Oct 01, 2006

昭和とノスタルジーを扱った2作品に対する対極的な扱い

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲を見ててALWAYS 三丁目の夕日のことを思い出した(どっちもWikipediaに項目があるというのが、なんだかなあ)。

昭和ノスタルジーに関しては以前に書いたことがあるんだけど、今改めて検索してみると、やはりこの2作品を並べて論評している人が結構いる。しかし興味深いことに、その中には「どっちも(過去の風景を見て)感動した」「(片方)を楽しめた人は(もう片方)も楽しめるはず」という風に、2作品を並列させた書き方をしているところが少なからずあった。ひょっとしたら、(僕のように)対置的な書き方をしている人の方が少ないのだろうか。

「オトナ帝国」の主題は紛れもなく、ノスタルジーを持ち上げる傾向に対する批判だ。主題という点に着目する限り、「オトナ帝国」の主題に共感した人は「ALWAYS」を受け入れ難く、逆に、「ALWAYS」に共感した人は「オトナ帝国」を受け入れ難い、というのが「普通の反応」ではないだろうか?

両者を共にオススメしている人のエントリに共通しているのは、「ALWAYS」が気に入った人なら「オトナ帝国」も気に入るだろう、という方向での書き方のように思える。逆方向の書き方をしている人でも、その内容はあくまで「オトナ帝国で描かれたノスタルジックな世界が気に入った人は、ALWAYSも~」というもののように思えた。「オトナ帝国のノスタルジー批判を気に入った人は、ALWAYSも~」という内容のものは、僕の見た範囲では見あたらなかった。

今の若い人間は、作品や世界の中で自分の気に入ったごく一部分だけを切り出して、その部分だけに「萌え」てばかりいる。全体を見て判断するということをしない。……という批判を、「萌え」世代のオタクに対して向けている人がいた。結局おまえらは自分好みのかわいくてエロい美少女キャラ(腐女子であれば、萌えられる美男子キャラか)がいれば物語の出来はどうでもいいんだろ、という意味合いで。批判対象を「世代」という枠で括っていた。

しかし「ALWAYS」と「オトナ帝国」の2作品に対する上記のような見方というのは、それと大して違わないように僕には思えた。そしてそれをしているのが、実際にその昭和時代を生きた人達、下手したら40とか50とかになるような人だったりする。

言うまでもなく、一般映画の「ALWAYS」と子供向けアニメ映画(という風に見られがちなジャンルにある)「オトナ帝国」では、「ALWAYS」の方が認知度が高いだろう。そして、主題を見ずに好きなところだけを見るという「萌えオタク」に見られるような傾向はどうやら、「ALWAYS」の支持層にだけ見られるものであるようだ。

その一方、「萌えオタク」は、「オタク趣味について深い造詣を持ち作品について熱く深く語ることのできる、そして時には次の作品を生み出すことすらもする」という第1世代・第2世代のオタクに対する、新種の第3世代のオタクとして語られている。その発生要因は「オタク文化の一般化によって障壁が無くなり、自分の思い通りにならない現実からの逃避先として、オタク趣味を選択する者が増えたから」という風に言われている。

つまり何が言いたかったかというと、オタクというごく一部の人々がダメになったと言うよりも、日本人が元々全体的にダメだったんだな、ということを思い知らされる一つの事例なのでした、ということで。

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