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の動向はもえじら組ブログで。
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最近なんかイライラしてる気がする。物事が思い通りに進まなかったり、先行きが不透明だったり、でも最大の理由は多分、いよいよ引っ越しが迫ってきて心の余裕がなくなってきたからなんじゃないかと思う。
もうすぐ夢から覚めないといけなくなってしまうんだなあと思うと、どうしても……
static and distribution :: diaryより。
赤点って30点未満からなの!?現在26歳が通っていた県立高校は赤点40点未満だったけど。俺もそのゆとり教育に浸りたかった。
そのゆとり教育に浸っても12点とかで余裕の赤点な僕が来ましたよ。
「メタ的視点から考えてみる」とか「ベタな視点で書かれててつまらん」とか、ベタだのメタだの書かれてるのを見かけて、それって何やねん? と思うことが度々あるんだけど、まりねこ氏のblogのコメント欄に書いたとおり、自分は以下のように解釈している。
いちおう韻を踏んでみたんだけど、どうでしょう(←つまらん)。
物事に対してどれか一つの観点からしか接することができない、というのが、良いときもあれば、悪いときもあると思う。例えば、恋愛初期はメタやネタの視点は持たない方が良いような気がする。分析するときは、ベタな視点を排除した方が冷静な判断を下せるかもしれない。でも、ベタな視点をなくしてしまったら、地に足が着いてない机上の空論にしかならないかもしれない。
やっぱあれかね。バランス感覚が大事なのかな。
先のエントリを見て僕のことを「開発者コミュニティが何よりエライと思っているオープンソース信者」と思う人がいたら、それは誤解だ。僕はむしろフリーライダー歓迎派、ユーザに媚びるのも一つの手だと思っている人。エンドユーザが親しみやすいように物を作ることは素晴らしいことだと思っているし、実利的なメリットもある。裾野を広げることはプロダクトを育てることにもつながる。Firefoxユーザが増えなければ、便利な拡張機能がこれほどたくさん開発されることもなかったろうし、「致命的でないけど使い勝手を著しく下げる」という系統のバグも放置されていた物がもっと多くなっていたかもしれない。
もっと個人的な話をすれば、今いる会社がオープンソースを飯の種にしている以上、OSSの一般への認知拡大は飯の種の増加を意味するわけで、Firefoxが普及すればうちにも案件が舞い込んでくるかもしれないわけで、お金もらえるかもしれないわけで。
それだけでなくて、自分自身もフリーライダーだしね。Firefoxは拡張機能を作りこそすれ、本家にフィードバックしてないし。他にも色々「使うだけ」のソフトはある。というかそういう物の方が多い。
ただ、「開発者は利用者の奴隷ではない」という点は、健全にフリーライドするために認識を共有しておきたいところだ。お客様気分の利用者が大上段に構えて奴隷を顎で使うように開発者に接するようでは、フリーライドさせる気も失せるというもの。もちろんその逆も。
お互い、敬意を持って接するべきだと思うのですよ。
ラジオクリルタイ第3回(後半)を聞いてて思ったこと。
2ちゃんねる喪男板的には「はてなダイアリーで名前(実名でなくても、発言から発言者を、そして他の発言を追跡できるようなidentifier)を晒してる人の感覚がよくわからん」みたいな感じだ、という話があったと思う。「ネットで名前を晒すなんて、誰からイタズラされたり犯罪に利用されたりするか分からないし、危なくて危なくて仕方ないじゃないか、こいつら一体何考えてるんだ」とか、「固定ハンドルが気にくわない。特定の名のもとに発言する奴なんてのは、ただの目立ちたがりか、商売根性の下衆だ。名前を晒して何かするなんてのは売名行為だ。」とか、そのへんの。
個人の名のもとに発言する人が多ければ、確かに、個人の利益のための売名行為は増えるだろう。匿名が推奨される環境なら、売名行為は排除されるだろう。それはいけ好かない奴が現れにくい、薄汚れたエゴが淘汰される、ある意味では清らかで美しい世界と感じられるものなのかもしれない。
しかし、有名人でもないただのいち個人の名のもとにできることなんていうのは限られている。何かあったときにはその個人が発言の責任者として集中砲火を食らい信頼を失うことになるから、下手な事はできないというブレーキも自然とかかる。逆に、匿名だと責任を取らされることがないから、リスクなく「下手な事」「まずい事」ができてしまう。だから暴走に歯止めがかからなくなることがままある。
薄汚れたエゴにまみれた世の中と、無責任な暴力が溢れる世の中とでは、どっちがより住みやすくて居心地のいい世の中なんだろう。そんなことを思った訳ですよ。
ものっそ久しぶりにアイススケートなんてしてきた。
ひらパーのスケートリンクに行ってきたんだけど、明日が最終日だというのと、土曜ということもあってだろう、ものすごい人の数だった。下手に転倒したらどえらいことになりそうなくらいの。ごめんなさいちょっと大げさに言いました。でもほんと混んでた……
スケートを最後にやったのは10年以上前だと思う。最初は上手くやれるか心配のおっかなびっくりだったけど、しばらくやってるうちに勘を取り戻せたようで、後ろ向きに滑るとかその辺のことはこなすことができた。今日は最後まで相手も含めて一度も転ばなかったんで、そこは褒めてちょうだい。笑。
整備した直後の氷というのはやはり気持ち良く滑れる。いろんな人が大量に滑ってるからミゾだらけだし、屋外リンクだから日光で表面が溶けて結構ビショビショだし、で最初はずいぶん滑りにくかったけど、整備後はもうさっきまでのが何だったんだってなくらいにスイスイ滑れた。
手袋無しで氷に上がるのは禁止ということで売店で手袋を買ったんだけど、サイズの合う奴は、やたらとごついスキー手袋しかなくて……こういうのだったら持ってたんだから家から持参すればよかったよ。トホホホホホ。
昔の話になるんだけど、幼稚園の途中から小学校の途中まで、幼稚園主催の体操クラブで冬にはスケート教室があったんですわ。それでちょっとは滑れるようになった。靴紐は上までしっかりがっちり結んだ方が足首が痛くなくて良いとか、そんな知識もそこで得たんだったと思う。大人になってから役立てるためにも……! と通わせてくれた母の先見性には感謝するばかりだなあ。笑。
アリゾナにいる哀さんから年賀状が届きました。今日。
文面と消印を見るに、昨年12月中に出されたもののようではあるんだが……一体今の今までどこを彷徨っていたんだこの葉書は。
NHK見てたら格差社会の話をしてた。年収200万以下と2000万以上の人が増えて、格差が広がってるという話。
親元で暮らすパラサイトシングルをやってるとなかなか危機感を実感できないけど、年収180万(番組でとりあげられていた人は、しかも仕事の内容に見合わない低賃金でコレ)で独り暮らしをする大変さというのを、こう見せつけられると……
独り暮らしをするって事は、いままで家族全員で割り勘してたものを一人で負担するようになるって事なんだよなあ。頭痛いわ。ますます出て行く気力が萎えていく。でも出てかなきゃならんのだよなあ。暗くなるなあ。
番組では個人でも加入できる労働組合(首都圏青年ユニオン)というのが紹介されてた。……保険、貯蓄、僕ももっと色々考えんとならんのよなあ。ますます頭痛くなるなあ。
……と、すぐにテレビに影響される頭からっぽの若者なのでした。
セミナーのための資料作りというか、講演内容をうんうん言いながら昨日はまとめてたんだけど。
常々思うけど、何で僕ごときがこんなことをやってるんだろう? と。もっと信頼されてて人望があって技術力も知識もある人がいるのに。実力の伴わない目障りな奴って思われてるに違いない、きっとそうに違いない。
ああ……人望が欲しい‥! 欲しいっ…!
いや、人望は実力に付いて来るものだろう。だからむしろ実力の方が欲しいっ……!! いやいや、実力だけあっても虚しい。だから実力と人望の両方が欲しいっ…………!!!
とか、ふと思う僕は自意識過剰なんでしょうね。