たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
さとみかん→想像を絶する→2005年4月25日 福知山線5418M、一両目の「真実」。例の1両目に乗っていて救出された人の手記。生の言葉が色々と響く……
禁煙ファシズムなんて一部の喫煙者が立場を守るために用意した造語に過ぎないよね→禁煙ファシズム発動(大事な人に押し付ける)を読んで思った事。
「喫煙するのは自己責任。肺癌のリスクを理解した上で喫煙してるんだから文句は言えない。」この理屈に含まれているいくつかの嘘。喫煙者本人がリスクを分かっていないようなものを、喫煙者本人じゃない人間が分かるはずがない。リスクが分かっていないから「ほっといてくれよ」と軽々しく言えるし、リスクが分かっていないから「こっちに迷惑かけないでいてくれるなら好きにすればいい」と軽々しく言える。
あと、
私は、煙草がやめられなかったくせに
- 携帯灰皿を持って、マナーを守っている事をアピール(人のいる場所や、灰皿のない所でも吸わずにはいられなかった)
- ひと言「吸っていい?」と同席した人に断ってから煙草に火をつけていた(「吸っていい?」と訊かれ、よっぽどのことがない限りは断りづらい事に気づかない無神経さがあった)
- 一週間吸わずに過ごした事があったから、本気でやめようと思ったらやめられると考える(やめられないのに、それを自分で認めなかった)
- 別にそれほど強く長生きしたいと思っていないと考える(リスクに対して向き合うことを根本から拒否していた)
- 駅の喫煙コーナーで煙草を吸っていた(煙草を吸ったばかりの人の口がどれほどくさい口臭に感じるかは、止めるまで分かりませんでした。わきがの人が自分のにおいに気づかないのと同じでした)
普通は「良識ある喫煙者」と言われるような態度について、元喫煙者のこの人自身がこのように捉えるようになったということが、実に興味深い。
補足しておくと、この「良識ある」は、吸い殻を所構わずポイ捨てしたりとか、周囲の人に何も訊かずにいきなりスパスパ吸い出すとか、禁煙の看板なんて関係ないねとか、そういうのに比べての話です。逆に言えば、その程度のことをしないだけで「良識ある」と判断できるほどに、喫煙者というものに対して僕は強い悪印象を持っている(そういうマナーの悪いのがデフォだと思ってる)ということでもありますね。
僕が呼ばれる場合とその相手を考えてみたところ、よく考えてみたら、僕のことを名前で呼んでいたのは両親だけだったということに気がついた。それ以外の人からはみんな名字かあだ名で呼ばれていた。
逆に、僕が相手のことを気兼ねなく明確に名前で呼び捨てにできるのは、昔も今も弟だけだ。そして、僕が暴力その他で相手を屈伏させることができていたのも弟だけだ。だから僕の頭の中では無意識のうちに、名前で呼び捨てにするという行為と、暴力で相手を屈伏させるという行為とが、密接に関連づけられているようだ。(自分が呼ばれる場合はこれとは関係ない)
よって、僕が弟以外の相手を名前で呼び捨てにするときというのは、相当僕が調子に乗ってる時くらいのものだと言うことができる。そして今のところ幸いにも、そのような機会は訪れていない。
……普通は、親友同士呼び捨てで呼びあったりとかするものなんだろうなあ。そういう機会に恵まれなかった僕は、つまり、本当の親友がいないということなのかもしれないなあ。
鬱。
――何故こんな事を今頃言うているのかというと、初めて会ったときに「名前呼び捨てで呼んで」と言われた(相手に、そう呼ばれたいと願われた)にも関わらず僕の方がそれをためらってしまったという事実が、なんだか負い目になっているからなワケですが。
明治セックル維新 新政府御性文帖→格差ゲームとしての桃太郎電鉄。
僕の世代くらいで多人数プレイパーティーゲーム(?)の定番といえば桃太郎電鉄だと思うんだけど、実は僕はこれを一度もプレイしたことがない。誘ってくれるような友達がいなかったからというのももちろん大きいのだけれども、仮に誘われたとしても、周囲をドン退きさせて次からは呼んでもらえなくなるのが関の山だろう。
何故なら僕はすぐにアツくなる。一度だけやらせてもらったファミコン版人生ゲームでも、監獄に落ちたり一人だけ結婚イベントを通過できなかったりしたら本気で悔しがって機嫌が悪くなる。ほほえましいとかそんなレベルを通り越して、キモいレベルで。……あ、だから桃鉄には呼ばれなかったんだな。なんだ、仮の話どころか事実じゃん……
あの頃から僕は全然成長してないねママン……
久しぶりに、大学時代にサークル設立云々で苦楽を共にした友人達と飲み会。
参加者の一人が今年の末に恋愛結婚するそうな。生粋のヲタから一躍、人生のモテ組に転じた彼は、生きた伝説と言えよう。一時期は「恋と書いてレンと読む!」とか言われてたくらいだそうなのにね!
そういう流れで、ここ最近のこと鬱々としたものを色々と垂れ流したり、会長の過去の辛い体験を聞きだしたり、色々と。
女同士でお出かけしたのを「デート」と言うことがなんか取り沙汰されてるみたいなんですが。
僕もともさん(♂)と二人きりで出かけた時に「デート」と書いたわけだが……僕にとってはこれは自虐ネタ。「おまいは女とデートする機会もねーのかよプギャーッ」みたいな。
まあ、これがネタとして成立するのは、ともさんが素敵イケメン男子だからに他ならないワケなのですが。(……ってことは僕が女役か?!)
ちなみに、同じく素敵イケメンな哀さん(♂)とデェートした時にともさんに「今哀つんとデートちうv」とメールしたら、「デート中に他の男とメールするなんてサイテー!」と返されました。向こうの方が<ruby><rb>上手</rb><rp>(</rp><rt class="読み">うわて</rt><rp>)</rp></ruby>だった……
ジョージアのCMでサンボマスターが歌ってる、和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」。サンボマスター公式サイトによると11月2日発売のマキシの2曲目に入るそうな。
買おうかな……
これが現実4 - 喪男道のコメント欄に
しかし、セックスが「コミュニケーションの一手段」っていうのがはなはだ怪訝です。セックスでどうやってコミュニケーションするんだろう?
仮にコミュニケーションの手段であるとしても、それならどうして「セックスだけが目的な関係」ってのが発生するのかしら…?
わざわざ文中で「セックスだけを目的とした関係は切る」って決断しておられますが。コミュニケーションってのは何か疎通したいものがあるから行うもので、伝達事項のないコミュニケーションなんてそもそも成立しないのですが…。
とあったのを見て、思ったこと。
童貞ヲタの僕が妄想するぶんには、セックスはコミュニケーションたり得ると思っている。そして、それを通じて伝達するのは、自分自身・相手自身そのものだと思っている。否、そう願っている。
この考えは、僕のエロゲーやらエロマンガやらの好みの方向性を自己分析して辿り着いたものだ。
ということで今日はちょっとエロについてアツく語りクレちゃいますよ。18歳未満の方はさようならですよ。