たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
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もうすぐ26になるのに、何だろうこの幼稚さは。近年より一層退化に磨きがかかってきている、という風に自分では思うけどそれは単に元々幼稚であった自分の有り様を嫌々ながら理解できるようになってきただけに過ぎないのか。過去の自分がオトナだったとも思えないしなあ。
何だろなあ。この成長して無さ感が辛いのかもしれない。自分自身は精神的に成長できてなくて、それなのに身体や周囲の状況は否応なく進んで行ってて。体力の低下(元から低かったけど)とか体重の増加とか自炊率の低下とか、清く正しい独身男性的に順調にダメになっていってるんだよなあ。それで精神が退行していってるんだもの、始末に負えん。
前のエントリを見た哀さんに「楽しそうだなあ」的な事を言われたのだけれども、楽しいとか遊んでるとかいう感覚は自分にはなかった。
自分がこういう風にいちいち言葉を換えてねちねち書くのは大抵、なるべく一回の反論だけでいろんな角度からの再反論をあらかじめ防いで「さあどうだ」と勝ち誇りたい時だ。自分の価値観ではそういう態度こそ最も余裕がなくて無粋でカッコ悪い姿だと思っている。にもかかわらずそうしているのだから、相手を言い負かす事にカッカして冷静な判断ができなくなってるって事だ。不快感に突き動かされてなりふり構わず自己保身に精一杯になってるってことだ。
そんな風にすぐに熱くなる短絡的な性格の僕には、冷静に力のコントロールをして相手をてのひらの上で転がして遊ぶ、という風な芸当は多分できないと思う。ギャンブルをやって大負けするタイプだ。だから僕はギャンブルはしないようにしてる。
ギリギリの所を楽しむのがイイとか、心理戦とか、そういう種類の「遊び」は僕には無理なんだと思う。そういうのが楽しめる人はよっぽど頭が良いんだろうと思う。羨ましい。僕に楽しめるのは、コツコツ積み重ねるとかの一人遊びだけなんだろうなあ。
自分にはちょっと承伏できない理由でJintrick氏にDISられてるので、一応釈明しておきます。
――「一応」と書いておきながら、Jintrick氏に「バカじゃねーの」みたいに煽られたような気がして感情的になってクドクド書き過ぎてしまったので、最初に例だけ示しておきます。
<?xml version="1.0"?>
<html xml:lang="ja">
<head>
<title>テスト</title>
</head>
<body onload="init()">
<script type="application/x-javascript">
function init()
{
var ul = document.getElementById('indicator');
document.addEventListener('keypress', function(aEvent) {
var li = document.createElement('li');
li.appendChild(
document.createTextNode(
[
aEvent.type,
aEvent.keyCode,
String.fromCharCode(aEvent.charCode) +'('+aEvent.charCode+')',
aEvent.target,
aEvent.target.localName,
(new Date()).getTime()
].join(' : ')
)
);
ul.insertBefore(li, ul.firstChild);
}, false);
}
</script>
<textarea rows="5" cols="50">ここに文字を入力すると、イベントの詳細を表示します。</textarea>
<ul id="indicator" style="height: 15em; overflow: auto;">
</ul>
</body>
</html>
これが正常に動作しなくなるというただそれだけの理由で、僕はJintrick氏の勧める方法(上位のDOMノードをゴソッとDOMツリーから切り離して、ツリーに対する処理を行い、最後に再挿入することで、パフォーマンスを向上する)を全面的には採用できません。
以下、長々とその説明。
日曜に起こった秋葉原の通り魔殺人事件(というかもはや単独でのテロだよなあ)について、マスコミが例によってヲタ趣味をとりあげてあること無いこと言ってるらしい、という話を見て憂鬱な気分になる。宮崎勤の時にはコミケ会場前までわざわざやってきて皆さん、ここに10万人の宮崎勤がいます!
と報じたそうだけれども、今年の夏はもしかして「ここに20万人の加藤智大がいます!」とか言われるのだろうか(会場はフジテレビのすぐ近くだしね)と思うと、本当に気が滅入る。
きっとさースレ(何処)とかにも書かれるんだぜー「殺人鬼予備軍の作ってる物勧めんなよpgr」とかさー。煽りと分かっていてもガックリくる。そういう打たれ弱さ、いつまで経ってもなくならない。
過剰反応しすぎって言われるかも知れない。過剰反応するくらいに今でも僕は「他人からどう評価されるか」ということをいつも気にしているということの顕れなんだろうな。
norahさんやkozawaさんはあくまで、「Firefox 3正式版」と銘打ってリリースされる記念すべき&世間の注目度も非常に高い&日本でのシェア拡大を考える際に重要な意味合いを持つと考えられるバージョンにおいて、一般のライトユーザ(特にMacではSafariで問題が起こるサイトがあるからFirefoxを使っているという人すらいる状況(つまり「Firefoxの方がマシ」という評価がある)であることに注意)が「あ、こりゃ使い物にならんわ」と判断を下してそれ以後も評価の対象にすらしなくなる、そんな事態になりかねないような致命的なバグを抱えたままリリースすることの、マーケティング上の問題の重大さを考えて、こう発言しているということは分かる。そもそもnorahさん自身はMac使ってないはずだし(kozawaさんはどうか知らない)。
「Netscape 6正式版」が公開されたことが皮肉にもNetscapeブランドの死を決定付けた、という過去をこの界隈の人なら憶えていないはずはないだろう。その同じ轍を踏むことを恐れているのだと思う。であるならば、僕もそこは全く同じ気持ちだ。
個人的には、ライバルのOperaもSafariも対応してる状況で:nth-child()
等の疑似クラスやtext-shadow
が間に合わなくて(まぁ過去の状況とかを見るに、今物凄いスピードで進展していて、年末リリース予定といわれているFirefox 3.1にはまあ多分入るだろう、という風な所にまでこぎ着けていることが驚きなんだけど)、CSSのサポートでカタログスペック上は一歩も二歩も取り残されてしまっている(でも実装の堅実さではGeckoは優れてると思う。Safariはこのページをまともにレンダリングできないんですぜ?)という事も残念だなあと思う。というのは余談なのでさておき。
今回問題になっている件は、RC1でやっと問題が修正されたものの、その修正によって逆に新たな深刻な問題が発生してしまったために修正取り消しとなって、RC1までは問題なかった(修正済になってた)のにRC2の段階でその修正が取り消されてしまって、タイミング的に正式リリースまでの再修正が絶望的になってしまったという、非常に間の悪い事故という感じのケースなので、これについては誰を責めてもしょうがないなあと僕は思う。
それでも敢えて犯人捜しをするのであれば、件の修正がバックアウトされてしまう原因になった問題がもっと早くに発覚していれば再修正も間に合ったかもしれなくて、リリース直前になるまでその問題が見つからなかった(報告日は5月20日)事が問題なわけで、件の修正自体ももっと早くに行われていればここまでタイミングの悪いことにはならなかったかもしれないわけで、Mac環境でのテストが不十分だったことやコードを書く人が少なかったことが問題なわけで、それはつまりMacユーザからのフィードバックやコードを書ける人の協力が今の今まで無かったからということであって、口をあんぐり開けて待ってさえいれば品質のいいソフトウェアがお上から降って来るものと思ってボサーッとしてたMacの(特にIMEを使用する言語圏の)Firefoxユーザ自身のせいということであって、そこらへんは中野さんの言う通りであって、自業自得なんだと思う。
norahさんやkozawaさんではなく、norahさんのエントリに日本人に対する嫌がらせが酷いですね
というコメントを残してるような人、こういうのがよくないなあと思う。「お客様気分」っていうのかなあ。この辺のことはkozawaさんのエントリにあるzzz氏のコメントに書いてあることにただただ頷くばかりだ。
という風に煽り気味に書いてみたけれども、まあ、Macに限らずFirefoxユーザにそういう姿勢の人が多くなるというのは、しょーがないのかなとも思う。単純にエンドユーザが増えればその分、開発に協力するような人の割合は減ってくるし。今までだったら「ボランティアで運営してる? 労力が不足してる? しょうがねえなあ、ほっとけねえから俺も手伝ってやるよ」という感じで手伝う人が現れてくれてた所、メジャー感が出てくると「ああ、Mozillaって金持ちなんでしょ? じゃ人手も沢山雇えるだろうし、オフィシャルの人に任せときゃ大丈夫だよね」という感じで手伝う人が減ってくる、そういう所もあるんだろう。
Mozillaの中の人(中野さんとかの技術畑の人じゃなくて、組織の運営やお金の工面を考えるような分野の人)には、そういう所の諸々の問題も解決する方向で色々頑張ってもらいたいものだなあ、と、無責任に希望だけ書き捨てておく僕も前述の類の人と同じ穴の狢か。
追記。今回話題に上っている問題で具体的に誰がどーいう不便を被るのよ? という例としては、ニコニコ動画でコメントを付けるとかUSTREAMのチャットで発言する時とかに、直接日本語を入力できなくて、必ず他のアプリケーションかネイティブな入力欄に日本語を入力してからそれをコピペしないといけない、という感じです。ニコ動はまあFirefoxの今のメインのユーザ層はあんまり使ってないかもだけど、USTREAMを活用してる層とFirefoxのアーリーアダプター層って結構かぶってる気がするので、組長あたりはご愁傷様ということになりますなあ。ということでこれらのサービスをよく使うマカーな人はRC1を使うか3.0.1を待つかこのバグがFixされたことが確認されているナイトリービルドを使うか、といった感じになるかと思います。
追記。言及された先にコメントとして書いた内容をこっちにも転載しておく。自分としては、この件はあくまで様々な関係者に少しずつ責任があると考えていて、Macユーザ「だけ」が悪いとは思っていないけれども、Macユーザの責任がゼロだとも思っていない。ただ、その事を以ってMacユーザ全員を敵に回して「お前らもっとコミットしやがれ」と居丈高にギャーギャー叫びたいわけでもない。「あなたが使いたい物がどこにもないのなら、あなたが自分で作るしかない。使いたい物があっても作る気が無いのなら、誰にも文句は言えない。作る気がなくても使いたいのなら、賃金なり労力なりのコストを負担するのが当然。あなたのためにタダで働いてくれる都合のいい奴隷は、そうそういない。いまあなたがタダで利益を得られているとしたら、他の人がその人自身のためにやったことのおすそ分けを貰っているからにすぎない。おすそ分けが少ないぞと文句を言う権利はあなたにはあるけれども、それに応じる義務は誰にも無い。なんでおすそ分けをもっとよこさないんだ、と不満を述べる姿はただ滑稽なだけだ。」ということを、今無邪気に要求の声を上げていて自覚していない人には自覚してもらいたい、ということをここでは言いたかった。
いつだったか、僕の撮った写真を友人に見せようとして「素人が撮った写真やん(笑)(だから見たくない)」と言われたことがあった。
あれ以来、「綺麗な構図」とか「面白い形」とかそういう物を意識して写真を撮ることが減ったし、そういう写真を人に見せることもなくなった。自分の「これを綺麗だと思った」とか「これを面白いと思った」というセンスを「くだらない」と一蹴されるのが怖くて、人に見せられなくなったのかもしれない。今僕が撮ることができて人にも見せられるのは、「そういう美的な事は何も意識しないでとりあえず撮っただけですよ、だから美的評価はしないでね、ただの記録写真として見てね」というエクスキューズが可能な写真だけなんじゃないかと思う。
あの時褒められてたらどうなってただろう。もっといいカメラを買って、ばしばし撮りまくるようになってたんだろうか。
小さい頃、描いた絵を人に見せて、その時もしも「ヘッタクソやな」とか「ガキの描いた絵やん(笑)(だから見たくない)」とか言われていたら、それ以来絵を描かなくなっていたかもしれない。作った拡張機能を「役に立たない」「素人の作った物やん(笑)(だから使いたくない)」とか言われていたら、あれほど開発にのめり込むことも、卒業製作の題材に選ぶことも、あるいは、就職に結びついて今の仕事についていることも、なかったかもしれない。
ある程度自信を持って、プライドを持てている状態で、他人に「ハッ(嘲笑)」みたいにされたら、発奮して「見返してやる!!!」という風にやる気を刺激されて却って伸びるのかもしれない。でも十分な自信が無いうちに、恐る恐る手を出してみた段階の時にそうされたら、「やっぱりダメなんだ」と思ってしぼんでしまう。少なくとも僕はそういうタイプの人間らしい。
他の人がどうかは知らない。でも僕は僕のような人の可能性の目を摘んでしまうことが怖いので、なるべくいつでも「褒める方針」でいたいと思う。
難しいことを皆さん考えてらっさるけど、僕はイスラムの天国の話を読んで、なんかもういろんなことがどーでもよくなってしまいました。
イスラームでは男性は天国で72人の処女とセックスを楽しむことができる。彼女たちは何回セックスを行っても処女膜が再生するため、永遠の処女とされる。
処女厨ってレベルじゃねーぞ!
突き詰めるとやっぱり、自分のやりたいことは「プログラミング」ではなくて「アプリケーション開発」なんだろうな。ということを、amachang達との飲み会でぼんやりと思って、最近またいくつかの記事を見て改めて思った。
extensions.checkCompatibility(対応バージョンの照合を行うかどうか)とextensions.checkUpdateSecurity(自動アップデートが安全に行われることを求めるかどうか)のうち、前者はまあfalseにしてもいいと思うけど、後者をfalseにするのは僕もいただけない。前者は「気をつけていれば被害を防げる」性質の物だけど、後者は「気をつけていても被害に遭う」性質の物だから。
自分でもよく分かってないものを人に勧めるな、とは言わない。それを言ったら自分も何もできなくなるから。その代わり、良くないことを勧めてしまったことに気がついたのなら、それを広めた時と少なくとも同じだけの労力を割いて訂正情報を広める努力をする(誤情報を伝えたエントリやコメントに正しい情報へのポインタを追記することもその一つ)のが、自分のしたことに対する責任の取り方という物だと僕は思ってる。
タイトルは釣り。
僕自身はなんだかんだで仕様原理主義者な所が今も強いわけで、その考えに則れば、onclick等のイベントハンドラは一応W3Cの仕様に含まれてるから(HTML4、XHTML 1.0、XHTML 1.1)OKだけど、ライブラリは業界団体の作る標準仕様になってないからNG、と言える。というのはまあ半分冗談だし、そもそもHolyGrailさんの指摘とは次元が違う話なのですが。
しかしこの考えも、権威主義だけじゃなくて、実利的に考えて「そうあるべき」と僕は割と真面目に思っていたりもする。
この三つの点について、満たしている物が多ければ多いほど、満たしているレベルが高ければ高いほど、それは良い物で学ぶ意義も大きいと僕は思う。
今でこそ僕はFirefox一辺倒だけど、これも「1」と「3」がそれなりに満たされているからという所が大きい。仕様は無いにしても実装がソースコードレベルで公開されているから、必要とあらば「こういう時にどうなるのか」をどこまでも追いかけられる。また、少なくともWindowsとMacとLinuxというマルチプラットフォームで使えて、どれか一つの環境で作り込んでおけば、他の環境でもそのまま使える(最悪でも、それほど大きな労力を掛けずにポーティングできる)。
そして上記三条件それぞれを最も突き詰めた物が、オープンスタンダードであり、デジュールスタンダードであり、デファクトスタンダードだ。
一昔前までは、ことWebについてはデファクトスタンダードとデジュールスタンダードが激しく乖離しているのが当たり前で、GeckoくらいしかまともにW3Cの仕様を実装している物が無い頃には「W3Cの仕様はWeb標準だからこれに則ってればいいことあるよ」と言っても「でもそれって夢物語じゃん」と返されるのが世の風潮だったと思う。でも今は時代が変わった。OperaもSafariも高いレベルでWeb標準に対応してきたし、IEも少しずつだけどWeb標準に合わせてきてる。今だったらはっきりとこう言える。「Web標準の技術を使っていれば、FirefoxでもOperaでもSafariでも動作するし、AirでもGoogleガジェットでもFirefoxの拡張機能でも使えるし、いいことだらけだよ」と。
不遇の時代を乗り越えて、「Web標準」は今、上記三つの条件を兼ね備えた物にようやくなりつつある。W3CやWHATWGやISOやECMAに仕様があって、仕様が公開されていて、しかもそれをほとんどのベンダがサポートしている。これって凄い事だと思わんかねぇ?(誰ともなく)