たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
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いじめというのは、された方はいつまで経っても忘れられないのに、した方は平気で忘れやがる。
……というのはよく言われることだけれども、それは、報復行動に移した後にも同じ事が言えるのではないか。
僕はリンク先の人みたいなこういう人達を、すごいなあ偉いなあ羨ましいなあ、と思う。それは、彼らが「強い」からだ。
この人の書くエントリが時々とりあげられてて見てみると、大抵、コメントスクラム(名無しによる数百件におよぶ大量の投稿でコメント欄が埋まる現象)に遭っている。にもかかわらずこの人はブログを書くのを止めていないし、プロフィールを引っ込めもしないし、コメント欄に制限を加えるようなことをする様子もない。
攻撃に晒されてもブログを止めない人はとても多いけれども、コメント欄に制限を加える素振りすら見せない人というのは、そう多くないような気がする。大抵、コメントスクラムに遭った人が見せる反応で一番多いのは、ブログの閉鎖(全ての問題からの逃避)だ。その次に多いのが、コメント機能の封印(自分の発言は続けるけれども攻撃からは身を守る)。あるいは、プロフィールを伏せてしまうことで(ただプロフィールを伏せてもGoogleキャッシュとかで辿れてしまえるから意味がないので、大抵は、ブログを閉鎖して新しく別アカウントで開始することになるんだけど)「素の自分」「生きてる自分」と「ネットの自分」「嘘の自分」とを切り分けてしまう、というケースも実に多い。いずれも、これ以上の攻撃に晒されたくない、これ以上「自分の自我」が攻撃に晒されたら精神が参ってしまう、という危機感からの防衛反応だと言えるだろう。
つまりこの人はある意味で、コメントスクラムに参加している人々のことを心底ナメきっている、と言うこともできるのではないかと思う。どうせこいつらにはこの程度のことしかできない、それ以上のイヤガラセも何もしやしない、と。
というか、外側に現れるものと自分の内面とを結び付けてしまってる自分のような人間と違って、彼らは、仕事でやってることもその関係での人付き合いも何もかも、表出するものはすべて「ネタ」と割り切っている、というだけのことなのかな。
「遠距離恋愛」は聞いたことあるけど「長距離恋愛」は聞いたことなかった……
字面が<ruby><rb>長距離弾道ミサイル</rb><rp>(</rp><rt>ロングレンジミサイル</rt><rp>)</rp></ruby>みたいだ。英語で言うとロングレンジラブ? 恋愛の射程距離ってなんだ。ストライクゾーンなら聞いたことあるけど。
「長距離走」の方だと、リタイア続出の予感。ゴールで力尽きたり。
歴史を学ぶということは面白い。
プロジェクトXで採り上げられるようなごく短いスパンのものも、立派な「歴史」なのではないかと僕は思う。記事執筆のための資料として調達した数冊の本を読んでいて、そういうことを改めて思った。
歴史の中心には常に「人」がいる。何人ものキーマンが少しずつ活動時期をずらしながら、あるいは同時多発的に、重要な足跡を残していって、それらの足跡が別の人の活動と結びついて、別の成果として実を結ぶ。そういうことの繰り返しが、歴史というものなのだと思う。そしてそういう様子は、細かく見ていけば見ていくほど実に面白いものになる。マクロの視点ではただの「出来事の羅列」でしかなかったものが、近づいてよくよく見てみると、無数のドラマの積み重ねだったりする。
僅か十数年に満たないインターネットとWebの歴史だけでもこれだけ刺激的なのだから、世界史とか日本史とかのもっと長くて広いものを詳細に渡って研究している人達が、ある意味では羨ましく思えてくる。
アドレス帳というものを作る習慣がない。メール書くときはいつも受信メールからアドレスをコピペしてる。年賀状も、「去年来た年賀状」を見て住所書いてたりする。
携帯だと受信メールや着信履歴を探すのが大変だしそもそもそんなに数が残らなくてすぐログが流れてしまうから、さすがにアドレス帳に登録してるんだけど。容量無制限でUIがもっとよく出来てて検索効率が十分に高ければ、携帯ででもアドレス帳作らないかも知れない。
多分、アドレス帳が必要なのって、自分からアクティブに連絡取るタイプの人なんじゃないかなと思う。僕みたいに基本受け身のひきこもり体質だと、自分から連絡を取ろうとする頻度がそもそも低いから、アドレス帳作る面倒さの方が過去の受信メール探す面倒さよりも上回ってしまう。
そんなだから、アドレスに紐付けられる事の多いようなその人のパーソナルデータ、例えば誕生日であるとか居住エリアであるとかそういったことにも無頓着になる。斯くして、友達甲斐のない奴の一丁上がりという寸法だ。
我ながら切ないのう。
最近の若い人は睫毛と眼球の間の粘膜にまでなんか塗るんですか。恐ろしい話だ。結膜炎とかのリスクを抱えてまで、そこまでしてる人達に、「ありのままの僕を好きになってほちい!」なんて言ってる僕らヌルヲタが敵うわけありません……
通勤中、ふと前を見たら女子高生(けっこうかわいい)が白いヘッドフォンをつけて歩いてた。首にかけるようなのじゃなくていかにもヘッドフォン然としたやつ。しかも見た目ゴツくてどうやら密閉型っぽい。
こんな人、はっとりみつるの漫画の世界にしかいないと思ってたよ……
昨日駅で、女子高生の集団(と書くとなんかアレだな)が赤い羽共同募金の呼びかけをしていた。一度通り過ぎた後少し考えて引き返して、硬貨1枚だけ放りこんだ。どうせゴミになってしまうだけなので、羽根は受け取らなかった。
街頭で何時間も突っ立って募金を募るくらいなら、何時間かバイトしてその給料を全額寄付しろよ、と言う人もいる。24時間テレビなんて、集まった募金額をはるかに超える巨額のカネがギャラやら何やらで動いてるわけで、番組作るよりそれ全額寄付すればいいじゃねえか、と言う人もいる。結局偽善じゃねえか、と。
確かにそういう見方にも一理あると思う。「カネ」だけに目をつけるなら確かに意味は無い。しかしこういった募金の呼びかけやチャリティ企画の「啓蒙・教育効果」については、意義はあると思う。
今日から新しい首相になったということを知らずに放置してて外出先でそのことを知って、帰ってきて慌ててコメント投稿用キーワードの設定を修正した。
漢字の間違いには要注意ですね。
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲を見ててALWAYS 三丁目の夕日のことを思い出した(どっちもWikipediaに項目があるというのが、なんだかなあ)。
昭和ノスタルジーに関しては以前に書いたことがあるんだけど、今改めて検索してみると、やはりこの2作品を並べて論評している人が結構いる。しかし興味深いことに、その中には「どっちも(過去の風景を見て)感動した」「(片方)を楽しめた人は(もう片方)も楽しめるはず」という風に、2作品を並列させた書き方をしているところが少なからずあった。ひょっとしたら、(僕のように)対置的な書き方をしている人の方が少ないのだろうか。