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まだまだ引っ張るこの話。
「容姿がぱっとしない」=「女の子に興味なさそう」というのは、ある意味で、当たっている物言いではないだろうか。僕は自分を省みてそう思う。
興味がない、とまではいかなくとも、興味が薄い、プライオリティが低い、ということは確かに言えたのではないかと思う。あるいは、質的な意味において当時の「興味」と今の「興味」には隔たりがあって、「女の子に興味なさそう」の「興味」はかつての自分の「興味」を意味していなかったのではないか、とも思う。
彼女は高校時代、僕が部長を勤めていた当時の漫画研究部に一度だけ見学に来たことがある(そして僕はその時の事をほとんど覚えていない)。その時の僕についての印象は「優しいし頭よさそう。でも女の子には興味なさそう。」というものだったそうだ。
本人としては、女の子には大変興味があったのだけれどもなあ。「優しくした」というのも、新部員獲得のチャンス!と必死になってたのに加えて、下心も相当あっただろうし。
ちなみに、当時の容姿は……
こういうオタク眼鏡を掛けている人は、すぐにコンタクトかオシャレなメガネに替えて下さいとボロクソに言われているような形の眼鏡
……こうして改めて思い返してみると、「女の子に興味なさそう」っていうのは相当ソフトな表現で、実際にはぶっちゃけ「こんなモサい奴が性に目覚めてるはずがない」という意味だったのかもしれない、と思えてきた。
というわけで、非言語コミュニケーションの領域において、自分の意図せざるところで人はその真意を誤解され得る、ということを身を以って思い知った次第なのです。
友人に付き合って美容院に行ってて、僕は髪を切ったりは特にしなかったんだけど、待ってる間に待合いに置いてあった髪型カタログを見てて、2~3ページめくってもう精神的に限界になってしまって、ページを閉じてしまった。
堪えきれないんだ、あの視線が。「俺はカッコイイ」「俺は成功してる」「俺は成功をつかんでやる」という自信に満ちあふれた目線。髪型カタログは、そんなのばっかりが1ページの中にいくつも掲載されてるわけで。僕なんかが見ていると、「お前にゃどうせ無理だけどな(藁」とか「お前と俺らとは住む世界が違うんだよ。お前はそっち側、俺はこっち側。越えられない壁ってものがあるんだよ(プゲラ」とか「美容院に来てかっこよくなったつもりかもしれんけど、一日経って自分で髪を整えたらもうお前は駄目なんだよ。お前には所詮、俺たちみたいなオシャレはできないんだよ(プギャー」とかいう声が頭の中から聞こえてくるんだ。
だからああいうものを見てるとどんどんどんどんストレスが高まって、イライラしてきて、プレッシャーを感じて、精神的に疲弊して、堪えきれなくなってページを閉じてしまう。
こういうものを見ていてワクワクできる人に、僕は一生敵わないなと思った。
注意:このエントリには勘違いと早とちりが大いに含まれています。事実に反したことを書いている可能性が多分にありますので、ただの一キモオタの妄想による自爆ということで、せせら笑ってやってください。
晩婚講座。女性の視点から書かれたテキストだけれども、ここには非モテ関係の話題で目にする話に通じる物があると思った。
この一連のテキストでは、今30代や40代のキャリア女性が同世代の男性に受け入れられないこと、彼女らが晩婚の相手として年下男性を選んでいること、などが述べられている。「年下の妻に支えてもらって……」といった封建主義的な古い価値観にこだわる30代・40代の男性にとっては、同年代のキャリア女性は魅力的ではないから相手にされず、そんな男性は女性から見ると「優しくて頼れる理想の人」なんかではなく、女性は男性に「年上で、頼れて、かっこよくて……」といった幻想を持つことをやめて、ジェンダーフリー的な思想に反発を抱かず自分を支えてくれる年下の、新世代の男性を相手にしている、ということだった。
ところが現実には、若い男性のみんながみんなジェンダーフリー的な思想に慣れ親しんでいるわけではないようだ。特に非モテ男性は、以前僕が訊ねたごく少数の範囲の人についてではあるけれども、ここで挙げられている30代・40代男性と同じような価値観を持っている風に感じられた(そして自分も、少なからずそういうところがあると思う)。
こういう話を見ていると、やっぱり、年下好みで色々悩んでる非モテ男性は年上好みに転向するのが一番手っ取り早くシアワセになれる方法なんじゃないかなあ? と思う。
永遠に解消できないコンプレックス。年下の女性を守り、リーダーシップを発揮する、という「理想の男性」に自分がなれていないことの、そして今後もなれそうにないことの、劣等感。にもかかわらずそこに一縷の希望を見出そうとしてしまう、諦めの悪さ。その諦めの悪さはどこから来るのだろうか。
脱オタには何らかの形での「成功体験」が必要だと考える、その理由。
普通の人は、「今の自分」がそんなに嫌いではない。だから、軽い気持ちで何か上着なり靴なりのパーツ単位で服を買ってきて、今の自分の手持ちの服に合わせてみて、気に入れば・似合っていればそのまま着続けるし、気に入らなければ・似合っていなければお蔵入りにするのだろう。事実、僕の知っているオシャレな人達は、「買ったけど着ないままになってしまった服」を持っていて、少なからず失敗をしているのだ、だからお前(僕)も一度や二度の失敗にめげずにがんばれ、と僕に対してアドバイスをくれている。
だが、それでは駄目なのだ。
基本的なオシャレオフに行ってきた。
脱オタ界での有名人である2大イケメンのMasao氏と天馬氏が、ユニクロや無印などで手に入る「安物」ばかりでコーディネートした姿で登場し、そのあと「普段の格好」=1アイテム2万とか3万とかのコーディネートで再登場し、そのギャップが小さかった方――つまり「金かけようがかけまいが結局オシャレ度として大した差は無いんじゃね?」「金かけずにオシャレするのが上手いんじゃね?」な方を投票で決定する、という内容。
もう一つの目的として、ユニクロや無印良品などの比較的オシャレオシャレしてない空気の場所、ファッション初心者でもあまり抵抗無く足を踏み入れられる場所ででも、良いコーディネートはできるのだということを示す、ユニクロや無印良品は決して「ダサイ安物」ではないことを示す、というのもあったようだ。
ユニクロ・無印縛りのコーディネートは「おしゃれな人の家を訪ねたときにしてそうな格好」という印象を受けた。いや、そういう人が実際に家でどんな格好で暮らしてるのかは知らんけど、ただのイメージで。室内では邪魔だからアクセサリを付けないんじゃなかろうか(無印・ユニクロ縛りではアクセサリ類がなかった)、という単純な思い込みによる妄想です。
そういう意味では、「基本的なオシャレ」という言葉に即したコーディネートの実践として良い例だったのではないかと思う。
結果は多分お二方のどちらかのサイトで書かれると思うので省略するけれども、正直に思ったところを言ってみると、お二方とも、前後での違いが大して分からなかった。なんていうか……自分の審美眼があまりになさ過ぎて、一定以上の水準を超えてしまうと、見分けが付かんのですよね。こういうのはオシャレに詳しい人が投票するべきなんじゃないだろうかと思った。
……というのがメインイベントのはずだったんだけどみんな結構そっちのけで勝手に話してた。
非モテは「相手よりも自分の方が優位に立てそうだから」年下が好きだと言うけれども、実際の年下と相対したとしたら、優位になんか立てないんじゃないのか? それよりも、年上女性に目を向けた方がよいのではないか? ――というのがここまでの流れ。「年下よりも年上に目を向ければいいんじゃないの?」というのは確かラジオクリルタイの収録時にも話題に出ていたと思うけれども、その再確認と発展。
さて、繰り返しになるが、僕という人間は指向的には年上好みだ。自分ではプライドと思っているけれども実際にはどうでもいい見栄でしかないものなんかかなぐり捨てて、「その人」の前では甘えまくりたい、と思っているところがある。「優位に立とう」という思いがないし、そもそも優位に立てるとは思ってない(体力もないし頭も悪いし、恋愛経験は言わずもがな……)、ということを自覚しているからそこまで「みっともない」考え方ができるのだろうと、自分では分析してみるのだけれども。
では何故、多くの非モテ男性はそのようなみっともない考え方にまでは至らないのか?
収録時や収録後の回想。
これも2次会でしゃべったこと。
非モテをこじらせるパターンで「女性」に全ての責任をなすりつけてしまうケースがあると思う(刺身氏もかつてそうだったと仰っていた)けれども、それはある意味で、女性というものを(性的な意味でなく、それ以外の点で)知らないからそうなるのかなあ? と、何となくだけど思った。
自分はこれまで何度か書いたとおり、高校時代に腐女子な先輩方に囲まれていて、でもって僕を男と意識してなんかいない部分が結構あったようだから、結構生々しい話も見聞きする機会がたまにあった。そこで知ったのは、女性といっても大体においては男性とさして変わらないっぽい、ということだった。異性に求めるもの、自身の生き方のスタンス、聞けば聞くほど「男と大して変わらん」と思った。不満の全ての原因を女性一般に押しつけるには、僕が見知った人達はあまりに「無害」すぎた。