラの方に向ける、というのはリアルにかなり難しいことのような気がする。踊ることに集中してたら目線って絶対正面向く気がする。この人達は視線を意識する余裕があるということは、わざわざ集中しなくても体が勝手にフリ通りに動くくらいになるまで練習してるということの証拠でもある。まあ仮にも「プロのアイドル」なんだから当然といえば当然なんだけれども、そういうことをもこの映像演出は表現しているのかと考えると、本当に芸が細かいなあと思わずにはおれません。
ようつべに大量に動画が上がってるのを見てたらだんだん洗脳されてきてCD欲しくなってきてしまった。ハロプロにハマる人の気持ちが分かった。
と同時に、3次元(ハロプロ)には反応しないくせに2次元(アイマス)には反応してしまった自分に気がついて鬱になった。もうたすからん。……今更ですかそうですか。
ヨイコノミライ完全版 1(Amazon.co.jp)、[2](Amazon.co.jp)を買った。以前のバージョン?も持ってるのでお布施として。
いやぁ何度ページ開いても直視できないわぁ。買ったのに本棚の肥やしになっちまう。前にも書いたけど、げんしけんが巧みに避けていた「オタクの痛いところ」をこれでもかと見せつけてくる。
しかし僕らオタクにとってはこれがまごう事なき「僕らの青春」なんだよな。おおよそ世間一般に望ましいとされる青春像からはかけ離れた、甘くなくて酸っぱいどころかしょっぱいばかりの……これを読むとそんな青春を思い出せるので、オタクな人は一冊持っとくと吉かもしれませんよ。
今日はいつにも増して嫌らしいことを書いちゃうよ。いやらしいって、エロいって意味じゃなくて、見ててムカツクって意味よ。
脱オタ――オタク趣味を捨てるという意味ではなく、ここでは、オタくさい外観の改善を図るという意味で――ということを考え始めるようになってから、僕は、ずいぶん気が楽になったように思う。自由にものを考え、自由に表現できるようになったと思う。
本格的にエロ同人誌を作って売るなんて、脱オタを意識し始めるまでは、あり得なかったことだと思う。「脱オタ」を意識し始めてからこっちの方が、オタクとしてしたいことをしたいようにやっていると思う。それよりも以前の方が、「健全であること」「一般にも受け入れられること」にこだわって、自ら枷をはめていた気がする。皮肉なことに。
ツタヤでDVDが特価の1000円で売られてたんでうっかり買っちゃいましたよ、ギャラクシー・クエスト。
いやー、なんというか、おバカだ。たまんないわ。何度も見てるから筋書きも分かってるんだけど、なんか笑ってしまう。
そして格好いい。理屈抜きでカッコイイ。物理法則とか考証とかそういうのはもはやほとんど意味を持たない。
「面白ければ正義」。これに尽きる。
うーん。しかしこれはやっぱりもっとでかい画面で見たいなあ。一度映画館で見てしまうと、その記憶がデフォになってしまうんで……
ここまでのまとめ。
んで、今日、その著者の方とお会いしてきましたよ。「変身」決行の前の打ち合わせということで。
色々興味深い話が聞けたと思う。特に口止めされてなかったから暴露しちゃいますよ?(鬼)
僕は僕でまた思いつきで色々ベラベラと。
異なる世界の人と話すと、今までハッキリとは見えていなかったことや、確信を持てなかったことに、確信めいたものを持てるようになってきたりする。
まあ会って話して思ったのは、氏のあのノリは悪意と言うよりは、ヲタに対する無知故のただの無神経(←暴言)。例えるなら「パワフルなかーちゃん」的な印象を受けました(←失礼)。
見方を変えれば、ヲタがあまりに神経質すぎるとも言えるかもしれない。
上に書いた「タブー」に無意識のうちに触れてしまいかねないのが、価値観の異なる人同士のコミュニケーションの難しさですね。しかしそこに拘泥してても建設的な話にはならんでしょう、と、僕は思います。
決行の日へ続く。
まあ、そんなとこです。