たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
プロフィールのページに仕事歴を載せた。……と言っても、4件だけしかないんだけど。しかも会社の仕事まで入れてるし。
あと、トップページとこの日記の通常表示とに本の宣伝を追加した。いつまで貼っとくかは未定。
僕の行動だとかその辺の表層的な事に騙されて、あるいはごまかされて、肝心なことを言えなくなってしまってる人がいるのかもしれないのですけれども、僕はひがみ根性の塊で、多数派あるいは強者に転じるチャンスがありさえすれば、今まで自分を蔑んできた「元・多数派」「元・強者」に対して「救いの手をさしのべる」あるいは「手をさしのべているように見せかける」ことで優越感に浸りたいとか思っている、極めて程度の低い人間ですよ。
「貶す」のではなく「救いの手をさしのべる」ことで優越感を感じようというのが、実に偽善的で賤しいですね。なぜなら、「しない善よりする偽善」というエクスキューズを用意できるのですから。
ん、誰も騙されてないって? みんなとうの昔に気付いてる? 左様ですか……
電池がへたってしまってて、メモリを使った音楽再生はできても、HDDを駆動させることができないようだ。フル充電でも起動するとあっというまに電池切れ表示になってしまい、ACアダプタに繋いだ状態で起動してメモリ上に楽曲データがキャッシュされた所で電源を引っこ抜けば20分弱は動作する(それでもすぐにダメになるってことなんだけど)。
電池交換しかないなこりゃ。
黄金比って面白い。黄金比に関するいろんな話がまとめられたページを見てみて一番興味を引かれるのが、自然界での細胞の増加と黄金比の関係の話だ。
ウサギのつがいの増え方の例えがあるけれども、これをもっとミクロな、細胞レベルの例で考えてみると面白い。
「細胞分裂の問題:1個の細胞は、1時間の間に何個の細胞になるか? 但し、1分経つと1個の細胞は充分に成長して2つに分裂し、分裂して生まれた新しい細胞は、2分後には分裂可能な大きさまで成長するものとする。」
この規則通りに細胞が分裂と成長を続けるなら、細胞の数はフィボナッチ数列をなし、黄金比に従って増えていくことになる。最初のリンク先で紹介されてる巻き貝の巻き方も、こうして生まれる。こういう理由で、自然界には黄金比の物が多くなるというわけ。無論、死ぬ細胞もあるし、予定通りに分裂しない細胞もあるだろうから、完全にこの通りに増えるわけではないのだけれども。
これは見方を変えると、完全な黄金比を形成している物は<e、m>死なないし、イレギュラーも起こっていない、不老不死・完全性・永続性を備えたものである、つまり黄金比は不死や永遠の象徴と言うことができると思う。人は黄金比のそういうところに惹かれてるのかも知れない、とか妄想する次第です。
なんでだろう。なんでこんなに焦るんだろう。
服装のこととか、異性との付き合いであるとか、人間関係であるとか、他の普通の人が10年くらい前からやっていることに大幅周回遅れでやっと取り組み始めたこと、あるいは、まだ取り組みを始めてすらいないことがあることに、焦って仕方がない。同い年の人が、自分より若い世代が、自分より遙かに経験豊富であることに焦りを感じて仕方がない。自分が劣っていることが許せなくて仕方がない。挽回するための「残り時間」が刻一刻と減っていっていることを考えると、息が詰まる。
過ごした時間を費やしてきた先が違うだけ、と、客観的には分かっているつもり。でも、自分の過ごしてきた時間は薄っぺらく、他人の過ごしてきた時間は濃密なものである、という風に何故か主観的に僕は考えてしまう。
つまり自分が誰より圧倒的に優れていたいと思っている。なんて驕り高ぶった考え方だろう。それに気付いていながらその考えを捨てることができない。なんて情けない人間なんだろうねこの子は!(なんとなく名作劇場に出てきそうなお母ちゃん風に)
自分をしっかり持っていれば焦る事なんて無いはず。つまり僕はこの期に及んで自分というものを持てていない。
自分がないから、良くも悪くも……いや、悪いことばっかりだ、人の意見にすぐ流される。何か言われればすぐ鵜呑みにする。それで感情が大きく左右され考え方まで左右される。自分だけならまだしも、他人にまでその迷惑を広げる。たしなめられてすぐ態度を豹変させる。貶されてまた態度を変える。そんなことの繰り返しが僕の人生のすべて。
そんな僕でもそれなりに相手してもらえてることが、今はしみじみと幸せに感じられてならないのです。
つーかもーシャレにならんよというレベルでiPod miniの電池が死んでるくさい(フル充電状態でも、HDDへのアクセスが発生したら一瞬で電池切れになる)ので、本気で修理なりiPod nanoへの乗り換えなりを検討します。
お下がりに誰かにあげるというのも、この使えなさ状態では、ちょっとあり得ない。
なんだかよくわからない勢いで書いてしまって。後から他の人に、間違いを冷静に指摘されて、恥ずかしくなって。でも「他人に指摘されるまで気づけなかった自分」を認めることができなくて、さらに言葉を重ねて、フォローにもなってない不様なフォローを続けて、泥沼に嵌っていって。
賢くなりたかったのになあ。こんな馬鹿な事を懲りずにし続けるような愚かな人間では居たくないのになあ。
そんな風に改めて絶望して鬱になる今日この頃です。