Mar 06, 2006

匿名と記名と売名と暴徒

ラジオクリルタイ第3回(後半)を聞いてて思ったこと。

2ちゃんねる喪男板的には「はてなダイアリーで名前(実名でなくても、発言から発言者を、そして他の発言を追跡できるようなidentifier)を晒してる人の感覚がよくわからん」みたいな感じだ、という話があったと思う。「ネットで名前を晒すなんて、誰からイタズラされたり犯罪に利用されたりするか分からないし、危なくて危なくて仕方ないじゃないか、こいつら一体何考えてるんだ」とか、「固定ハンドルが気にくわない。特定の名のもとに発言する奴なんてのは、ただの目立ちたがりか、商売根性の下衆だ。名前を晒して何かするなんてのは売名行為だ。」とか、そのへんの。

個人の名のもとに発言する人が多ければ、確かに、個人の利益のための売名行為は増えるだろう。匿名が推奨される環境なら、売名行為は排除されるだろう。それはいけ好かない奴が現れにくい、薄汚れたエゴが淘汰される、ある意味では清らかで美しい世界と感じられるものなのかもしれない。

しかし、有名人でもないただのいち個人の名のもとにできることなんていうのは限られている。何かあったときにはその個人が発言の責任者として集中砲火を食らい信頼を失うことになるから、下手な事はできないというブレーキも自然とかかる。逆に、匿名だと責任を取らされることがないから、リスクなく「下手な事」「まずい事」ができてしまう。だから暴走に歯止めがかからなくなることがままある。

薄汚れたエゴにまみれた世の中と、無責任な暴力が溢れる世の中とでは、どっちがより住みやすくて居心地のいい世の中なんだろう。そんなことを思った訳ですよ。

エントリを編集します。

wikieditish message: Ready to edit this entry.











拡張機能