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Latest topics 近況報告

たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。

萌えるふぉくす子さんだば子本制作プロジェクトの動向はもえじら組ブログで。

宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能! シス管系女子って何!? - 「シス管系女子」特設サイト

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ヲタと面食い - Oct 25, 2005

他の分野の人についてはよく分からないけれども、少なくとも僕が属しているような、視覚文化に関するヲタについては、なんだかんだ言って、面食い(外見の良さで人を選ぶ)的要素が他より強いことは否めないだろう。

「より美しいものを」「より見栄えのするものを」作ろうとする、買い集めようとする心理は、つまり、そういった物を良しとし、求めているからに他ならない。にもかかわらず「自分を愛してくれるなら外見なんてどうだっていい」などと口にするのなら、それはとんだお笑いぐさだろう。

だから開き直っちまえ、外見だけで選んじまえ――とまで言おうとは思わないけれども、自分自身がそういうものに心の奥深くでどうしようもないほど強く囚われていることの「業」は、忘れてはいけないと思うんだ。

……なんかこの話、前にも書いたことがある気がするんだけど。気のせいかしらん?

萌えと自家発電 - Oct 23, 2005

僕は本質的にはやっぱり「萌え」じゃ満足しきることはできない人間なんだろう。

萌えとは、ある意味では、恋愛感情の自家発電だ。自家発電で構わないという人もいるだろうけれども、自家発電では困るという人もいる。僕は困る方の人だ。誰か他人の目を通して承認されないと、自分で承認したのでは意味がないと思ってしまう。ということは、承認してくれる他者が必要だ。他者は自家発電では作れない。

ただ、満足しきれるかどうかということと、それでやっていけるかいけないかというのとは、また別の問題だ。例えば僕は満足しきるほど広大な大邸宅に済むということはできていないけれども、こぢんまりとした家でも生活は送っている。

生活に必要な電力全てを供給できものとして萌えによる自家発電を用いている人と、萌えでは電気スタンドを点けるくらいの電力しか供給できない人との違い、っていうかなんというか……

処女非処女 - Oct 23, 2005

僕は、処女じゃないと付き合う意味がないとか、そういう考えに至る心理というのがよく分からない。そりゃあ、「初めて」ってのは特別なことだから、その特別なことを経験できるというのは、あればあったで嬉しいオプションだろうけど……

「処女でなきゃ駄目だ!」と思ってる人の中には、処女性以外の観点で女性の魅力を認識できていないためにそうなってしまってる人もいるんじゃないだろうか。それ以外の、例えば、普通に話が合うとか。極端な話、「話の合わない処女」と「話の合う非処女」どっちと恋愛したいかというような問いにもできる。

それとも、話が合うとかそういうのとは別の次元の問題だと考えているんだろうか。そうだとするなら、そこはもう「何が別格で大事か」と考えるところでの価値観の違いだから、何も言えないなあ。

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童貞の苦悩 - Oct 14, 2005

童貞はなぜ、童貞であることを気に病んで苦しむのか。僕なりのまとめとしては、「劣等感」。この一言に尽きる。

  • 生物の雄としての敗北
  • 恋愛至上主義市場における敗北
  • 社会的存在としての敗北

この3つの観点で「敗北」を喫していることが、童貞の劣等感の原因だと僕は考えている。

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結婚する従兄弟 - Oct 12, 2005

年上の従兄弟が結婚するのはまだいいけど、年下の従兄弟が結婚すると、こう、みぞおちの辺りに来る物があります。同性にせよ異性にせよ。その従兄弟から「結婚祝いのお礼の品」(結婚祝いは親が贈った)なんでものが贈られてきたら、またそのしっかりさに落ち込むわけで。彼/彼女は社会人どころか人の親になろうとしているというのに、僕は何だ、ガキんちょのままじゃないか……

満たされぬ思いが果たされた時に感動する - Oct 10, 2005

分かった。自分がしたいのにできないことを、自分に代わってしてくれる人を見た時に、僕は感動するんだ。

電車男もう一つの最終回スペシャルで僕はどこに感動したのか。最後の、阪神タイガース応援男がギター男の応援演説をするところに感動した。では、僕は何故それに感動したのだろうか。

最初に考えたのは、応援という行為そのものに感動したという仮説。3.3.7ビョーシ!!という、応援団員を主役に据えた漫画は好きだった(途中から読んでないけど……)し、Swing Girlsでも、一度は見捨てたメンバー達が帰ってくるところで感動した。逆シャアでは、アクシズ落としを阻止するために敵味方力を合わせるところで感動した。

だが、この仮説には穴がある。感動できない応援もあるからだ。例えばスラムダンクで赤木晴子は流川楓を応援しまくっていたが、僕はその姿を見て感動はしない(それどころかむしろイラつく)。だから、応援そのものが感動と結びつくのではないということが分かる。

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自分と他者との関係を非対称的に捉えずにはいられない - Oct 06, 2005

明治セックル維新 新政府御性文帖男のセックスはなぜつまらないのか?

リンク先の要約:男はセックスで自分が気持ちよくなろうとしないから男のセックスはつまらない。感情を抑圧することに慣れているから快感も抑圧する。その代償として女を感じさせることで満足する。

まあ童貞街道絶賛邁進中の僕だからこういうことを話題としてとりあげるのも分不相応の極みだと思うわけだけれども、エロ絵とかエロマンガとか視覚文化に親しんでいる自分には、全く他人事として見過ごすことも難しい話題だと思った。趣味的にも興味深い話だから。今描こうとしてるのはふぉくす子とだば子の百合エロだし、TSものも好きだし。

なんか、代償無しに自分(男)が嬉しくなったり気持ちよくなったりしちゃいけないのかなーみたいな感覚がないこともない。自分に価値を感じられないから、自分が喜んでたり自分が気持ちよがってたりする姿なんて想像してもキモいだけで、おめえそんなもん金貰っても見たくねえよっていうかむしろ金やるからそこをどけと。吉野家コピペじゃないけどさ。

何もしないでいることが怖くて怖くて仕方がない。自分が自分であることで喜んでくれるのなんて親だけだ、という思いがある。逆に言うと、親以外の人に気に入られるためには自分は素直な自分であってはいけないという思いがある。その人の気に入る自分を演じなくてはならないと思ってしまう。

「自分のする以上に相手にして貰う」ということが怖くて仕方がない。そこまでされる理由が分からない。自分が相手に10のことをしたら2~3帰ってくれば大感謝だと思っている。自分が10のことをされたら20にでも30にでもして返さないといけないような気がしている。10しか返さなかったら、不足分の10とか20とかの分だけ痛みになって帰ってくるような気がしている。

こう考えるのも、ある意味では自分を特別扱いしてるということだから、やっぱリ僕は自己愛ばかりが強い人間なんだなあと思った。

僕の青春 - Oct 02, 2005

チャットでPaGeさんと話→そういえばオフ会で会ったときの印象が高校時代の同級生に似てた気がする→その彼は学祭の演劇のロミオとジュリエットでロミオを演じていたなあ→確か練習中の頃からジュリエット役の子と付き合いだしたと聞いた気がする→一方僕は舞台演出の鬼指導で役者陣から顰蹙を買うばかり、浮いた話などあるワケもなく→……虚しい青春でした……

エロゲーやエロビデオの導入部を「つまらない」と思ってスッ飛ばせる人は幸せだ。 - Oct 01, 2005

エロゲーの傾向の話がごく一部の人に好評だったので、それに関係する話なんだけど。

エロビデオ見るとき、導入とかインタビュー風の部分とかって飛ばす方ですか? 律儀に見る方ですか?

普通の「ご褒美型」の――エロシーンが最後の方にあるタイプのエロゲーをするとき、セーブデータ拾ってきてエロシーンだけ見る方ですか? 極端な話、どっかの海外のサイトから画像だけ拾ってきてそれで堪能して終わりにしたりしますか? それとも、オープニングから妙に長い日常部分を経てエロシーンそしてエンディングまで、全部通してキッチリやる方ですか?

そのあたりに、重要なことが隠れていると思うんだ。

ゲームのエロシーンとかエロビデオの抜き所とかだけ見る人っていうのは、実体験として女に不自由してない人か、逆に女を忌避してる人(避モテ)かなんじゃないか、女に飢えて飢えてコミュニケーションを取りたがってる人ほど、エロゲーの「日常シーン」を律儀にやったり、エロビデオの導入部を律儀に見たりするんじゃないか、と僕は思うんだ。何故なら、僕らが欲しているのはエロそのものではなく、異性との恋愛体験なのだから。

だから僕らにとっては、エロシーンはそれ単体に意味があるのではなく、日常シーンの延長線上にあるからこそ意味があるんだ。

逆の言い方をすれば、エロゲーの日常シーンやエロビデオの導入部をじっくり見ることができる人は、現実で精神的に満たされてないって事だ。

エロビデオの導入部を躊躇なくスッ飛ばせるような人間になりたいものですね……


2019年3月6日追記。何故かこれが今になってちょっとアクセス伸びてて、何故なんだかほんと分かんないんだけど、14年経て既婚になった今でもエロビデオの導入部を(時間があるときは)じっくり見てしまうという事実があるので、自分に関してはこれは単なる性癖だった模様です。お騒がせしました。

桃鉄コワイ - Sep 28, 2005

明治セックル維新 新政府御性文帖格差ゲームとしての桃太郎電鉄

僕の世代くらいで多人数プレイパーティーゲーム(?)の定番といえば桃太郎電鉄だと思うんだけど、実は僕はこれを一度もプレイしたことがない。誘ってくれるような友達がいなかったからというのももちろん大きいのだけれども、仮に誘われたとしても、周囲をドン退きさせて次からは呼んでもらえなくなるのが関の山だろう。

何故なら僕はすぐにアツくなる。一度だけやらせてもらったファミコン版人生ゲームでも、監獄に落ちたり一人だけ結婚イベントを通過できなかったりしたら本気で悔しがって機嫌が悪くなる。ほほえましいとかそんなレベルを通り越して、キモいレベルで。……あ、だから桃鉄には呼ばれなかったんだな。なんだ、仮の話どころか事実じゃん……

あの頃から僕は全然成長してないねママン……

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