Jun 11, 2006

女に興味がない

まだまだ引っ張るこの話。

「容姿がぱっとしない」=「女の子に興味なさそう」というのは、ある意味で、当たっている物言いではないだろうか。僕は自分を省みてそう思う。

興味がない、とまではいかなくとも、興味が薄い、プライオリティが低い、ということは確かに言えたのではないかと思う。あるいは、質的な意味において当時の「興味」と今の「興味」には隔たりがあって、「女の子に興味なさそう」の「興味」はかつての自分の「興味」を意味していなかったのではないか、とも思う。

「理想の異性」――現実ではなくあくまで自分の中の虚像の「異性」は、容姿などにはまったく関係なく自分を愛してくれるはずである。ストイックに生きる自分の生き様に惹かれるはずである。――かつて自分にあったのは、ただそのような虚像に対する「興味」でしかなかったのではないか。

しかし現実の異性は、そこまで単純でも清廉でもない。とびきりのイケメンでなければ愛さないということはないだろうけれども、人それぞれ最低基準は異なるとしてもある程度の小綺麗さは求めるだろうし、かっこよければそれに越したことはないと考えていても全然おかしくない。ストイック過ぎて思いやりが無い人にはついていけないと考えるかもしれない。単純なのに複雑で、低俗なのに清廉だったりもする、矛盾を孕んだわけのわからない存在であろう。「現実の、自律した存在である異性」の気を引く――最も分かり易い所で言えば、「相手が自分を見たときにどう思うか」ということに思いを馳せ、少しでも良く見られようとする、とか――ためには、相手にコミュニケーションのチャンネルを開くことが必要になる。自分だけの都合でなく、ある程度相手に合わせる必要がある。それが、「女の子に興味を持つ」という文脈においての「興味」なのではないだろうか。

自分の事だけ考えて、閉鎖された思考経路の中で無限ループに陥っている非モテは確かに、「異性に興味が無い」と言えるのかもしれない……と僕は思う。

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