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の動向はもえじら組ブログで。
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Firefox Hacks日本語版(Amazon.co.jp)買ってきた。約3000円。
まだちゃんと読んでないけど、いわゆるオライリー本という感じではなくて、豊富なTips集という感じ。気張らず読めると思う。
開発者の使ってたマシンのキーボードの「h」「j」「k」「l」にそれぞれ「←」「↓」「↑」「→」の刻印があったからなんだそうな。あと、そのキーボードの「~」キーには「HOME」という刻印があって、Linux等でホームディレクトリを表すのに「~/」と書くのはそのせいなんじゃないのかという話も。
へぇ~へぇ~
脱オタの『脱』は、『脱出』じゃなくて『脱臭』の『脱』という人がいるけれども、単に「オタク」という言葉がいくつかの文脈において「キモイ容姿、キモイ性格、あるいはキモイ行動の人」という意味になるようになった(広辞苑で項目を分けていくつも意味が並べられるような感じで)だけなんじゃないかと思った。
単純に「根暗」の言い換え語とか「対人スキルが低い人」の意としても「オタク」が使われている気がする。という話。脱ヲタって、広義においては、性格改善とか対人スキル(容姿も含めて)向上とかそういう意味かもしんない。
ろばQさんは、しかし「「なにがしかの趣味的分野に深い愛着や拘りを持つ」と言うのは外せない」、とおっしゃっているけれども、そう考えるのは「旧来の意味でのオタクに分類されるような人間」や「不本意にもオタクと呼ばれてしまっている本人」だけで、「そうじゃない」世間一般では、拘りがあろうとなかろうととにかくキモければオタクなのではないだろうか。という話。
アニメの多くはなんでアニメアニメした声なんだよって話。あの声がキモイから全てのアニメはキモイと思われて、ひいては、いかなるアニメであれアニメを見る者はキモイと思われるんだ、みたいな。これは暴走しすぎですか。
アサノさんが「アニメアニメしてないアニメ」として挙げているTRAVAというアニメのライナーノーツに、TRAVAは普段アニメを見ない層にウケる作品だろうという話が書かれていたということからも、いわゆるアニメ声やアニメ絵はアニヲタにウケることを志向して作られてることが分かる。
アニメ絵アニメ声ってやっぱ退きますか一般人は。TVドラマ「電車男」のオープニングアニメが始まったら「うげっ」とか思って目を背けますか。
どうなんジャロ。
テレビで放送されたのを録画したのを見てました。
おもろい。なんだこれ。かなりおもろい。何かにつけて主人公その他の言動がどっかズレてるのが笑えてたまらない。いまいちいつも緊張感なさそうな主人公も実に良い。あとバロン格好良すぎる。惚れた。
高空からフリーダイビングするシーンとか、髪や服がはためく様に見入ってしまった。ここまでするか。
頭悪い人のクセに、頭を使うことを要求される話に背伸びして割り込もうとするのが、僕の駄目なところだと思った。確率とかパラドクスとかの話しかり、チャットでの面白そうな話題しかり。何故黙っていることができないのか。
他の人なら、何も言わないのを見て「ああこの人は話題に付いていけないんだな」と悪意的に見ることはない。だが自分は違う。自分は自分の状態をよく知っている。自分が「理解できてなくてついていけてないから傍観してる」ことを知っている。だからそんな自分に対して「いや違う自分はもっと賢いんだ!」とアピールしたくなってわざわざ墓穴を掘る。
馬鹿のクセに、馬鹿らしく生きることに抵抗を感じる中二病。賢く生きる方法を知らない馬鹿。そういうことなんだな。
僕の結論は「宝箱を替えても替えなくても確率は変わらない」つまり「Aに財宝が入っている確率もBに財宝が入っている確率も1/2である」、よって「替えるべきとも替えないべきとも言えない(替えても替えなくくても良い)」ということになるんだけど、回答編には「違う」と書かれている。解説を見ても納得できない……どうしてそうなるの?
宝箱Bを開封したことで、宝箱Cの中に財宝が入ってる確率が上昇するのは分かるけど、宝箱Aの中に財宝が入ってる確率も同時に上昇するんじゃないの? なぜAの確率は変わらないでCの確率だけが上がるのか理解できない。
AとCを交換できるということは、Aを一旦戻してAとCとどちらを選ぶか選択せよと言われるとの同じことだと思うのだけれども、それでどうしてAとCに差が付くの? さっぱり分からない。
河原先輩(上級腐女子)曰く、ドロシー(ガンダムW)や野上冴子(シティーハンター)はイイ女。CLAMPのマンガに出てくる女キャラもだいたいイイ女。ノイン(ガンダムW)やギャルゲー・エロゲーに出てくるような女は軒並みアウト。だそうだ。他の女子の人も「イイ女」の印象はそんな感じらしい。
ちなみに「臨死!!江古田ちゃん」の江古田ちゃんまでいくとハジケすぎてて駄目らしい。笑。
さて。前述の「女から見てイイ女」とされたキャラと、単に「気の強いキャラ」とか「ツンデレ」とかいわれるキャラとの違いを考えてみると、どうもその差は、プライドの高さにあるのではないかと思えてきた。つまり、冴子さんは男の前でも媚びたりしないけど、エロゲー・ギャルゲーのツンデレキャラは男の前でデレデレしすぎる、というところに違いがあるようだ。
あー、確かに冴子さんやドロシーは仮にベッドの上だとしても男に甘えなさそうな印象あるね(童貞の妄想)。エロゲー・ギャルゲーのキャラと違って作中ではそういうシーンが描かれないから、想像が及ばないだけ、という可能性もあるかも知れんけど。
ただ、冴子さんも恋愛はしていたし、それも、男に崇め奉られるでもない比較的良好な関係を持っていたような描かれ方なんだよね。だから、「女の魅力で男共を付き従える女王キャラ」≠「女から見たイイ女」だということでもある。
男から見た「イイ男」についても同じことが言えるだろう。女に妙に媚を売るのも、逆に、男の魅力で女共を付き従えるというのも、なんか違う。
相手にただ従うでも、相手をただ従えるでもなく、互いにほどよい均衡を保ってお付き合いできる「大人」。それが「男から見ても女から見てもイイ男」「女から見ても男から見てもイイ女」なのではないだろうか。