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スクールカーストとか本気で言ってるの? 勝手に人をランク付けて何卑屈になってんの? ……とかいうことを言ってる人をたまに見かけた気がするし、非モテ界隈でそういう話題が出る度に本気でそう思ってる人も少なからずいるんだろうなと思うんだけど。
大島永遠の「女子高生」において、女子高にもそういうヒエラルキーが普通に存在しているということが描かれているし(もちろん、ギャグ漫画である以上は誇張されているのだろうけれども)、スクールカーストは普遍的な存在だと思う。
「スクールカーストなんて無い」と言う人は、単に、自分の属していた層のヒエラルキー内の位置を客観的に考えてみたことが無いだけなんじゃないだろうか。
世の中、知らない方が幸せな事ってのがたくさんある。スクールカーストの存在とその中での自分の位置も、そういう「知らない方がいい事」の一つなのだろう。
とあるカメラマンの初めての写真集(一人のプロのモデルの横顔を5年間追い続けた記録)という物を見た。高校の頃(17歳)から現在(22歳)までの記録だそうで。
見てみたら、最後の写真ではなんかお腹が妙に大きくなってて、キャプションには「2007年7月、母になる」と書いてあった。出産予定がその頃ということなのだろう。
その写真を見て真っ先に思ったのが、「あぁ……また一人、先を越されたんだ……」ってことだった。人と比べる事じゃあないのに、ついつい、人と比べてしまう。僕より若くして「親」になって、僕よりずっとずっと先の世界を生きている彼女ら彼らは、きっと僕のことなんか、「歳だけ無駄に食ってて人生経験の浅い奴」って見下すに違いない……そんな風に思ってしまう。
何より見下されるべきなのは、人生経験が浅いことよりも何よりも、そういう風にいつでも劣等感に囚われていること、自分と他人を常に比較して順位付けるという思考回路それ自体だと、自分でも分かっているのだけれども。
最初読んだとき「このブルジョワジーのモテ女めが! なーにが、安っぽくて気に入らないから売っ払っちゃいました、だ! 男の純情を踏みにじりおって!! 許せん!!!」とブチギレかけたんだけど、トピ主の追記を読むうちにだんだん考えが変わってきた。
リアルな女の裸や、性行為って、まあ風俗とかアダルトビデオとかを抜きにして、普通の人が普通に生活してる限りにおいては、そう易々と拝めるものではないと思う。どういう場合に見れる・体験できるかというと、どういう関係なら見えるかというと、恋人か夫婦(かセフレ)の関係にある場合くらいのものだろう。つまり、レアものだ。そういう本来(?)レアであるはずの物を、2次元平面という形だったり、モザイクかかってたり、という風にいくぶん劣化した形ではあれ容易に手に入れることができるから、アダルトビデオや写真集といったものには価値が生ずるのだと思う。また、行ったことないから詳しいところは知らないけれども、本来レアであるはずの物だからこそ、風俗は吉野家やマクドナルドに比べて高い料金を要求されるんじゃなかろうか、と思う。
「愛してる」という風な言葉だとか、もっと言えば「愛されてる」感覚とか、特別な信頼を寄せられる感覚とか、素直になんでも相談されるとか、そういうものも、やはり、普通の人が普通に生活してる限りにおいては「レアもの」の体験だと思う。恋人か夫婦でもない限り、リアルにそういうものに触れられる機会はそうそう無いと思う。
にもかかわらずそれを欲しがっているから、僕らは、恋愛ストーリーの漫画を読んで主人公に感情移入したり、あるいはもっと直接的に、ギャルゲーの主人公に自分の名前を付けてゲームのキャラとの「恋愛体験」を楽しんだり、あるいはもっとリアルに、安くないお金を払ってメイド喫茶でケチャップで名前を書いてもらったり熱い食べ物をふーふーしてもらったり、したくなるんだろうと思う。
精神的ポルノ。本来恋人や夫婦でなければお目にかかれないもの、体験できないものを、容易に手に入れられる手段。オタク文化の中でも萌え系の物は、そういう側面があると思う。
見たエロビデオの女優が1986年生まれ。
つまり現在20〜21歳……
ていうか今更といえば今更な話だな、こんなことでヘコむなんて。知人で僕より歳下の既婚子持ちもいるんだし。
でもそういうことを何かのきっかけで思い出す度に、言いようの無いルサンチマンに囚われてしまう。結婚とか子供とかが絡んでくると、「ああ、もし万が一仮に僕に子供ができることがあったとしても、例えば授業参観に行ったりなんかしたら周囲のパパママは自分よりずっと歳下の人ばっかりなんだろうなあ」とか思って軽く絶望したりする。(いやまあそもそも子供ができてっていう仮定がそもそも以下略)
友人が書いてた恋愛バトンの回答で、「告白されたことはあるか?」との問いに「2X年も生きてれば、そりゃあ、ねぇ」という答えが書かれてたのを見て思ったこと。
ごめんなさい。24年と半年生きてますけど、正直一度もありません。生きててごめんなさい。
赤松健、ヤクザファッションで奥さんとアキバデート……そんなに言う程ひどいと感じなかった自分はファッションセンス無さ過ぎですね。
何度か書いてると思うけど、僕はこの人のマンガが好きだったのが、後に嫌いになってしまった。その作品に描かれてる世界を素直に見てる間は、幸せだった。でも、一歩引いた所から自分を見るようになって……この人の作品を楽しんでいる、いや、この人の作品に描かれるような世界を求めている自分に気がついて、反吐が出そうになった。
傷つけたくない症候群の鬱陶しい空気感を見ていて、思い出されたこと。
そういえば僕は割とつい最近まで、同級生の名前を覚えられなかった。いや、男子はなんとか覚えられたけれど、女子は壊滅的だった。大学の研究室のような狭い小人数の場ですら、そうだった(卒業制作のために籍を置いた研究室では男だけだったんだけど、1年かそのくらいの時の一般教養の課題の一つで、無作為に選ばれた学生達でチームを組んで……というのがあったんですよ)。
最近になってmixi経由で高校時代の同級生の人達と少し交流が復活したけれども、正直言って、顔と名前が一致しない人の方が多かった。一応同じクラスだったらしいと分かっていても、「これはあの人だ」と、名前から顔を思い浮かべることがなかなかできなかった。自分からマイミク申請できるくらいに相手の事を思い出せたのは、ごく数名だけだった。思い出せた人の中には、自分は思い出せても相手は思い出せないんじゃないか、っていうか僕の事なんて覚えてないんじゃないか、むしろ在学中から「知らなかった」んじゃないか、という人もいて(なぜそう恐れるのかといえば、自分自身が他の人を「覚えていなかった」り、「知らなかった」りするからに他ならない)、自分からマイミク申請できなかった。
いや、そもそも、顔を知らなかったと言った方が正しいだろう。同じクラスの人でも、女の人を前にして僕はまともに話せなかった。学祭の準備やなんかのためにどうしても話さざるを得ない時でも、相手の目を見ない、顔を見ても表情を認識しない、ただそこにその名前の人がいるということを示すアイコンとしてだけ相手の姿を認識することで、僕はやっと女性と話すことができていた。
待ち受け画像は何かという問いに対しての回答「彼女の写真(←キモイ)」について、「彼女がキモイという意味にも取れてしまうし、そうでなくとも、交際相手の写真を待ち受けにしている人全てを敵に回す発言だ」という趣旨のツッコミがあった。
いや、その、多分、そういう事じゃないと思うんですよ。彼女イナイ歴約23年だった非モテの、自分でエロ同人誌を作って売ってる、大して男らしくもなくむしろ女々しい男が、大してコミュニケーション取れてない交際相手の写真を、自分の抱いている勝手な「理想の女性像」のイメージを投影して、携帯の待ち受けにして、毎日見ていて、好きとかなんとか言ってる。アイドルではなく手に触れることのできる距離にいる(遠距離ですが)人物を、ただただオナペットとして消費している。メイドストーカーレベルとまで言われるような、その様子こそが、キモイのです。
ちゃんと相手とのコミュニケーションを取って、二人で恋愛できてる、まともな精神構造をした大人の男が、交際相手の写真を待ち受けにするのは、多分、全然構わないと思いますよ。