Home > Latest topics

Latest topics 近況報告

たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。

萌えるふぉくす子さんだば子本制作プロジェクトの動向はもえじら組ブログで。

宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能! シス管系女子って何!? - 「シス管系女子」特設サイト

Page 51/248: « 47 48 49 50 51 52 53 54 55 »

設問を疑う - Aug 11, 2006

普段の人付き合いは最小限度に留めて恋愛だけ上手くやりたいなんて無理、という指摘にはっとした件について、「普段の人付き合い」ができないことで苦手意識が芽生え、さらに人付き合いができなくなって……というケースについて考慮されていない、という言及を受けた。

僕は、「座して死を待つか、覚悟を決めて立ち向かうか」というニ択で物事を考えることが多い。先の例で言えば、「人付き合いが全くできないまま恋愛に繋がらない道を歩き続けるか、自分を変えて恋愛に繋がる道に乗り換えるか」という具合だ。

しかし、いつもいつもそう与えられた選択肢の枠の中だけで考えていてはいけないのかもしれない。僕は、「人付き合いが全くできなくても恋愛に繋がる可能性」を考慮していなかった。選択肢で示された「事実」以外の「事実」がある可能性を考えなかった。

設問そのものを疑う姿勢、これを僕はもっと持つべきなのだと思う。

例えば、「ギャンブルをやめて健全な生活をするか、ギャンブルに金をつぎこんで破滅するか」という問いに対して「ギャンブルで金を確実に儲ける」という選択肢を僕は考えないことが多い。でも、そこを考えられる人というのが、本当は凄いのではないだろうか。もちろん普通に考える限りにおいては、ギャンブルとは胴元が最終的には勝つものであり、子が確実に儲けるのは統計的に不可能だろう。しかしそれはあくまで「イカサマ無しなら」という条件の元にのみ成立する選択肢である、という事実に気付けるかどうか。「イカサマも有りだろう」という世界に視野を広げることができるかどうか。そうして既存のレースのルールを覆した所に、勝利というものはあるのではないだろうか。

だから「人付き合いが全くできなくても恋愛に繋がる可能性」というものを検討するのが、実は賢いやりかたの第一歩なのかもしれない。

そう思うと、「虫がいい」という風に思えた考え方も、より挑戦的で自由度の高い考え方なのかもしれないなと思った。

陰口が増えた - Aug 11, 2006

最近、陰口を言うことが多くなってきた気がする。自分が。

本人のいないところでその人の悪口を言い、本人がいるときには「紳士的に見えるような」振る舞いをする。これほど卑怯なことがあるだろうか。

僕はずっと、僕自身についての陰口を言われることを酷く恐れてきたけれども、それはもしかしたら、僕自身が「陰口を言うタイプの人間」だからなのかも知れない。自分がそういう人間性だから、他の人もそうに違いないと心のどこかで思っていて、それで人を疑っていたのではないだろうか。

そういう人間性は元からあった。それが急激に表出してきた。そんな気がする。

仕事をするようになって、人間関係の裏表ができてきて、それでその性質が表出してきたのかも知れない。Mixiのような読者が限定されるサービス(僕はMixiの日記システムは使ってないけど)の存在も、それを後押ししている気がする。ある会社、別の団体、ある活動、プロジェクト、そんな感じでいくつもの分断された世界にそれぞれ片足を突っ込んで回る、そんなことが増えてきて、分断されたそれぞれの世界の中で異なる顔を見せるように、いつの間にかなってしまったような気がする。

陰口を言う人にはなりたくなかったんですけどね。そういうのこそが最も自分の忌み嫌っていた対象のハズなのに。

知能の程度と自分の暮らしやすい場所 - Aug 10, 2006

エリート話に関係して思い出した話で。

よく、「勉強ができるだけとかそんなことよりも、他人の気持ちが分かるとか思いやりがあるとかそういうことの方が重要だし、素晴らしいことだ」という言い方をされることがあると思う。

それは負け惜しみの場合も少なくないかも知れない。自分にとって「勉強ができる、頭がよい」状態は、手に入れられなかった「酸っぱいブドウ」であって、手に入れられなかったからこそ「へん、あんなブドウなんざ俺は元から食べたくなかったんだよ、どうせ酸っぱいに決まってるんだから」と自分に言い聞かせているだけだ、という場合は確実にあるだろう。

でも中学時代までは秀才だったけど高校に入る頃あたりから転落し始めたという話で、「自分より頭の良い人達ばかりの世界に放り込まれた」後で途方もない挫折感を味わいその後の人生を悲惨なものにさせてしまっている人の例を見ると(仮にこれらの話が事実であると仮定するなら、だけど)、自分の頭の程度に合った環境、自分の頭の程度に合った友人、そういったものに接していた方が人は幸せになれるのかも知れないとも思う。

以前書いた頭の回転の速さに関する話への言及で紹介されていた知能指数の話では、IQが20違うと会話が成り立たないという説も紹介されていた。

「秀才としての人生から転落した」人も、「世の中の多くの人と難なく意思疎通できる立場・状態になった」と見れば、その後の人生のすべてを否定するようなものでもないと思うのだけれど、どうだろう。また、もしかしたら、無理してついて行った先の方は辛いことばかりで、今そこでドロップアウトしておいた方が、無理せず楽に生きられる自分の素養に合った場所に辿り着けるのかもしれない。

それとも「今まで見下していた相手」と「同じ目線」に立つこと・立たされることはそれだけでもう耐え難い屈辱なのだろうか。

エリートからの転落 - Aug 09, 2006

中学時代は秀才だったが、後に負け組にという記事を友人が紹介していたので見た。

「勉強してないのに成績がいい奴」というのには2種類いると思う。

一つはここで「転落した人々」の多くの場合のように、実は早熟なだけであったという場合。リンク先の文の中にもあったけど、こういう場合にも関わらず「勉強ができる自分」をアイデンティティの拠り所にしていると、落ち始めたときに際限なくどこまでも堕ちていってしまうような気がする。

もう一つは、学習することが当人にとって娯楽であるという、「勉めて強いなくても学習できる人」の場合。当人にとってはそれをやること以上に楽しい事なんてないわけで、当人の主観的には「遊んでるだけなのに成績がいい」という感じなのかも知れない。リンク先の「174」の書き込みのような考え方は、一見すると「学習しないで学力が高い奴」のことを言ってるようだけれども、実際にはこういう「勉めて強いなくても自発的に学習するから学力が高い奴」の場合が多いんじゃないかと思う。

かくいう僕は、小学校時代は運動×趣味×学力◯というありがちなオタク少年だったところまではこのスレの類型に似ているけれど、中学在学中にだんだんと落ちていって、高校入試で自分の当時の学力ではあり得ない偏差値の学校に入ってしまい、最初から負け犬ムードでせめて留年だけはしないようにという後ろ向きな動機で暮らしていて、自分に期待というものをしていなかったので、ここまでの急激な転落を体感せずに済んだということなのではないかと思う。ネガティブシンキングが緩衝材としての役割を果たすこともあるのですよ! ビバうしろむき!

でも勉強以外の点では絵やCSSやWebサイトやXULのことをアイデンティティの拠り所にしているフシがあって、それらの分野で既に転落してるので、僕もこれから際限ない連鎖的転落コースに嵌ってモリモリ堕ちていってしまいそうな気がします。鬱。

家庭科の男女共修とマンガやアニメやゲームの学校 - Aug 09, 2006

このごろの若いもんは男の子でもお料理するのねという話とコメント欄を見ていて。

僕の記憶が正しければ、僕は小学校の家庭科で調理実習をやったはずだ。でももしかしたら記憶違いかも知れない。中学校からかも知れない。まあどっちでもいいんだけど。基本的に僕の世代ではもう、大体の科目は男女で区別なくやってたような気がする。

ところでマンガやアニメやゲームの「学校」に目を向けると、女子キャラが家庭科の実習で作ったお菓子をクラスの男子に振る舞うとか、意中の男子に「あ、余ったからあげるだけなんだからねっ!!(え、俺にくれるの?)い、イヤなら食べなくていいわよっ!!(いや、ありがたくもらうよ。もぐもぐ。うん、うまい。)え、そ、そう? よかった……」と頬を染めながら食わせたりとか、そんな感じのシーンを目にすることがある。

具体例を挙げるなら、確か2005年に発売されたエロゲーの幼なじみな彼女でも、ヒロインがプリンを作って主人公に食わせるというエピソードがあった気がする(でもって制服+エプロン姿で学校内でエロシーンになだれ込んでたと思う。それはどうでもいいか)。そんな感じで、こういうのは割と「定番」のシーンなんじゃないだろうか。

こういうことが起こるのは、単純に、制作者の人が男女別カリキュラムだった頃の記憶を元に作ってるからなんだろうとは思うけど……僕がどこかしら違和感を憶えていたのは、そうか、この点についてだったんだな。

まあそんなわけで今の若人は男も女も家庭科でなんか作ってるわけで、上記の例のようなシーンには現代では多分お目にかかれな……え、体験した人がいるって? 単に僕が非モテキャラだから女子に相手されてなかっただけ?

国民年金の追納 - Aug 07, 2006

学生特例うんちゃらで学生の時は払わなくて良い物なのかと思ってたら単に支払いを卒業まで待ってやるぞというだけの制度で頭に来た国民年金の追納分をいいかげん払わないといけないなあと思って用紙を取り出して数えてみたら、全部で合計444690円だった。

これだったら賦課方式で最終的に行き着く先のハズの田舎のじいちゃんばあちゃんや両親に直接全額渡した方がよっぽど有意義に使ってもらえそうな気がするよ。少なくとも、社会保険庁とその関係者の皆さんの豪遊のために使われるとなると、払う気が萎えてしまって……

いや、払うよ? 払いますよ? 払いますけどね。高い高い勉強代として。

眉剃りを禁止するルール - Aug 04, 2006

試合では勝ったのに、眉毛を剃ってたから負けにされた(念のため書いておくと、ルールにそれは明記されていたそうだし、関係者はこの処分を受け入れているそうだから、それについて他人がどうこう言う筋合ではないのだろうね)という話を見ていて思ったこと。

どうして眉剃りが禁止されなくてはならないのだろうか。

彼らが眉を整えることに悪感情を抱くのは、何故なのだろうか。

親からもらった体に手を加えることが良しとされないから? だとしたら髪も爪も切ってはいけないし、女性の(男もだけど)「無駄毛処理」は言わずもがな。それらを認めるのならこれも認めないと説明が付かない。

眉を整えなくてはならない必然性がないから? 現代において「野暮ったい外観」であることは明らかに不利益につながり、それを避けるためなのだから、必然性はある。

子供のするべき事ではないから? なるほどそれが一番もっともな答えだ。子供は「未熟な大人」であるから、成人するまでは人権は無く、保護者の胸三寸で全てが決まる。合理的な理由で納得させる必要など無い。保護者が気に入らないからダメ、ただそれだけで充分正当な理由になる。そういう理屈なのだろう。

ルールに意味はない。ルールを守らせる事にこそ意味がある。ルールは意味がなければないほど良い、なぜなら、無意味なルールであっても守らせることができるというのは、絶大な影響力を持っていることの証拠だから。

大人が子供に対してどうでもいいルールを押しつけてくるのは、社会が構成員にどうでもいいルールを押しつけてくるのは、彼らが相手に対する自分達の優位性を確かなものにしたいからに、他ならない。

反抗を許すということは、権力の崩壊を意味する。相手の人権を認めるということは、絶対的な支配力の喪失を意味する。

議論の余地も、対話の余地も、そこには無いんだよね。「こんなくだらないルールを律義に守ってるこいつらはどうしようもなく愚かだねプギャー」こう言いたいということが、本質なのだから。

絵を描いてて虚しくなる - Aug 04, 2006

ここしばらくずっとほぼ徹夜でマンガの作業を進めてるわけですが。どうも心残りな出来になりそうな雰囲気が漂いまくっているわけですが。肌の影のトーンとかそういうのは全部省略せざるを得ない感じ。もっと計画的に制作するべきでした、という反省を得た訳なのですが。

それはさておき。

昨日実際にコミケカタログのサークルカットを見ていて、自分の描いたサークルカットを見つけたけれども、その周囲のカットを見て憂鬱になった。流行の画風とは明らかにかけ離れた古臭い絵柄。「描き慣れていない」感漂う、整理されていない汚い描線。自分という人間をまさに体現するものだと思う。つまり、時流に乗ることもできず、上手く物事をこなすこともできない、どうしようもなく不器用で不器量な、僕の人間性を。

絵を描いてもそこにはどうしても僕という人間が滲み出てくる。僕の持っていないものは画面に現れ得ない。僕の描く絵は、僕の範疇に収まるものにしかならない。つまり、そこには何の救いもない。僕を救ってくれる、僕にない力を持った救世主を、僕自身が生み出せるわけがない。

つまり何をやっても縮小再生産にしかならない。何も「新たに得るもの」がない。

それでどうして虚しくならずにいられるというのだろうか。

続きを表示する ...

子供か大人か - Jul 31, 2006

会社に私物を持ち込むことがもうすでに幼児性の顕われだ、とする見解を見ていて思ったこと。

時代や地域によっては、奥さんや子供の写真を常に持ち歩いていることは大人として奨励されることだとか何とか聞いたことがある。自分の養う家族のことを大事にできないような人間はpublicな責任を果たせない、みたいな論調だったような気がする。

一方で、ふーみんさんのおっしゃる理屈も分からなくもない。仕事の場に必要でないものを持ち込むのは仕事に対する真剣が欠けているというのは、理屈としては通っているから。

僕は、それを見て他の人が仕事に支障をきたすことがなく、且つ、それを見て自分が精神的に癒されるなどして仕事の能率が上がるのであれば、私物を職場に持ち込むのも、ある意味では「必要悪」かなと思うんだけど。

コミケの隠語 - Jul 31, 2006

  • 夏の漫画祭り
  • 春画即売会

他にもあるのかしら。

Page 51/248: « 47 48 49 50 51 52 53 54 55 »

Powered by blosxom 2.0 + starter kit
Home

カテゴリ一覧

過去の記事

1999.2~2005.8

最近のコメント

最近のつぶやき