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僕の小規模な失敗(作:福満しげゆき)(Amazon.co.jp)
Masaoさんが紹介されていたのを見て買った。
読むのが辛い一冊だ。自然とページをめくる手の速度が速くなっていく。読み終えた後も、読み返そうという気になれない。「まだ消化できていない、目をそらしたい、自分の中の認めたくない部分」を刺激するエッセンスが凝縮されている。そんな風に思った。
例えば「ウシジマくん」は、エンターテインメント的な部分というか、おもしろおかしいってわけじゃないんだけど、見ててハラハラさせられるというかなんというか、そういう「魅せる」ものがあると思う。「容れ物」の部分で楽しめると思う。でもこの作品には(作者の方には申し訳ないんだけど)そういう要素があまり含まれていない。だからこそ、描かれている「内容」の方がダイレクトに目の前に突き付けられる感じがする。
Masaoさんの書評がすごく良いので、「非モテ」キーワードに反応する人はそっちを見てほしい。
amachangさんのエントリと金子さん(刺身さん)とのやりとりとを見ていて、どうにも違和感をぬぐいきれなかった。
僕の中ではamachangさんの人間像というのは、朗らかで健全でモテ系で努力家でイケメンでスーパーハカーで非の打ち所のない人、という印象だった。なので、そのamachangさん自身が「外見で他人を差別すること」に殊更嫌悪感を表明している事が、不思議に思えた。今はもう削除されている、金子さんのエントリへのコメントに書かれていた過去のトラウマの話を読んでも、「ねじれてるなあ」という印象が強くなるばかりだった。
「外見で差別するのが許せない」と言いながら、そう言っている自分自身もまた「外見で差別」してる(自分自身がダサくならないように心がけている)、という事に、僕は矛盾を感じる。
外見での差別は何が何でも許せないということなら、世間の価値観に逆らいいわゆる「ダサイ」格好を貫き通すという生き方が、一本筋が通っててある意味で「正しい」と思う。逆に、自分自身もまた外見で差別する価値観から逃れられない・無意識のうちにその価値観に支配されているという業を受け入れるのであれば、他人が同じような業に踊らされている様子を見ても、虚しさを感じこそすれ、激しい怒りを感じる事はないだろうに、と思う。
なんでそこで攻撃性が外に向いちゃうんだろうか、受け流してスルーできなかったんだろうか、と、無責任な第三者の立場からはそう思ってしまう。僕のように自虐キャラが染みついてると、普段から弱みを晒しまくってガスを抜きまくってるから、いざ痛い所を突かれた時も、慣れで案外流せてしまったりして。少なくともヤバいほどのファビョり方はしないで済みそうな気がする。気がするだけかもしれんけど。
親戚の男の子(小学校に上がるか上がらないかくらいの)を採り上げて、「ああこの子はモテない男になりそうだ」とか「ああこの子はモテそうだ」とか言ってる様子を見て、残酷だなあ、と思った。男を評価する立場の女が、それも、評価される者よりあらゆる面で勝っている大人の女が、それを言っているということが、残酷に思えた。敗者が勝者に対して「あんなのは酸っぱいブドウに違いない」とか負け惜しみを言っているんじゃあなくて、勝者が敗者に対して(いや実際には勝っても負けてもいないんだろうけど、だから、優位な人間と劣った立場の人間という意味で)上から<ruby><rb>見下</rb><rp>(</rp><rt class="読み">みくだ</rt><rp>)</rp></ruby>すことが、残酷に思えた。
でもそれって別に女だけの問題ではないのかもしれない。美女のグラビアを見てハァハァしてる男共が、言えた義理ではないのかもしれない。
男も女も残酷だ。
あなたの 非モテ度は
41%です判定:非モテ デンジャーゾーン
非モテの兆候が確実にあらわれています
ぎりぎり一般人のレベルですが
年齢と共に非モテレベルは深まっていくでしょう
これ以上踏み込むと非モテ街道まっしぐらです
とりあえず、こんなサイトを見ているヒマがあるなら
自分を磨くことをお薦めします
彼女ができる前の状態を選択したら48%だった。
僕自身は絶叫マシンはあんまり興味がなくて、進んで命を危険に晒すことのリスクと爽快感なり何なりとを天秤にかけても命の方が絶対に大事(より正確に言えば、死ぬのが怖いって事なんだけど)なので、風神雷神にも乗ったことはないのだけれども、名前は知ってるし下から見上げたこともあるので、このニュースの第一報には結構驚いた。
杜撰な運営が事故の原因だったとか、運営会社が中国のディズニーパクリ遊園地と同じだとか、後から出てくる情報に「うへーマジですかー」と驚くやらウンザリするやらでした。
いや、もしかしたら、もはや非モテでも非コミュでもなんでもないのかもしれんのだけど。ていうか多分そうなんだと思う。最近僕が自分の事を省みてみて思うのは、結局、自意識の問題なんだろうってことだから。まあそんなことはどうでもいい。
若くて綺麗な女性に対面すると、緊張する。
「綺麗な」っていうか、なんていうんだろ、いわゆる「女子力の高そうな」っていうんだろうか。化粧ばしばしに決めて、オシャレで、っていう。ある意味で、非現実的な。実用主義とか質実剛健とかとは対極にあるもの。男でも女でも、人の目を惹き付ける要素。対人関係における、ある意味で、武装のようなもの。
例えば、「うちのかあちゃん」には無くて、蛯原友里にはあるような要素。江古田ちゃんに言わせれば、「猛禽」的な、何か。
日頃そういうものを前面に押し出している人と接点が無くて、常にドリーム見て、飢えているような状態だからだろうか、「彼女」というポジションに今の彼女が収まってくれるまで、僕はずっと、「若くて綺麗な女性」「綺麗な女性」下手すりゃ「自分に優しくしてくれる(=人として接してくれる、という程度ですら十分「優しい」。僕と対面してドン退きしない人なら、誰でも「優しい」。そう僕は思ってしまう。)女性」なら誰でも、その人と仲良くなって付き合って云々といった想像をしてしまっていた。
「彼女」がいる今ではそういう考えは起こらない、いや、もしかしたら意識してそうしてるのかもしれないんだけれども。
その代わり、そういう浮かれた感情と同時に沸き上がっていた黒い感情が、浮かれた感情が無い今では、それだけが殊更強く感じられるような気がしている。
スクールカーストとか本気で言ってるの? 勝手に人をランク付けて何卑屈になってんの? ……とかいうことを言ってる人をたまに見かけた気がするし、非モテ界隈でそういう話題が出る度に本気でそう思ってる人も少なからずいるんだろうなと思うんだけど。
大島永遠の「女子高生」において、女子高にもそういうヒエラルキーが普通に存在しているということが描かれているし(もちろん、ギャグ漫画である以上は誇張されているのだろうけれども)、スクールカーストは普遍的な存在だと思う。
「スクールカーストなんて無い」と言う人は、単に、自分の属していた層のヒエラルキー内の位置を客観的に考えてみたことが無いだけなんじゃないだろうか。
世の中、知らない方が幸せな事ってのがたくさんある。スクールカーストの存在とその中での自分の位置も、そういう「知らない方がいい事」の一つなのだろう。
とあるカメラマンの初めての写真集(一人のプロのモデルの横顔を5年間追い続けた記録)という物を見た。高校の頃(17歳)から現在(22歳)までの記録だそうで。
見てみたら、最後の写真ではなんかお腹が妙に大きくなってて、キャプションには「2007年7月、母になる」と書いてあった。出産予定がその頃ということなのだろう。
その写真を見て真っ先に思ったのが、「あぁ……また一人、先を越されたんだ……」ってことだった。人と比べる事じゃあないのに、ついつい、人と比べてしまう。僕より若くして「親」になって、僕よりずっとずっと先の世界を生きている彼女ら彼らは、きっと僕のことなんか、「歳だけ無駄に食ってて人生経験の浅い奴」って見下すに違いない……そんな風に思ってしまう。
何より見下されるべきなのは、人生経験が浅いことよりも何よりも、そういう風にいつでも劣等感に囚われていること、自分と他人を常に比較して順位付けるという思考回路それ自体だと、自分でも分かっているのだけれども。
最初読んだとき「このブルジョワジーのモテ女めが! なーにが、安っぽくて気に入らないから売っ払っちゃいました、だ! 男の純情を踏みにじりおって!! 許せん!!!」とブチギレかけたんだけど、トピ主の追記を読むうちにだんだん考えが変わってきた。