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先日書いた件のその後についてなんだけど、妙にアクセスされててこのまま放置はまずいかなーと思ったので、その後の経過も書いておく。
デマの可能性の方が高いような気もするけど、どうなんだろう。
ふと思ったんだけど。
Mozilla Developer Centerで、元が英語の記事しかなかったものを日本語に翻訳するときに、分かりにくい箇所に訳注で技術的な補足説明を入れることってあるじゃないすか。じゃないすか、って同意求めるのもアレなんだけど、そういう場合がたまにあるし、他の人がそうしてるのもたまに見掛ける。
アレって、まあ英語独特の表現に対する説明であるとか、相当する語が無い場合の補足とかならまだわかるんすよ。でも、技術的な追加の説明が必要になるような原文って、そもそも原文見た人がちゃんと意味分かるの? って、ふと思った。
そもそもMDCってwiki形式で、誰でもどのページでも基本的には編集できるんですよね。だったら、英語の原文を日本語に翻訳するときに技術的な補足説明を付け加えた箇所は、積極的に英語の原文にも反映するべきなんじゃないの? と、思った。
なんか原文至上主義というか英語至上主義というか原典は触れてはならない聖域というかそんな空気がMDCの可能性を狭めてしまっているのなら、積極的に踏み越えていかないといけないんじゃないのかなあ。
とかなんとか思ってしまう僕はもしかしたらMDCにおける単なる秩序破壊者でしかないのかなあ。
結論として僕自身は、「教師が校則を守る必要はない」と思うし、と同時に、このような疑問を抱く子供を嘲笑するような大人ではありたくない、と思う。
抜粋された書き込みを見てもコメント欄を見ても、大人の視点からだけ考えている物が圧倒的に多数を占めていることが、悲しい。子供の視点を理解して書かれたコメントも若干数あるにはあるんだけれども、大量の「上から見下ろす」視点のコメントに流されてしまっていて、全体を眺めた時には、総じて「大人は子供の視点を理解できないし、しようともしない、するつもりもない、何故しなければいけないか考える必要性も感じていない」という印象ばかりが強く残った。
自分達「大人」が標準で、「子供」は大人になれていない未熟な存在、「大人」基準からは逸脱した存在である、という「大人」中心の考え方に囚われるのはよろしくない。それは、そのまま裏返せば、「子供」が「なんで大人ってああなんだろう。わけわかんない。大人になんてなりたくない」と言っているのと全く変わらない。お互いにお互いが自分自身を「標準」と思っていて、相手を「おかしな存在」と思っていて、理解しようともしないしする必要も感じていない。そんな大人は、本質的には子供の頃から全然成長できてないってことだと僕は思う。
自分自身そういうところがあるから、なおのこと気をつけたい。
15日早朝に数百万円が不正送金される事件の被害に遭った、という人がいるらしい。トピ主の日記のコメントで続報が書かれてるので見てみたところ、トピ主以外にも被害者が大勢出ているという書き込みもあり、事実なのであれば、なんかえらいことになってる雰囲気。
友人曰く、もし本当に複数名が同時に被害に遭うことがあるとしたら、キーロガーとかで暗証番号を盗む手口よりも、SQLインジェクションの脆弱性か何かを突いて一括して暗証番号を抜く手口の方が可能性が高いんじゃないだろうか? ということだったけれども。
っていうかまだどこにもニュースになってないようだし、なんとも言えないなあ。ここ以外に今のところニュースソースが無いので、デマの可能性があるということは考えておいた方がいい。電話で聞いても本当であっても否定するだろうし、デマなら当然否定するだろうし、確認のしようがない。
とはいいつつも、先日新生銀行のサービスについて話を聞いて、3回まで振込手数料無料とか「あ、いいかも」と思ったばかりだったので、この話はちょっとスルーできないです。もし本当だったら口座作るの取りやめにしたいから。
追記。続報書いてみた。
音楽の趣味といい描く絵の絵柄といい、僕のやることなすこと全部どうやら現代の世の中にマッチしていないようで……元々オタクは世間から数年遅れている(世間の流行がオタクの間に浸透するまで数年のタイムラグがある)と云われていますが、僕に至っては他人の1週遅れ2週遅れがもはや当たり前な感じです。
……ということを、雑談で金の使い方の話になって思った。
僕には、「稼ぎを増やしてもっといい所に引っ越したい」という感覚がイマイチ理解できない。そりゃあ、今いる所がよっぽど酷い(雨漏りがするとか風呂がないとか……)ならそういうことも考えるかもだけど……特に不便もないのに、高い家賃の所に引っ越して、無理して労働時間を増やして稼ぎを増やして、増えた稼ぎは家賃を払うために使って、結局、手元にはいくらのお金も残らない、なんていう事をしようと考える価値観が僕にはよく分からない。
じゃあ今はどうしてるのかというと、余った金はそのまま貯金になっている。頑張って貯金してるわけではなくて、オシャレをするでも飲み歩くでも賭博をするでも風俗に行くでもない、普段引きこもってばかりだから、勝手に貯まってくって感じなんだけど。
ふと、そうして貯まった金をいざ使うとなった時のことを考えてみたんだけれども、どうやら僕は、金を使う時に「自分で稼いだ金を自分のために使う」という感覚よりも、「自分で稼いだ金を自分より上位の誰かに預けて、そこからお小遣いをもらって自分のために使う」という感覚の方が、強いような気がする。独り暮らしで、親とも別の生計だし、当然扶養家族もいないし、住んでる所は賃貸だし、誰かにお伺いを立てなきゃいけない立場ではないのに、何故だか、そういう感覚が抜けきらないでいる。
もしかしたら僕は、「家」という概念を未だに持ち続けているのかもしれない。持ち家とか借家とかの「家」ではなく、家柄とか家系とかの方の意味の「家」。個人としての自分である前に、「家」に属する一員としての自分である、という風な。独り暮らしであっても、「自分はPiro家のPiroである」みたいな。一人だけの会社でも社長、個人事業主、あるいは、ヤクルトのおばちゃんのごとく個人でも販売店、みたいな。
この個人主義の平成の時代に、古臭い封建主義に自ら囚われているということなんじゃないだろうか。
それか、もしかしたら「家」の一員であると認識することによって、個人としての責任から逃れようとしているのかもしれない。だとしたら、「古臭い価値観にいつまでも囚われている昭和脳」と言うよりも、「個人として生きるのが当たり前のこの時代に、個人として物を考えることを放棄して、すべての責任を棚上げしようとしている、弱くて愚かな人間である」と言った方が正しいのかもしれない。
mixiの日記を読んでもレスを返さない、いわゆる「読み逃げ」についてお伺いします。具体的なご意見がありましたら、コメント欄にお寄せ下さい。
世の中にはそういうことを気にする人達がいるらしいと言うことは聞き及んでいたけれども、実際にそういう人(の書いた文)を見たのは初めてだ。
まあこういう事を書いている時点で例によって僕自身がマイミクの日記を見ても特にコメントしたりしてない事の方が多いわけだけれども、逆に自分のアカウントにたまに足跡が残ってても、ここにコメントされている場合の方が圧倒的に少ないので、僕の所に足跡が残っていればその人についてはこういう事は織り込み済みなのだろうと思うことにしている。
ところで、こういうのを見るにつけ、いかに自分がそういう人と接点がないか、いかに自分が普段付き合っている人脈というのがギーク層に偏っているか、いかに人間関係の広がりがないか、という事を改めて実感した。多分フツーの若い女性だとかモテる男性だとかっていうのはこういう層にいるんだろうなあ、そういう層と全く接点が無いんだからつくづく僕は以下略。
結城浩氏のエントリで注目されている、目線(視線)の所に注目してみてみた。
芸が細かいなあ。
どうでもいいけど、歌いながら踊りながら視線を意識的にカメラの方に向ける、というのはリアルにかなり難しいことのような気がする。踊ることに集中してたら目線って絶対正面向く気がする。この人達は視線を意識する余裕があるということは、わざわざ集中しなくても体が勝手にフリ通りに動くくらいになるまで練習してるということの証拠でもある。まあ仮にも「プロのアイドル」なんだから当然といえば当然なんだけれども、そういうことをもこの映像演出は表現しているのかと考えると、本当に芸が細かいなあと思わずにはおれません。
農家の恐ろしい実態まとめサイト読んで、ガクガクブルブル。
何が怖いって、もちろんここに書かれてる話が実話だとしてそれ自体が恐ろしいというのはあるんだけど、それ以上に、処女厨(※女は処女でなければ駄目という価値観に懲り固まった人間)とか、若くして結婚などの話を羨むとか、価値観が古くさいとか、そういう自分の人間性と相通じる物がここにもある、自分はここで描かれているような醜くて愚かで救いようの無い人種と同類なんだぞ、と強く言い聞かされたような気がして、何より自分自身が怖くなった。
これを見て初めて「へぇ、そうなんだ」と知ったのは、大規模経営して企業化してる農家……というか農業の会社というのが結構あるっぽいという話。「農業」っていうとイコール家族でうんぬんというイメージが(自分の両親の実家がそうだということもあって)あったんだけど、そうか、時代は変わっているんだなあ。とかなんとか思ってしまうあたりがやっぱり頭の中が古いことの何よりの証明になっているような気がしてまた改めて自分にガクブル。
……ていうかこれ、農家云々っていうよりも、単に「頭の中が昭和で止まってる」ってだけかもしれん。
ようつべに大量に動画が上がってるのを見てたらだんだん洗脳されてきてCD欲しくなってきてしまった。ハロプロにハマる人の気持ちが分かった。
と同時に、3次元(ハロプロ)には反応しないくせに2次元(アイマス)には反応してしまった自分に気がついて鬱になった。もうたすからん。……今更ですかそうですか。
見たエロビデオの女優が1986年生まれ。
つまり現在20〜21歳……
ていうか今更といえば今更な話だな、こんなことでヘコむなんて。知人で僕より歳下の既婚子持ちもいるんだし。
でもそういうことを何かのきっかけで思い出す度に、言いようの無いルサンチマンに囚われてしまう。結婚とか子供とかが絡んでくると、「ああ、もし万が一仮に僕に子供ができることがあったとしても、例えば授業参観に行ったりなんかしたら周囲のパパママは自分よりずっと歳下の人ばっかりなんだろうなあ」とか思って軽く絶望したりする。(いやまあそもそも子供ができてっていう仮定がそもそも以下略)