たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
ツリー型タブでタブバーを自動で隠す設定の時に、うそっこ透過タブバーで下の物が見えるようにした、と書いたけど、その様子のデモを作ってみた。
<object classid="clsid:D27CDB6E-AE6D-11cf-96B8-444553540000" width="300" height="283" codebase="http://active.macromedia.com/flash5/cabs/swflash.cab#version=5,0,0,0"> <param name="movie" value="/xul/_video/treestyletab_autohide.swf"></param> <param name="roop" value="false"></param> <param name="quality" value="low"></param> <embed src="/xul/_video/treestyletab_autohide.swf" width="300" height="283" quality="low" loop="false" type="application/x-shockwave-flash" pluginspage="http://www.macromedia.com/shockwave/download/index.cgi?P1_Prod_Version=ShockwaveFlash"> </embed> </object>
こうして見てみるとスタック型タブとあんま変わらんように見えるな……
そういや昨日これのためのコード書いてたら、Minefieldでタブバーの幅が300ピクセル以下にならなくて、おっかしーなーと思って色々詳しく調べてみたら、HTML Canvasの幅を0にしようとすると問答無用で300ピクセル幅(canvasの初期状態の幅)になってしまうようだった。さらに検証してみたらFirefox 2ではその逆に高さを0にできないという現象も……Bugzillaを検索してみてもクエリが「canvas width」だとやたらたくさん引っかかって同じバグがすでにあるかどうか分からなかったので、とりあえずバグを立ててみた。ガイシュツだったらすんません。ちなみに幅も高さも、最小値は1ピクセルまでだったらちゃんと指定通りに動くようです。というバッドノウハウ。
追記。しばらく使ってみたら、タブの下の何もないスペースを、タブバーがあることを忘れてうっかりクリックしてしまうということが頻発したので、タブバー部分はそうと分かるように色を変えるようにした。
ツリー型タブでタブバーの表示・非表示を切り替える時の画面のちらつきがUZEEEEEEEEEE!!というのは前々から把握してたんだけど、一時的に画面描画を止めるとかそういうのはJavaScriptのレイヤからは手が出せないっぽいので放置してた。AutoHideではC++あたりでXPCOMコンポーネントを作ってどうにかしてるようだけど、そんなん僕には作れないし。
でもよく考えたらHTML Canvas使って解決できるんじゃね? と思って、そういう物を作ってライブラリ化してみた。fullScreenCanvas.show()
を呼ぶと、今のウィンドウの表示内容のスクリーンショットを貼り付けたような状態のCanvasがウィンドウ内の要素の最前面に表示されます。画面がチラつくような処理をその下でやって、終わったらfullScreenCanvas.hide()
でCanvasを消す、という風にすると、ユーザにイヤンな思いをさせないでいろんな事ができるかも知れない。ブラウズ領域のスクロールバーの部分が描画されないのはどうにもならなかった。
以下、工夫した所。
XULとCSSのポジショニングの組み合わせは、Gecko 1.9でもバッドノウハウの塊ですね。
Firefox 3のタブにFirefox 2と同じプレースホルダーを復元するライブラリと併せて、MITライセンスでの公開とします。
追記。canvasついでに(意味不明)、タブバーの後ろにcanvasを置いてうそっこ透過タブバーを実現してみた(描画内容が微妙にズレることがあるのは勘弁してください)。これで、ページの閲覧を邪魔されずにタブバーを使えるようになるだろうか?
キモいとかの、反論もフォローも何もしようがない主観的表現で罵倒されてしまった時は、「自称毒舌キターーーー!!!」と考えるようにすると、僕のように打たれ弱い人間でもとりあえず乗り切れる。というライフハック。
同様に僕の言葉も「自称毒舌キターーーー!!!」と判定して無視される可能性は当然あって、それはそれで構わないと思う。
そして全人類がお互いに「自称毒舌キターーーー!!!」と思ってスルーしあえるようになれば、世の中の争いの何パーセントかはなくなると思うんだ。というわけで、傷付きやすい若者と馬鹿者はもっとスルー力を鍛えよう。
こないだのcbeardを放置する会囲む会で「Betaは4で最終だって言うけど、Minefield追っかけてたらバージョンのb4preがいつの間にかb5preになってたりするんじゃね(=Beta5が出る)」と言ってたら、ほんとに決定しちゃいましたねBeta5。
今度から僕の事を予知能力者と思っていただいて問題ないかもしれません。
ちなみにMozilla界隈のウォッチャーには、リリース時期とかロードマップとかついてこういう予知ができる人が異常に多いので、あんまり珍しくない能力と言えます。キミにもできる未来予知、みんなでレッツチャレンジ。
これとは全然関係ない所でも一度、mixiってほんと自社の利益のことだけ考えてんだなってことを思い知らされる出来事があったんだけど、体質というか企業の理念が……なのかもしらんね。
スラドで書かれてるけど、これが特に悪質なのは以下の2点。
友達だけに見せるものだから……と思って赤裸々日記を書いてる人は、今すぐ全消しした方がいいかもね。
なんていうかさ。そりゃ現実的に考えれば、星の数ほどいる会員の書いた文章を端から公表して大顰蹙を買うなんてバカな事は、そうそうせんでしょうよ。でも、「そういうこともできる」規約になってるって事が問題なんだ。「そういうこともできる権利をうちは持ってるんだ」と考えている、そう主張しているということが、その権利を行使するしないに関わらず、傲慢過ぎて嫌なんだ。「そんなバカな事はしないってうちを信じなさい、っていうかうちはそのくらい信用があって当然だろ」って言ってるかのような様子が鼻につくんだ。僕はmixiのこと、そんなに信用できませんよ。人も企業も、規約で法律で縛られてなきゃ何だって悪どいことをするもんだ、と思ってるから。捨印を押さないのと同じ理由です。
見終わった後思わずGoogle検索してDVDのアフィリエイトリンクを置いてるブログを探してそこからポチってAmazonで注文してしまいました。これにはお金を払わなければいけない、こういう物を作る人は報われなければいけない、そう思ったので。
通勤ラッシュがひどい時間帯に電車に乗るという機会があまりない僕ではあるけれども、男で、電車(その他の公共の交通機関)を使う限りは、こういう目に遭うリスクからは絶対に逃れられない。しかも僕の場合、家宅捜索なんかされた日には事実がどうあれ有罪確定間違いなしだろう。エロマンガを自分で描いて自費出版するような性欲の有り余ってる奴なんだから犯罪を犯さないわけがない、そう決めつけられるに決まってる。
アフィリエイトリンクのあるブログを探している途中で辿り着いたとあるエントリで、映画のメインのモチーフになったと思われる裁判の話が紹介されていた。この実際の裁判では無罪が確定したとのことだけれども……
最後、判決を聞きながら主人公がやっと理解したこと。裁判所は真実を明らかにする場所じゃなくて、今ある「証拠」という名の素材からとりあえず有罪か無罪かを決めるだけの場所だったんだ、という心の中のつぶやき。国家という仕組みのアテにならなさ、確かじゃなさ、というのをこれでもかと見せつけてくる。
OSCの帰り、ZINさんとネガティブ日記の内容ことについて話してた。
パイオニアについて。
コメント欄でも絶滅危惧種IA類氏が書かれてるけど、ZINさんにも同じようなことを言われた。先駆者、最初にやった人、パイオニアという評価はもう動かないんじゃないの、後から追いかけて参入してきた人は当然前例を踏まえてるからより良いものを作れるわけで、それらの人に物のクオリティで追い抜かれていくのは当たり前だけど、でもどんなに頑張っても彼らは「一番最初」にはなれない、その特別なステータスがあるということは認めていいんじゃないのか、という感じのこと。
まあどっちかというと処女厨気味の僕なので、その理屈はよく分かった。
しかし、処女厨云々で言えば、女や多数の男が「べつに処女とかどうでもいいじゃん……てか拘る男がキモい」と言ってるのにごく一部の男が「処女じゃなきゃヤダ」と言ってるという構図というのは、Web上でよく目にする。その場においては大抵「初めてかどうかとかは重要じゃない。いい関係を築けるかどうかが問題だ。初めてかどうかに拘る奴は幼稚な馬鹿だ。」というのが「良識的な結論」として確定しているように思う(だから「初めてかどうかに拘る」人が処女厨と呼ばれ蔑まれる)。
この理屈を転用すれば、「先駆者かどうかは重要じゃない。偉大な業績を残せるかどうかが問題だ。先駆者かどうかに拘る奴は幼稚な馬鹿だ。」という言い方もできてしまうわけで。実際、そんな様子を見事に言い表した言葉として、「老害」っていう言葉なんかもあるわけだし。
という風なことを考え始めると、一番最初、あるいは、他に人が少なかった初期の頃を牽引した、というのは、確かにそれは自負してるけど、でもそれだけを以て自信の拠り所にしてはいけないんじゃないか? と思ってしまうわけです。
多能工について。
くでんさんがコメントで書かれた「ポリバレント」という言葉の意味を知らなかったので調べてみたら、サッカーのオシム監督がそういう表現を使ったそうで、専門馬鹿偏重に対する反動のような考え方と言えるもののようだ。
確かに自分自身、「オールラウンド」プレーヤーではないにしても、複数の領域にまたがっている自覚はあるので、ある分野のトップのプロにはなれそうもないからそのプロと他の人とを繋ぐインターフェースとしての役割を果たせるようになれればいいな、とか、そういうことは前々から言ってはいた。
しかし、どうしても「器用貧乏」という言葉の方が強く想起される。広辞苑でも「大成しない」という説明が付いているように、ドラマにはならない。つまり上記のような、先駆者が老害にならないために必要な偉大な業績を、残しにくい。
「最初(の頃)にやった」ということそれ自体が「業績」だ、という見方もできるかも知れない。でも「何をしたか」という結果は生きている限りは嫌でも積み上がっていって、「最終学歴」のような「最終業績」はどんどん更新されていく。「最初(の頃)にやった」だけで後に何もトピックがなければ、有名私大附属幼稚園から大学へエスカレーターで上がれずドロップアウトしてショボい所に行ってしまいました、みたいな、尻すぼみな履歴書になる。
くでんさんが指摘していたことの意味がやっと分かったかも知れない。僕は、死んだ(あるいは引退した)後でしか得られない物を現役のうちに欲しがっているという、矛盾したことをしているのかも知れない。ある仕事をやり遂げた直後に死ぬなり引退するなりしたら、その人のその分野での最終業績はその仕事の成果ということになる。ずっと価値が変わらない安定した評価になる。「伝説を作る」というフレーズがよくある。アイドルやロックバンドが人気の絶頂で引退するとか、名作映画や名作ゲームが続編を作られずに一作だけで終わるとか。そういう、平生業成できないことを僕は人生の目的にしてしまっているのかも知れない。だからいつでも満たされないままでいるのかも知れない。
どうでもいいけど、このマンガの6ページ目で猛勉強してるのはどう見ても美浜ちよ10歳です。本当にありがとうございます。
「僕は新世界の神になる」について。
プログラムでも他人に嫉妬し、絵でも他人に嫉妬し、お前は一体何がしたいんだと。あらゆる分野で自分より勝った人間がいることが許せないのかと。お前は神になりたいのかと。そういう指摘も受けた。
確かに後からそれぞれの発言を拾い集めてつなぎ合わせれば、そういう結論に辿り着くかも知れない。しかし当人としては、それぞれの発言をした時にはそこまでのことは思っていなかったのもまた事実だ。
これについてはもう単純に、その時その時でそのトピックだけに視野が狭まっていてそれ以外の事に目を向けられなくなっている、あるいは、場合場合に応じて自分の価値観の根幹をなす物が入れ替わっている、価値観の根幹が揺らいでいる、そういう事だと思う。子供があれもこれもと欲しがるのと全く一緒だ。
Nyaxt氏に対する嫉妬、劣等感、卑屈な感情がわき上がる理由を考えてみた。このあたりはちゃんと掘り下げて納得いくまで分析しておきたい。
先のエントリに書いた内容には上記2点への言及があったので、まずはそこから見てみる。
まず、レイヤの違い。
以前、スポーツとか音楽とかをやってる人は一瞬の煌めきがあるからとかなんとか書いたけど、その点では、僕も彼もやってることは同じプログラミングだ。ただ、携わっているレイヤが違う。もちろん知識・技能・経験にも差はあるけど。
僕が見たいくつかの記事では、氏は3DCGのレンダラを開発しているという事が書かれていた。1000人スピーカでの発表内容もそれに関連した技術、分散コンピューティングとかマルチスレッドプログラミングとかに関する物だった。僕はこれらの技術は、色々な人が利用する物の基礎になる技術だと思ったので、氏が活躍すればするほど、例えば大都市の大深度地下開発のように、町、そこに暮らす人達全体が、幸せになると思う。コンピュータ世界の原理原則に関わり、不変の真理(=法則)を扱うものだと思っている。
対して、僕がやっているのは、Firefoxの拡張機能だ。CPUの上で動く、OSの上で動く、Mozillaのバーチャルマシンの上で動く、XULとJavaScriptの上で動く、インターフェースを改変するというオンメモリパッチ。色々なものの世話になった上でやっと成り立っている、ごくごく表面の部分の「改善」に過ぎない。氏のしていることを大深度地下開発に例えたけど、その例で言うなら、僕のやってることは水道の蛇口にホースを付けて、湯沸かし器からこっちの部屋まで温かいお湯を持ってこれるようにしましたよ、という程度のことでしかないと思う。
TBEのことを評価してくれる人はいるし、僕自身もそれに依存しきってたせいで長らくFirefox 1.5から離れられなかったくらいだけど、でも、TBEから何か派生的に他に価値を持つものが生まれてきたか? 具体的には、TBEの機能をさらに活用する追加の拡張機能は開発されたか? TBEのAPIを使った他のアドオンが他にあったか? っていうと、そういうものは僕の知る限りでは無かった。Tab Mix Plusのように「TBEのコンセプトによく似た、TBEに代わるもの」は出てきたけど。今僕の作ってる拡張機能も、その点ではあんまり代わってない気がする。Firefoxの「拡張機能」は普通にやってる限りは、技術の発展とか人の繋がりとかの袋小路になってしまうんではないかと思う。その物の価値以上の価値、幸福、富は生み出せない。でも基礎になる物は、そうはならない。Rubyという言語を作ったまつもと氏も、Railsを作った人も、本人が作った物以上の価値を、幸福を、富を、ユーザも含めたエコシステム全体が生み出している。
そういえば、「ブラックジャックによろしく」の初期の方の話で、臨床医療でお前が一生かけて救える人数よりもはるかに多くの人数を、私は研究室の中での研究の成果(新薬、新しい治療法、etc.)で救っている、という風なことを大学病院の教授先生が言って、臨床医の主人公は黙り込むというシークエンスがあったと思う。それと同じことを僕は感じたんだと思う。
次に、成長曲線の違い。
僕は先のエントリで年齢に言及したけど、もっと根源的には、氏と僕との成長曲線の違いに嫉妬したのではないかと思う。
氏のことを知らない人はまずIT PLUSのインタビューやIT Proの記事を見るといいと思うけど、小学生のうちからプログラミングに興味を持って、留学して、飛び級して、という風に物凄い急角度で成長して氏は今に至っている。その角度を維持したまま成長が続くと、この人は一体どこまで行くんだろう、という感じだ。
ちなみに、amachangについても似たようなことが言えると思う。Biz.IDのインタビューあたりを見れば分かるけど、amachangは比較的最近になって急激に伸びてきた人だ。某マンガのセリフを借りると、「超音速で成長中」という感じ。これもやはり、グラフの先は一体どこまで伸びるんだろう、という風に感じている。
一転して僕はというと、まあスタート自体は中学校からということになるけれども、彼らのように急加速で伸びていったりなんてことはなく、ずっとのんびりダラダラやってきた。中三から高校の間なんて、プログラミングからほとんど完全に離れて絵のことばっかりやってたし。新しい技術をマスターするために文献をガツガツ読む、なんてことは、面倒だからずっと避けてきた。寄り道が多くて、成長のグラフは鈍角も鈍角、全然上に伸びていかない感じだ。今の時点だけ見れば「結構いい所にいるんじゃん」って見える人もいるかもだけど、数年後、数十年後になって見てみたら「え、あんたまだそんな所にいるの?」って思われることは間違いないと思う。
「現時点で持っている物」にも大きな差があるし、「これから先為すであろう事」にも大きな差がある。そう感じたから、僕は負の感情を覚えたのではないかと思う。
それはそうと、いろんな人に迷惑かけたり不快な思いさせたりしといてあれだけど(特にこんな絡み方をされたNyaxt氏にとっては災難もいいとこだ)、当人はというと、先のエントリの内容を一気に吐き出した時点で賢者タイムに突入してたりするんですよね。
フォクすけぬいぐるみをゲットした人のエントリを見てて思ったんだけど。
ぬいぐるみのタグにコモンズ章が付いてるってことは、クリエイティブ・コモンズライセンスの適用対象はこのぬいぐるみ自体ってことですよねぇやっぱり。絵や写真や音声素材や映像素材でCCってのは分かるけど、立体物でCCって前例あるのかしらん? NC-BYってことは、権利者名を表示して無償であればこのぬいぐるみを使った写真や映像を作品として公開できると考えたらいいんか?
ちなみにサンライズ的には、ガンプラを撮った写真は公開しちゃダメらしい。そういう二次利用(?)の制限が無いことが明示されてる立体物の製品・作品ってどのくらいあるんだろう。
OperaのTetzchner CEOへのインタビュー記事(英語)について、冒頭の Opera をオープンソースにしない理由などだけでも目を通すと良いかもとあったので、頑張って読んでみたよ。誤読してたらすんません。
(質問)Operaをオープンソースでリリースするのに何が必要ですか? 私はあなたが過去すでに、オープンソース化はあなたに何の利益ももたらさないと述べたことを知っていますが、その考えに変化があったかどうかに関係なく、私はただ確認をしたいのです。私は、オープンソース化がLinuxとBSDでのすべてのユーザを幸せにするだろうと確信しています。
(回答)本当の質問は、なぜそう考えるのか、そして、それは本当に重要なのかということです。私たちの世界観では、オープンスタンダードこそが重要な物と考えます。オープンスタンダードとオープンソースとを選べるのなら、私達は必ずオープンスタンダードの方を選びます。幸いにも、多くの場合オープンソースの企業は実際にはオープンスタンダードによってうまくいっていますので、それ自体は問題ではありませんが、しかし、私達が重要だと信じているのはあくまでオープンスタンダードです。なぜなら、その時あなたは選択肢を持てるからです。あなた自身の考える優先順位に基づいて、使う製品を切り替えることができるという事ですね。
そして、オープンなコミュニティの問題があります。私達はとてもオープンなコミュニティを持っていて、非常に多くの人達と働いています。私達が企業として歩む道は色々な意味で、オープンソースの企業のそれに似ていると、私は考えています。今現在、コミュニティの人達は私達の製品のソースコードにアクセスする事ができませんが、しかし、彼らは私達とコミュニケーションを取り、フィードバックをしてくれて、私達の製品を試してくれています。私達はとてもオープンな仕事のやり方を、コミュニティの人達としているのです。そこでの疑問は、なぜ私達がその上でさらにオープンソースの活動をやらないといけないのか、それが私達にどんな利益をもたらすのか、という事です。
ちなみに、私は自分自身でオープンソースの活動をしたことがあり、Telenor Researchであるプロジェクトを作りました。私はFrameMakerのコンテンツを読み込んでHTMLに完全に変換するプログラムを作りました。そして、私はそれをオープンソースでやりました。また、それは実に見事に動作しました。しかし、同時に、私がそのプロジェクトの仕事をやめた(関わらなくなった)途端、プロジェクトは死んでしまいました。みんながそれを使っていたのにも関わらずです。それはFrameMakerの文書をHTMLに変換するための、最もポピュラーな方法でした。それは非常に強力なツールで、FrameMakerブックの全体を、章や複数の文書を、画像、文書間のリンク、索引も含めて、何もかもを完全にHTMLに変換することができました。しかし、私がそのプロジェクトに関わらなくなった途端に、状況は変わってしまいました。
私の考えでは、もし私達がOperaをオープンソース化していたら、ある種の人たちは私達のソースコードを見ることができて、私達をもしかしたら助けることができたかもしれませんが、依然として大部分の作業は私達自身がやることになっていただろうと思います。これは実際の所、他の有名なオープンソースプロジェクトと全く同じです。もしあなたがオープンソースプロジェクトの一つに参加しようとしても、実際にはそれはそんなに簡単な話ではありません。なぜなら、そこにはプロジェクトの主導権を握っている門番のような誰かがいるからです。ですから私は、オープンソース化していたらそれによって多くの物を得られただろうという考えには確信を持てませんし、人々が私達のコードを見るだけ見ておいしい所だけ持っていってしまう危険性もあっただろうと思っています。
まあOperaはプロダクトや技術それ自体を売ることでお金を得るビジネスモデルだから、Operaがそういう営利企業である以上は、オープンソース化しても大して嬉しい結果にはならないだろうなあ。Mozilla Corporationなんて、非営利団体が唯一の株主で、営利目的では活動しませんって明言しちゃってるし。あそこの目的は金を稼ぐことではなく社会貢献することの方が優先順位が高いと見て間違いは無かろう。そんな所とOperaを一緒くたにして語られても、テッちゃん困っちゃうよね(←なぜ馴れ馴れしい)