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ヲタファッション革命 - May 08, 2008

ヲタファッション革命第一弾

おお。いい結果になったみたいでよかった。オサレ小物まで行くと僕にはちょっと付いていけんけど……

これのBeforeとAfterの違いが分からん(どっちもダセえ)と思う人というのは、きっとオシャレさんなんだろう。そういう人達と、脱オタしたいと思ってる僕達みたいな人とでは、そもそも目指してる物が違うんだから、まあ、そういう人達から辛辣な意見が出てきたって、それは無視してイイと今では思える。

彼らは「いかに凡人から抜きん出るか」とか「いかに自分が楽しめるか」を目指しているんだと思うけど、そうじゃなくて僕らが求めてるのは、「凡人から二歩も三歩も出遅れて悪目立ちしている状態から、いかにして凡人レベルまで引き上げて溶け込むか」「いかにして最下層から脱して、劣等感を感じずに済むようになれるか」っていうこと。

敢えて露悪的な言い方をすれば、仮に物凄いオシャレさんな人達から見て「プッ、ダセえ」と思われるような服装であったとしても、それでもまだ「見下せる先がある状態」になれてはいる。それだけでもう僕らにとっての「脱オタ」は十分に意義あることだと思う。『下の下』でも『下の中』でも『下の上』でもない、『中』のレベルになれた、その間にある谷を越えられた、っていうことが大事。

そもそも他人の目線をいつも気にして劣等感を抱いて「脱オタしたい」なんて言っちゃってるような自意識過剰な弱虫たる僕らのような人種は、その程度のことで劣等感を解消できてしまえる、満足できてしまえるのですよ。オシャレさんな人達が「自分が楽しむために」「自分が満足するために」ファッションにコストをかけるのと同じで、僕らもまた、「自分の心を満足させるために」そこにコストを投じているわけで、本質的に別に間違ったことをしているとは思えない(まあ、動機のベクトルは不健全に歪んでると思いますけどね)。

それに「誰にも見下されたくない」とまで思ってしまうと、どこまで行ってもきりがないじゃないですか。「とりあえず世間の平均から見下されずに済むレベル(平均の平均までいかなくても、『中の下』までいければ『中』には引っかかれている)まで上れたら、それでいい」と思えるレベルは、コストパフォーマンス的に最も妥当な落とし所だと思う。

……とまで書くときっと言いすぎで、リンク先の記事で「革命」した人はここまで黒い感情を抱いてはいないと思うし、大多数の脱オタ希望者ももっと健全な物に近い感覚ではあるんだろうけど、まあ、そーいうタチの悪い人もここにいるんですよってことで。

結婚 - May 08, 2008

仕事がきっかけで知り合った方が、今度結婚されるそうな。

まともな人間関係を築けるようになった?と思う高校くらいからの人間関係で結婚した人達を思い出しながらカウントしてみたら、10組を超えてた。交友関係の狭いひきこもり性の僕としては、結構驚くような数字なんだけど。

僕より年上で結婚した人も僕より若くて結婚した人も色々いて、というか同い年・同学年の友達というのが少ないので、いわゆるひとつの「みんな結婚していっちゃって……」的な感覚はイマイチ薄い。こう、なんというか、僕がこうやってぼんやり生きてる間に時間というのは流れていく物なんだなあとか、みんな色々考えて生きてんだなあとか、そういうことを、やっぱりボンヤリした頭でポカーンと口開けて眺めてる、そんな感じ。

羨ましいかどうかで言えば、多分、羨ましいとは思う。しかし今も昔も、どこか遠い世界の出来事の話にしか感じられないなあ、という感覚が強い気がする。なんだろうなあ。新婚とか同棲とかそういうのを取り扱った漫画、恋愛物だとかラブコメだとか、そういうのを結構な量消費してきて、そういうのを消費したからこそ、そういう物を消費物として楽しんできてしまったからこそ、自分自身のことについては明るい未来のイメージが思い浮かばないというか。言葉にするのが難しいのだけれども、こう、前述したような甘々な物を好んで消費するという僕のメンタリティ故に、それが却って宜しくない結果を招きそうだなあ、みたいな。

親にゲーム買って貰えないから攻略本だけ買ってスミズミまで読んでそのゲームを味わい尽くした気分になって、それで満足できてしまってそのうちゲーム本編の方に関心が無くなってしまってほんとにやらないうちから飽きてしまったりとか、あるいはその逆に、期待に無駄に胸膨らませてしまって、実際プレイしてみたら期待したほど面白くなくてガッカリするとか。そんなんするくらいだったら最初から誰かに貸してもらってゲーム本編をプレイするなり、プレイできるようになるまで情報断って我慢するなりっていうのが、健全なあり方っていうものなんじゃないか? なんでそういう健全な生き方を僕はできない・しようとしないんだ? というかなんというか。

考えがまとまらない。

まあそんな風に僕はうじうじ自問自答してしまわずにはおれんのですけど、そんな事は関係なくて、というか皆さん僕よりずっと健全に生きれてると思うから、みんなは幸せになって下さいなと。妙に後ろ向きなエールを送る次第です。

自分の駄目さをなぜ認められなかったのだろう - Apr 26, 2008

プログラムを書くことについて、自虐っぽい事をたくさん言ってきたけれども、そのくせどうして今までこんなことすら自覚できていなかったのか。

それは多分、何だかんだ言って、プログラムを書いて何かする・何かできる・何か作れるという事が、自分にとって唯一誇れそうな要素だったからなんだろうなと思う。それを否定してしまったら後には何も残らなくなってしまう(運動はできないし、異性にモテるわけでもないし、オシャレになれるわけでもないし、絵だって流行りの絵柄に追いつけてないし、かと言って他の誰も真似できない個性的な絵を描けるわけでもないし、Web制作の世界でも気付いたら取り残されてたし……)からなんだろうなと。自分にとって最後の砦だったから、ダメな所を直視しないようにしてたんだろう。

あと、逆に、「ダメでもいいや」って思ってる所もあったと思う。普通、この歳になると部下ができたり、部下じゃなくても後輩で新人が入ってきたりして、追いかけられたり追い抜かれたりする不安を抱えながらそれをバネにして「上司」とか「先輩」として成長していくものなんじゃないかと何となく思ってたけど、気がついてみたら、今まで自分より後から入ってきた若い人と仕事をするという事が全然無くて、基本的に自分が常に下っ端だったから、その現状に甘んじていた、そういうところがあったと思う。本当は歳相応の能力を身につけられていない、成長できてないのに、「下っ端でもそんだけできてんだから、大したもんだ」みたいに自分も他人も下駄を履かせて見ていたんじゃないか、って気がする。

なんとなくそれなりに順調に生きているような気がしていたけれども、色々な事がうまくいかなくなってメッキがはがれてきて、自分自身の事なんだけどなんというかとてもガッカリしている。失望している。

自動テスト - Apr 25, 2008

regression(後退バグ。修正のために加えた変更が原因で新たな問題が発生すること)のせいで体力・精神力を消耗する事が重なり、自動テストドリブンな開発の重要さを身に染みて感じた。プレゼンでも言ったけど、「やってりゃ良かった」と後悔してばかりだ。まさかこんなに手こずる羽目になるとは当初は思っていなかったから。

自動テストはregressionの発生を防ぐ(正確には、regressionを残したままでいることを防ぐ)素晴らしいメソッドだ。と今になって改めて思う。

でも、どんなコードでも機械的に自動テストにかけられるわけではない。機械的に自動テストを実施するには、自動テストを実行しやすい設計になっていなければならない。自動テストを実行しやすい設計とは、粒度が小さい=オブジェクトやらメソッドやらが可能な限り細かい単位で分割されている設計のこと。テスト対象となる部品自体が可能な限り自己完結していて、外部的な要素は必要に応じてすべてパラメータとして与えるようになっていること。横着して一つの関数内からグローバル変数やら何やらを参照しまくっていると、その関数のロジックそのものをテストすることができない。

そういうわけで、自動テストドリブンな開発には気を遣わなければならない。気を遣わないといけないから気力を消耗する。だから、せずに済むのなら、しないままでいたい。でも、そう考えているうちに「自動テストを作成する&テストを実施しやすい設計にするコスト」と「やっつけで作って、その都度メンテナンスするコスト」の関係が、「前者>後者」だったのがいつの間にか「前者<後者」に逆転してしまうようになっていて、メチャメチャ後悔することになる。

今まで自分のやってきたことは9割方、自動テスト無しでもどうにかやってこれていたし、そもそも、自動テストの重要性とそのための設計の指針が分かった今改めて見返してみても、自動テスト化することが困難な物が多かった、と思う。だから、自動テストを前提にしてコードを書くという習慣が身についていない。自動テストが最初から不可能な事が多かったから、自動テストのできない設計にするしかなかったから、自動テストのできない設計にすることが当たり前になってしまっている。

でもいい加減、その悪習を断ち切らなければならない。25歳ももうすぐ終わりの、四捨五入すれば三十路の、今更も今更で手遅れ感がとても強いけれども、やらなければいけない。今まで自分がやってきた方法は通用しないということを自覚しないといけない。できて当たり前の事が今まで全くできていなかったという事、本当はこの面子の中で飛び抜けて一番遅れているという事、それなのに対等であるように勘違いして思い上がっているという事、今まで他人事だと思ってた「ダメな人の典型」に自分がまったく当てはまっているという事、全部認めないといけない。

そういうわけでとりあえずUxUはマジオススメ。

「分からない」の二大理由 - Apr 20, 2008

わからない理由 - ぼくはまちちゃん!(Hatena)

『わからない』と言う人間は、2種類しかいないんだ。

わかれない人間と、
わかりたくない人間。 どちらかなんだよ。

「分かりたくない人間」な人に「分からない(から教えて)」と言われた時、「分かれない人間」から「自力で分かるために必要なプロセス」「分かり方」の教えを請われたと勘違いして一生懸命「分かり方」を説明するんだけど、その人が求めているのは「分かった結果の成果物」「答え」であって「分かり方」になんてちっとも興味がなかった、だから「分かりたくない人間」のその人はなかなか求めている物が得られなくてイライラするし(「あいつはいつも話が回りくどくて困る」とすら思ったりする)、教える人はなぜこうして何度も教えてやってるのにいつまで経っても「分からない」のか、「分かるために必要なプロセス」を身に付けられないのか、とイライラする。不幸なディスコミュニケーションだ。

その人が「分かれない人間」なのか「分かりたくない人間」なのかを初っぱなの段階で見抜くことが、うまく生きていく上で必要なのかなと思った。

選択肢が多い物を勧めるのは、その人の精神的リソースを消耗させることに繋がる - Apr 20, 2008

なんでも評点:人は選択肢が多いほど疲れることが判明 ― だからネタ探しは重労働。能動的なネットが受動的なテレビに勝てないのもこのため?

実感としてなんとなくそうだよなとずっと思っていたので、それが実験によって示されたというのは、ほっとしたというか、合点がいったというか、言葉にするのが難しいけど、「選択できるのが良いことだ」とオウムのようにそればっかり繰り返すことの愚かさを科学的に指摘できる材料が一つできてちょっとグッと来る、そんな感想を持った。拡張機能を何千個と並べてそれだけで良しとしてちゃいけねえよと。

でもこれはFirefoxにとっては武器にもなり得るよね。多機能な製品ほど精神を疲弊させる、その点素のFirefoxは機能がそんなに多くないから楽に使えるよと。必要になったら人に勧められた拡張機能をその都度入れればいいのだから、と。

MPLを作ったのはミッチェル・ベイカー(30へぇ) - Apr 20, 2008

オープンソース法 第7章 MPLライセンス 1. Mozillaの物語によると、弁護士でもあるMitchell Baker(Mozilla Corporation会長/トカゲ世話役主任)がMPL(当時はNPL)を作ったんだと。知らんかった。まあ確かに古株で弁護士資格を持ってるってことはそういうこともあったと考えて当然だったんだけど。

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