Mar 01, 2006

社会の隅っこの崖っぷちからかろうじてぶら下がってしがみついていること

今日はいつにも増して嫌らしいことを書いちゃうよ。いやらしいって、エロいって意味じゃなくて、見ててムカツクって意味よ。

脱オタ――オタク趣味を捨てるという意味ではなく、ここでは、オタくさい外観の改善を図るという意味で――ということを考え始めるようになってから、僕は、ずいぶん気が楽になったように思う。自由にものを考え、自由に表現できるようになったと思う。

本格的にエロ同人誌を作って売るなんて、脱オタを意識し始めるまでは、あり得なかったことだと思う。「脱オタ」を意識し始めてからこっちの方が、オタクとしてしたいことをしたいようにやっていると思う。それよりも以前の方が、「健全であること」「一般にも受け入れられること」にこだわって、自ら枷をはめていた気がする。皮肉なことに。

脱オタを意識し始めるまでは、今振り返ってみると、随分行き詰まっていたと思う。激しい劣等感に押し潰されそうな僕がいた。どん底に堕ちる恐怖に怯え、その一歩手前で震えていた。それで敢えて自分に「健全であること」「一般社会の顔色を窺うこと」を強く課していた気がする。

――

必死こいて情報を集めなければ良い作品に出会えなかった、「おたく」でいるためにはそれなりの努力が必要であった、「おたく」であるということは尊敬の対象であった、という時代がかつてあったという話を最近時々目にする。

そして、それとセットで、そんな時代とは異なり今では、コンテンツが過剰供給され、「まとめサイト」なり何なりを見れば簡単に「良い作品」を知ることができ、ただボーッと口を開けて待ってるだけでも「オタク」でいられるようになった、「オタク」であることは今や勤勉さも努力も何も意味しなくなってしまった、という話も目にする。「今やオタクは、努力しなければなれないものではなく、ただ受け身でいるだけでなれるものになってしまった」という言い方がなされている場面を見かけることがある。

前述の発言。これはもう一歩踏み込んで言い直したら、こういう事にはならないだろうか。「現代で、他に何もできずにオタクでしかいられない人間は、勤勉さが無くて、努力も何もできない、おちこぼれのロクデナシ」、と。ましてや、それで毎日ただただちん◯をこすってオナニーしてるだけとなったら、あなた、そんな人を尊敬できますか? そんな人の、一体どこを尊敬できるというんですか? そもそもそんなのって「人間」と言えるんですか?

だから僕は、エロマンガとかエロ絵とかを描けなかったんですよ。描いたとしても、公にできなかったんですよ。

ただでさえ、オタクでしかいられない、勤勉さも努力する心も無い、自分で金も稼がず親のすねかじり、そんな人間なのだから、せめて「健全」でなければ存在することすら許されないんじゃないのか。「健全」であろうとすることが唯一自分の存在を許容させているんじゃないのか。たった1本の指だけで、僕は社会の隅っこの崖っぷちからかろうじてぶら下がってしがみついてるんじゃあないのか。「不健全」を受け入れた瞬間、自分の存在は許容されなくなってしまうんじゃないのか。全体重を支えていたその指を蹴飛ばされて外されて、そのままどん底どころか奈落にまで堕ちてしまうんじゃないのか。人生おしまいなんじゃあないのか。

そんな恐怖から、自分のしたいことを我慢していたところがあったんじゃないだろうか。

――

なんだかんだで、今、振り返ってみる。自画自賛するのも何だけど、少しは人の役に立てたり、尊敬してもらえたりするようになったと思う。就職して、給料を貰うようになって、それだけの給料を払うに値する人材なのだと評価されている実感を得ることができたと思う。それでやっと、劣等感から少し解放されたように思う。少々不健全でも、社会の隅っこの崖っぷちにしがみついてる手を多少蹴飛ばされても指が離れない、奈落に堕ちずに済む程度には、握力が付いたんじゃないだろうか、あるいは、指から根が生えたんじゃないだろうか、と思う。

まあ、所詮は後付けの理屈だけれどもね。

さて。実際にはそんなに握力なんて付いてなくて、根っこも生えてなくて、相変わらずちょんとつま先で指を蹴飛ばされるだけで奈落に堕ちそうだという状況に何ら変わりはなかったのだとしたら、僕は今まさに破滅に向けてまっしぐら、というわけなんですががが。

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