Oct 06, 2005

自分と他者との関係を非対称的に捉えずにはいられない

明治セックル維新 新政府御性文帖男のセックスはなぜつまらないのか?

リンク先の要約:男はセックスで自分が気持ちよくなろうとしないから男のセックスはつまらない。感情を抑圧することに慣れているから快感も抑圧する。その代償として女を感じさせることで満足する。

まあ童貞街道絶賛邁進中の僕だからこういうことを話題としてとりあげるのも分不相応の極みだと思うわけだけれども、エロ絵とかエロマンガとか視覚文化に親しんでいる自分には、全く他人事として見過ごすことも難しい話題だと思った。趣味的にも興味深い話だから。今描こうとしてるのはふぉくす子とだば子の百合エロだし、TSものも好きだし。

なんか、代償無しに自分(男)が嬉しくなったり気持ちよくなったりしちゃいけないのかなーみたいな感覚がないこともない。自分に価値を感じられないから、自分が喜んでたり自分が気持ちよがってたりする姿なんて想像してもキモいだけで、おめえそんなもん金貰っても見たくねえよっていうかむしろ金やるからそこをどけと。吉野家コピペじゃないけどさ。

何もしないでいることが怖くて怖くて仕方がない。自分が自分であることで喜んでくれるのなんて親だけだ、という思いがある。逆に言うと、親以外の人に気に入られるためには自分は素直な自分であってはいけないという思いがある。その人の気に入る自分を演じなくてはならないと思ってしまう。

「自分のする以上に相手にして貰う」ということが怖くて仕方がない。そこまでされる理由が分からない。自分が相手に10のことをしたら2~3帰ってくれば大感謝だと思っている。自分が10のことをされたら20にでも30にでもして返さないといけないような気がしている。10しか返さなかったら、不足分の10とか20とかの分だけ痛みになって帰ってくるような気がしている。

こう考えるのも、ある意味では自分を特別扱いしてるということだから、やっぱリ僕は自己愛ばかりが強い人間なんだなあと思った。

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