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「清潔感のある格好なら大丈夫」と言われたのを真に受けておろしたてのA系ファッション(キバカジ、アキバ系)で出向いたら果たしてそれは好印象に繋がるのか、という話。
以前、デートに行く際(いつぞやの「エロ絵男」の時ですね)の服装をどうすればいいんだああああおいらヒキヲタだからふぁっそんセンス皆無だっつうのおおおおおお!!とIRCで嘆いた際に、友人女性から「清潔感のある格好なら大丈夫だと思うよ」てな感じのアドバイスを受けた。
でもね。よくよく考えてみたら、「清潔感のある格好」ってのは、ピントのずれたアドバイスなんじゃないかと思うんだ。あるいは非常に曖昧で曲者の言葉。
とある友人から話を聞いて、改めてそう思った。特に、浮かれてる奴ほど迷惑なものはない、と。
モテなくても卑屈で迷惑、モテても浮かれて迷惑。喪男ってホント救いようがないのな。
――言うまでもないけど、自分のことも含んで言うてますからね?
他人から愛を受けなければ他人を愛せない。他人を愛せなければ他人から愛を受けられない。本当に救いが無いですね。
うーん、だんだん「最強伝説」というタイトルに即した内容になってきた気がする。といっても大方は黒沢の周囲の人々の誤解のせいなんだけど。笑。
自己承認の話と非モテ話とを結びつけて論じて欲しくないと言う人がいるけれども、「非モテ話」とは、ただの「女にモテない男の話」ではない。「誰からも、自分自身からすらも、一人前のヒトとして承認されない人間」を象徴する言葉として「非モテ」という単語が使われているに過ぎず、その本質は、「自己承認を得られないことで死ぬほど悩んでいる人間」についての問題なのだ。つまり、自己承認の話と非モテ話とは同じものだ。
問題は、非モテ者は自分自身による自己承認(自己愛、ナルシシズム)を確立できず、それ故に他者による自己承認(いわゆる愛)に依拠しようとしているところにある、と僕は考えている。
揺るがぬ自己愛を確立することさえできれば、彼らは非モテの悩みから解放されると僕は考えている。その点で、自らを「モラリスト」と自画自賛(※ここではこの言葉を、自分で自分を賛美するという意味で使っている)する「避モテ(女はみんなモラルがなっておらず、それ故、男の自分はそんな醜い女共にモテたいとは思わない、という一派)」は、確かに「非モテ」ではない。真性の非モテ者には自画自賛はできない。「避モテ」は「モテを敢えて避ける」というアクティブな存在だが、「非モテ」は「モテることができない」というパッシブな存在なのだ。
では、なぜ非モテは自画自賛しない・できないのか?
Masao氏にブラボーと叫ばれてしまったので、ふと気になって、他に同じタグが付けられていたブックマークも見てみた。
萌えって結局自己愛を投影しているに過ぎないという話。全面的に同意するし、むしろ現実の恋愛にもそういうものを望もうとしてしまっているのではないかと毎日恐怖している僕がいる。拒否されるのも恐いけど、拒否されないのも恐い(それが重なると自分が調子に乗ってしまい、「萌え」感情と同じ要領で相手の人格を無視してしまうのではないか?と思うから)。
もう一件興味深い話があったけれども、非モテ話と絡めて語られると先方が不愉快だそうなので、リンクせずに語っておこう。その記事では、「格好悪くてもいいじゃん。無様でもいいから生きようよ。」といった類の励ましの言に対して、「いや、そもそも俺は格好良く生きたいのではなく、ただ堂々と生きたいのだ。格好悪く生きてもいいとあんたはいうが、あんたは格好悪く生きる俺を詰ったり嘲ったりしないと言いきれるのか? この社会は、格好悪く生きる俺を嘲笑わずに承認してくれるというのか?」と、常に不安に駆られている者たちの気持ちを代弁した上で、その不安は彼らが世間を「相当高いレベルの者でなければ即嘲る、血も涙もない競争社会」であると過度に悲観的に捉えているせいではないのか、「自分はもっと完璧超人でなければ社会から承認され得ない」と自己承認の最低基準を過度に高く見積もりすぎているのではないか、と論じていた。
僕自身、自己承認のハードルが異常に高いのを自覚してるところもある。メディアを通じて見せられる像が一様に「かっこよくて、受け入れられている」「かっこ悪くて、受け入れられていない」というものばかりだから(ドラマ等は顕著な例だろう。ドラマではモテキャラはほぼ間違いなく美男美女が演じている)、そういう物だと刷り込まれてしまっている、というところもあるような気がする。
……むしろ僕らの側が、モテキャラにかっこいい人物像を求めてしまっているのだろうか? そうあってほしいと願ってしまっているのだろうか? でないと、自分が「モテるために」かっこよくなろうと努力することの異義が失われてしまうから。あるいは、「モテない原因はルックスのせいだ、ルックスについて努力しさえすれば自分もモテるんだ、ただ、今はそれをしていない(don't)だけなんだ、可能性が無い(cannot)わけじゃないんだ」という言い訳ができなくなってしまうから。
脱オタしたら、脱オタになってなかったなんてことは勘弁。言われてみれば、確かに……まあ自分はセンスありませんから、内容が古いかどうかなんてわかりゃしないわけですけど。
特定の服装を取ったり行動をしたりといったことではなく、心の持ちようというか、生きてく上でのスタンスの問題なんだろうと思うんですけどね。脱ヲタって。
なんだかんだ言って自分自身も、気をつけてはいるものの、酔った勢い+水を向けられたりしてしまうと、ついポロッと、非モテ的にはタブーな話題を漏らしてしまうことがある。しかも大声で。酔っぱらいって最悪ね。
ただ、こないだ書いたとおり、その意図としては、必ずしも他者を傷付けようというものではないんです。むしろそういう明確な意図を持った発言なんてできやしません。
熱中時間というNHKの番組をたまたま見てたんだけど、その中で、クレーンに熱中する人がとりあげられてた。工事現場で活躍する重機の中でもひときわ目立つ背の高いクレーン。そのクレーンに魅せられた若い男性が、一晩寝ずに工事現場に貼り付いてクレーンの作業風景を写真に収めている様子などを、密着取材していた。
……のはいいんだけど、それに対する出演者の平山あやの反応に、他人事ながら僕は酷く傷付いた。「こういう趣味について、彼女さんはどういう風に言ってるんですか?」って、呆れた様子で訊いてたんだけど、その無神経さに腹が立った。
そんなの……いるわけないじゃないかっ!! 定職さえあれば誰にでも見合い話があった時代と違って、ルックスとコミュニケーション能力がなければそうそう女性に相手にすらしてもらえない、それどころか、「モテ趣味」でない趣味を持ってるというだけで敬遠される、そんな若い男達に、そんな出会いがあるわけないじゃないかっ!!! 僕や彼らのような人達に対して、当たり前のようにそういう話題を持ち出すことはタブーなんだよ!!!! 男と女がいればセクースしてて当たり前、みたいな、あんたらの世界とは常識が違うんだよっ!!!!!(血の涙)
――価値観を共有できない二つの世界と世界がぶつかり合うと起こる悲劇なのでした。