たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
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何かを批判したり罵ったりする時、その対象に自分自身が含まれてるのに気付いてないのって愚かしいねという話。「except me」とはつまり、「アイツらはダメだね。俺だけは違うけどね。俺以外のアイツらはダメだね。」という風な言い方のこと。ハッキリ「俺は違うけどね」と言ってる人はそう多くないだろうけど、言外にそのニュアンスが含まれている例は多いだろう。
「人は自分を罵るべき文句で以つて他人を否定する」でしたっけ、野嵜氏がよく使っていた言葉は。
でもなー。自分の気が付く、批判したくなるような事柄で、自分と全く異なる世界の出来事、っていうのが無いんだよなー。それって単に視野が狭くて自分に関わる世界の事しか見てないからなんかなー。
だからなんだろうなあ、「except me」を避けると必然的に僕は「include me」になってしまう。「アイツらはダメだね。俺もだけどね。俺も含めてみんなダメだね。」みたいな。
自分に関係ない世界のことを批判するのは、そういうことができる人に任せよう。僕には無理だ。
何か急にディスクアクセスに妙に時間がかかるようになって、そのうちパーティションの一つ(K)が内容を表示できなくなってしまった。マイコンピュータを開くとしばらくフリーズするし、そのパーティション(K)を開こうとするとまたフリーズして、挙げ句、「ファイル レコード セグメントを読み取れません」だかなんとかエラーメッセージが出る。
うちの場合は外付けHDDではなく内蔵のATA(SATAですらない)でページングファイルの置き場所に指定してあるドライブだった。「コンピュータの管理」の論理ディスクマネージャを見てみると、なんか「(危険)」とか書いてあって、いかにもやばそうな感じ……
ディスクのエラーを修復するためにマイコンピュータ上でディスクのプロパティを開いてエラーチェックを実行してみようとしても、同じ物理ドライブのもう一つのパーティション(J)の方はうまくいくんだけど、問題のパーティション(K)はいくらやってもエラーチェックが行われない。
仕方がないのでWindowsを再起動して、起動メニューでセーフモードとコマンドプロンプトを選択し、コマンドラインでchkdskを実行してみた。
そしたら、ファイルレコードセグメント○○を読み取れませんとか、ボリュームビットマップエラーがどうとか、軽度のエラーを修復していますとか、モロモロとメッセージが出まくりまして。「/F /R」オプションを付けて実行するとステージ4/5の段階で「0パーセント」からピクリとも動かないんでやんの。
諦めて「/F」オプションだけ指定して何度か繰り返しchkdskを実行したら、なんとなくアクセスできるようになったっぽい雰囲気。不良セクタがいくつかレポートされてるんで、コイツももう長くは持たないかもしれないな……まあもったいないからもうしばらくは消えてもいい一時ファイルの置き場所として使い続けてみることにする。
Firefox 3 と Google Gearsで、Google Gearsが発表されたからといってFirefoxの同じ機能をなくすつもりはないという開発者陣の声が採り上げられているんだけれど。
それより僕が気になったのは、Google Readerをオフライン状態にする方法が分からなかったという話の方だ。
Google Developer Day 2007でのデモンストレーションでは、Google Readerの画面内にあるボタン?をクリックして「オフラインにしますよ」ということを通知した段階で、Google Readerによって記事の情報の先読みが行われ、オンライン復帰時にもう一度そのボタン?をクリックすると既読の情報が送信される、という感じだった。これを見た時には「ほほー」と感心するだけだったんだけど、リンク先の記事で実際に使おうとして使い方が分からなかったという話を見て、切り替え方がサービスやWebサイトごとに異なるっていう問題があることに今頃気がついた。制作者に対するAPIももちろん重要だけど、ユーザに対する見せ方、対人API、マンマシンインターフェースのガイドライン、というものもこういう機能では必要なんだろう。
こういう点でも、FirefoxネイティブのオフラインブラウズAPIの実装にはまだまだ意義があるって事なのかもな、と思った。
背中で語れとか言われたので思いついた端から送ってみたよ。
発想が貧困でごめんなさい。
「都内で」というのが多いのは実現可能性を考えてのことであって、他の地域を無視してるワケじゃありませんことよ?
さすがに公式にサポートが終了したバージョン向けの解説本をいつまでも宣伝してるのはどうかと思ったので、Mozilla 24の宣伝にしてみた。
イベントの宣伝に使えるバナーとかあればいいのにねえ。
残り日数を表示する簡単なスクリプトを加えてみた。使いたい人はどーぞ。
<script type="text/javascript">
function getRestDays(aYear, aMonth, aDay)
{
var present = new Date();
var future = new Date(aYear, aMonth-1, aDay);
var rest = present.getTime() - future.getTime();
return -Math.floor(rest / (1000*60*60*24));
}
document.write('企画受付〆切まで<em>あと'+getRestDays(2007, 6, 30)+'日</em>、');
document.write('開催まで<em>あと'+getRestDays(2007, 9, 15)+'日</em>。');
</script>
ハッカーを扱った映画とかでタイピング速度が遅いと微妙になんだかなーという気になる。
なんとなーくずっともやもや感じてはいたんだけど、それをうまいこと言語化してくれてるなあと思った。基本的にMozillaのしてることって、地に足が着いてないっていうか。everyoneに向けて話そうとして、結局no oneに向けてしか喋れてないっていうか。あくまで理念先行っていうか。そんな気はずっとしている。
いや、正直なところを言えば実際には、ちゃんと地に足が着きまくってるんだけどね。ギークとナードにとっての「地」には。Firefoxを含むMozilla製品のコアユーザにとって、Mozillaが今のようなMozillaであるのは必然だし、そうでないと困る。僕自身、あの手この手で自分の思いどおりにいじれる情報収集プラットフォームであるFirefoxにドップリ依存していて、これがなくなるというのは、手錠をかけられ足枷をはめられ猿轡をかまされるようなものだ。
そんなニッチもニッチな層だけを相手にしてるだけでは満足できんからってんで、より広い層を相手にしたいんだろうけど、元が浮世離れしてるもんだから、「世間」との関わりが(それ自体、あるいは「世間」と関わりたいという意欲、「世間」と関わらないといけないという義務感なり恐怖感なりが)希薄だから、「自分と地域社会」や「自分と家族」といった中間の対人関係が思い浮かばなくて、それらをすっとばして「自分と世界」を直に結びつけてしまう発想になっちゃってるんじゃないだろうか。という気が僕にはする。
つまりMozillaはセカイ系だったんだよ!! な、なんだってー(AA略