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全童連 - Nov 02, 2005

全国童貞連合……どこまでマジでどこからネタなんだろう。ていうか全部ネタ?

とりあえず読み物は(少ないけど)おもろかった。

非モテと自画自賛 - Nov 02, 2005

自己承認の話と非モテ話とを結びつけて論じて欲しくないと言う人がいるけれども、「非モテ話」とは、ただの「女にモテない男の話」ではない。「誰からも、自分自身からすらも、一人前のヒトとして承認されない人間」を象徴する言葉として「非モテ」という単語が使われているに過ぎず、その本質は、「自己承認を得られないことで死ぬほど悩んでいる人間」についての問題なのだ。つまり、自己承認の話と非モテ話とは同じものだ。

問題は、非モテ者は自分自身による自己承認(自己愛、ナルシシズム)を確立できず、それ故に他者による自己承認(いわゆる愛)に依拠しようとしているところにある、と僕は考えている。

揺るがぬ自己愛を確立することさえできれば、彼らは非モテの悩みから解放されると僕は考えている。その点で、自らを「モラリスト」と自画自賛(※ここではこの言葉を、自分で自分を賛美するという意味で使っている)する「避モテ(女はみんなモラルがなっておらず、それ故、男の自分はそんな醜い女共にモテたいとは思わない、という一派)」は、確かに「非モテ」ではない。真性の非モテ者には自画自賛はできない。「避モテ」は「モテを敢えて避ける」というアクティブな存在だが、「非モテ」は「モテることができない」というパッシブな存在なのだ。

では、なぜ非モテは自画自賛しない・できないのか?

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Track02: イイコトイッタ featuring 非モテとか - Oct 31, 2005

Masao氏にブラボーと叫ばれてしまったので、ふと気になって、他に同じタグが付けられていたブックマークも見てみた。

萌えって結局自己愛を投影しているに過ぎないという話。全面的に同意するし、むしろ現実の恋愛にもそういうものを望もうとしてしまっているのではないかと毎日恐怖している僕がいる。拒否されるのも恐いけど、拒否されないのも恐い(それが重なると自分が調子に乗ってしまい、「萌え」感情と同じ要領で相手の人格を無視してしまうのではないか?と思うから)。

もう一件興味深い話があったけれども、非モテ話と絡めて語られると先方が不愉快だそうなので、リンクせずに語っておこう。その記事では、「格好悪くてもいいじゃん。無様でもいいから生きようよ。」といった類の励ましの言に対して、「いや、そもそも俺は格好良く生きたいのではなく、ただ堂々と生きたいのだ。格好悪く生きてもいいとあんたはいうが、あんたは格好悪く生きる俺を詰ったり嘲ったりしないと言いきれるのか? この社会は、格好悪く生きる俺を嘲笑わずに承認してくれるというのか?」と、常に不安に駆られている者たちの気持ちを代弁した上で、その不安は彼らが世間を「相当高いレベルの者でなければ即嘲る、血も涙もない競争社会」であると過度に悲観的に捉えているせいではないのか、「自分はもっと完璧超人でなければ社会から承認され得ない」と自己承認の最低基準を過度に高く見積もりすぎているのではないか、と論じていた。

僕自身、自己承認のハードルが異常に高いのを自覚してるところもある。メディアを通じて見せられる像が一様に「かっこよくて、受け入れられている」「かっこ悪くて、受け入れられていない」というものばかりだから(ドラマ等は顕著な例だろう。ドラマではモテキャラはほぼ間違いなく美男美女が演じている)、そういう物だと刷り込まれてしまっている、というところもあるような気がする。

……むしろ僕らの側が、モテキャラにかっこいい人物像を求めてしまっているのだろうか? そうあってほしいと願ってしまっているのだろうか? でないと、自分が「モテるために」かっこよくなろうと努力することの異義が失われてしまうから。あるいは、「モテない原因はルックスのせいだ、ルックスについて努力しさえすれば自分もモテるんだ、ただ、今はそれをしていない(don't)だけなんだ、可能性が無い(cannot)わけじゃないんだ」という言い訳ができなくなってしまうから。

古い脱ヲタマニュアル - Oct 31, 2005

脱オタしたら、脱オタになってなかったなんてことは勘弁。言われてみれば、確かに……まあ自分はセンスありませんから、内容が古いかどうかなんてわかりゃしないわけですけど。

特定の服装を取ったり行動をしたりといったことではなく、心の持ちようというか、生きてく上でのスタンスの問題なんだろうと思うんですけどね。脱ヲタって。

非モテ趣味――と言うよりも、「モテ趣味」でない趣味 - Oct 30, 2005

熱中時間というNHKの番組をたまたま見てたんだけど、その中で、クレーンに熱中する人がとりあげられてた。工事現場で活躍する重機の中でもひときわ目立つ背の高いクレーン。そのクレーンに魅せられた若い男性が、一晩寝ずに工事現場に貼り付いてクレーンの作業風景を写真に収めている様子などを、密着取材していた。

……のはいいんだけど、それに対する出演者の平山あやの反応に、他人事ながら僕は酷く傷付いた。「こういう趣味について、彼女さんはどういう風に言ってるんですか?」って、呆れた様子で訊いてたんだけど、その無神経さに腹が立った。

そんなの……いるわけないじゃないかっ!! 定職さえあれば誰にでも見合い話があった時代と違って、ルックスとコミュニケーション能力がなければそうそう女性に相手にすらしてもらえない、それどころか、「モテ趣味」でない趣味を持ってるというだけで敬遠される、そんな若い男達に、そんな出会いがあるわけないじゃないかっ!!! 僕や彼らのような人達に対して、当たり前のようにそういう話題を持ち出すことはタブーなんだよ!!!! 男と女がいればセクースしてて当たり前、みたいな、あんたらの世界とは常識が違うんだよっ!!!!!(血の涙)

――価値観を共有できない二つの世界と世界がぶつかり合うと起こる悲劇なのでした。

ヲタと面食い - Oct 25, 2005

他の分野の人についてはよく分からないけれども、少なくとも僕が属しているような、視覚文化に関するヲタについては、なんだかんだ言って、面食い(外見の良さで人を選ぶ)的要素が他より強いことは否めないだろう。

「より美しいものを」「より見栄えのするものを」作ろうとする、買い集めようとする心理は、つまり、そういった物を良しとし、求めているからに他ならない。にもかかわらず「自分を愛してくれるなら外見なんてどうだっていい」などと口にするのなら、それはとんだお笑いぐさだろう。

だから開き直っちまえ、外見だけで選んじまえ――とまで言おうとは思わないけれども、自分自身がそういうものに心の奥深くでどうしようもないほど強く囚われていることの「業」は、忘れてはいけないと思うんだ。

……なんかこの話、前にも書いたことがある気がするんだけど。気のせいかしらん?

童貞の苦悩 - Oct 14, 2005

童貞はなぜ、童貞であることを気に病んで苦しむのか。僕なりのまとめとしては、「劣等感」。この一言に尽きる。

  • 生物の雄としての敗北
  • 恋愛至上主義市場における敗北
  • 社会的存在としての敗北

この3つの観点で「敗北」を喫していることが、童貞の劣等感の原因だと僕は考えている。

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満たされぬ思いが果たされた時に感動する - Oct 10, 2005

分かった。自分がしたいのにできないことを、自分に代わってしてくれる人を見た時に、僕は感動するんだ。

電車男もう一つの最終回スペシャルで僕はどこに感動したのか。最後の、阪神タイガース応援男がギター男の応援演説をするところに感動した。では、僕は何故それに感動したのだろうか。

最初に考えたのは、応援という行為そのものに感動したという仮説。3.3.7ビョーシ!!という、応援団員を主役に据えた漫画は好きだった(途中から読んでないけど……)し、Swing Girlsでも、一度は見捨てたメンバー達が帰ってくるところで感動した。逆シャアでは、アクシズ落としを阻止するために敵味方力を合わせるところで感動した。

だが、この仮説には穴がある。感動できない応援もあるからだ。例えばスラムダンクで赤木晴子は流川楓を応援しまくっていたが、僕はその姿を見て感動はしない(それどころかむしろイラつく)。だから、応援そのものが感動と結びつくのではないということが分かる。

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「避モテ」の読み方とはてなキーワードとコンセンサス - Sep 26, 2005

「避モテ」の読みは「ひもて」が妥当じゃないのかおよび「避モテ」の読みを「さけもて」にした理由より。

単に、全く誰からも恋愛対象として見られない・愛されない状態を「非モテ」と言うのに対し、そこまで世の中が俺に冷たくするんだったら俺はむしろもう恋愛とかどうでもいい・モテたくなんかない、キモがるやつは上等だ、徹底的に戦ってやる、という立場を選択的に取ることを「避モテ」と呼ぶ、という流れが非モテの話題においてできつつあるようなのだけれども、この「避モテ」をどう読んだらいいのさという話。「はてなキーワード」で「避モテ」がキーワード化されるにあたって表面化した問題だ。

金子氏は「<ruby><rb>非</rb><rp>(</rp><rt class="読み">ひ</rt><rp>)</rp></ruby>モテから発生した言葉で、ある種の洒落でもあるから、<ruby><rb>避</rb><rp>(</rp><rt class="読み">ひ</rt><rp>)</rp></ruby>モテと読むのが正しい」という主張。対して 加野瀬氏は、「<ruby><rb>市立</rb><rp>(</rp><rt class="読み">いちりつ</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>私立</rb><rp>(</rp><rt class="読み">わたくしりつ</rt><rp>)</rp></ruby>のように、発音時に判別をしやすくするためにも、敢えて<ruby><rb>避</rb><rp>(</rp><rt class="読み">さけ</rt><rp>)</rp></ruby>モテと読むべきである」という主張。

僕は言葉の意味とかそういったことには保守的(自然発生的に使われだした言葉・用法に対して、これが本当の意味だ! と積極的に定義していくことには否定的だけれども、コンセンサスを得られてきているのならば、それを追認するのが妥当であろう、という意味での)な人間なので、金子氏と同意見なのだけれども、実用性のことを考えた加野瀬氏の提案にも納得はできる。

ただ、本当の問題は、その新しい読み方はコンセンサスを得られているのか? 提案レベルのものをキーワード化するのが望ましいことなのか? ということだと僕は思う。

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経験主義 - Sep 25, 2005

明治セックル維新 新政府御性文帖番外編Ⅱ 経験主義の陥穽 - 過下郎日記モテてから云え - 赤子ピューレ

モテたこともないくせに「別にモテたくない」って云ってるひとを見ると
いや、まあいいからまずモテてみてから云おうな、っておもっちゃうのね。

世界中から嫌われたこともないくせに「まずモテてみろ」って云ってるひとを見ると
いや、まあいいからまず世界中から嫌われてみてから云おうな、っておもっちゃうのね。

ということで、同じ論法で批判可能な矛盾した物言いだけは避けるようにしたいものですね、と。きっと本人はその矛盾に気付いてないんでしょう。

要点は以下の通り。

  • 人間は、想像に基づいて話をすることができる。
  • 日本人は、実体験に基づいて話すことも、想像に基づいて話すことも、自由である。この自由は表現の自由として憲法21条でも保障されている。
  • 「経験したこと無い奴は語るな、黙ってろ」は不当に自由を奪う言論封殺である。
  • ただ、実体験に基づいて話すことと想像に基づいて話すこととでは、説得力が違って当たり前である。

「表現の自由」っていうと、それを以て「尊敬される」とか「説得する」とかそういったことまで保障されてるように考える人がもしかしたらいるのかも知れないけど、それは違うんだよね。エロゲーを題材にセックスのことを語ってみたりなんてことをするのは確かに「自由」だけれども、その結果キモがられるのは当然の「リスク」なんだ。ただ、憲法は、僕らがこういうキモい言動をすることの自由を保障しているだけであって、キモがられないことまでは保障していない。逆の視点から言えば、僕のことをキモいと思うこと自体は、これまた憲法19条「思想の自由」で保障されているのだ。キモいと言うことも「自由」だし、その結果僕にケンカをふっかけられたとしても、それも当然の「リスク」だ。

自分は批判するけど相手による批判は許さないという絶対安全圏を作ろうとするのは、自由というものを勘違いしている。という話。

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