たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
少なくとも、Webを通じて僕のことを知ってるだけという人よりは、僕は僕の置かれた状況という物をよく分かっているはずだ。Web上には僕の手でコントロールされた情報しか流れ出ておらず、そのコントロールされたごく僅かな情報に基づいて構築された人間像のイメージと、自己認識との間にギャップが生じてくるのは、当たり前のことと言える。
ただ、精神が未熟な子供である僕には、それがどうしても耐え難い。実際の自分とはかけ離れた虚像に対して非難されたり羨ましがられたりするのが、ストレスに感じられて仕方がない。
そのストレスをなくしたくて僕はなるだけ正確な情報をありのままに示したいのだけれども、それができない(してはいけない、と自分を縛っている)というのが、これまたストレスになっている。
そういうわけで僕は、僕の虚像を哀れんでいる人に「ふふふ、バカねえ。現実のアタクシはもっと幸せなのよ」と思い、僕の虚像を羨んでいる人に「哀れだねえ、これ(実際の状況)が幸せだと思っているなんて。仮に僕と交代して、この人は音を上げずにいられるのかね?」と思う、そんな歪んだ方法でストレス解消を図るわけなのですけれども。
インフルエンザの時にウィルスをまき散らさないようにとマスクをつけてたんだけど、自分の口臭が気になって気になって……そういうわけでここ数日、歯間ブラシまで使ってわりかしきっちり口の中を掃除するようになってたりする。
さて、いつまで続くでしょうか。
はてなの投げ銭を受け付けられるようにしておきましたよ。浅ましいにも程がありますね!
小さい頃から、寝ようとすると目の前に恐ろしいイメージが広がってくる、ということが時々ある。
それは、その時々によって実に様々な姿で僕の前に現れる。
目を開けている間はそのイメージは消える。でも、目を閉じるとすぐに戻ってくる。楽しい想像や勇ましい想像をしようとしても、すぐにかき消されてしまう。例えば、思い浮かべたヒーローの顔がどんどん腐ってまた視界全体がおぞましいものに埋め尽くされる。例えば、思い浮かべるもの全てが思い浮かべる端から、ひびだらけになり粉々に砕けて、何を思い浮かべても全部が粉のようになってしまって、白い砂嵐が頭の中を延々吹き荒れる。
どこから来るのか分からないそんなイメージに怯えて、そのイメージがイメージではなく現実にあるもののように感じられて、小さい頃はよく泣いていた記憶がある。「怖いよう」「潰れるよう」とかなんとかよく分からないことを口走り、声を上げて泣きじゃくって、夜中に親を困らせていた。親は「ストレスでそういう悪夢を見るんじゃないだろうか」と言っていた。
成長するにつれて、現実との混同が無くなり、泣きじゃくるようなことはなくなったけれども、今でもそういうイメージが不意に訪れることがある。未知の物への恐怖であるとか、汚らしい物への嫌悪であるとか、死を恐れる心であるとか、そういう、かなり本能に近いところの感情が強く揺さぶられる感じ。
タイミングも何も分からない。親がかつて言っていたように、ストレスが引き金となって起こるのかも知れない。結局の所はよく分からない。
だからどうしたと言われると、ただそれだけなんだけど。
小さい頃は、それでも寝付けるまで、両親がひたすらなだめてくれたっけ。それも親の愛だったんだろうな。
今またそんな夜が来てしまったのだけれども、さて、今夜はいつになったら寝付けるのだろう……
少しは人間的な生活環境にしようと思って、先週から少しずつ部屋の中のものを減らしていっている。まだ一立方メートルも空間増えてないけど。
今日は思い入れの薄い漫画や小説とかを売っ払ってきた。昨日買ったばっかりの「2001+5」(著:星野之宣)も思い切って処分。未練の無いものは少しでも減らしていかないと、どうにもなんない。
生まれて初めてインフルエンザに罹患してしまいました。ですからロストインフルエンザバージンです。A型だそうです。今の今まで一度もかかったことがないというのがむしろ不思議なくらいなのかもしれませんが、ホントにこれが初めてなもので……
鼻水とくしゃみに始まり、翌日は朝から全身関節痛。医者に行ったら体温38.3℃と出て、検査の結果インフルエンザと判明、今週いっぱい引きこもるようにとの指示を頂きまして。
一時は予測式体温計で39.4℃なんていう笑っちゃうような測定結果が出たりもしましたが、タミフルと解熱剤が効いたのか体温は平熱レベルに戻ったようで、今はダルいやら頭がボーッとするやらそんな状態。
日電のPC-FXのマスコットキャラじゃなくてですね(それはロルフィー(古&マイナー(あれからもう10年以上経っちゃってるんだなあ……)))。
優勝カップとかトロフィーとか楯とかメダルとか。こういう物がずっとずっと欲しかった。そりゃあ、社会に出ればこれっぽっちも役に立たないだろうさ。かさばって邪魔になるだけだろうさ。でも、欲しかったんだ。
こういう物が欲しかったっていうか、こういう物を手に入れるという栄冠こそが欲しかった。目で見て分かる、ハッタリの効く「勝利の証」が欲しかった。そういうものを受け取る人達の姿を見ると、羨ましいやら悔しいやらやるせないやらで、切なくなる。それを手に入れられなかった僕は、自分のことを「敗者」以外の何者とも思うことができない。
かといって、今から手に入れても、きっと鼻で笑われるだけなんだよな。大人げないとか言われるんだろう。
非モテとか喪男とかは、「恋愛がしたい」んじゃなく、「若い頃(学生時代)の甘酸っぱい恋愛がしたい」んだ、という話がある。それと同じなんだろう。今手に入れて鼻で笑われるようなトロフィーが欲しいんじゃない。世の中というものをまだよく知らない、それを手に入れた人のことを純真に「すげえなあ」と思うことのできるような子供の時分に、それが欲しかったんだ。
叶わない夢と分かっているだけに、なおさらやるせない。
僕が、上位になりたがったり、そこから転落したら死ぬほど落ち込んだりするのは、上位になった証というものを持ったことがなくて、証を欲しがっていて、でもそんな証は手に入らなくて、一度転落してしまったらもはや一瞬でも上位でいたことを証明する物が何も残らないから、なのかもしれない。ああ、なんて虚しい見栄。下らん虚栄心。
……探してみたら一個だけあったよ。幼稚園の運動会で徒競走とかの際に一人一個くらいの割合でおそらく大量にばらまかれた、爪切りにもなるメダル。わらい。
いや、これ、今でも愛用してるんだ。手の中で横向きにしっかりホールドできるので、とても使いやすいの。
そんなオチ。
3万人の編集者のエゴがぶつかり合った結果、「政治的に中立」な記述だけが残され蓄積されていく場所。
であると同時に、他の編集者に気付かれさえしなければ、アレな記述でも無尽蔵に蓄えられていく場所。
Wikipediaってそんなもの。と思う今日この頃。